劇場公開日 2025年2月28日

「今で言うところの『ご都合主義』ですが、信じる者は救われます。」親鸞 人生の目的 Geso_de_Nyoroさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0今で言うところの『ご都合主義』ですが、信じる者は救われます。

2025年4月6日
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鑑賞方法:映画館

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難しい

幸せ

鎌倉時代の浄土宗祖の法然の弟子にして、浄土真宗の祖となる親鸞は、日本史の教科書には必ず出てくる重要人物です。自分の家は『曹洞宗』で日本でのソレは「道元」禅師で、コチラは過去に実写映画になりました。

当時興った鎌倉仏教6宗派には上記3宗も含まれます。この時代は源平の争乱に加え、自然災害なども重なり世の中が混乱の極みにありました。そんな状況下で救いを求める民衆の間に、それまでは公家や武家など高位の人々が中心だった仏教が広まった、という背景が描かれています。

当時の仏僧は、人間として当然の『本能』を『煩悩』さらには『罪悪』とまで捉える厳格な思想であったことは言うまでもありません。一方でコソコソ『本能』に忠実なヤカラも居た訳で‥‥
そんな状況下で初めて「煩悩にまみれて何が悪い!?」という、現代では当たり前の考え方が示されると、これまで生真面目に取り組んできた僧達から愚弄とばかりに反発を受けました。そればかりか僧侶が暗殺依頼とかナカナカの『人間らしい煩悩』を展開します。
この辺は、キリスト教の『カトリック』と『プロテスタント』と類似してますかね?

その教えとは、「開き直ってしまえばソコに『救い』がある」と解釈できるものでした。自身の在るがままと向き合い、それを素直に認め受け入れる、その先に悟りが開ける的な。
ただその肝心な部分、救済されるとする根拠が不明瞭で、仏様が『なぜ』万人を救うのか、という理由が語られません。なので観る側はソレを前提として解釈し理解する他なく「仏教(浄土真宗?)とはそういうものデス」的な表現で纏まってしまうのはマイナスです。
後半に弟子の間で「南無阿弥陀仏を唱えていれば極楽浄土の道開く〜」的な解釈(修行の『手段』が『目的』になっている)を戒めるシーンがあり、これは『信じる者は救われる』に紐づくシーンです。ここが少々中途半端で訴求力が弱いのも残念なところ。折角悪行から足を洗って仏門に入った弟子もいたのに、彼は勘違いを指摘され複雑な気分だったことでしょう。

中の人では、主役の杉良太郎氏は良好でした。またお嫁さんがザーサンの他、比較的豪華なキャスト陣だったかなと。結構地味な作品ですが、気分転換に鑑賞するには丁度ヨサゲな作品でした。

ここからは余談ですが、現代はその『煩悩』において一部のニッチなソレに限って弾圧しようとする思想があり、当時さながらの厳格な『思い浮かべる事すら許さない』という、極端な思想を押し付けようとする一派に危惧しています。

Geso_de_Nyoro
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