劇場公開日 2025年9月5日

「羽住英一郎という監督について」カラダ探し THE LAST NIGHT インステアさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5 羽住英一郎という監督について

2025年9月17日
PCから投稿

驚く

羽住英一郎監督作品という前提のレビューは見当たらないのだが、そういう視点で鑑賞したし、その感想を書きたい。

この羽住英一郎監督というのは、何より「海猿」のヒットで有名だという捉え方は、もうすっかり中高年の見方なのだろうか? 人によっては漫画の駄目な実写化の例として「暗殺教室」を挙げたりしていて、「バイオハザード」のCGアニメ版の監督やら何やら、その延長上に「カラダ探し」の監督だという認識が広がっているようだ。つまり「海猿」は、原作者がヘソを曲げたせいもあって封印作品と化し、もう若者世代にはすっかり忘れ去られた映画となっているようでもある。昨今のフジテレビの体たらくを考えると、あえて「海猿」の封印を解いてほしいとか、新作を観たいという声は今後もほとんど上がらない気がする。

「海猿」の時から羽住監督は、移動撮影や細かなカット割り、カメラワークやライティングの美しさ、すべてがハリウッド調で、そこが非常に邦画としては観やすいし、もっとどんどん活躍してほしいなと思った監督さんだった。

羽住監督は「踊る大捜査線」の助監督上がりだそうだが、80年代や90年代のフジテレビのドラマや映画というのは、ハリウッド調のカメラワークや編集のようなオシャレさやダイナミズムを、あえて身近で日常的なドラマにあてがって、邦画の新しいトレンドを切り拓いたという点では正しかったと思う。要するに邦画がダサくて所帯じみてて、洋画と比較しても金がかかっていなくて、まともに観るもんじゃないと思われていた頃に、アメリカ風のクールな演出や、ハンス・ジマー調の劇伴を奏でることで、「テーマは身近だけどファンタジックな持ち味もあってオサレ」なドラマや映画を作りだしたのである。

もちろんそれは、本当にハリウッドっぽいスケールの大きさで勝負しようとしても、予算の制約で太刀打ちできないという現実あってのことだったが、とはいえいかにも古くさかった邦画の雰囲気が一気に新しくなる革命だったのは間違いない。映画「踊る大捜査線」の大ヒットが、邦画界にもたらした影響力は絶大だった。この「庶民性重視の人間ドラマにハリウッドっぽい撮影・照明・編集・音楽を重ねる」という手法は、2000年代以降、韓国映画に受け継がれた。日本は2000年代から「癒やし」ブームというのが始まって、病気でヒロインが死ぬとかカビくさい映画ばかりに逆戻りしてしまい、洒落た演出は一気に鳴りを潜めてしまった。

さてそんな中にあって、「庶民性重視の人間ドラマ」に「ハリウッド」の料理法を加えたのがそれまでのフジテレビドラマと映画だとすれば、同じ手法で本当にスケールの大きな映画を撮ろうとしたのが、羽住監督と「海猿」シリーズだったと思う。

実際には「海猿」も庶民性の人間ドラマ、つまりテレビのトレンディドラマ調の部分が多々あったのだが、それと救助シーンのスペクタクルとの両立に成功していた。これは韓国映画や、例えば台湾の「ブラック&ホワイト」辺りにも影響を与える、アジア映画界としてはやはり画期的な作風だった。K-POPがアジア人をアメリカナイズした上でも、欧米人に負けないかっこよさで一世を風靡できると証明したように、東洋の実写映画でハリウッドと肩を並べるきっかけを作った、それは羽住監督の「海猿」シリーズだったのではないか、ここまで言ってしまいたい。

だがその後の羽住監督は…。「ワイルド7」の中途半端な活劇志向は「太陽は動かない」に至っても変わっておらず、「MOZU劇場版」も金はかかっているが何を言いたいのかさっぱり分からない。変に余裕をカマした敵が出てきて、たっぷり時間を取って演説をぶち、主人公との葛藤が描かれるようで描かれない、非常に浅くて鑑賞に堪えられないシーン目白押し、アクションシーンもリアリティが欠如し、アイディアに新しさがなくてつまらない。なんだかどれも「画は綺麗で、編集とカメラワークのおかげで退屈しない映画だけれども、大して面白くない」という映画ばかりになってしまった。

その理由が、どうやらフジテレビ仕込みの「トレンディドラマ風演出パートを必ず入れなきゃいけない」という点にあるらしいというのが、今回の「カラダ探し」続編を観ながら思ったことである。

とはいえ前作の「カラダ探し」は、ホラーからの青春ドラマへの転調が目新しく、そこが面白かったのだから、これを否定するわけではない。けれども前作の場合、実は転調の肝というのは、「ホラーから青春ドラマ」ではなく、橋本環奈演じる明日香の「ボッチから集団青春ドラマ」への移行に「ホラーという超常現象」が影響するという特殊な構図だったのである。原作の「繰り返し殺されることで、死なないけれども精神を病んでいく」をバッサリ切り捨て、フジテレビ調のあっけらかんとした青春恋愛ドラマ群像劇に転じて興行10億円以上の成功を収めたというのは、「計算」ではなく「偶然」だったにちがいないと思う。

その根拠は今作にある。前作と同じ事の反復であるが、前作のどこが面白かったのか、作り手が一番分かっていないと強く感じる。原作にある、物語の世界観を形成するルールと、それに向き合う主人公たちの心理、日常に戻るための切磋琢磨といった要素をすべて切り捨て、「ホラー青春ドラマとして新機軸を切り拓いたのだから今回も」と安易に物語を展開した結果、ただいたずらに緊張感のない、むしろ節々でかなりサムい映画になってしまった。

「なぜ」が何も解き明かされず、ただ木村佳乃の演じる「おんな」がこう言ったからこうだという、そりゃオカルトなんだから何でもありではあるけれども、そこには多少なりとも知的な説得力を持たせてほしいという期待がことごとく裏切られる。

明日香が閉じ込められる死後の世界?だかのセットは、作り手は喜んでるかもしれないが、あんなもんは恥ずかしくて、とても2025年の映画には見えない。グリーンバックだけで撮影して、壮大なCG空間の中に合成すれば、もっと節約しながらもっと壮大な画が撮れる。パンフレットを読んでも、羽住監督はアナログな手法を自画自賛しているが、言わせて貰えばこの映画は全体的に非常に古くさい。「青春」の描き方が80年代や90年代の映画そのもの、つまり団塊ジュニアが大勢いて、そいつらをターゲットに商売していた映画界だから幼稚さが許されていた時代の、観客の知性に期待しない作り方に終始している。これが本当に腹立たしい。

途中に出てくる青春パートでの、漫画のコマ割りみたいなデザインの挿入、あれは本当にもう腐ったフジテレビのセンスそのものだ。「俺たちオシャレでしょ?」と言いながらパーリーピーポーを気取っていて、世間から呆れられ嫌われるに至ったフジテレビそのものだ。美男美女の若手俳優を揃え、コント調もしくは漫画調のセリフの応酬で変顔をさせていれば、馬鹿な観客(or視聴者)は友達のように好意を持って、疑似恋愛的感覚もしくは羨望をもって、キャラクターたちの輪に入りたいと願うようになるという、今では全然成り立たない前時代的な手法に、羽住監督はまだしがみついている、あるいはそれしかできないのだなと痛感させられる。

たとえばヘッドフォンを手放さない男子生徒を、女子生徒らが「アニソンでも聴いてるんでしょ」と馬鹿にするというのは、「アニソン=普遍的JPOP」となった現代では、高校生の会話としてありえない。これは「ドラマの主題歌=普遍的JPOP」で「アニソン=オタク」だった90年代のセンスであり、今の十代は皆「おっさんが作った映画だからしょうがないよね」と感じる部分だ。こうしたセンスは前作「カラダ探し」にもあったが、今作のほうが全開になってしまっている気がする。遊園地のオブジェに名前を彫り込むのは、現代の感覚では普通に引くし、非常に不自然なタイミングで「下の名前で呼んだ」ことを男女間で取り沙汰するとか、男子生徒が女子生徒を「おまえ」と呼ぶとか、平成、いや昭和の感覚に辟易する。

羽住監督にはもっと世間に目を向けてもらいたい。そうこうしているうちに、カメラは軽く小さくなり、ご自慢の移動撮影や凝ったカメラワーク、短いカットと複雑な編集も、若手監督はみんな難なくこなせる時代になっている。ハリウッド調の作りというのはもう当たり前になっていて、そこに知性の感じられない古くさいトレンディドラマ調演出を重ねても、誰も魅了されない時代になっている。

それでも羽住監督の映画が好きだ。邦画っぽくないというのがその最大の理由だ。期待しているからこそ言う。物語をもっと真剣に捉えてほしい。「カラダ探し」にしても原作をしっかり読みこんで、物語の肝はどこにあるのか、人物を描くというのはどういうことか、充分に考え抜いた上で演出に当たってほしい。ええい、山崎貴がアカデミー賞を獲っているというのに、封印作品が代表作だなんて悔しくないんか。本人は「巨匠たる自分があえて若者向けB級ホラームービーを撮っている」と思っているかもしれないが、世間はそう捉えちゃくれないぞ。「落ちぶれたな」と思うだけだ。あいかわらず情景描写やアクションシーン前後の演出に光るものが見てとれる分だけ、本当に残念で口惜しくて堪らない。「若者(というより子供)に媚びを売れば大ヒット」というフジテレビ的な短絡思考から早く抜け出してほしい。「死んでも生き返る世界で、男女グループでリア充になるのを描けば、若年層は憧れてくれる」というのは間違いだったことが、今回「8番出口」に大敗を喫して、ようやく監督にも理解できたと思いたい。二度目なんだから今回は「生き返るのは1人につき3回までだ」とか早い段階で謳って緊張感を醸し出すとか、ジェットコースターでのクライマックス後に現実世界でも赤い人が襲ってくるのは次作に譲らず今作の終盤でやって、もうひと山とするべきだったとか、マシにする方法は山ほどあったはずだ。とにかく改善点はちゃんと把握した上で、次回に生かしてほしい。

今回の男女生徒グループが、往年のフジテレビドラマのメインキャスト、とりわけ「踊る」の青島とかすみれとか室井みたいに、キャラそれぞれにファンダムが出来るのを監督が期待しているのはありありとわかるのだが、できない。キャラの薄っぺらさと理不尽な脚本、時代錯誤なコント調の絡みがすべて障害になっていて、キャラが推しになるきっかけはまったく機能していない。それらはもう現代じゃ通用しない手法だと、頼むから本当に分かってほしい。ROBOTの美術スタッフが捜査資料の紙を大量に壁に貼り付けたり、死人が石化した顔が無数にあったり、それらのセットで観客が圧倒される時代は、もうとっくに終わっているのだから。

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インステア
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