金子差入店のレビュー・感想・評価
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あんぱん!あんぱん!
北村匠海くんが出てるシーンはずっとそーやって心で叫んでた!だってそやないと悲しすぎる(笑)真木よう子姉さんえらい!息子もえらい!ついでに(?)寺尾聰もえらい!そしてマルちゃんあんたは最高!
どーやってこんな仕事映画にするアイデア出てくるんやろ、👏!
釈然としない
出ている俳優陣の豪華なこと。
真木よう子の演技だけがどうも空々しくて好きになれない...最初の面会の時の叫びと父子の抱擁シーンで隠れ泣くところは良かった。
この映画は誰目線で見るのがいいのか...差し入れ店という初めて知る職業への興味とそういうしんどさあるよねーしんどいねーという感想。ニッチな職業。
腑に落ちないところが多すぎて。最後「で?」ってどうしてもなってしまう。作品にメッセージ性を求めすぎるのはよくないと分かりつつもこういう題材使うなら何かしらいるのではなかろうか。
だって全部のひっかかりが知らん間に解決というかおざなりに萎んで、最後の北村匠海扮する底知れない殺人犯とのやりとりも胸の内を吐露する懺悔室みたい扱い。クズの母親も息子と妻のいじめや取り巻く環境も自身の弱さも殺人鬼の母親も何にもなぁーんにも解決してないのに流れてった。あの母親結局なんだったの??
近所で子供が被害者になる凶悪事件が起きるっていう流れはとてもリアルだったしその後売却された自宅が映るまでの流れは自然で、でもそれもそりゃそうよなって感じ。
子持ちの自分に色んな怖いって意味で刺さるところはまあまああれど、その観点で見てない立場の人って何もないまま終わるのでは...
あと、いじめに関していうと「殺人犯」になるかな?
立場的に絶対悪(有罪確定)の被疑者の弁護士みたいな感じでしょ。罪の軽減に関与しない分全然標的になる意味薄いし。刑務所に入ってて出てきた元犯罪者と仲良くしてて、その人関連で事件が起きたとかならまだ分かる。
でもないのに、急に今まで普通だった学校、近所の関係性が急にああなる?解せぬ。
予告で気になって配信待って観てみました
無理のある話
■無理なところ一つ
息子の幼馴染みを残酷に殺害した犯人への差し入れは流石に普通できないだろ、そうつっこみたくなりました。
仕事って選んで良いと思いますよね。奥さんが苦しんでいる旦那を受け止めないばかりか、追い込んでいるようにしかみえない下り理解に苦しみました。
仕事へのこだわりとは話が違いますよね。人間は機械ではありません。身近の人に関わる犯罪者に関わるのは嫌なのがあたり前です。
もともと服役していたような精神的な弱さのある主人公ですよね。自身で自覚しているなら、逃げられる事は逃げる、避けられるストレスは避ける、というのがあたり前の学習能力であり、生きる工夫なんですよね。
奥さんが支離滅裂。これでは又犯罪者に成りうるよ。主人公がひたすら可哀想でした。
かりんちゃんのお母さんは、包丁持って入ってくる位なのに。なんでその差し入れできるのか、不思議でならなかった。そして犯人のお母さんもめんどくさいタイプだしね。だから主人公がいつか刺されるのかなって、最後までそこばかり心配して見てました。
■残酷シーンきつい。
重ねますが、かりんちゃんの殺害はきつい。かなり残酷シーン。そして後の母親殺害と殺害シーン激しい。
■もやる話一つ
母親に売春させられていた娘は、自分で殺したと言っている。それ抱えたまま生きて行けるものなのかな。
■時折素晴らしく感じたのは「家族団らん」シーン。懐かしく素晴らしくおもえる。手作り弁当。毎日の温かな食事。高校生少女との食事、団らん。温かかった。
いろいろ考えさせられる映画とは思います。題材は良いが、描き方が勿体ない印象でしょうか。
疑問だらけでした。
予告を観て、結構おもしろそうかもと思いつつ、見逃していた今作。アマプラに来ていたので鑑賞しました。
予告編から自分が勝手に想像していた話とは異なっていたせいもあって、残念ながらあまりハマりませんでした。というより疑問だらけでした。どうやら、自分はとことんステレオタイプが嫌いなようです。
ただ、演者の皆さんを否定するつもりはありませんし、寺尾聰さんには救われて、最後まで観られました。
<内容に触れた個人的な感想(疑問)ですが、自分の考えを整理するために、否定的な表現になっていますのでご注意ください>
・脚本も書いた監督に問いたいのは、差入れ店の関係者の方々が、この映画を観て救われた気持ちになり、元気が出ると思ってつくられているのでしょうかということです。金子氏のあらゆる解決方法が非合法だったり、脱法行為だったりして、自分が差入れ店を営んでいたとしたら、プライドが傷つけられる思いがすると感じました。(個人の感想です)
・そもそも、差入れ店に限らず、弁護士、拘置所の職員に対しても、監督は「脱法行為=人間味」って思い込んでいるのではないかと疑ってしまうくらい、正当な解決方法が出てこないのはなぜだろうと思いました。岸谷五朗の行為も、エモい話と思って描かれているのかもしれませんが、彼女はおりに触れてあの手応えを思い出し、うなされて生きることになるのではないでしょうか。いい話とは思えませんでした。(個人の感想です)
・差入れ店への偏見や差別についても、実際にどんな事案あるのか知らないのですが「近所の子どもが殺人事件に巻き込まれて亡くなったことへの憤りを、差入れ店に向けてしまう」っていう発想は、どんな論理で組み立てられたのか、よくわかりませんでした。また、監督ご自身がそうでなかったとしても、日本という国は、そんなヘンテコ論理を行動に起こす人が、映画で描かれた通りマジョリティで、子どもたちにもいじめという形で波及するんだと、本気で思っていらっしゃるのでしょうか。
・そしてもう一つ。「差入れは権利」は全くその通りですが、どうしてそこで根岸季衣の場面を描いたのかが謎でした。「権利、権利と言って濫用してくる奴がいるから、警鐘を鳴らしてやらないといけない」というような、観客の感情に訴える「力み」を感じたのですが、あれは「差入れの権利」とは関係ない単なる「カスハラ」なので、「それは権利ではなく、逆に私への人権侵害ですよ」と金子氏が言えば終わる話です。あれでは「権利を与えてはいけない者もいるし、権利は与えられたら感謝すべきものだ」といった、間違ったメッセージにつながる危うさを感じました。
・それに、そもそも、感情的に割り切れない仕事をなぜ引き受けたのでしょうか?
「小さい頃から知っていたお子様が被害に遭われたので、自分は冷静に仕事ができません。申し訳ありませんが、お断りいたします」という言葉が自分なら浮かびますし、逆に、それは金子氏の権利だと思うのですが。
・拘置所の面会に訪れる方々の描き方は、フェアだったのでしょうか。いわゆる、ガラが悪そうな人たちをわざわざ描いているように見えてしまったのは、それこそ、私自身の偏見だったら申し訳ありません。
・まだ、書きたいことはありますが、この作品で最も首を傾げたのは、映画の中で描かれている偏見を「素朴に正そうとする人物」が、誰一人出てこないことです。
差別を受けている当事者だけが心持ちの変化を促される展開なので、それでは「差入れ店や、犯罪を犯した人とその家族に対して、周囲の人たちが偏見を持ってしまうのは仕方がないよね…」ということを肯定した映画に成り下がってしまうと思うのですが、それでいいのでしょうか。
差別は、される側ではなく、する側が100%当事者なのに、どうしてもそこが曖昧になっている気がして仕方ありません。
タイトルなし(ネタバレ)
字幕付きなのは良かったが、ボソボソ喋っていると思えば突然怒鳴る、感情が高まるまま暴力的に振る舞う主人公…など各所の大袈裟な振り幅が不快で、半ば過ぎた辺りで離脱。
変な映画
面白いが、微妙さも残る
解説にはヒューマンサスペンスとあるが、サスペンスの意味とは表面的なものではなく内面的な部分だと推測する。
この物語の基本的な知識として知らなければならないのが、「加害者と被害者(またはその家族)が直接面会することは、刑事手続きや矯正施設の運用上、原則として認められていない」ということだ。
物語は、この部分を視聴者にうまく認識させていないことで、主人公は何故リスクを冒すことになるのか? そして収監所の刑務官たちがなぜ「ダメだ」と発言したのかがわかりにくい。
そして、
この職業は実在する。
殆どの人が知らない職業
ここに焦点を当てたのは面白い。
また、主人公自身の過去に服役していた事実とその原因だった母との確執
これらを上手に「橋の下の力持ち」として支えているのが、金子美和子だろう。
彼女の素性は語られないが、その気丈さだけは映像から伝わってくる。
おそらく設定上、美和子の両親はすでに他界しており、夫シンジが邪険にする毒母であっても、「生存」している限りは孝行すべきではないかと考えているのだろう。
また、
世間から疎まれがちな夫の仕事も、誰もができることじゃないことで、どんな人に対しても「差入」という形で思いを伝える代行業というものの大切さを明確に心得ている。
人の心 他人の価値観 悪口や陰口
美和子の言う通り、確かに人は自分が作り出した鬱憤のはけ口を常にどこかに求めているのだろう。
この背景があって、実際起きた理不尽な殺人事件
カリンちゃん刺殺事件
そして、
「金子差入店」を訪ねてきたのが犯人小島の母だった。
彼女の依頼
これを素直に引き受けることができない最大の理由は、その母から感じた共感できないことだろう。
シンジはこの仕事 そしてどんな人にも適用される「面会と差入」を「権利」という言葉を遣って説明した。
この言葉をまるで逆手に取ったように「権利」を主張し始めた殺人犯小島の母
この部分
小島との面会で彼が話した100匹のアリ
必ず働かない2割
これをシンジは「性悪説」のことだと読み解いた。
この部分は、小島の母からも感じることで、この親あってのこの殺人犯だというのがわかる。
最後に小島の母は「いったいいくつまで子どものしたことの責任を取らされる? 私は20歳まで子どもを立派に育て上げた」と主張した。
彼女の言葉の意味 「私には責任はない」
豪邸に住み、何不自由なく暮らしているように見えるが、小島の頭の中にあるのは「他人の所為」
「この社会の絶対に対する反撃 報復」と彼は言ったが、すべて自分に起きたことを他の所為にしている。
この部分に感じる「テロ」という行為
テロは同じ思想によって結束した仲間たちで、何も関係ない人々を襲うが、それを国がやれば戦争となり、概ねその区別はあってないと言ってもいいかもしれない。
小島の考えにそれを持ってきたのは深い部分でのつながりを感じるのと、異常、つまりサイコ的なものも感じるが、監督としては「理不尽」とか「不条理」を描きたかったのだと思った。
二宮サチについても似ていて、彼女の母という人物像がしていた娘を使った売春は、叔父でありヤクザの横川でさえも許しがたい仕業であったのだろう。
ただ、
服役を終えた横川 ヤクザ事務所がなくなっていて、親戚の二宮家を訪ね、その事実を知ったという三段論法は若干浅はかに感じてしまった。
この部分で思い出すのが「三度目の殺人」
容疑者が話さなかったことを弁護士が最後に読み解いた。
そして法廷ではなく、収監者との面会でそれを描いた。
似て非なるものだが、同じモジュールに感じる重みの差があった。
さて、
この作品 基本ベースは群像
サチが金子家で食べた「親子丼」とそこで感じた家族というつながり
彼女は非常に複雑な気分だったはずだ。
しかし物語は気丈さを描いていた。
同じように美和子も気丈だ。
娘を殺された母 包丁を持って「刺し殺してやる」という本心 抑えられない衝動
陰口 そして植木鉢を壊す「誰か」の存在
シンジのどうしようもない母親像
母と子供が3組(5組)も描かれているが、非常に似ている部分とそれぞれの違いがはっきりしている。
二宮サチの母 お金のために娘に売春させていたこと 最後にサチが止めをさした映像は生々しくリアルだった。
小島が母から何をされていたのかは映像からわからないが、小島が殺人鬼になる過程を母が作ったのは間違いないだろう。
殺人によって小島は、母から完全に独立したと思っているのではないだろうか?
実際には社会ではなく、母親に向けたのがあの殺人事件なのだろう。
小島の瞼 「ゴミ医者によってマヒした」こと
他人は気にしないが、この「本人にとっては重要なこと」が人の考え方を変えてしまう。
理不尽や不条理を抱えているのが人間
このはけ口を求め、大なり小なりのことがあるのだろう。
そしてシンジ
彼は絶対に許せない母へ、イチゴを差し入れた。
シンジだけが崖から転がり落ちるのを留まった。
この三者三様をこの作品は描いていた。
いずれも毒母を描いている。
それを、差入代行業というモチーフで表現した。
基本的に面白かった。
ただ、
概ねすべてを描いてしまっているので、余白が少なく、それで落ち着いたことで残った感覚が「イチゴ」
このイチゴという感覚が微妙だった。
渋い展開
久しぶりのシリアス物。
頼まれた物や手紙を差し入れに行くだけなのに。
周囲の無理解が、悪い噂になって追い込まれていく様や。
知り合いが事件に巻き込まれても、その加害者に差し入れしなくてはいけないとか。
仕事とは割り切れないことが、主人公の気持ちを揺らいでいく。
いくつか事件が並行して進んでいて。
後半からだんだん事件の真相が、パズルのようにはまっていく。
過去に服役をし、出所後の行き場がない主人公を、待ってくれてた家族。
その家族を守るために、悩みながらも少しずつ動く。
話に出てくるいろんな家族の在り方も、シビアだったな。
どの配役もなかなか渋い。
殺人犯役の北村匠海さんは、エンドロールまでわからなかった!。
⭐️今日のマーカーワード
「命って、すげえなあ」
こんな地味な作品がシネコン上映される希望
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