サンセット・サンライズのレビュー・感想・評価
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涙した!今振り返る、震災津波とコロナ禍。恋の花咲く過疎化の港町!
あれから、もう30年を経て(阪神淡路大震災:1995年1月17日5時46分発生)
そんなに経つのかと思ってる自分がここにいて。
だから生きてて良かったと思う自分もいて。
そして 今、
14年経つ東日本大震災を想う(2011年3月11日14時46分発生)のと同時に、
過ぎ去ったコロナ禍の日々を懐かしく思える映画に出会う~。
今日は「サンセット・サンライズ」に出会いに行きました。
この映画、ずっと海のある田舎町で魚釣って楽しんでる
都会の暇人の話だと思ってた。
帰って来た浜ちゃん(釣りバカ) みたいなものかと・・・
違った!!
振り返る、震災津波とコロナ禍で、心の奥底に失くした想いを釣り上げる
そんな映画でした。
忘れちゃイケない時の流れ(想い)がこの中に今もあって、
住んでる人々は気付かないフリしてるだけで。
でも やっぱり忘れられなくて。
コロナ禍に成り始めた頃の オカシな世界観と
もう元に戻れない被災し過疎化する港町とそこに生きる人々。
もしも明日があるとするならば、
何も考えず 本音で向き合う姿こそが、その通りだと思えるのである。
監督:岸善幸氏
---------MC
西尾晋作(主人公):菅田将暉さん
関野百香(大家):井上真央さん
関野章男(百香の義理父):中村雅俊さん
持田仁美(百香の同僚):池脇千鶴さん
モモちゃんの幸せを祈る会:
・竹原ピストルさん・三宅健さん・山本浩司さん・好井まさおさん
------------
(思った点、良かった点)
・過疎化の地域は全国にあって何処も空き家対策は
同じなんだなと感じた。
時々しか帰ってこない元住人家族と、全部処分で良いと言ったのに
結局 処分何て出来ない深い想い出。その想いは全く同じでした。
震災関係なく、都会に出てしまっても田舎の家に対する扱い
心の拠り所は残っていて当たり前なんだと思いますね。
・映画の中ではサラリと流れる 津波の凄さの話。
山の土手を観たら津波が来た跡が今も残ってる。
いちいち気にしてたら生きて行けない現実がそこに在る訳で。
強くないと暮らしては行けない・・・その思いに涙。
・百香と章男の関係、息子の嫁と義理の父。
実にリアルな話展開。そして 新たに迎える西尾晋作がいて。
失った家族の思いと心の傷に どうやって西尾が接することが出来るのか。
そこのポイント(視点)が 特に注目する所でした。
結局 変に気を使うのではなく、正面向いて誠実に接することが
一番だと思わせる所(それしか出来ないでしょ)が 素晴らしいかな。
本音を隠してはやっぱ語れないわ。
河川敷の芋煮会の場面はとても良かったと思います。
・一番 大号泣したのは ココ!
百香が失くした二人の子供の声が録音されてるMDを
夜 港に停めた車の中で そっと聴く場面ですね。
演じた井上真央さんの目から どっと涙が流れてて、
ここは本当に感動し涙しました。
今回 井上さんがとても美しく綺麗に成られてて
この役にハマっていたと感じましたです。
予期を全くして居りませんでしたが、何時かこう言う映画に
ぶち当たるかなと思っていたのが本作品でした。
とっても良い想いに触れるひと時でした。
ご興味御座います方は
友人・家族揃って
是非劇場へ どうぞ!!
何処にも角が立たない三陸PR映画
震災や復興をモチーフに地元をPRする映画を撮りましたって感じだった。
下手に被災地を描くと各方面からバッシングや批判が来るのをあえて架空の町ですよ〜とすることで回避しているようだった。
それゆえに何処までも余所者から見た被災地だったように感じる。
田舎特有のお節介で目ざとく親密な人間関係は描くのに、どうして都会の偏見や差別は描かなかったんだろう。
コロナ禍でもやれ三陸産の魚は放射能に汚染されているから怖くて食べられない。水もミネラルウォーターじゃないと不安で飲めないと言っていた東京の人はたくさんいたと記憶している。
晋作がリモートで三陸に行くと言ったら、東京で働く同じ会社の同僚は「なんであんな汚染地域に行くの?魚とか食べて大丈夫?」と言ったはずだ。その風潮はあった。
美味しそうな魚だけど汚染が怖いのでって箸をつけないシーンがあってもおかしくなかった。撮影協力した地元の方を傷つけることになるから入れなかったのか。
いかんせん晋作の人が良過ぎて臭いものに蓋をしているように見えた。
そういうキャラクターだからこそ、傷口にようやくかさぶたができ始まった被災地の人ともうまく関われたのかな。
気になるけど触れずにかさぶたができたら自己治癒力に任せる。震災災害の場合は時間が1番の薬になる。
震災で家族を失ったももかへの配慮やお義父さんへの話を聞く姿勢で誠実に対応したいと思っているんだなと分かった。
映画前半はキャラクターの心情がゆっくりと丁寧に描かれていたのに終盤になり半ば強引に言葉を引き出してハッピーエンドを捩じ込んでいく展開が残念だった。
ももかが晋作に自分語りをするシーンがなかったので、ももかの心境の変化が急展開すぎるなと感じてしまった。
空き家問題も現実社会で問題視されている。
都会の人や企業がどかどかと新規事業開拓だと不遜な態度で被災地に赴いている描写がうまかった。
リノベーションされた古民家も素敵だった。
作品の本質は在るものはあるがままに受け入れて生きていこうというものかと思うのに、上部だけ無理やり前進している様を見せられてお尻の置き場がないムズムズ感を味わった。
陽はまたのぼりくりかえす
当初は興味も薄かったのだけど、予告の雰囲気と着地点の見えなさが気になり鑑賞。
勝手に家に上がり込んだ上に言いつけも守らない人間を、そのまま住まわせるなんてあり得ない。
(百香の方もあまりに一方的すぎたけど)
しかし菅田将暉の、天然たらしとも言える人懐こい演技で流せてしまうところがあった。
特に料理をつくったり、地元の食材を誇りに思ってる人間にあの反応はたまらんよ。
そして出てくる料理がまた美味そうなこと…
軽快で楽しく観られるのはいいが、間延び感も否めず、その割に一人一人一つ一つの描き込みが薄く感じた。
『祈る会』はピストル以外のキャラが薄いし、百香の傷は台詞のみ。
茂子さんの死も空き家プロジェクトを本格的に動かすための起点にしか映らない。
気に入ったのか、「なんでこんな切ないんですか」を無駄に2回言わせる。
ピストルの長台詞それ自体はよかったのに、脈絡がなさすぎて上滑り。
冒頭のシーン(agnes.bは面白かったがカツラは寒い)はまったく必要ないし。
百香がやたら逃げ出すせいで、その場で収まる話が毎回持ち越されるのもテンポが悪い。
「それぞれが自分のことだけ考えた」という着地は嫌いじゃないが、恋愛要素自体が不要にも感じる。
周囲が先走ってかき回すのがウザかったので余計に。
しかも最後のハグがあまりに唐突で、取ってつけたように見えたのは非常に残念だった。
演技は総じてよく、特に中村雅俊が渋い位置取りでメインを活かしていたように感じた。
脚本上必要なのは理解できるが、震災とコロナを合盛りにした上にテーマを載せすぎでもある。
なんとなくいい雰囲気なのだけど、幹がないので振り返ると何を観ていたのか分からない。
嫌いじゃないけど、まぁ、おだずなよ!
オラもどこかの常連になりたい
日曜日にイオンシネマで
ハッピーGG 1,100円ありがたし
昨日は仙台市内の映画館で菅田将暉とか
宮藤官九郎が舞台あいさつしたとのこと
いやぁ面白かった
基本ずっと笑いっぱなしだったが
じんわりする部分もあり
原作 脚本 監督 役者の力が結集した傑作だ
菅田将暉が素直で好感が持てる主人公を巧演
大河の義経のときとイメージが重なる
万人が共感するキャラクター
地元料理の食べ方が素晴らしい
地元の連中が飲み屋でグダグダやってる感じ
あまちゃんのときもあったが 憧れなのだ
オラもどこかの常連になりたい
池脇千鶴もうまいなぁ
あと市役所の課長はなまりが完ペキだった
白川和子のエピソード その後の顛末も含めて
何だかよかった ビフォーアフターのおまけつき
井上真央は大好きなので何をやっても文句なし
県民だよりに知事との対談が掲載されていたなぁ
読み返そう
災害被害 過疎 空き家問題 (ついでにクマ問題も)
シリアスでなくユーモアにくるんで表現されていた
楽しい作品だった
オリジナル脚本ではないから…
前日に観た『敵』もそうだったけど、出てくる料理が全部美味しそう。塩辛(三陸では「きりこみ」って言うのね)に白ワインはいつか試したい。
下北産の東北人として、東北六県を言えない人に引いてしまう気持ちはよくわかる。なお、下北半島で芋煮の習慣は聞いたことがなく、青森の味は知らない。
10月の川は絶対冷たい。あんなに入っていたらそら尿意も催しますわ(笑)
終盤、動揺した井上真央さんが、台所で無意識のようになめろうを作るシーンの包丁捌きは素晴らしかった。普段から当たり前に魚を捌いている人感がよく出ていたと思う。
ストーリーに関しては、原作ものだからか、クドカンらしさは「モモちゃんの幸せを祈る会」の面々のパートくらい?もう少しパンチのあるやりとりを期待してたのが正直なところ。
笑って泣いてまた泣いた
今年初の映画鑑賞!
前からチェックしていたので、予定通り鑑賞出来たことに感謝。
生まれは岩手ではないけど近いので、訛りがすごく懐かしいくてなんとも言えない温かい気持ちになった。
311の話に触れないわけにはいかないけど、そればかりではない田舎独特の生きづらさとか都会への憧れとか、丁寧に描かれてたと思う。
クドカンらしい作品。
モモちゃんが車の中で亡くなった子供達の歌を聴くシーンはさすがにキツかったけど、あの曲は本当に名曲。
いつ聞いても涙が出そうになる。
菅田将暉が何を食べても美味しい、美味しいというシーンも気持ち良かった。
美味しい新鮮な魚料理、食べたくなった。
釣り好きの都会の青年を好演してた時思う。
毎回セットでいる「祈る会」の面々も笑える。
何度も笑えて泣けた。
リノベ物件に住みたいわ〜
尺の長さは全く気にならないくらい。
もっともっと夕日を観ていたかった。
会いたくなる
人もご飯も景色も土地も全部生きていた。
次の帰省で祖母に会いに行こうと思った、会いに行って思いっきりハグしようと思った。竹原ピストルさんがとても素敵。わかったつもりでいるんじゃなくて、だからって見て見ぬ振りをするんじゃなくて、事実のままに見ていようと思った。
日はまた昇るのさ
テーマは割と重く、限界集落の課題に対して結構真剣にその打開を投げかけている。映画ではライトに描くこの宇田濱モデルも、小説だとかなり細かく分析しており隙がない。小説では晋作と百香が結婚するけど、映画では百香のパートナーとして晋作が宇田濱へ帰ってくるラストだったり、晋作の絵も芋煮もももちゃんの幸せを祈る会もエヴァの超暴走も映画ならではの小技で、これらの全てが私に突き刺さった。いやー、面白い。
特に刺さったのは晋作の絵だ。シゲ子さんちのリフォームに添えた煮魚の絵は、晋作の愛の深さが伺える一コマだ。そして朝日を眺める二人の絵に二人描き足す描写なんて、まさに晋作が百香の気持ちに寄り添う感情の表れを見事に表現していて、いやー、泣けたのなんの。
演者の皆さんも、すっかり物語に溶け込んでいたかなって思う。
芋煮会では、都会で暮らす人のナチュラルに高慢な態度と田舎者の勝手な反骨心など、演じる上で醸し出さなければならない雰囲気を見事に演じていたのではなかろうか。…熊のシーンは多分クドカンが、「香り松茸味シメジ」を言いたいだけってくらいに物語の蛇足であったのも一興。
個人的には池脇千鶴のヒトちゃん。あー、いるいるこういう人って役をとても自然に演じていたと思う。
もう一回観たいなと感じさせてくれる良い映画でした!
「詰め込みすぎ」による「中だるみ」が悔やまれる
「都会の若者が田舎の魅力に気付く」みたいな「軽い」ノリの映画だと思っていたら、コロナ禍だとか、東日本大震災だとかの、結構「重い」エピソードが背景になっていて驚いた。
確かに、釣り三昧の毎日や、詮索好きな住民たちとのやり取りを通じて、田舎暮らしの楽しさや、軽めの笑いは味わえるものの、主人公が思いを寄せる美人の大家さんが、震災時に悲しい経験をしていることが分かってきて、2人の恋の行方が話の焦点になっていく。
やがて、彼女を襲った悲劇が明らかになると、序盤の「座敷わらしか?」と思われた現象の理由も分かって、その過酷さが胸に迫ってくる。
ところが、そこから、話がモタモタと別方向にズレていく。
東北の人間と東京の人間の、お互いが相手に抱く思いの対比などは面白いのだが、空家ビジネスのエピソードは、如何にも「詰め込みすぎ」の感が強く、別になくてもよかったのではないだろうか?
特に、「東京は東北を見ているだけでいい」という言葉が心に響いただけに、そこに至るまでの「中だるみ」が、残念に思えてならない。
その一方で、居酒屋のメニューだけでなく、出てくる料理がどれも美味しそうで、それだけで東北が魅力的に感じられるところはよくできていると思う。
中でも、主人公の発した「結婚」という言葉に動揺して、大家さんが無意識のうちに「なめろう」を作る場面では、「海の幸」が生活の一部になっている様子がよく分かって、思わず笑ってしまった。
「おもいでのアルバム」の歌の切なさの後に訪れるラストにしても、大家さんが負った癒やし難い心の傷のことを思えば、「結婚」という落としどころは現実的ではなく、あれが最善の選択肢なのだろうと納得することができた。
【“日は沈むが、又、上る。”今作は、東北の方々の”東北人あるある”の姿にクスリと笑い、東北の人達の情の厚さがじんわりと沁みた逸品である。そして、併せて東北あるあるの数々を記します。】
ー 今日1月17日は阪神淡路大震災が起こってしまった日である。通勤途中、鎮魂の思いでハンドルを握る。
その後、東北大震災により、東北太平洋岸の人々が大変な思いをされた事は、誰もが知っている事だが、私は大学の4年間を東北で過ごしたため、友人の多くが東北各県庁に勤めており、当時頻繁に手紙を出し、少し落ち着いた頃から毎年福島、宮城を訪れている。
故に、今作はクスリと笑えるシーンが多かったのだが、西尾(菅田将暉)がコロナ禍の中、リモートワーク兼釣りをするためにモモちゃん(井上真央)が所有する”空き家”に住む事になった時に、”これはもしかしたら・・。”と思いながら鑑賞したモノである。-
◆感想<Caution!内容に触れています。&東北あるあるを記します。>
・序盤、西尾がモモちゃんが空き家情報サイトに出した家にやって来るシーン。西尾は浮き浮きで新築に近い一軒家に”マジっすか!”と言いながら6万円で住み、コロナ禍初期東京から来た事で2週間隔離をモモちゃんから告げられるも、コッソリ釣りに行ってしまうシーン。
ー ここで、西尾は知らないお婆さん(白川和子)に”け”と言われて海産物を貰うのである。私の経験上、日本海側が多い気がするが、東北の年配の方は言葉一音のイントネーションでコミュニケーションを取る。例えば、”く?”これは”家に来るか?”もしくは"こ!"これは"家にこい!"という意味で、返答は前者は”ぐ!”"いぐ!"と言う意味であり、後者の返答も同様に"ぐ!"である。(地方により違います。)ー
・更に西尾は”モモちゃんの幸せを祈る会”のメンバー、板前のケン(竹原ピストル)、役所のコーサク(好井正雄)、タケ(三宅健康)、ユーイチロー(山本浩司)から、コロナ禍初期だからでもあるが、モモちゃんの”空き家”に住み込んだ謎の東京男として警戒されるのである。が、メンバーがいつもケンの居酒屋で酒を飲みながら深刻な顔をして、勝手な事を喋っているのが可笑しい。
ー 東北の人は、今作の登場人物同様に情が厚いが、”よそもの”は簡単には仲間にしない。私も高校に入った時は女子からは”キャー、あの人、東京から来だんだって!”などと言われていたが(オバカ)、男子からは可なり警戒され、担任の先生が喋っている言葉が分からずに、級友に”お前ら、庄内弁教えろよ!”と言ったら、皆に一斉に”東京モンは、こえーのう”と言われて、謝ったものである。
因みに東京の人が話している言葉は”東京弁”であり、共通語ではない。キッパリ!
で、教えて貰ったのが、今作でも出る”いしごぐ””ごしゃぐ””みっこい”などである。全部意味が分かった人は偉い。けれども、今作同様、垣根を越えればとても仲良しになるのである。-
■今作がじんわりと沁みるのは、最初は喜んでいた西尾が徐々にモモちゃんの”空き家”の意味に気付いて行く様であり、彼女の抱えていた哀しみが見えるシーンである。例えば、西尾に”空き家”の中を案内している時に子供二人が走る姿が幻のように見えるシーンである。”これはマズい、泣いてしまう・・。”と思ってしまったよ。
で、後半モモちゃんが車内で録音してあった二人の子供の明るい声を聞くシーンでは、不覚にも涙が零れてしまったのである・・。
・今作の魅力は数々あれど、三陸の美味しそうな魚料理の数々もその一つである。それを実に美味そうに食べる菅田将暉さんは良いなあ。私は、食べ物を美味しそうに食べる人が好きである。
食べ物と言えば、今作で海のパイナップル、ホヤの話が出るが、ホヤは宮城の春から初夏の食べ物であり、ホヤ酢が美味いのである。序に言えば酒が幾らでも呑めるのである。ゴックン。
・西尾の所属する大企業の社長(小日向文世)が、空き家をビジネスにしようとした時にアヤシイ雰囲気になってしまい、雰囲気を戻す為に皆で芋煮会を河原で催すシーンがあるが、あれも東北名物である。劇中でも言われている通り地域によって味が違う。良く大学の傍を流れる広瀬川の河原で級友や登山仲間と共にグデングデンになるまで、飲んだものである。
ー 今作で、熊がシメジを持って来るシーンと、又モモちゃんが秘密のキノコ採集場所に西尾を連れて行くシーンが映されるが、東北を貫く奥羽山脈は冬は雪深いが広葉樹林、特にブナ林が大規模に広がる山塊で、実際に天然舞茸などが取れる。だが、ヨーロッパのトリュフと同じで、他人にはその場所を告げないし見つけた時には、翌年もその場所で取れるように一株残すのが、プロの技なのである。
又、細筍(中部では根曲り筍が多い。)は、塩ゆでしても今作のように魚と一緒に煮つけても美味いのである。-
■西尾が三陸の町に移住して一年経ち、社長から”東京に戻って空き家プロジェクトのリーダーとして働くように”。と言われた時に、西尾は意を決したかの様にパソコンを閉じて移住契約を延長し、モモちゃんに”結婚して・・。”と無意識に言ってしまうシーン。
そして困惑するモモちゃんの表情を、井上真央さんが実に上手く演じているのである。
その前に、西尾はモモちゃんが台所の上に密かに置いていた煙草の吸殻が3本入った吸殻入れを見て元の位置に戻すシーンも、さり気無く映されているのである。
<そして、西尾は自分の想いを貫き、自分が描いた夕陽に向かって男女二人が手を繋いでいる画に、男女の脇に小さな子が二人男女と手を繋いでいる画に描き換えて部屋に残して、一時東京に戻るのである。その画を観た時のモモちゃんの表情・・。
で、最初と同じトーンでの二人の再会のシーン。
西尾に対し、モモちゃんは全てを吹っ切って笑顔で抱き着くのである。
今作は、東北の方々の”東北人あるある”の姿にクスリと笑えて、情の厚さがじんわりと沁みた逸品なのである。>
■不思議な出来事
・近年、もう一つの思い出の土地、京都の祇園で呑んでばかりいたが、今作を鑑賞する直前に、福島県庁の今やお偉いさんの級友から電話が来た。私は、毎年2月から3月に掛けて福島に行くのでその打ち合わせの電話だったのだが、ちょっと不思議な気持ちになったよ。じゃーね。
田舎暮らし。
新型コロナウイルスが流行り始めた頃…、自分が住むはずであった家を空き家物件で掲載した南三陸の町役場で空き家物件担当・関野百香と、その空き物件の安さに入居希望で都内から南三陸に来た西尾晋作の話。
感染拡大阻止と町を守るためから都内の人間と接点をもってはいけないを理由に入居拒否をしようとしたものの、勝手に内見に来ちゃったもんだから入居希望の家で2週間の自主隔離生活をさせられることになる西尾だったが…。
少し面倒な小さな町(集落)の田舎ネットワークを絡ませながも、よそ者は受け付けない町の雰囲気…。
町役場のマドンナ的な存在・関野百香を巡り探り、嫉妬と見せていきながらも、徐々に詰まる町住人と西尾の距離が観ていて面白い。
空いてる空き家を活かすと今時な事を取り入れながらも、田舎町に住む人の人情と温かさだったり、都会に住む人間が物価の安さも含め田舎町に移住と見せるなか、西尾演じた菅田君の画力と百香演じた井上真央さんの可愛さに惹き込まれ面白かった。
やっぱ菅田君いいね~!あと竹原ピストルさんは「サバカン」から好きでシブい!
色んなシーンで登場する「語れない本音」と、距離と温もりの相関性が描かれている良作だったと思います
2025.1.17 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(139分、G)
原作は楡周平の同名小説
リモートワークの影響で東北に移住した青年と震災の過去を背負う女性との交流を描いたヒューマンドラマ
監督は岸義幸
脚本は宮藤官九郎
物語の舞台は、コロナ禍の日本
東京の大企業「シンバル」に勤める西尾晋作(菅田将暉)は、フルリモートの移行する余波を受けて、仕事と趣味を両立できる棲家を探していた
ある日のこと、格安の物件が目に止まり、いても立ってもいられなくなった晋平は、家主の都合も考えずに三陸・宇田濱町へと突撃してしまった
その家は、町役場の職員・関野百香(井上真央)の持ち家で、訳ありの物件でもあった
百香は役場の「空き家物件対策」の責任者に指名されていて、自分の所有する家が空き家では話にならないと考えていた
彼女は父・章男(中村雅俊)と一緒に過ごしていて、その戸建てにて一人で住むことを拒んでいた
物語は、強引な晋作が三陸に馴染んでいく様子が描かれ、徐々に「過去を察する」という感じで描かれていく
この「察する」ことができるだけの情報を小出しにしていく流れになっていて、それがそのまんま「外部の人が言葉に出せない」という微妙なニュアンスを表現していた
聞きたいけど、相手のことを考えて口に出せないのだが、それでも滲み出てくるものから、何があったのかを察することができる
この表現は邦画独特の空気を読むというものを上手く表現しているように思えた
後半にて、芋煮会なる暴露会があるのだが、そこで語られる本音と言うのは、誰しもが心の中に抱えているものだと思う
また、地方の空き家問題に真面目に取り組んでいく様子も描かれ、それが「騙されているんじゃないか」と言う空気感になるのも絶妙だと思う
都会は田舎を食い物にしているのかと匂わす場面もあるのだが、地方の荒廃はそのまま都会の荒廃へと直結するので、Win-Winを考えられるアイデアというものが実現できれば、モデルケースとして広がっていくのかなと感じた
映画では、ディスタンス(距離)というものがテーマになっていて、コロナ禍の無理な距離感はそのまま心の距離感にもなっていた
晋平と百香がふれあうのが熊騒動のどさくさのみで、それ以外は絶妙な距離感を保っていた
それがハグに変化するというのが映画の醍醐味であって、そのために必要な時間というものは、過去を消化する時間であるとともに、自分自身の未来を考えた時に欲しい温もりが何かを考える時間だったのかな、と感じた
いずれにせよ、思った以上に重い話でありながら、コミカル要素があって、緩急自在のシナリオになっていた
登場人物も魅力的で、脇役まで含めて愛されキャラが多かったと思う
芋煮会での百香の同僚・仁美(池脇千鶴)が晋平を焚き付けるのにも意味はあって、彼女自身も先に進みたいのだと思う
ビジネスとして官民が動いていくジレンマもあるものの、都会人の思惑と田舎に住む人の温度差も描かれているし、一社員と社長の視野の違いというものもきちんと描かれていて良かったように感じた
ラストの晋平と百香の選択は今風だが、そう言った過去のしがらみを超えていくことが必要なことなんだと思った
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