366日のレビュー・感想・評価
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沖縄弁が芋っぽくてかわいい
ありきたりな展開と設定ではあるが
流れはスムーズであり、そこそこ楽しめる。
それにしても、東京で学生・社会人1年目の2人暮らしにしては部屋が広すぎて約20年前とはいえ、こんな素敵な部屋に住めるのかなぁってところを気にしてた。
ドラマ・映画あるあるだけど、いい部屋に住みすぎ!
ペルソナあってるのかなぁ〜
これも悪い意味であるある。
よくある展開だけど
病気になったらなんで黙って突き放すんだろう?
「相手はきっとこうする」って決めつけちゃうの
いい加減にやめて欲しい。
もし、そんなことを一度は言い出したとしても
向き合って説得するとか
それでも犠牲にしようとするなら
「沖縄に帰れ」とでも言って突き放して別れればいい
まあ、「夢を叶えて幸せでいてくれたならよかった」
っていう湊の忘れられない恋の映画
それぞれの選択が賛否を生む
三人の選択それぞれに賛否があると思いますが、
私個人としては、学生の恋に落ちる瞬間にときめき、
それぞれの想いに共感しては涙してしまいました。
沖縄の海が綺麗すぎて、観るたびに悲しい話が浄化されていくような感覚でした。
美海が妊娠したことだけは、
子供のことを考えると現実的に湊に言うべきだろうと思いましたが
他の選択に関してはそれもありだと肯定します。
琉晴だって一途に好きだった人を取られたくない一心でMDは取ってしまったけれど、
自分の子でない子どもを何年も育ててきて、
やっと好きな人と結婚できるとなった時に、湊が現れたらそれは文句も言いたくなるなと。
もし自分なら、そこまでしたらもう最後まで実の父についてのアクションは取らないけれど…。
上白石萌歌さんの純粋な演技と、中島裕翔さんの一途な演技も良かったけれど
赤楚衛二さんの憂いを帯びた笑顔が特に良かったです。
大好きな歌を汚さないで
アマプラ配信にて。
上映時気になってたけど、いけなかったのでワクワクして鑑賞。
HY世代、美海とちょうど同世代。
MD懐かしいな〜とエモ気分で見ていたけど、別れ話あたりからだんだんつまらなくなった。
純愛、、、?どこが、、、?
赤ちゃん産んで社会人経験0のママがすぐ通訳で働けるか?
ただ沖縄の海がきれいなことだけが良かった。
アマプラにて
HYはドンピシャ世代だし映像も素敵。
最初はよかったけど途中別れる辺りから色々とツッコミどころ満載になってしまった。
妊娠させる必要あったかな?
美海が病気になる必要も。
美海の親も同棲までして付き合ってるのも知らないわけないだろうし娘が妊娠して帰ってきたら湊を真っ先に疑うし話し合いとかしないの?
お母さん死んで直前に実のお父さんじゃありません。って言われるひまりの気持ちは?
とか色々考えてしまった。
あと上京してきた大学生があんな部屋で同棲できるか?とか考えだしたらキリがない。笑
最後の終わり方もなんだかなーだった
琉晴の批判を見かけないのが解せない
この映画のようにHYの歌を彼女にプレゼントされ、奇跡的な邂逅を何度か繰り返した体験が私にもあったため、並々ならぬ期待を寄せて観た。
率直な感想としては、制作側のご都合主義による「不自然さ」と「理不尽さ」が随所に透けて見え、没入できなかった。
まず、湊の白血病は大学の仲間は知っていたのに、当事者の美海には最後の最後まで伝わらずに終わってしまったこと。
美海は「結婚しない」と公言し、湊との子を育てながら純愛を守ろうとしてきた。これは湊と向き合い直す余地を残すための“操”でもあり、本来なら二人には復縁の可能性が確かにあった。
湊は難病を理由に美海を遠ざけたが、物語後半で病を克服し、うるう年の約束の日にそれを果たそうと戻ってくる。その原動力は身勝手さではなく、「巻き込みたくない」という未熟な優しさに根ざしている。
そして今になって思う。なぜ真実を告げず別れを選んだのか。おそらく彼は、本当の意味で「遺された側の悲しみ」を知っていたのだ。湊自身は「美海が自分のためにすべてを捨てようとするから」と語るが、その先を想像すれば、“大切な人がいなくなった世界”を生きたことのある彼だからこそ、同じ想いを背負わせたくなかったのだろう。愚かではあっても、私はそれを不器用な誠実さと受け取った。
対照的に琉晴は、湊の存在にいち早く気づき、美海と会わせまいと動く。自分のことしか考えておらず、当事者である美海を蔑ろにする行為だ。
その際、湊は自分が父親である事実を知った一方で、美海は依然として真実を知らないまま。結果として琉晴は、開かれていた復縁という選択肢を、美海の意思より先に外側の論理で封じた。ここに私は強い怒りを覚えた。
もし琉晴が湊に接触しなければ、すれ違いの瞬間に湊は声をかけられたはずだ。だが介入によってその機会は失われ、湊はたとえ自分が彼女を幸せにできなくても、美海が幸せならそれでいいと身を引いてしまったのだろう。
もし美海が蚊帳の外に置かれず、真実を知らされたうえでなお自分の意思で琉晴を選べていたなら、まだこの映画にも救いはあったはずだ。
だが琉晴は、そうはならない結末――美海が湊を選ぶ未来――を見越し、その可能性を先に断った。私はこの卑劣さに強い憤りを覚えた。
極めつけは、美海の余命が限られた段になって、琉晴が罪悪感を和らげるために自らの行為の一部だけを吐露し(核心部分である「介入して湊を引かせた」事実は伏せたまま)、湊の職場への訪問の約束も段取りもないまま中学生の娘をいきなり東京へ向かわせた場面だ。
正気の沙汰ではない。これでは湊の社会人生活まで壊しかねない。しかも、自分の尻拭いを義娘にさせるな。母親の死に目に立ち会えなかったら、MDを盗んだ罪以上に償えない一生の傷になり得る。どこまでも自分勝手だと感じた。
さらに、陽葵に「本当のお父さんは湊なの?」と問われたとき、琉晴は実父と暮らす機会を奪っておきながら、「二十歳になったら話すとお母さんと約束していた」と言い放つ。ぬけぬけと。
よくある物語なら、脇役は「主役のお出ましだ。俺の役目はここまでだな」とバトンを渡す。ところが本作は、周囲の善良さに甘えた脇役が手段を選ばずヒロインと結婚し、物語を乗っ取ってしまった極悪人(サイコパス)のように映った。
『彼女、お借りします』を引き合いに出すなら、水原が“罪悪感の清算”のために臨終間際の祖母へ真実を明かすとか、水原が海くんに“持っていかれる”展開を強引に見せられるような、はっきりとした不快感を味わった。
ほぼ、脚本はぶっ壊れてる。
いゃ〜。
恋愛ホラー。
ほぼ全く同じテーマで
インド系スプラッターホラー映画の「ダーリンズ」を見習って貰いたい。
ウチナンチュまでも
「ごめん」
と
「ありがとう」言えば済むと思っているのか?
泣けと迫る映画に観客は泣かない
HYの楽曲「366日」をモチーフにした映画化と聞けば、ある程度予想はつく。泣ける、すれ違う、難病、未練、成長した子ども、録音メッセージ――いわば日本恋愛映画にありがちな「泣きのテンプレート」をすべて投入した感動製造機。観客に向かって「さぁ、ハンカチの準備はいいか?」と突きつけるような作り。しかし、この手法が2025年の観客にどこまで響くのか。冷静に考えれば、むしろ覚める要素ばかりが目に付く。
まず最大の問題は「難病」の扱い。日本の恋愛映画における難病は、古くは『世界の中心で、愛をさけぶ』から続く常套句であるが、本作ではもはや粗製濫造の域に達している。湊が病気を隠して別れを選ぶくだりなど、自己犠牲を美化するどころか単なる不自然さとして映る。現代の観客は、病気をパートナーと共有して共に立ち向かうことの方にリアリティを感じる。にもかかわらず、脚本は「言わずに離れる」ことでしか悲劇を演出できない。そこに人物の内面を掘り下げる丁寧さもなければ、病の経過を描く覚悟もない。極めつけは「サクッと完治」。観客は「結局なんだったんだ、この難病は」と白けるだけ。
次に、就職活動と妊娠のくだり。就活という社会的にシビアな局面で妊娠し、なおかつ直前まで関係を続けていたのに突如手のひら返しで別れる展開は、若気の至りや無鉄砲さを描きたいのかもしれない。しかし観客には「そんな神経だから就活もうまくいかないんだよ」という突っ込みしか残らない。さらに黙って出産し、本当の父親に何の連絡もしないという行動も、ドラマ上の仕掛け以上の説得力を欠いている。これでは登場人物が自律的に生きる人間ではなく、泣かせるために操られる操り人形に見えてしまう。
そして、本来なら感動の中心であるはずの美海と湊の物語よりも、観客の心をさらってしまうのは中島裕翔演じる琉晴の存在だ。ひたすらに優しく、報われないまま支え続ける姿に「いい奴すぎる」と涙する人はいても、主役二人の選択に共感する人は少ない。これは作品がめざした「純愛の悲劇」ではなく、「第三者の健気さに救われる」という構造的な皮肉だ。
では、なぜこの映画が一定の評価を得ているのか。それは作品内容そのものではなく、周辺の装置によるものだ。HYの「366日」という圧倒的に泣ける楽曲の存在。沖縄の海や空を切り取った映像美。上白石萌歌や赤楚衛二といった人気キャストの魅力。これらが感情を後押しすることで、脚本の粗を覆い隠し「泣けた」という感覚だけを残す。だが、それは映画そのものの完成度を評価しているのではなく、音楽や映像の外付け装置に支えられた錯覚に過ぎない。
総じて『366日』は、泣ける装置を詰め込みすぎてリアリティと共感を失った作品だ。観客は「感動してください」という押し売りに敏感であり、2025年の今、その手法はもはや時代遅れに映る。泣ける瞬間が断片的にあったとしても、積み重ねの不自然さがその余韻を台無しにする。残るのは「琉晴がいい奴だった」という副産物的な感動だけだ。映画が伝えたい純愛は霞み、物語の説得力は失われる。結局、この作品が教えてくれるのは「泣かせたい」という欲望が透けて見えると、観客は泣くどころか冷笑する、という単純な事実である。
「恋をして」でしょ
「HY」のとてつもなく切ない恋の歌「366日」をモチーフにした映画と聞いて、観るかどうか覚悟が必要、正直、迷いました。
確かに度を越した悲恋だが、理由が白血病、湊の覚悟、選択もあながち責められない気がしたのがせめてもの救い。
「366日」は美海の想いだが主題歌「恋をして」は湊の想い、それにしても 琉晴の自己犠牲を厭わない生き方は立派過ぎないか・・、沖縄人ってこんなに純粋な人ばかりなのかしらね、美しい海を見ているとそんな思いが育まれるのが分かる気がしてきました・・。運命の皮肉、悲しくて辛いのは別として、悲恋映画の傑作ではありました。
みなと先輩が良い
後半はそれぞれの事情が明らかになり感情が溢れるで最後まで連れ行ってくれます。
この感情の源泉は、みなと先輩でしょう。事情の火蓋を切ったのも彼ですが、そこからの行動や考えの迷っぷりが素晴らしい。だからもどかしい。お前なんかお前それなんか出来ないのーそれーとツッコミなのか応援なのか分からん感情が溜まります。この行き場のない感情が、愛情という出口を見つけて溢れる。
配役が良いですね。かっこよく良いやつなのにいざってときに頼りないし潔い。良い奴だけにある意味最も性質が悪いを自然に嫌味なく醸し出してますね。演じるというか人柄そのものにも見えます。どんどん活躍して世の中にもどかしさを振りまいて欲しいですね。
結末がアレだからさらに切なさアップ。
あの結末に納得いかない人多数いそう。
私はこの映画評価高いです。
この作品見た時、愛だなって感じた。
だって3人ともお互いがお互いを思い合ってる。
人間味のある自分勝手な行動をしてしまうのも、
理由が愛だった。
子供と子供時代の対比もいいな。
切なくて最高。
途中からずっと泣いていました。
365日の全部でも足りない、その想い
本作ではモチーフになっているMD(ミニディスク)は、1992年に新発売されたあと、いわゆるデジタルオーディオ機器の旗手として大流行しましたけれども、市井で見かけなくなって久しいと思っていました。
しかし、その生産終了は以外と新しく、今年(2025年)になってからのようですGoogle・AIざっくり検索)。
そのMDは、もう今日日(び)では「過去の遺物」になってしまったかのようですが、発売の当初は、アナログ録音のカセットテープに変わるデジタル録音の媒体として音質の優位性や、曲の頭出しが簡単にできるなどの利便性、MOやコンパクトディスク(CD)よりもコンパクトで携帯の便利性がもてはやされて、発売から瞬く間に一世を風靡したことを、評論子もよく覚えています。
同じくやり取りをするにしても、今日日のIC系レコーダーのように、メールに添付してデータでやり取りするのではなく、MD という(物理的な)「モノ」の受け渡しができるというのも、それはそれなりに味があり、本作ではそれがモチーフとしても活かされているんじゃないかとも思います。
物理的に受け渡しをするためには、偶然か意図的かは別として、必ずしも二人が物理的に同じ空間に居合わせなければならない訳ですから。
不知の病を得てしまったと思い込み、美海への思慕を断ち切ろうとする湊と、美海の思慕が湊に向いていることを知りながらも、敢えて美海への思慕を募らせる琉晴―。
そして、今度は自分が病―おそらくは死に至る病を得てしまった美海のその思慕は、愛児・陽(ひなた)という親子二代を経て、初めて湊に届けられる―本作のタイトルは、美海のその思慕は、365日の全部を費やしても伝えきれないとの謂(いい)なのだとも、評論子は思います。
本作の「元ネタ」となっているというHYの楽曲「恋をして」の曲想そのままのラブ・ストーリーとしては、なかなかの佳作ともいえると、評論子は思います。
『好きなもの忘れちゃいかんよ』
ひさしぶりに恋愛系の映画で泣いた
この選択を批判しているレビューの人もいるが
このような選択をした人も
現実でももちろん存在しているとおもう。
お互いが愛しているからこその
相手を思っての選択。
主演の2人の表情はもちろん、
曲でストーリーがグッとはいってくる。
偽った格好のついた恋愛なんかより
ただまっすぐに自分の気持ちに正直な恋愛に
勝るものはないと感じた
余韻がすごくて曲聴くたびに滝涙
恋愛、結婚はタイミングとよく言うけど
ほんとそうだなぁ。
名曲がこんなに凡作なんて
邦画のヒット・ブランドの一つ、名曲モチーフ。
今回の名曲は沖縄出身のバンド“HY”の同名楽曲『366日』。音楽に疎い私でも聴けば、あ~知ってる。
この手のジャンルは楽曲からどうヘンに想像膨らませたか分からんが、歌は名曲なのに作品はベタな悲恋モノばかり。
しかし本作は興行収入25億円のロングランヒットとなり、そんなにいいのか…?
で、見てみたんだけど、別にこれまでの同類いのと代わり映えないじゃん。
沖縄。高校時代に出会った先輩の湊と後輩の美海。趣味の音楽を通じて惹かれ合う。
湊が卒業式の日に告白し、付き合う事に。
母親を亡くして以来夢の音楽の道を諦めていた湊だが、美海の応援で夢に向かって上京。美海も卒業し、夢の通訳の為に上京。
晴れてカップルとして夢に向かって満ち足りた日々が続いていたが、ある日突然湊が別れを告げる。
沖縄に戻った失意の美海を支えたのは、幼馴染みの琉晴。湊の子を妊娠していた美海を受け入れ、結婚を決める。
新たな人生を歩み始めたと思った時、湊も突然沖縄に戻り…。
好き合った男女が付き合って、別れて。
突然別れを告げられて。
幼馴染みの想いに応えて。
未練がましく突然現れて。
沖縄や東京。10年以上に及ぶ愛の遍歴。
何かいつぞや見たリアルカップルとなった菅田将暉&小松菜奈の『糸』と似たり寄ったり。
湊が突然別れを告げた理由も察し付く。病気で心配掛けられないからと一方的に別れを告げ、何年か経ってまた会いに行くなんてメチャ自己チュー&未練がましい。
琉晴を選んで大正解。美海の父親から「娘をよろしく」と言われ、「俺の方こそ幸せです」と言う何て好青年!
幸せは長くは続かず、美海も病に。W難病モノかい!
成長した娘が本当の父親に会いに行く。そこで知る本当の想い…と、ベタな感涙美談を謳う。
これが男性主人公だったら現在の妻や暮らしや幸せを捨てて元カノ=ヒロインをもう一度選ぶというバカな事をするだろうが、どうやら美海は堅実な選択をしたようで。湊との間に出来た娘と夫/父親になってくれた琉晴との短い人生を全うし、湊への想いは胸の中に。
このラストはそう悪くなく、沖縄の美しい風景と上白石萌歌の魅力は良かった。
だけど、それだけ…。作品の方は…。
名曲映画化は凡作に。例外に漏れず。
改めて『366日』を聴いたが、いい曲だ。
この曲からベタな恋愛、別れ、妊娠、難病、秘めたる想い、お涙頂戴しか想像膨らませられない作り手は何処のどいつだ?…と思ったら、
監督は私の苦手な新城毅彦であった。
とある小さな不運な2人の、大きな愛と幸せな人生の物語
人を想う喜び痛み、そして想っているがゆえの空回りや失敗など、1人1人のキャラクターがしっかり1人の人間として生きていて、ものすごく切なかったけど、終わった時には優しい光に包まれたような気持ちになる温かい作品だった。
1番象徴的だったのは、美海から湊に宛てられて、12年越しに届いたMDのシーン。本当に胸が痛くなった。内容を聴いて、『366日』ってこういうことだったんだって思ったし、美海の「恋をして、誰かを好きになるって、とっても素敵なことなんだよ」という言葉の全貌ががここで明かされたように感じた。また、話している時の美海の表情や声色に爽やかさを感じさせるのが、一層切なかった。美海の湊へのMDがやっぱり好き。付き合ってた頃の美海の、湊大好きオーラ全開のかわいすぎる笑顔とか声のトーンとかずっと頭に残ってて、それにメッセージ入れてる時の美海の表情や声色の爽やかさが加わると、何回観ても目頭が熱くなる。メッセージの内容は言わずもがな。内容良くないと感動なんてしようがないからね。そしてそれにつけられた「あなたを愛していました。365日じゃ足りないくらい。」というタイトルがズルい。元々渡したくて渡せなかったMDに新しいメッセージとタイトルを上書きしてて、且つその痕跡が残ってて、元々つけられてたタイトルが、「あなたを愛しています。365日じゃ足りないくらい。」だったのがわかるのが本当にズルい。
大好きだった、愛していた湊と同じビーチで再会していた時、一瞬足が動きかけるけど、湊と通じ合って、その想いを堪えて飲み込んで、何も言わずにすれ違ったのが本当に切なくて美しい。そしてそれを表現する美海のあの時の表情が良すぎる。確実に想っていたことがすごく伝わってくる。
湊との思い出と結婚式前日に会っていたあの時を懐古しながら目を閉じて涙を流すシーンが良すぎる。あれだけ湊が大好きだったからこそ、最期あの曲とともにその思い出を懐古してたはずだし。それが美海にとっての大切な人生の宝物なんだと思うと。
東京に行くって聞いた瞬間の美海の「え、会えなくなるじゃん。。」っていう表情とか、それを押し殺して湊の夢を後押しする言葉を掛けるところとか大好き。想いが滲み出てて。
日曜日の萌歌さんの弾き語りインスタライブを観た上で劇場で『366日』を改めて観ると、「プール」が美海と湊の付き合ってた頃の曲に感じる。穏やかな空気感で、お互いがその瞬間を何より幸せに感じていて、刹那的な美しさを感じるところが。
湊と琉晴は美海のことが好きだからこそ失敗してしまう部分もあったけど、そういったところも人間味をすごく感じる部分で辛かったけど象徴的だったし、それを全て優しく包み込む美海の姿も印象的だった。
玉城美海というキャラクターは、心の底から人を想えるひたむきさと、自分も周りも照らせる優しさや明るさを持っている無邪気でかわいくて魅力に溢れた人で演じた上白石萌歌さんと近いところがあるように感じた。また美海の目は、恋をして幸せな時は真っ直ぐでキラキラした目で、挫折と失恋を経験した時期は哀しくて儚い目で、母になってからは全て包み込むような優しい目で、生きる時代によって眼差しがしっかり違ったのも印象的だった。美海が36歳にして死期が近い病気なのが切なさを増していたけど、だからこそよりこの世界を生きる人たちの美しさが描かれていたし、萌歌さんが仰っていた通り、萌歌さんは正しく、美海の人生を生ききっていたと思う。
主題歌の「恋をして」は湊の目線の曲だと思って聴いていたけど、この作品を噛み締めて噛み締めてそしてこの曲を改めて聴くと、美海の人生讚歌のようにも感じてきて、上白石萌歌さんがこの曲を自分は美海の目線の曲だと思っていたという意味がわかった気がして、同じ目線で聴けているのかもと思えた。
本当に心に刺さるし、物語、キャストの演技、ロケーション、音楽、全部最高な名作だから、本当にすべての人に届いてほしい。
タイトルなし(ネタバレ)
LAに行く飛行機の中で視聴🎥
渡したMDの曲が世代好きで、
ほっこりしました☺️
ただ、男の人が病気になった後に
女の人も病気になるっていうのが
そんなことあるのかな
タイミングがよすぎなと
思ってしまいました...
めちゃくちゃ泣いた
映画366日を見て思うこと
・湊から一方的に別れを告げられる。いつだってそう。「付き合う」を続けるのは両者の意思がないと成立しなくて、どちらか一方が拒否したらこっちは諦めて受け入れるしかない。
結婚と違って正式な公的手続きをしなくて、簡単に「当たり前」が突然終わる。「当たり前」じゃなくなる怖さがある。
・忘れる努力をしたっていい。
別れてすぐのときは余裕もなくて、泣いてしまうことも多いけど、時間が解決してくれる。
それでも時が経っても忘れられない記憶の欠片があって、
それを大切にすることもいいけれど、それを物置のの隅に追いやるって決意を決めたっていい。
前に進むために自分がした決断を後悔しなければ、満足できればなんだっていいじゃないか
・一番好きになった人がすべてじゃない。
人生はタイミング。一度すれ違ってしまった二人は、どんなに愛していても戻れないこともある。
すれ違った先で見つけた幸せはまたもっと大切なものだから。
沖縄・海と空・HYの歌声〜ヒーリング効果有り。
泣ける映画と言うのが苦手。
映画で泣きたく無い。
したいのは感動です。
その点で、病気で人が死ぬ、
そのことでは、ほとんど泣きません。
一番重要な事、
☆☆☆
美海の妊娠。
☆☆☆
湊の白血病の発症と闘病。
そんな2人の一大事をお互いに告げない・・・
そんな関係を【愛】と言えますか?
【愛だって生活】ではありませんか?
美海を取り巻く人に【お金】の苦労は一切ありません。
認知もしてないなら、ヒマリは私生児と言うことになります。
幼なじみの琉晴とすぐに結婚しない選択は、まあ良かったけれど、
美海の両親の庇護と援助で最低でも一年以上生活を支えて貰った
のでしょう。
貧しい普通の女の子なら【赤ちゃんがポスト】に、置いてきますよ。
東京での湊と生活するマンションは、カラス張りのカフェくらいの
スペースがあります。
湊って、お母さんが高校の時に亡くなって、おばあちゃんが大学の学費を
出せると思いますか?
美海だって妊娠後期に大学を卒業している。
普通、中退するんじゃないでしょうか?
それから、
美しい沖縄の景観。
みんな景勝地点をロケして編集してますよね。
実際には生活圏から浜辺まで1時間とかの移動時間がある筈。
海辺と並行して走る一本道を流晴のバイクに美海を乗せて走る
美しいシーン。
ここだってどれだけ離れた地域で撮影してることやら?
なあんて言ったら、周辺の県を跨いで大移動したりしてるから、
沖縄限定なんだから、文句いう筋合いで無いですね。
大体に病気に罹りすぎ‼️
湊のヘタレぶりに対して、
琉晴の優しさや大きさは、やはり良かった。
美海は早死には気の毒だけど、
幸せ者だと思います。
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