「この物語に景子の死は必要なのか?」遠い山なみの光 パックマンさんの映画レビュー(感想・評価)
この物語に景子の死は必要なのか?
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主人公を悦子と佐知子に分離させた意図が今一わからない。最後は悦子は佐知子なのだと言う解が示されたが、そもそも一人の人格を二分化した意図がわからない。マリコが景子だったと言うことも明かされたが、それがどうしたのか、と言うのが率直な感想。悦子の夫や義父は一体なんなんだったの?またマリコの年齢設定が腑に落ちない。昭和27年当時の年齢は8歳くらいか。すると渡英後の1956年に生まれたニキとの年齢差は12歳。12歳もの歳上の姉とあのような葛藤を抱えうるだろうか?思春期を迎える頃は姉は既に二十歳をとっくに過ぎている。完全に別世代で姉妹と言うより親子関係といった方が近いかも知れない。普通に見られるような姉妹の葛藤のようなものはまずあり得ないと考えるのが普通。また、この物語にただの苦労話ではなく非日常的な悲劇性をもたらせているのは景子の自死だ。この事件が縦糸となって物語全体を暗く照らしている。これがあってこそのこの物語だ。フィクションとは言え、人の命を奪ってまで物語を描こうとする作者の利己的な欲望に少々の躊躇いを感じる。
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あそちゃんです。さんのコメント
2025年9月15日
原作を読まれて、そのストーリーに重なる、作者が伝えたいものをもう一度よく考えてみたらいかがでしょう。
恵子の死の原因。その事に悦子が感じる思い。それこそがこの映画の意味するものでもあります。
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