「憎み切れないエゴイスト」レイブンズ ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
憎み切れないエゴイスト
写真家『深瀬昌久』。
彼の作品を2015年に@DIESEL ART GALLERYで観ている。
写真展のタイトルは〔救いようのないエゴイスト〕。
写真群の表現手法は多様も、
並んでいる殆どに作家本人が映り込んでいたのが特徴的。
対象物とカメラの直線上に
横顔が写り込む構図とし、
自分がその場に間違いなく居たことの証しにしている。
まるでクロニクルのように。
1934年に北海道で生を受け78歳で亡くなるまで、
「エゴイスト」がどのように形作られ、
どのように生きたのかを
本作では詳らかにする。
もっとも彼は、(映画でも描かれた事情により)
死の二十年前を境に写真の発表はされていない。
それでも1971年代に出版された〔遊戯〕は、
同年の『荒木経惟』による〔センチメンタルな旅〕と並び
{私写真}の傑作と思う。
今の時代では、
多くの人がSNSに個人の生活をさらけ出すのに何の躊躇いもないものの、
五十年も前に既に先鞭をつけていた二人に畏敬の念すら抱く。
それにしても、
前者の妻(であり被写体でもある)が『洋子』で、
後者が『陽子』なのは、偶然にしてもでき過ぎだろう。
「育てたように子は育つ」と言う。
父『助造(古舘寛治)』は戦争のトラウマか
酒乱の気はあり、子供が長じても暴力をふるい、
個性を否定しコントロール下に置こうとする。
映画での『深瀬昌久』は、
そのエキセントリックさを色濃く受け継いでいるように見える。
しかし溢れ出す才能は狂気と紙一重。
周囲との軋轢は次第に彼を蝕んでいく。
1986年の写真集〔鴉〕はもう一つの代表作。
固執したように撮った鴉が実体化し、
目の前に現れ対話を繰り返すのは面白い趣向。
その姿は本人にしか見えず、
傍目からは独り言の多い人物と思われている。
彼の特異性を現す要素の一つとして
上手く造り込んでいる。
にもかかわらず『昌久』は、作品以外でも多くの人を魅了する。
編集者で写真評論家の『山岸章二』や、
アシスタントだった『瀬戸正人(池松壮亮)』を始めとし。
暴君でありつつ、何故か憎めない、
そして写真に熱狂する主人公を
『浅野忠信』が熱演する。
『荒木経惟・陽子』夫妻は、
奥様が存命の時に紀伊国屋@新宿で見かけたことがある。
失礼な表現も、連れ添う姿は
妖怪と美女にしか見えなかった。
一方の『深瀬昌久』と『鰐部洋子』は
写真の記録で見るばかり。
二人並んだ佇まいは、どのようなものだったろう。