リアル・ペイン 心の旅のレビュー・感想・評価
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いとこの魅力がイマイチ
製作者の意図は判るのですが、刺さりませんでした。
というのも、いとこに魅力がなく、単に変わり者にしか見えなかったのが原因だと思われ。
魅力的な変わり者の設定だし、そういうエピソードも出てくるんだけど、とって付けたような感じで伝わってこないんですよね。
主人公のいとこに対する気持ちも台詞で説明はあるのですが、それもイマイチ伝わってこないし。
ただホロコーストのシーンは、画面からだけでも痛みが伝わってきました。
自分は辛すぎて、絶対に行けないところだと思います。
おくりもの
どれだけの歳月がすぎても心の影はそこに響きわたる
ショパンの音色はそんなふうに寄り添い続け奏でる
その街に点在する悲劇の断片、耐え難い事実の証明〝ホロコースト〟を後にして車内の席で嗚咽するベンジー
感受性の強い彼は祖母の祖国でそのルーツを肌で感じ、哀しみを生き抜かねばならなかったことへの悼みと深い敬意、二度と会えない大好きな人への愛が満ち溢れたのだろうか
陽気な見た目とは真逆の部分に佇む彼の肩にデヴィットは容易に手を添えることもできない様子だった
遺言から始まるこの旅は、冒頭から不安がよぎる従兄弟たちの凸凹加減、ちぐはぐで軽いやりとり、リアクションの巧さを可笑しく観ていたがそんなツアーの途中に、これは孫たちの性格や様子をよく見抜いていた祖母が、祖国を共に旅することで起きる2人の化学反応のために計らったのだなと感じた
社交的で素直、ラフなジョークをポンポンと挟みながら最後には相手の懐にふわりと入っていける魅力があるベンジーと、内向的で生真面目、会話は丁寧でかっちり四角くどうみても遊び心に疎いデヴィットの内面がツアーグループのメンバーとして過ごすなかで徐々にみえていく
そしてある日の食事の際、ベンジーの過去の出来事と彼への気持ちをデヴィットが吐露したときだ
数日だけの付き合いのツアー仲間にわざわざ打ち明けたのはなぜか
それはベンジーの行動があまりにも身勝手でたびたび空気を歪ませることへの申し訳なさ、必死のフォローに追い討ちをかける行動にうんざりしていたからだけではなかった
今、そこにいるのが半年前に衰弱した姿で目にしたベンジーであること
こうして旅に来てくれた彼の進歩や奇跡、感謝が胸に沁みていたデヴィットがベンジーのために唯一できることだったのだ
ツアーを抜ける時の姿には胸が押されるようだった
デヴィットがこっそり憧れるように確かにベンジーはみんなに許され愛されていたから
ストレートだが真心のあるベンジーの人間味にそれぞれがたっぷり触れていたことの上に、彼を見離さないデヴィットが型にはまらない自分の言葉で思いを語ったおかげにほかならない
そんな二人を思い返す時
初日の夜ベンジーに祖母に似ていると言われたデヴィットが自分の足をぼんやりと眺める視線が浮かんでくる
自分のスマホを臆することなく奪い楽しそうに音楽をかけシャワーをあびるベンジーのマイペースさでいっぱいになった客室のベッドの上のシーンだ
あの時デヴィットの目を通して感じた不思議で独特にやわらぐ空気
私にも届いてきたその正体
それこそがきっと祖母がこの旅に求めたものだったのかなと思う
最終日に訪ねた祖母の昔の家の前で、平凡さの内側に隔たりが潜んでいた過去を受け止めその思いを十分に胸におさめたこと
空港での力強いハグと不意のビンタにみてとれた2人の関係性の変化もきっと祖母には伝わったんじゃないだろうか
だけど今もやるせなさと不安が疼き続けるのはラストのあの眼差しを心の奥で感じてしまったからだ
人は簡単には変われない
しかしゆっくりと変わっていけることもある
あの時2人がポッケに忍ばせ持ち帰ることになった小石はきっと天国からのおくりものなのかも
デヴィットの家の玄関で彼と家族を見守り、ベンジーにはその手のひらのなかで祖母のような勇気とあたたかな希望を与えゆっくりと支えてくれると信じていたい
訂正済み
過去の受難を通して知る今の受難
しばらく疎遠だった従兄弟のデヴィッドとベンジーが亡き祖母を偲ぶため、彼女の故郷ポーランドを旅するツアー旅行に参加し…
ジェシー・アイゼンバーグの前監督作は未見だが、地味ながらも評判が良いと聞いていた。結論から言うと、本作も地味ながらも味わい深い1本だった。
社交的で言いたい事をズゲズゲ言うベンジーに、デヴィッド同様に観る者も気が気でなくなってくる。しかしこれには事情があり、実はデヴィッドにも現代社会で生きていく事に受難=リアル・ペインを抱えている。ホロコーストを生き延びたとしても、ユダヤ人のその後の人生は受難続きなのか、と余計な勘繰りをしてしまったのは『ブルータリスト』を先に観たからかもしれない。
とにかくベンジー役のキーラン・カルキンが好演。当初はアイゼンバーグが演じる予定だったのを替えたのは、プロデューサーのエマ・ストーンのアドバイスだったらしいが、これは見事なグッジョブ。もしアイゼンバーグが演じていたらマーク・ザッカーバーグの二番煎じになっていただろう。あとジェニファー・グレイも出ていたとエンドクレジットで知りビックリ。
安直なハッピーエンドにしていないあたりも、いかにもインディペンデントな作品。
軽やかな「旅エッセイ」のようだが、とても味わい深い
ジェシー・アイゼンバーグの初監督作(『僕らの世界が交わるまで』)は未見。そして今回、ウェス・アンダーソン作品のように水平横移動するカメラワークが印象的な監督第二作は、軽妙な「旅エッセイ」のような愛すべき小品だった。
NYに住むいとこ同士のベンジー(キーラン・カルキン)とデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)。ふたりは最愛の祖母の遺言に従い、ホロコーストの生存者だった彼女の故郷ポーランドで強制収容所跡などを巡る「ホロコースト・ツアー」に参加する——。
…こう書くと、深刻な内容を予想して身構えてしまうが、それは良い意味で裏切られる。ショパンの名曲の数々にのせて描かれる「ふたりの旅時間」は軽やかで、時にくすっと微笑ませ、時にじんわり心に沁みてくる。
その一方で、本作には、現代人が抱える生きづらさの問題だとか、日々暮らす中で目を背けがちな「20世紀最大の負の遺産」、あるいは現在の恵まれた立場からそうした「負の遺産」に向き合った際に覚える違和感などが、さりげなく織り込まれている。これらの深刻さと軽やかさが奇跡のように“同居”している点が本作の見どころだ。
ここで思い出されるのが、同じくホロコーストを題材に扱った『関心領域』だ。同作は、現実から意識的に目を背け続ける人間の暴力性や醜悪さを、まるで現代アートの“考えオチ”のように描いてみせたが、ある意味、それと対極にあるのが本作『リアル・ペイン』だとも言えるだろう。
そんな本作で特に目を惹いたポイントは3つ。
1つめは、カルキンとアイゼンバーグの演技だ。作品を成り立たせている大半は、ふたりの絶妙な掛け合いに依ると言ってもよい。
素直で表裏のないストレートな感情表現を大切にするベンジー。だがその裏返しとして、周囲の空気が読めず、こみ上げる思いをすぐ言動に出してしまう。どうやら社会からもハミ出しているらしい。そんな、軽度の多動性障害・双極性障害のフシもうかがえる難しい役どころを、キーラン・カルキンは好演している。
対するデヴィッドの方は、自らの感情と向き合うのが苦手で、自分を抑え込むことが染みついている。ここでジェシー・アイゼンバーグの“受けの演技”がまた実にいい。そんな彼が唯一、いとこに抱く複雑な想いを感情も露わに吐露する夕食のシーンは、涙があふれて止まらなかった。
2つめとして、見事な映像美が挙げられる。ショパンの調べにのせて切り取られるポーランド・ルブリン旧市街の様子は、いわば“旅行者の観光目線”を意識しつつも、決して通俗に堕することがない。古くから残る建築はもちろん、戦後建てられたであろう建物にも明るさと美しさが宿り、日々の息づかいが感じとれる。撮影監督は、スコリモフスキ監督作『EO イーオー』なども手がけ注目を集めるポーランド出身の俊英ミハウ・ディメク。だからこそのアプローチなのか、とナットク。
3つめは、アイゼンバーグ自身による脚本の妙を挙げたい。ふたりの凸凹コンビ珍道中を、派手な見せ場こそないが巧みな構成とセリフで引っ張り、まったく飽きさせない。早口で速射砲のように交わされる会話のリズム感が心地よい。事実統計に絞った話を淡々と喋り続ける「ホロコースト・ツアー」のツアコンを、ふたりとは対照的に配しているのも良い。さらにハッパ、足の指、小石、平手打ち(!)など、ささやかな仕掛けも物語の中で巧く効いている。
ところで、本作の原題 “A Real Pain”は、日本語にすると「すごく面倒くさい」「ほとほと困った」「本当に厄介」といったところか。一見、ベンジーのことを指したタイトルのように思えるが、あるいは、互いの気持ちをうまく共有し合えない主人公ふたりの関係性を象徴しているのではないか。
おばあちゃん子だったベンジー。そのおばあちゃんの足指のカタチを受け継いだデヴィッド。今後も彼女は二人の中で生き続ける。いやもっと言えば、ベンジーとデヴィッドの存在だって互いに相手の人生の中で生き続けているんだ。
ロビーに佇むベンジーはこの先、過去にしがみつくだけではなく、いとこの愛情も感じながら世知辛い現実をなんとか歩んでいけるだろうか。もどかしさとともに、そんな愛しさも抱かせるラストショットだった。
以上、「サーチライトプレミア試写会 —シネマラウンジー vol.1」にて鑑賞。
劇場で再見するつもり。
人の心に寄り添う覚悟
マコーレ似というより、大人になったラドクリフ似?
かつての天才子役・マコーレカルキンの弟、キーランカルキンがめちゃくちゃ面白くて、映画館ではずっと爆笑が続いていました。一言発するたびに"fxxkin"という言葉が入るほど品がなくて、空気読まなくて、周りを振り回して、一緒にいるいとこを限界までイラつかせるだけイラつかすけど憎めない…、そんな美味しい役どころです。
ストーリーは全然深刻じゃなく、もしツアー旅行がお好きな方なら似たような経験したことあるんじゃないかなと思いました。
それにしても北米では輪になって初対面の人に腹割って自己開示する、みたいな場が多く、私もちょいちょい参加しますが、英語でそんなに面白エピソードを語れるはずもなく、みんなの視線が一斉に向けられるのは、まあまあしんどいです。www
この作品も色んな会話が繰り広げられ、みんなこんなにいい人たちばっかりだと、旅も楽しめるでしょうが、陰キャ寄りの私には到底無理な、でも心底羨ましいと思えた旅でした。
地味な作品ですが、北米ランキング10位はそれなりにヒットしていると思います。
悲惨な歴史への向き合い方を問われる映画
鑑賞前に、2人のユダヤ人(デヴィットとベンジー)がアウシュヴィッツへ旅する話と聞き、かなり辛い内容を覚悟していきましたが、数あるアウシュヴィッツ映画に比べると強制収容所に関わる話は少なめ。(デヴィットが止める中)ベンジーが起こすドタバタ騒ぎで、本来知りたいユダヤ人の歴史やアウシュヴィッツの話から、映画が度々脱線することに観ていて苛立ちを感じましたが、そんな私は監督の術中にはまっていたようです。
鑑賞後のティーチングのなかで、監督がこの映画を撮る一つのきっかけが、ユダヤ人としてアウシュヴィッツに2週間の旅行をしたときに感じた、旅の贅沢さへの違和感にあったとコメントされていました。どうも、デヴィットとベンジーは、この旅に参加する全ての人たちが持っている、理性的な外向きの人格と感情的な内向きの人格を象徴していたようです。
2人を除くすべての登場人物は、ユダヤ人であれば、アウシュヴィッツから生還した家族の成功譚を語る事で悲惨な経験も意味あるものに変えてきた事を語りますし、非ユダヤ人であれば、広範な知識で東欧のユダヤ人の輝かしい歴史について語ります。これらは(一等車に乗る贅沢な旅も含めて、)現地を訪れることで直面する、過去の強制収容所の悲惨な現実から自分達の精神を少しでも切り離し、明日からの日常生活を守る為の正当な防御のようにも思えます。
しかし彼らは、そんな辛い現実にノーガードで飛び込んでいくピュアーなベンジーを見て、少し後ろめたさも感じている。それは、周囲に迷惑をかけ続けるベンジーに対して、彼らが寄せる愛情から感じられます。
最後にこの映画に照らして自分を考えると、まさに、鑑賞後にひたすら周辺の現代史を読みまくる事で、感情の痛みを中和しようとしていた現実に気づきます。。。映画内のイギリス人のようにガイドをすることで人の心の痛みを和らげているわけでもないのに、「昨日よりは少しマシな自分になった」と言い聞かせ、玄関に石を置いて現実生活に戻りたいわけです。そんな自分の逃げをズバリ言い当て平手撃ちを喰らわせたこの映画は、今後の悲惨な歴史を描いたすべての映画を鑑賞する上でも、自分にとって価値ある一作だったと思います。
「変人の観察が楽しい」
ナチス大虐殺 ✕ ドラメディ = ユダヤ人でない自分にとって"特別"な作品とは言い難いけど、これはよくできている。まず脚本フェチな自分には刺さりまくりな脚本がよく書けて(描けて)いるし、主演コンビが最高にハマっている。一人一人でも単体で最強なのに、2人合わさるともう最強!!
違和感から、時を超えて普遍的な痛みを伝え、描き出す。3週間違いの従兄弟ベンジーとデヴィッドを演じた、スタンドアウトした強烈なキャラをドラマ『Succession』に負けじとノリノリなキーラン・カルキンと、自分らしい役柄を演じながら脚本監督の才を遺憾なく発揮するジェシー・アイゼンバーグ(シャツの上から2,3番目のボタンだけ留める着こなし)。扱いにくくも力強く周囲を巻き込むようなカリスマ性と視点人物。それぞれ問題を抱えていて。
痛みについてのツアーとお墓に石を置く、訪れたことを示すために。痛みを通じて人を知る。それは、冷めた印象を受ける単なる事実の羅列じゃなくて、温度のある人との関わり。毎週木曜日に会いに行っていたお祖母ちゃんの足と似た足を見つめながら。見上げるという画の差異を伴う反復イメージングシステム、服の色は青・赤が逆になっている。旅の終わりが近づく寂しさもあって、感覚で捉えることの大切さも改めて。
今回の東京国際映画祭で、チケット争奪戦に敗れた『グラディエーター2』に次いで、超絶観たかった作品、そして絶対に自分の好きな作品だろうなと!!『リトル・ミス・サンシャイン』『サイドウェイ』フォックス・サーチライトのこれまた素晴らしいロードムービー!旅を一緒にしてきたぼくたちにはわかる、文脈的に冒頭とは意味が違う。
いや、マジで賞レースの脚本賞は狙える、少なくともノミネートは。あと、ミュージカル・コメディ部門のあるゴールデングローブ賞なら、脚本賞に加えて、キーラン・カルキンの主演男優賞も!本当に自分の書きたいタイプの脚本だった。
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