リアル・ペイン 心の旅のレビュー・感想・評価
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各々が抱える痛みと各々が持っているもの。しっかりとした芯が有りなが...
各々が抱える痛みと各々が持っているもの。しっかりとした芯が有りながら、笑える部分も多い良質なロードムービーだった。
「僕は大丈夫だよ」の言葉は鵜呑みに出来ないが、この旅を経て二人の進む道が少しだけ良き物になったとは思う。
良かったです
全編ショパンのピアノ曲が流れ素敵でした。上映時間90分というのが良かったです。
いとこ同士のデヴィッドとベンジー。祖母を弔うポーランドでの旅で、対照的な性格の2人と、それそれが持つ痛みが描かれた話です。
常識的に行動するデヴィッドと異なり、ベンジーは活発な反面、心はデリケートで感情に波がある上にストレートに現れてしまい、周りが疲れてしまう めんどくさいタイプ。祖母はそんな彼にとって、本当にウマがあい、大好きな人だったのですね。彼が寂しくてたまらないのがわかります。
現代の生きづらさの中には、このような喪失感もあるのじゃないかな。
ポーランドツアーは歴史を辿ることで参加者たちにつらい側面もあり、ツアーガイドがその都度気遣います。
でも旅は良くも悪くも心が解放され、互いに葛藤や苛立ちがありながらも、2人にとって良いものだったと思います。
兄弟ではなく、いとこのこんな関係性がちょっとうらやましくも感じました。
空港は旅の中継地点。ラストのベンジーが印象的でした。
ダークサイドツーリズム
居場所のなさ
中年ロードムービー
まず、主人公ふたりが従兄弟同士という関係なのがいい。
祖母を通じたつながりは近すぎず、遠すぎず。
祖母の故郷を訪れがてら、ホロコースト・ツアーに参加することで、2人はそれぞれの抱えた傷を癒そうとする。
多くの説明があるわけではないが、台詞や演技で段々と2人の背景がわかってくる。
40代でもう若くはない中年の閉塞感。
ベンジーの痛々しいまでの繊細と、本当は同じくらい繊細なのにそれを隠して社会人として真っ当に生きようとするデイヴィッド。
キーラン・カルキンの動の演技に目を奪われるが、受け止めるジェシー・アイゼンバーグの静の演技も素晴らしい。
(レストランで心情を吐露するシーン、怒鳴ったり泣いたりするわけではないのに、揺れ動く感情がよく伝わってきた)
ポーランドを一緒に旅行している気分になれたのもよかったし、劇伴がすべてショパンのピアノ曲だったのもポーランドへの敬意を感じた。
(監督、脚本、製作も務めたジェシー・アイゼンバーグはポーランド系ユダヤ人)
おまけ。
旅が終わり、頑なに空港にとどまろうとするベンジーにやや違和感を感じたのですが、ベンジーは実はホームレスなのでは?との考察を読んで腑に落ちたのと、いっそう心が重くなったことを記しておきます。
2025/3/3 追記
キーラン・カルキン、アカデミー助演男優賞受賞おめでとう!スピーチも喋りまくりで面白かったです。
痛み・苦しみを抱ける映画として唯一無二の映画
最初なんか不愉快な気持ちでストーリー進んでいく。ポーランドとなかなか行くことのないツアーを映画を通じて観光できる。気づいたら、過去に自分がベンジータイプの人間に愛憎を抱き、ディビットと同じパターンに陥っていることと重なっていることに気づく。
ひたすら投影されて、ホロコーストの悲しみとリンクして心の中で混ざり合う。かと言って救いもない。
映画を見終わった後は、物足りなさを感じて、「なんでこんなにレビューが高いのか?」わからなかったが、みなさんのレビューを見たりして、映画の本質を答え合わせできるとともに後からボディブローのように効いてきて、気づいたらリアルペインを抱かされている笑。
鑑賞直後は3.0ぐらいの評価だったが、痛み・苦しみを抱ける映画として唯一無二の映画だと思いプラス1.0となった。
心の旅
自然と涙が……
主人公二人よりも…🎹🎶
しみたな…
ベンジーのキャラが秀逸
対照的な性格の従兄弟同士が、亡き祖母の故郷ポーランドを巡りながら絆を深めていくロードムービー。
このツアーにはナチスに迫害されたユダヤ人の歴史を顧みるという目的がある。こうした過去の悲劇を辿る旅はとかく重苦しいムードに引っ張られる傾向にあるが、本作はそこをユーモラスに料理した所が新鮮だ。
例えば、ワルシャワ蜂起の銅像の前でおどけて記念写真を撮ったり、電車で寝過ごして遅刻したり、ホテルの屋上で隠れてマリファナを吸ったり等、やんちゃなベンジーと几帳面なデヴィッドのキャラクターの相違が、この旅を面白く見せている。
ただ、ベンジーは確かに陽キャで社交性抜群なのだが、その反面、上辺を取り繕うのが苦手で何でも本音を口に出してしまう悪い癖がある。時としてその言葉が周囲に気まずい空気を作り出し、デヴィッドは尻拭いをさせられることになる。やがて彼はこの旅に参加したことを後悔し始めるようになる。
こうした二人の衝突は後半から徐々に表面化するようになっていく。
印象的だったのはレストランのシーンである。ここでデヴィッドは初めて周囲にベンジーに対する思いを吐露するのだが、果たしてその言葉は空席だったベンジーの耳に入っていたのかどうか?観る側の想像に委ねた演出が秀逸だった。
旅を締め括るラストにもしみじみとさせられた。実は本作で最も笑ったのはこの場面なのだが、この笑いと哀愁の絶妙なバランスは見事だと思う。
惜しむらくは、他のツアー客との絡みが存外薄みだったことだろうか…。典型的なユダヤ人の老夫婦、バツイチ女性、ルワンダの虐殺を生き延びた黒人男性。夫々にキャラクターは屹立していたが、90分という小品なこともあり、ドラマに期待以上の膨らみは生まれなかった。
また、バックにショパンのピアノが流れ続けるのも、抑揚を失していて余り感心しない。もう少し抑制を利かせても良かったのではないだろうか。
キャストでは、ベンジーを演じたキーラン・カルキンが素晴らしかった。子役時代に大ブレイクを果たした兄マコーレ・カルキンが今やすっかりタレント業みたいになっているのに対し、弟の方がまさかここまで地道に俳優業を続けているとは思いもよらなかった。今回のようなお騒がせキャラは、演じ方次第では嫌味に映ってしまうものであるが、そこを愛嬌の良さで上手く乗り切ったという感じである。
デヴィッドを演じたジェシー・アイゼンバーグは、「イカとクジラ」、「ソーシャル・ネットワーク」からほぼ変わらずといった印象だが、こうした神経症的な演技は相変わらず上手い。
そして、彼は本作で製作、監督、脚本も務めており、演出家としてのセンスも中々のものである。今後もぜひ作品を撮り続けて行って欲しい。
ベンジーみたいになれたら
NYからポーランドへのヒストリカルツアーに参加したお騒がせ中年男2人の珍道中を描いた佳作。
ポーランド系ユダヤ人としてのルーツに触れるという旅の目的から、ホロコースト関連の史跡がいろいろ登場するけど、舞台装置として使われるだけで主眼はそこにはない。シチュエーション・コメディ仕立てで笑わせつつ、要所で展開するのは、この双子のような従兄弟2人の人生観、アイデンティティをめぐる会話劇だ。
しかしまあ、自由奔放というか野生児というか、ベンジーという男、こんなのが身内にいたら迷惑でしかない。多弁で無作法で予測不能な多動癖。しかしすぐに場を自分のペースに巻き込んでしまう不思議な魅力がある。凡人で人のいい相方のデヴィッドは、ほぼ100パー疎ましく思いながら、どこかでベンジーの生き方を羨む気持ちもあり、この愛憎半ばするストレスフルな旅で彼は何を得たのか---。
ベンジーを演じたキーラン・カルキン素晴らしい!
25-018
日頃の疲れにホッとひと息
ダークツーリズムを通して描かれる「みんな辛い」
この映画には2つの要素があると思った。
1つ目は「ダークツーリズム」について。
ダークツーリズム(個人的には最近知った言葉)を題材にした映画は珍しいと思う。
知らない人のために一応説明させていただくと、ダークツーリズムは「歴史的に悲劇が起きた場所を訪問する観光」のこと。
今回はホロコーストツアー。
ポーランドの各地を訪問していく話なので、まるでポーランドを観光している気分が味わえた。
でもこの映画で一番重要な訪問先は「強制収容所」。
この場面になると音楽が止み、各部屋で何が行われたかをツアーガイドが淡々と説明していくだけの静かな場面になるが、説明を聴いてその場所で何が起きたかを想像するだけで戦慄が走った。
同じ人間が起こしたとは思えない非道の数々。
この場面を観れば誰でも「こんな異常なことを人類は二度と起こしてはならない」と思うはず。
それだけでもこの映画には価値がある。
本作の中で、ダークツーリズムの問題点について言及する場面が出てくるも面白い。
最近、映画やドラマなどの考察が流行っているような気がするが、そういうのが好みではない人間からすると、この映画の中で指摘されているダークツーリズムの駄目な部分って、そのまま「映画やドラマなどの考察」についても言えるなと思った。
2つ目の要素は「陰キャと陽キャ」なついて。
ジェシー・アイゼンバーグ演じるデヴィットは陰キャ、キーラン・カルキン演じるベンジーは陽キャの代表みたいな人物に思えた。
この映画は基本的には次の二つの場面が何度も出てくる構成。
「最初はデヴィットとベンジーが一緒に行動するも、デヴィットは他人の迷惑になるのを嫌がって大人しくしているのに対し、ベンジーの方はゼロ距離で他のツアー客と積極的にコミュニケーション、その結果、ベンジーはみんなと打ち解けあって仲良くなり、デヴィットは孤立していく」という場面と、「デヴィットがベンジーの悪さに付き合わされて最初は迷惑そうにするも、付き合っているうちにワクワクしてくる」という場面。
ツアー客みんなでディナーする場面で、ベンジーはみんなと仲良くなって大盛り上がり、一方、同じテーブルの隅で黙々と食事していたデヴィットは一人で先にホテルに戻ってふて寝。
個人的にはデヴィット側の人間なので、気持ちがわかりすぎた。
あと、非常識なベンジーの行動を他人は我慢していちいち指摘しないのに、ベンジーの方は他人がちょっとでも問題があると思ったら遠慮なく常識を諭してくる感じ、とても既視感。
「おまいう」と突っ込まずにはいられなかった。
ツアーでみんなとお別れする場面での、ツアー客のデヴィットとベンジーに対する対応の差がリアルすぎて「ひえー」となった。
みんなデヴィットとはしっかりと別れの挨拶をして、ベンジーには何もしないと可哀想だからとりあえずやってあげてる感が滲み出てて、何気ないけど凄い場面だった。
この映画はデヴィットとベンジーの「服の色」に目がいく作りで、たぶん意図的。
ずっとそこを気にして観ていたら、後半、びっくりした。
ジェシー・アイゼンバーグ監督は去年公開の初監督作『僕らの世界が交わるまで』を観た時も思ったが、脚本が上手いと思う。
会話のやり取りが面白く、登場人物たちの行動は「実際にこういうことする人いる」と思わせる説得力があり、前半の何気ない物や行動の多くがその後の伏線として生かされていたりして、脚本に無駄が無くレベルが高いと感じた。
祖母が亡くなった理由がちゃんとは描かれないが、デヴィットが映画の中で繰り返し行う行動から推測はできる作りで、そこも脚本上手い(的外れな推測かもしれないが…)。
伝聞よりも自分で思いつく方が衝撃が大きい。
終盤、デヴィットがベンジーに対して取る突発的な行動を観て、「だから『リアル・ペイン』なのか」と一瞬思った。
デヴィット側の人間の人間としては「陰キャって辛いわ」と思う場面の連続だったが、この映画は「陽キャだって辛い」も描いていて、そこが素晴らしいと思った。
本作は一番最初と一番最後がどちらも同じシーンの画になっているが、映画を最後まで観ると、印象が全く違って見えるのが凄い。
空港にたたずむベンジー
まずは、今年度の最高傑作でしたね!(って、まだ2月頭やろ…)
いとこ同士のデヴィッドとベンジーがポーランドの第2次世界大戦の史跡ツアーに参加するロードムービー。
デヴィッドは常識人で仕事もあれば妻も子供もいる。
それに対してベンジーは未だにその日暮らし。
デヴィッドはベンジーの自由奔放さを疎ましく思いながらも、そこにずっと憧れを抱いていた。
一言で言うとデヴィッドとベンジーの友情物語。
破天荒で自由奔放で、すぐ感情的になるデヴィッド。
そういう面倒な友達っているよね。
でもなぜか憎めなくて、その明るさが皆に愛されるんで嫉妬する。
この映画を観た多くの人がデヴィッドに共感すると思う。
なぜならベンジータイプの人は、そもそもこういう映画を観に行かないし…
たとえ行っても自分とは違うと思うから。(個人的感想です)
でも、ベンジーにはグッとくる、涙出る。
空港にたたずむベンジーがこの映画のすべてを語っている。
全編に流れるクラシックピアノは岩井俊二の映画のように心地いい。
(同じようなピアノ曲のせい?)
そして、エンドロールに流れるレゲエに少し救われる。
ウディ・アレンのモノマネか
ジェシー・アイゼンバーグ演じるデヴィッドの、
ウディ・アレンのモノマネのような、
早口でイライラしたセリフ回しから始まる。
冒頭の空港でのシークエンスは、
ふたりの性格を端的に表すと同時に、
映画全体のトーンを暗示する。
映画が空港で始まり、
エンドロール後も空港の音が聞こえてくる。
この構成は、
観客に「これで終わりではない」という感覚を抱かせる。
空港は出発と到着の場所であり、
最初と最後にタイトルが出て、
特にベンジー(ジェシー自身)にとって、
あるいは観客にとって、
この旅(〈めんどくさい〉旅)は、
まだ終わっていないことを示唆しているのかもしれない。
この空港の残響は、
ジェシー・アイゼンバーグ自身からのメッセージとも解釈できる。
それは、ふたりのキャラクターを通して、
観客に向けて、
ドラマティックな展開や明確な答えを求めるのではなく、
日常の延長線上にある感情や葛藤に、
目を向けることの重要性を語っているようにも思える。
ワルシャワやゲットー跡地、
マイダネク強制収容所(アウシュビッツよりも規模、施設、遺品の数は少ない収容所を選択したのかもしれない)といった場所を訪れるが、
それらを過度にドラマティックに描くことはない、
ホロコーストやナチスも、
必要以上に便利使いしないスタンスがいい。
あくまでも、祖母の生家を訪ねる旅という視点から、
歴史や記憶と向き合っている。
この映画は、観客に何かを示唆したり、
感動させたりすることを目的としているのではなさそうだ。
むしろ、ふたりの視点を通して、
自分自身の人生や感情と向き合うきっかけを与えてくれる。
若者、ばか者、ヨソ者を受け入れてくれるツアーの人たち。
それは、ジェシーからのメッセージ、
そのままでいい、
〈Let it be〉という事なのかもしれない。
空港の残響は、その問いかけを増幅させ、
悪くないエコーチェンバーとして、
観客に深く考えさせる余韻を残す。
様々な「痛み」を描いているのに、爽やかな観賞感が残る一作
軽快だけど何が起きてるんだろう?と思わせる予告編。本編もその流れを引き継いで、スピーディーに展開していきます。なにしろ観客は、慌てて空港に到着したデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)がどういう関係なのかすらわからないまま、彼らとともにポーランドへの空路に着くわけですから。
ポーランド到着後、彼らが参加するツアーの過程で、予告編の突拍子もない展開は、どうもベンジーの奔放な言動に起因することが段々分かってきます。最初はその振る舞いに戸惑っていたツアーガイドや他のツアー客も、破天荒だけど人間的魅力に溢れた彼を受け入れていきます。
彼らはこのツアーを通じてどんな体験を共有していくのか、なぜベンジーはそのように「振舞わざるを得ない」のか、デヴィッドが常にベンジーに寄り添うのはなぜか。それらの背後は様々な次元の「痛み」が伴っていることが分かってくるのですが、それを直接的な描写でも説明的な台詞でもなく、ツアー中のごく日常的なやりとりで理解させてしまう作劇は実に巧みです。
ある場面におけるデヴィッドの長い独白も、単なる長々とした説明などではなく、心の奥からの叫びであることが実感できるのも、それまでの丁寧な描写の積み重ねがあるためでしょう。
結末の、デヴィッドとベンジーのやり取りが、これしかない!という気の利いたもので、最後まで「痛み(ペイン)」の物語であるにもかかわらず、爽やかな観賞感を残してくれました!
ユダヤ人の里帰り
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