リアル・ペイン 心の旅のレビュー・感想・評価
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「今ある痛み」には鈍感な主人公
・終わり方が雑
主人公が成長したわけでも変化したわけでもなく、空港でニヤニヤ「変人観察」をするというラスト。「痛み」は? 他者や過去、さまざまなルーツに対するリスペクトは? 主題を小馬鹿にするようなラストに疑問を感じる
・ストーリーの起伏がない。内容に比して長い
心の旅を描いていることは理解したが、ストーリーの起伏のなさや主人公の情緒不安定さについていけず。
・「今ある痛み」には鈍感
主人公は周囲に対して、過去の出来事や自分が感じたい痛みには敏感であるが、自分の目に映らない現実には鈍感である(感傷から玄関扉の前に石を置いたりはするが、そこで生活する人の日常の危険には鈍感)
総じて、脚本が失敗している。
もし真面目な作品にしたいのであれば、よりテーマを強調して扱うべきだし、コメディにしたいならより登場人物のからみや魅了を引き出すべき。
同じテーマを扱うなら、ドキュメンタリーで撮る方が有意義だと思う
コメディにちらっと覗く痛みの描写がうまい
ベンジー役のキーラン・カルキンは、マコーレー・カルキンの弟らしい。そういわれれば似てる。
ガイド役のウィル・シャープは、「エマニュエル(2024)」で欲望が枯れたというケイ・シノハラを演じた人なんだけど、映画監督でもあるんだね。
字幕翻訳は松浦美奈さん。『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』から二連続。
兄弟のように育ったいとこ同士のデイヴとベンジーだけど、近頃は疎遠だった。どうやら40過ぎらしい。わたしと同世代。亡くなったおばあちゃんの遺言で、彼女の故郷ポーランド行きのツアー旅行に参加する。英国人ガイド(非ユダヤ系)が主催?するツアーで、ソマリア虐殺をサバイブしてユダヤ教徒になった人や、最近離婚したアメリカ人女性や、テキサス?のアメリカ人夫婦と、強制収容所や墓地を巡る。
ベンジーは明るくて陽気なんだけど、躁鬱ぽいってゆうか、不安定な感じがする人。
デイヴは常識的なふるまいをする人だけど、こちらも何らかの薬を飲んでいるし(のちにOCDとわかる)人付き合いは苦手そう。
ベンジーは人好きするらしく、みんな振り回されるけど二人を比べると、ベンジーの方が好かれる。デイヴはそれをわかっているので、憧れつつも、自分にないものを持っているのに何であんなことした?という言うに言えない気持ちがある。
どうやら、ベンジーは数か月まえに睡眠薬の過剰摂取をしているらしい。
定職もないっぽく、母親の家の地下で暮らしている。
いとこに限らず、兄弟や友人でもありうる、愛憎入り混じるふたりの関係が、わざとらしくなくさりげなーく描かれていて、とてもいいと思った。
主軸は、”本当の痛み”を抱えながら生きているいとこ同士のロードムービーであり、ポーランドのユダヤ人の歴史をなぞるロードムービーでもある。金は金持ちのヘロインだからとか、数字や事実は控えめにして人と繋がるべき(どっちも言い回しはうろ覚え)とか、セリフも強くてよかった。
墓地に石を置くがなんなのかはじめはわからなかったけど、ユダヤの習慣で、墓地に来たよと死者に伝えるための風習との事。おばあちゃんのかつての家のまえで、2人が石を置いてたら、地元の人に、住んでる高齢女性がケガするからやめれって言われるところで判明した。
基本はコメディなんだけど、ほろっとしたり、ちくっとしたりする。
笑いのなかに、差し挟まれるささやかな痛みの描写が、うまいと思った。
劇伴はほぼショパンのピアノ。
ベンジーが弾いたのはショパンじゃなくて「TEA FOR TWO」。
空港でぼーっとするベンジーで始まり、再び空港でぼーっとするベンジーで終わる物語。
何がベンジーを悲しませるのかは描かれない。
たぶんそれは、人とわかちあっても癒えることのないなにか。
自分だけが感じて生きるなにか。
しんみりと
ジェシーアイゼンバーグが、監督、脚本、主演 カルキン君の弟のキーランカルキンと従兄弟を演じる。
彼らのルーツであるポーランドへのユダヤ収容所巡りツアーを参加 亡くなった祖母の家も見に行く。
対象的な2人の心の旅です。他の参加者の皆様も個性的でした。ラストはまたそれぞれの世界へ
アイデンティティーの大切さ
「リアル・ペイン 心の旅」と小泉堯史監督作品の「雪の花 ともに在りて」とを比較するのは間違いだと思いながらも比較してしまう作品でした。
両作品とも淡々と物語が進んで行きます。
特に大きな見所はないままに終盤を向かえます。
しかし「リアル・ペイン 心の旅」違いました。
主人公のディビット演じるジェシー・アイゼンバーグとベンジー演じるキーラン・カルキンの演技が説得力がありました。
両作品とも観る前に予備知識は全然学んでいません。
観賞しようとした動機は「リアル・ペイン 心の旅」はポスターに惹かれて、「雪の花 ともに在りて」は出演している俳優陣に惹かれての観賞です。
両作品ともテーマははっきりしていますが「雪の花 ともに在りて」は個々を都合よく繋げただけで薄っぺらく感じました。
「リアル・ペイン 心の旅」はテーマを深掘りしながら訴えていく作品でした。
ラストの空港シーンにはいろいろと考えさせられました。
日本においても同様な趣旨が存在する映画。おススメ。
今年50本目(合計1,592本目/今月(2025年2月度)13本目)。
ユダヤ人、あるいはナチスドイツの迫害や、ほかのいわゆる(他の政策による)迫害に何らかの関連を持つ当事者が、ポーランドを舞台とする現地ツアー旅行に申し込んで当時の面影をめぐる旅行に出かけ、色々な気づきに発見する趣旨の映画です。
このユダヤ人迫害問題といえば、一般的にはナチスドイツと絡めて語られることが多いし(今週でいえば、「ステラ~」があたる)、一般的にはそうですが、この切り口も良かったな、といったところです。
また、映画内において、「当時の迫害を受けた人がこんな1流のツアー等経験できるのではないのに、経験ツアーといはいえ特急の上級席を取ったり、1流の食事店を訪れるのはおかしい」という趣旨の発言で反発するシーンが存在します。このことは、日本は確かにユダヤ人の迫害問題の加害国でも関連国でもないものの、第二次世界大戦を経た日本においては、その被害となった広島・長崎、あるいは沖縄(ほかにもありましょうが、一般的に知られるのはこの3つ)において、修学旅行(あくまでも「学問・学業の一つ」の扱い)や、大人向け観光ツアーでも「その趣旨をある程度考慮する趣旨のツアー」においてはこれらは一定の配慮が必要であることを考えると、それら「特殊な観光地」においては日本においてもかかる趣旨は共通するところであり、一見、日本とは文化やたどる歴史ほかが違ったという事情で無関係と思われる方も多いと思いますが、日本においても上記のような観光地においてはやはり同じような趣旨が妥当します。そしてそのことは、例えば県民や県の出身者においては程度の差はあれ気にするところである一方、日本においては日本人であれば中学、あるいは(事実上の義務教育である)高校まで含めれば常識扱いで、また外国人観光客についてもこれらを観光するツアーにおいては何らかの説明があるのが普通であり、度を越えた行為はほぼ見られない一方(ただし、いわゆる記念碑ほかに落書きをするといった事件は時々報道されるが)、映画内で示されるような「そこで一流の食事をしている状況か?」というような(ある程度、度を越えた)問題提起もある程度理解できる(←広島のそれについても、原爆ドームから少し離れれば歓楽街のため)といった部分は、たどった文化や歴史は異なっても、日本・ユダヤ関係国がたどった事情は一部似た事情があり、その部分において、日本では共感しやすい点があるのかな、といったところです。
映画「それ自体」は完全にフィクションですが、映画内で実際に現地を訪れることや(このような企画自体はしばしば募集されている。史実通り、迫害によって当事者が他国に住むようになったため)、関連する施設、ユダヤ人が当時集まっていた街ほかを訪れる点等は、それらの観光地の紹介について等は史実通りであり、その限りにおいてドキュメンタリー映画の部分も持つ映画です。したがって、映画館でみる作品に何らかの意味で娯楽性を求めるならおすすめできるものではありませんが、今週(2月2週)の中では、1週間遅れではありますが、正規公開日の「ステラ~」との関連として一緒に見るのも良いのかな、といったところです。
採点上特に気になる点まではないのでフルスコアにしています(ただ、映画はこうした真面目な問題を扱っているのに、マリファナがどうだのといった、やや違法性が強い話題に飛ばす点が(映画のストーリーとは関係しない点であり)ちょっと残念かな、といったところです(ただ、薬物に関する法規制は国によってバラバラだし、そこは仕方がないと思える))。
人の居場所って
テーマは重いのに、何故か爽やかで清々しい気持になる、後味のいい名作
主人公2人の内の1人デヴィッドを演じ、本作の監督でもあるジェシー・アイゼンバーグさんの演出が秀逸で素晴らしい
かつて観てきた映画には出てこなかった美しいポーランドの風景や街並み
全体的に静かな中で全編通して流れるピアノの旋律がとても綺麗で印象的
そして一番の見どころは本作にて今年の第97回アカデミー賞で助演男優賞にノミネートされているベンジーを演じたキーラン・カルキンさん、躁鬱かげんや感情を爆発させるあたりなど、演技とは思えない凄まじい迫力に圧倒され素晴らしいです、オスカー獲れるといいですね
アウシュビッツ捕虜収容所内を見学するシーンでは毒ガス室や焼却炉などが生々しく出てきますが、全く悲壮感も暗さも感じず見易かったです
ベンジーがツアーガイドに怒りを爆発させるくだり、「そんな教科書で読めばわかるような解説じゃなくて、現地の人達と会って話をしたり、聞いたりできる時間がある、とかでないとこのツアーに価値はない」といった指摘をするなどヒヤヒヤするシーンも多いけど、とても素直で真っ当な意見、世の中のいろんな事が嘘っぽく見えてとても生きづらさを抱える彼を必死で受け止めようとするデヴィッド、そんな2人のとても切ない心の旅を描く、この先長く愛されていくであろう素晴らしい名作の誕生です
何気に凄い映画
新しい技術や斬新な切り口がなくても、まったく新しい映画は作れるのである。
さり気なく穏やかな小品であるので、この映画の凄さが気付かれないのが心配だ。
ただただツアーに参加して、その短い期間をともにし、そして旅を終わりただただ普通に日常に戻るだけである。
そこにあるのは、どこにでもある小さなトラブルやさり気ない会話だけである。
ベンジーが抱えた心の問題は何も解決した訳でなく、オープニングの空港ロビーとエンディングのロビーのベンジーに大きな変化はないだろう。
ただただ旅の思い出が積み重ねられただけだろう。
ただベンジーがまた苦しみに囚われたとき、その思い出が彼を思い止まらせる解決策ではなくとも、そのひとつになるかも知れないのだ。
人が人に出来ることは、デヴィッドがベンジーに出来ることはそれぐらいのことしかないのだ。
それは悲しく、また愛おしい。
用意された1号車とたどり着いた1号車は同じようで違うのである。
置かれた石は人によっては、ただの石ころであったり、邪魔なものであったり、大事な紀念碑であったりする。
自分たちのルーツを巡る旅を通して心を通わす従兄弟の物語
内容が良さそうであるので鑑賞。
ユダヤ人であるデヴィッドとベンジーの二人。性格が正反対の従兄弟が祖母の遺言に従い、自分たちのルーツであるポーランドのアウシュビッツを巡るツアー旅行に参加する中で、自分を見つめなおし、生き方を見つめなおし、心を通わせる物語。途中ツアー客に気まずい思いをさせたり自由奔放にふるまうが、どこか憎めずムードメーカーでもあるベンジーに困惑しながらもどこか羨ましく思う気持ちもある不器用なデヴィッド。
旅をとおして二人の距離が縮まっていくのだが、特段大きな出来事が起こるわけでもなく、ショパンの音楽をバックにたんたんと綴られているのが妙に心地良い作品となっている。
ツアーの他の参加者も含め、みんな悩みを抱えながらも前を向いて歩こうとしている姿に共鳴できる映画でした。
ベンジーのパーカー
2人のいとこ同士のロードムービー。祖母の育った場所、ルーツに向かう。
冒頭から最後まで、ショパンの曲にも惹き込まれます。
なんとなく危なかしいベンジーの性格が、あの黒くて所々に脱色した変わったパーカーにとても表れていた気がしました。
空港で始まり、空港でおわる。
ラストシーン、2人が空港で別れた後のベンジーの時間の過ごし方が、とても良かったです◎
ユダヤ人の風習でお墓に敬意を払って石を積むのは、『シンドラーのリスト』でも観たことがあり、懐かしく思い出しました。
NYからポーランドへ。時間を遡り共有する旅。
この映画を観る数日前にトランプが、ガザをアメリカが所有し住民を移住させた上でリゾート地として開発するプランをぶち上げた。イスラエル建国以降のパレスチナ難民の歴史、自治区が置かれた経緯や事情を一切無視した暴挙としか言いようがない。土地や民族の歴史や記憶は、個人としての歴史や記憶と混ざり合い、感情や未来に向かっての意志を決定するということがまるっきり理解できないのであろう。つまりエンパシーという素養がゼロということであってこれが狂人でなければ一体何なのか。
さて、べンジーとデービッドが参加するこのポーランドツアーだが実によく設計されている。
収容所はもちろん、ユダヤ人が普通にポーランド人と暮らしていた古い街を訪ね、ゲットーの跡地でワルシャワ暴動の記憶にも触れる。ホロコーストだけでなく、ポーランドにおけるユダヤ人の歴史を簡明に紹介している。バックグラウンドでずっとショパンが流れているのは、ユダヤ人は異教徒として常に排除されるベクトルにあったのではなくかってはポーランドという国家、民族の構成要素の一つであったことを、国を代表する大作曲家の音楽を使用することで表現しているように思える。
ツアーには色々な背景を持つ人たちが参加する。ツアーガイドのジェームズは東欧におけるユダヤ人史を専攻した英国人だし、長らく米西海岸に住んでいて離婚したマーシャ、ルワンダで虐殺を経験したエロージュ、ポーランド移民を先祖に持つマーク夫妻。民族、家族、個人の記憶が交錯する。そしてベンジーとデビッドだが、二人の祖母であるドリーは収容所サバイバーであった。二人は少年時代に祖母に可愛がられ育ったが成人するとそれぞれの人生を歩み、いまや正反対ともいえる生活を送っている。だから彼らの祖母の時代(ポーランドでの)の歴史や、少年時代の記憶や、最近のやや疎遠になった二人の思いが交錯し、それぞれの傷を見せながらツアーの他のメンバーにも影響する。
ベンジーがジェームズに指摘した通り、ツアーはやや史実をなぞりすぎであり現代のポーランドの人達との交流はあまりなかったかもしれない。でもツアーメンバー同士の交流、特にベンジーを皆が持て余しながらも受け入れていくところ、他人の歴史を共有しエンパシーを高めていく効果はあったというべきだろう。
最後に、ベンジーとデビッドがお墓や家の戸口に置く石のことだけど、これは故人への思いとか鎮魂ということもあるけれど、彼らの人生の一区切り、ピリオドと解するべきだろう。他人の人生についてある程度の理解をした上で、自分の人生を先に進めるという決意の表れだと私は理解したのだけど。
ジェシーアイゼンバーグの脚本・監督の才能が光る
かなり好みの作品💦登場人物のベンジーと同じで目が離せない映画👀どちらかと言うとデヴィッドに感情移入しながら見ていくのだが、どうしてもベンジーの事を羨ましく思ってしまう。特に写真撮影のシーンがそうだ。自分は初対面の人たちとあんなふうに気さくに話すのが苦手でどうしても距離を置いてしまう。ベンジーのように社交的で思った事を恐れずにはっきりと口に出せるのがうらやましい。と、思うと同時に心配にもなる。だが、心配してるのは自分だけで受け入れる他者。この旅は、彼らにとってはかなり辛い度であり、自分自身と向き合う旅でもあり、この映画を見ることによって、彼らと一緒に旅をした気持ちになれると言ったら大袈裟だが、少なくとも自分の中にいる彼らに似た感情と向き合うことが出来た。見終わったあとに自分の中で特別なにか考え方が変わったとかはないが、心になにかが残った。言葉では表せない不思議な気持ちになるが、とても好みの素晴らしい映画でした。そして、ジェシーアイゼンバーグの監督&脚本家としての才能ヤバすぎだろ!今後も楽しみです🎶
巧妙な脚本による心温まる珠玉の作品
いるんですよ、こうゆう奴、私の大親友の1人がまさにそう。無難な常識に囚われた私からすれば「よせよ、そんな今更恥ずかしい、ややこしくなるだけでしょ、きっと嫌がられるよ」と阻止せざるを得ない状況でも、振り切って向かってしまう奴。いつまでたっても戻ってこない、面倒くさいと思いつつ様子を見に行くと、なんと相手の人々と旧来の友のように奴は打ち解け歓迎されてるではありませんか。どうゆう事?と思う以上に、呆れる以上に、その見事な対処能力に羨望すら抱いてしまう私。旅行だって詳細は全部私が決めると言うより、何にもしてくれないから、私がやらざるを得ない。そのくせその場の閃きで、人の迷惑顧みず本当に実行してしまう行動力には舌を巻く。
心底、我儘で勝手で奔放で、いつだって苛々させられる、おまけに頑固。でも、その本音の行動力と融和性に私はいつだって感服しきりなのです。しかも離れていると、奴がちゃんとやってるのか心配ばかりする私。まさに本作のジェシー・アイゼンバーグ扮するデヴィッドの心境が手に取るように分かるのです。しかし監督・脚本・主演を務める彼自身が実はベンジーではなかったか? これまでの彼の出演作を思い起こせば、そんな結論しか導き出せない。いわば彼自身の自伝的作品なのでしょうね。それをご本人が監督する段になって役をキーラン・カルキンと入れ替える決断が本作にとって大正解だったと言えます。
そのキーラン・カルキンのちょっと発達障害的なこの役の取り組みは、ほとんど天才的とも言える演技でほとほと感心させられる。アカデミー賞の助演男優ノミネートは当然どころか本命かも。引っ掻き回す助演の好演があってこそ、主演のジェシー・アイゼンバーグの「リアル・ペイン」が浮き彫りにされる作劇なんですね。主演男優枠ではノミネートされてませんが、せめて脚本賞を獲得して欲しい、それ程に巧妙に出来ているのです。
従弟同士の2人のユダヤ系米国人が亡くなったポーランドからの移民だった祖母の生家を偲んで、ワルシャワ・オプションツアーに合流する。ツアーメンバー揃っての人間模様を描く一種のグランドホテル形式かと思ったものの、中年の夫婦、リタイアした女、ウガンダの青年そしてガイドを務める英国人のそれぞれの内実まで入り込まない作劇なのですね。あくまでも2人の関係性が作品の縦軸で、横軸にユダヤの苦難の歴史を織り込んで来る。この案配が流石のバランスで、数多のホロコースト映画のように感情的に煽ることもせず、2人のコメディ路線をあくまで維持するスタンス。だから、史跡ツアーの帰り道バスの中で終始泣いてるベンジーの描写が極めて強い印象を残す。ガイドが事前に繰り返しツアーメンバーに念を押す「くれぐれもヘビーな体験となりますので、その覚悟を」みたいな警告描写があるものですから、映画の観客とて身構えてしまう。
我が国同様に欧米でもホロコーストは無かったなどと歴史修正主義者の声が響く昨今、語り継ぐ試みは今を生きる者にとって義務とも言えるものではないでしょうか? 2人の共通の祖母がもし収容所送りになっていたら、2人は確実にこの世に存在してないのですから。
ツアーから敢えて離脱したのは、彼らの亡くなった祖母の当時の家を訪ねるため。そもそも1930年代の家がそのまま残り、今も誰かが住んでいるってのが日本人の理解を超えたところで。25と記された住所の扉が今しも開いて祖母の関係者が顔出して、思わぬ展開が始まる、かと思いきや、何にも起こらないのが本作には実に相応しい。
ニューヨークから飛び立ち、ニューヨークに帰って来る、空港のロビーのベンチで1人佇むベンジーの様相で本編は始まり、またラストカットも同様で終る。極めて意図的なカットですが、旅を経てベンジーに成長と言いますか変化はしかしまるで感じさせなのがミソでしょうね。ご本人は人間観察と称してますが、凡人は思うでしょう、なにか裏でもあるのではと。いえ。本当に裏なんてなく、ただ見ていて飽きないのですよ本当に、奴等には。
珠玉の作品ってのは本作のような映画を言う。20世紀フォックスを買収し傘下に置いたディズニー。このゴリゴリの利益追求会社の下、20世紀スタジオと名を変え、そのまた傘下のアート系サーチライト・ピクチャーズは以降縮小されてしまうのね、と心配してました。が、本当に杞憂に終わり、良作を次々のリリースの素晴らしさ。オスカーノミネートには本作とボブ・ディランを描いた「名もなき者」もこの会社。ディズニーに感謝するしかありませんね。
自分と出会う旅
ポーランドってなんて美しい国なんだろう、『リアル・ペイン心の旅』では、そう思ってしまう。旅を通じた大人になる旅なんでしょうか、子供のままで大人になってしまった40男のお話です。けっしてイスラエル人の過去の悲惨な歴史との関係を探ることのないように。
ニューヨークに住むイスラエル人
知的レベルが高くて。
しっかりした教育受けていて。
なんだけど、とっても落ち着きのない40歳を過ぎた、従兄弟どおし。
アメリカのイスラエル人というのが、よく伝わってくる。
心に、余裕がないのだ。
十分満たされているのに。
片方は、家庭を持っているが。
もう片方は、最愛の祖母の死を受け入れられず、自殺未遂。
その祖母の遺言で、祖母のかつて住んでいた、ポーランドを旅するふたり。
問題なのは、自殺未遂をしたほう。
マザコン、いやグランドマザコンとでもいいますか。
ポーランドを旅している気分にしてくれる。
この映画の素敵なところですが。
問題の自殺未遂をしたほう。
ツアーなのに、他の客を巻き込んで、迷惑を。
この御仁、感受性がとても強くて。
人の痛みも自分の痛みとして、強く感じるタイプ。
だから、ポーランドで旅行するときも、列車の一等車に乗っていることが、気に食わない。
ホロコーストに向かう、この路線で、過去の苦しみを感じると。
とても、一等車でのうのうとしてられないと。
それは、そう感じるのはその人の自由なんですが。
この方の問題は、一人黙って二等車に移ればいいものを。
他のツアー客を不愉快にさせながらという点。
つまり、周りを巻き込むタイプ。
どうも、祖母なき後は引きこもりのよう。
いい子をやっている人の典型。
大人になりきれない大人を見ている気分になる。
太宰治や尾崎豊のような人。
いや、この二人ならまだ、小説や歌に表現することで、承認欲求がみたされるからいいんだけど。
でも、最後は悲惨な結末ですね。
芸術家でもない普通の人は、生きづらいと。
だから、自殺未遂をするわけですが。
豊かさが、引き起こす副産物
ホロコーストに向かう人々は、彼のように悩んでられなかったでしょ。
生への渇望、僅かな希望と大きな絶望。
彼のように、感傷に揺さぶれる暇などない。
彼は、大人になりきれてない。
祖母の庇護の中で、世の中のストレスから逃げてきただけ。
その祖母が、なくなり自分を守ってくれるものがなくなった。
それが、自殺未遂の原因だろうなと。
ニューヨーク、アメリカという過酷な社会もそれを加速したのかも。
このような人を自己愛性パーソナリティ障害とか、境界型パーソナリティ障害と。
でも、世の中の矛盾とかストレートに表現するから。
人々に共感されたり、愛されたりするのも事実。
でも、尾崎豊が、「十五の夜」で歌っているように。
「自由になれた気がした十五の夜」
つまり、本当の自由を手に入れたわけではない。
それが、本人にわかるから、絶望的になるわけで。
ユダヤ人の悲しい歴史と彼の現在は、別物。
映画の主題は、自己アイデンティティーの確立かな。
確かに、ユダヤ人の悲しい歴史は、祖母を通じて聞かされていただろうし。
でも、その事と現在の彼のありようは、分けて考えるべきだと。
この彼の悩みは、かつては、十代や二十代前半の特有のものだし。
それが、やがて三十代へと。
それが、映画の彼は、四十代である。
社会性は備わっていそうだから、やっては行かれるだろうけど。
結構険しい道のりだろうなと。
その逃げ場が、薬や酒、ギャンブルにならなければいいけど。
そんな彼が、社会に戻ってゆくだろうと感じさせるラストで終わっているのが、幸いか。
でも、彼が、このツアーで、ある程度旅仲間から受け入れられたのは。
あくまでも、その人たちが深みのある、大人たちだったという点と。
旅という、非日常の空間だったということに過ぎないと。
となると、現実社会で彼を待ち受けているのは。
そう容易いことではないな。
なるべく若いうちに、家族以外の社会と関わろう。
真面目な映画
従兄弟同士の関係性が切なく胸打つ
生きていることの奇跡
私の残りの人生でポーランドに行くことはないだろうが、映画を観てデヴィッドとベンジーと共にこのツアーに参加している気分になれた。
私も多分ベンジーには最初、なんだコイツ!と思うだろうが、ワルシャワ蜂起記念碑の前ではおどけてベンジーと一緒に写真に収まってたりする気がするし、列車内でファーストクラス車両に乗った事の是非やツアーガイドの説明の仕方に噛みつくところなんかもベンジーが真剣にナチスに酷い目にあったユダヤ人の祖先に寄り添おうとしてることを理解すると思う。
ホロコーストで殺害されたユダヤ人の数は600万人。その半数の300万人がこのポーランドで亡くなられた。その時代を奇跡的に生き抜いた祖母がいたからデヴィッドもベンジーもこの世にいる。
先祖の存在を知ること、親への感謝を示すことを思い起こさせてもらった。
今年は始まったばかりだが、今のところ洋画No.1の映画です。
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