リアル・ペイン 心の旅のレビュー・感想・評価
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それぞれ痛みを抱えて生きている
デイヴとベンジー、それぞれ痛みを抱えて生きていますが感じ方も向き合い方も異なります。他のツアー参加者もそうです。アウシュビッツを訪れたとき、個々はどんな痛みを感じたのでしょう。そこで感じた痛みは自分の痛みを材料に想像した痛み?当の人の痛みは計りようもないでしょう。だから意味がないというわけではなく、理解しようと歩み寄ることでそれは癒されたり癒したりすることもあるのではないでしょうか。劇中、ショパンの曲が多く使われていますが美しくわたしはこれも効果的だと感じました。
気にするな
立ち上がって歩き出す
ちょっと苦手かも。
場の空気みたいなものを壊さないように生きているので、ベンジーのような人は苦手なんだけど、じゃあデイヴに共感して観られるかというと、彼でさえちょっと無理って感じがする。
というか、純日本人である自分にとって、アメリカ人の突然怒鳴り散らしたかと思うと、急に冷静になってさっきのことを謝るみたいな状況が理解できないんで、この二人の濃いやり取りを観ているのが苦痛。
兄弟のように育ったとしても、いとこ同士であんなに寄り添うってことも感覚としてわからない。
ホロコースト映画は山ほどあるけど、「ポーランド」も景色ってのは珍しいから、その素晴らしい風景にプラス1。
会話が面白くて、何度か噴き出したのでプラス1。
全体としていい映画なんだろうとは思うけど。
誰でも、困った自分を抱えて生きてる
主人公2人の其々のキャラクターに少しづつ自分にもあんな面ある、デイヴィット8.5対1.5ベンジー。人生に馴染めてるようで馴染めない、困った自分がチョイチョイ顔を出す。2人のロードムービーの設定だけど、アイゼンバーグは人間の【心の穴】を表現したかったの?だとしたら表現うまいな、才能あるんだ、今後の作品に期待します。ベンジーが収容所の帰りのバスで泣いた場面、帰りの空港で2人キツく抱き合う場面、泣けてしまいました。
人付き合いあるある
タイトルなし(ネタバレ)
デヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)はニューヨークに暮らすユダヤ人のいとこ同士。
ふたりは、先ごろ亡くなった祖母の遺言資金で、彼女の故郷・ポーランドの歴史ツアー旅行に参加することになった。
WEB広告制作で安定した家庭も持つデヴィッドに対して、他人を魅了するがエキセントリックで危うさを抱えたベンジー。
ツアーでの行動は、そんなふたりを物語っていた。
特に、ユダヤ人虐殺にからむ地への訪問では、ベンジーの行動は常軌を逸しているすれすれだった。
かれらはツアーを離れて祖母が暮らしていたポーランドの家を訪問する。
別の住人が住んでいるその部屋のドアの前に、訪れた印に石を置こうした・・・
といった物語。
ときおり常軌を逸するすれすれの行動をとるベンジーは少し前に自死をしようとしたことが中盤で明らかになる。
四十目前にして抱える生きづらさ。
センシティヴという言葉だけで片付けられないものがあるのかもしれないが、多くは描かれない。
映画全編を通じて、背景などそれほど多くは語られない。
が、多くは語られない中で、ちょっとしたこと(旅行で同じとか、飲み屋で隣り合わせとか)で知り合って事情を知ることは、日常の生活でも多い。
つまり、本作の観客は、そういう日常の隣人の立場でいることが求められている。
最終盤、自死を選ぼうとしたベンジーの左頬をデヴィッドは平手打ちで殴る。
ホロコーストの地の訪問や祖母の生家の訪問でベンジーは心に痛みを感じただろうが、お前が死のうとしたことで俺はもっと痛みを感じたのだというデヴィッドの主張。
頬の痛みのリアルな痛みは、俺の心の痛みだと伝えるデヴィッド。
ベンジー、お前を喪う方がどれだけ痛いか、わかってくれ。
そのリアルな痛みでベンジーは救われる。
演出的には、巻頭と巻末でタイトルが表示されるが、巻頭のそれはベンジーの右頬横(向かって左)に出るが、巻末では打たれた左頬横(向かって右)に出る。
簡潔な演出ですばらしい。
なお、のべつショパンのピアノ曲が劇伴以上に主張して鳴り響くのだが、ショパンがポーランド出身ということだけでなく、うるさいともいえる音楽はベンジーの心の不安定さを表しているのだろう。
ま、それにしてもうるさいことには変わりはないのだけれども。
ジェシー・アイゼンバーグ、かなり計算した演出力ですね。
大嫌いで大好きな、愛すべき相棒
設定が「今」のアウシュビッツテーマものという珍しさ、ダブル主演の二人のロードムービー的要素、ポーランドの美しい景色を映画に写し込んだロケハンと撮影、これらのすべてがうまく合わさった、質の高い作品だと思いました。
全編に流れるショパンのピアノ曲も映画の雰囲気を盛り上げる良い仕立て役になっていたと思います。
ジェシー・アイゼンバーグ演じるデイヴの苦しさや痛みとキーラン・カルキン演じるベンジーの苦しみや痛みは少し異なるものだけれど、そういうものはみんなの中に必ずある。
それらは、映画の中での、印象的な主役二人のそれぞれのカットで語られる。
奔放で人を惹きつけるかに見えて、空港で、寂しそうな何とも言えぬ表情でそこにいる人々を見つめるベンジーを切り取ったラスト、ベンジーの持つ、自分にないものに嫉妬や羨ましさを感じ、ディナーの席でそういう気持ちを全部吐き出してしまうデイヴ。二人とも「大嫌いで大好きな、愛すべき相棒」のことをずっと思ってる。
でも、それは心の底にあるだけで表にはなかなか出てこない。だから、別れは何だかとても寂しい。
先述したラストの(でも冒頭とも繋がっている)ベンジーの顔は本当に心に残ります。
今を生きている人々にも、歴史の中の人々にも、それぞれに「リアル・ペイン」がある。でも、ただ「痛み」であるだけではない。
そういうものとどう付き合うか、自分に問うことのできる、とても余韻の残る映画でした。
おそらく、アカデミー脚本賞に本作でノミネートされた、ジェシー・アイゼンバーグの才能によるところも大きいんだと、映画の余韻を感じながらあらためて噛みしめています。
隔世の感
「ソーシャルネットワーク」でザッカーバーグを演じてから15年。当時はベンジー側だったアイゼンバーグのまとも人間ぶりに戸惑いつつ、ポーランドの旅を楽しみました。上手いなぁと思うのが、誰しもデーブに共感しているであろうシチュエーションでベンジーが全てを持っていくという残酷なまでの反復。「変人を観察する」と言って空港に残った彼の表情が印象的でした。
とても良い
劇場で予告を見て気になっていた作品。
デヴィッドがひたすら留守電に状況報告し続ける冒頭のシーンで、すでにこれは好きだと確信。
テーマはかなり重いものだと思いますが、ピアノ音楽が心地よく、全体的にゆっくりと穏やかに時が流れるようなロードムービーで、心癒される時間でした。所々で笑わせてくれるのも良かった。
社会人になりきれず引きこもり(に近い)生活を送っている私は、ベンジーの行動や気持ちに共感できる部分が多く、完全にベンジーの視点から観ていました。
ベンジーのように素直で純粋で人の痛みが分かり、どこか子供のように無邪気で誰よりも優しい心をもった人は、大半の大人たちのように社会で生き延びることが難しいのだと思います。
一方でデヴィッドのように仕事があり幸せな家庭も築いて、辛いこともあるけど表には出さずに社会で生き抜いていくには、人(や自身)の痛みに鈍感になる、または気付いてもスルーするスキルが多少必要なのではと思います。
これは、ツアー初めの方でマーシャが深い悲しみを秘めた目をしていることに気付き、話しかけに行くベンジーと、そんな風には見えなかった、1人になりたいのでは、と話すデヴィッドにも表れているかと思います。
この旅を通してベンジーに心境の変化があったのか、この後ポジティブに人生を歩んでいくのか、それともまた自殺しようとしてしまうのか、エンディングからは読み取れないところもリアル。
この映画を観て、人の痛みを本当に理解することは難しい、そして理解できたとしても、他人の力でその痛みから解放してあげることは不可能に近いのではとさえ思いました。
でもだからこそ、家族や友人など周りの人が何か痛みや悲しみを抱えていれば気付いて味方になってあげられるよう、普段からもっと気にかけたり会話をしたりしよう、とリマインドしてくれているような気がします。
キーラン・カルキンの演技、本当に素晴らしくて最初から最後まで引き込まれました。ジェシー・アイゼンバーグも。特にレストランでベンジーが席を立っている間に本音があふれて止まらないシーンが印象的でした。
観る人によって捉え方が大きく変わってくる映画だと思うので、他の方のレビューも読んでみたいと思います。
出口が無い苦しみを、軽く笑い飛ばす二人旅。
話はユダヤ人の死んだばあちゃん大好きだった甥っ子達がばあちゃんがホロコーストの生き残りである事を辿る旅の中でそれぞれの痛みを確認癒して行く話です。
ツアーという型でワルシャワからビルケナウそしてばあちゃんの暮らした家へ、、。実際にあった人類最大級の悲劇を背景に人の心の中にある苦悩をミクロマクロ行ったり来たり笑いも交えて巧みに描いてます。まあどちらも簡単に癒せたりしないんだょなぁ、、と見てて納得しつつモヤる映画でした。
マコーレの弟というよりイライジャとマッツを足して2で割った感じのキーランの存在がデカいし助演男優賞ノミネート(受賞)も納得の演技だった。
で私は「ソーシャルネットワーク」の印象しか無かったんだけどオリジナル脚本と監督と主演もやってるジェシーアイゼンバーグもユダヤ人だったりして、かなり今作品で注目されるんだろうなあ。
デイブのアンビバレントな感情
ツアーから一日早く離れるシーン ガイドがベンジーとはハグして「指摘ありがとう、君に会えて良かった」と心通わせてるのに、自分とは「じゃあ」とだけのあっさりした離別。
離婚直後のマーシャに、気遣って声掛けない方がいいと遠慮してたのに、ベンジーは「マーシャと朝まで騒いでた」とあっさり打ち解けてる。
「あれ、コイツ問題児なのに、なんでこんなに人気あんの!?、俺は。。」というデイブの何とも言えない表情が印象的。
不可解、抵抗感、羨望、卑下そして根っこにある友情などがないまぜとなった感情描写が実に素晴らしい。
アイゼンバーグの確かな才能を確信。次作に期待してやまない。
兄弟の様な従兄弟な二人
いとこ同士のデヴィットとベンジー。彼らはホロコーストサバイバーの祖母から幼少の頃、兄弟のように育てられた。そして最近その祖母が亡くなり遺言によりそのおばあちゃんの祖国であるポーランドへ旅行する事になる。二人は兄弟の様に育ったが、大人になってからは疎遠だった。なぜならデヴィットは神経質で他人を気にする性格で一方のベンジーは感受性は豊かで社交性はあるが他人を全然気にしないタイプで全く正反対な人間なのだ。
だからデヴィットはベンジーの事が大嫌いだけど大好きなのだ。この矛盾は映画を観れば良く解る。そしてデヴィットはベンジーの事を絶えず心配しているのだ。そして二人は昔おばあちゃんの住んでいた住宅に行くが来た標に玄関前に小石を置くのだが近所の住人から咎められる。よって二人共石を持ち帰る。デヴィットは帰国後それを自宅の玄関前に置くが、ベンジーはどうしたのだろう⁇それがどうしても気になってしまった…。
ショパンの曲が良かった
ジェシー・アイゼンバーグを見てソーシャルネットワークを思い出し、懐かしかった。主人公二人の祖母や歴史、仕事、境遇、家族への複雑な思いに共感するが、旅の仲間とのやりとりやポーランドの美しさも楽しい。ショパンの曲が聴きなれないものも多かったが新鮮で良かった。
ジェシーアイゼンバーグ監督としてもいい感じ
いやー良かったー。 ベンジーみたいな型にはまらない人を惹きつける人...
観たらきっと誰かと話したくなる。
すべてのシーンに意味があり、その伏線は自然体を持ってやわらかく回収されてゆく。ジェシー・アイゼンバーグ。この人の前監督作は見れなかったのだが、一気に共感。上手だなぁ。音楽の世界でいうとシンガーソングライター的な表現者か。
思えば、赤と青で始まる衣装からして分かりやすく対照的だった二人のスタンス。
そしてタイトルの「痛み」は「孤独」と読み替えられるだろうか。
主人公のベンジーは、空港ロビーに行き交う変人を眺めるのが好きという、現在過去あらゆる人間、社会そのものが家族と言えそうな男。
もう一人の主人公、ザ・コミュ障のデヴィッドは、社会はあくまで「外の他人」。内なるファミリーこそがかけがえの無い家族だ。
その両極端を俯瞰する面白さ。
超コミュ力のベンジーに実は自◯未遂経験があることが知れた物語中盤から、それまでストレートだったロードムービーに「ゆらぎ」を掛けていく。
お墓に石ころを積むアレも、意味合いの持たせ方として最高だった。追って2回それを回収するが、いずれも、寡黙なデヴィッドの気持ちを饒舌に語らせることに成功していた。
元おばあちゃん家で石を置こうと言い出したのはデヴィッド。ベンジーにスタンスを寄せた努力を垣間見せた。
また、ラストシーンではその時の石を自宅玄関の外に置くのだ。これは石≒ベンジー。ここから中はデヴィッドの世界ということだね。これを理解していたベンジーは、旅の別れに感極まっても食事への誘いを断ったのだ。
孤独だから、ニンゲンみな家族。そう考えよう、いや考えるべきという自己脅迫的な思考によって、ベンジーは生きる意味を見つけたか。だから「もう大丈夫」なのか。
***
キーランの演出、パフォーマンスがキラキラと光る。最後のハッパ一本。「吸わないならくれよ」と大事がっていたはずなのに、デヴィッドから過去を責められ、吸うことも忘れてしまっている…これは絶品だった。
物語のラスト、空港で暫しの別れ。
「じゃあな」「またな」からのデヴィッド強烈ビンタ、パチーン!
いやコレ僕、笑っちゃって周りの席の方ホントスミマセン😂ベンジー『…なんで?』ってこれ中川家のなんで?シリーズかよ。※ご存知ない方はYouTubeで中川家なんで?でご検索
ふざけたレビューで申し訳ないが、このビンタ一発は本当に最高のシーン。作品のユーモア向上もそうだが、何と言っても真逆な2人の精神の志向性・他者に求めたいものが、互いに満たされた瞬間と思った。互い存在の大切さを認め合うに至るのだ。
二人の小さな旅はここにシュリンクした。
お見事。まったくもってお見事なストーリーである。
キツーく抱擁を交わす二人。
私はその二人を抱きしめたいような気持ちになった。
わかるのよ、どちらの感情も。
最初は2人の特性にちょっとついていけなかったけど、彼らと共に旅をするうちにどちらにも感情が寄り添っていき、どちらの気持ちにも「わかる。」って共感していました。そして彼らの旅が終わったとき、静かに泣いておりました。
キーラン・カルキンは想像をはるかに超えた素晴らしさ!マコーレー兄貴にくっついて出てきた子役時代のイメージが強かったので、いつの間にこんな演技派のイケオジになってたの??って驚きました。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされてますが、是非受賞してほしいなぁ。
アイゼンバーグの脚本も秀逸。一つ一つのエピソードがとてもリアル。石を置くことのつなげ方も上手い。
こちらは従兄弟どうしのロードムービーだけど、年老いた兄弟のロードムービーの「ストレイト・ストーリー」をふと思い出しました。あれも良かったなぁ。
ユダヤ系ニューヨーカー、ポーランドへ行く
ニューヨークに住む、中年にさしかかった二人の従弟同士が、大好きだった祖母の死をきっかけに、ユダヤ系の彼らのルーツ、ポーランドを訪ねる一種のバディ映画。一人はIT関係の職について妻と子どもと「普通」の人生を送り、ある種のニューヨークのユダヤ系男性像の典型のような、インテリでちょっと神経質なデイヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)。もう一人は、独身、職業不明、、、太陽のように明るく天衣無縫、だけど壊れそうなほど繊細な感受性を持つ、ベンジー(キーラン・カルキン)。二人は現地で、強制収容所をはじめ、ポーランドのユダヤ人関係の史跡をめぐるツアーに参加する。全篇にショパンが流れる。エチュード、ノクターン、バラード。
ポーランドの風景といったらそれこそ強制収容所とか、暗いイメージの場所以外になかなか思いつかないが、美しい田園風景や、飾り気がなく西欧に比べれば貧しい感じはあるものの平和な街並みが映されていく。そういえば現代のポーランドの風景をみたのは(ショパン・コンクールの様子を別とすれば)初めてかもしれない。
ガイド付きの観光ツアーだから危険も冒険もないし、珍道中といっても大したことが起きるわけではない。しかしデイヴィッドとベンジーにとっては、このささやかな旅は受け止めきれないほどのインパクトがあることがよく分かる。
アメリカ人である自分たちの人生と、このポーランドで生きていた祖母。強制収容所で、あるいは離散する途上で、生きて死んでいったたくさんのユダヤ人たち。・・彼らの悲劇と苦難の足跡をたどろうというのに、1等車なんか乗ってていいのかよ!そんな客観的な事実や数字だけ聞いてわかった気になっていいのかよ!おかしいだろ!というベンジーの心の叫びが、ダイレクトに伝わってくる。
キーラン・カルキンが素晴らしい。ものすごくチャーミングだけど壊れそうなほど繊細で生き辛そうな、そばにいたらとても楽しいけどその10倍くらい迷惑や心配をかけてきそうな、ベンジー。オスカー(助演男優賞)とってもおかしくない。
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