劇場公開日 2025年1月31日

「地下2階へのロードムービー」リアル・ペイン 心の旅 ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5地下2階へのロードムービー

2025年2月2日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

幸せ

公開3日目の週末、昼の回。前評判の高い映画だから混んでいるかと思ったら、有楽町の映画館は意外にも空いていた。

見終わって、すぐに言葉が出てこない。長く瞑想をした後のように、豊かな時間を過ごした感覚がある。ストーリーはシンプルで、わかりにくいところは何もない。
ただしどう受け止めたらよいか、なかなか言葉にできない映画だと思う。

ポーランドのホロコースト史跡を巡るツアーに参加した、親しい従兄弟同士のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)。
ツアーのメンバーは、ユダヤ系アメリカ人、ルワンダ難民、イギリス人のガイドなど、多様なバックグラウンドを持つ7人の小グループ。
それぞれが知的で寛容で礼儀をわきまえた成熟した大人だが、そこをかき回すのが、カルキン演じるベンジーだ。
オープニングから、彼は周囲の目を気にせずはしゃぎまわる。
正直、僕は苦手なタイプだ。デヴィッドも迷惑そうだが、表に出さずに受け入れている。
けれど、見ているうちに、ただのトラブルメーカーではないことがわかってくる。
例えば、空港の手荷物検査でのシーン。ベンジーは係員とほんの短い時間で打ち解け、相手の個人的な話を自然と引き出してしまう。

その瞬間、知人の娘さんのことを思い出した。発達障害があり、20歳で亡くなった彼女。幼い頃から知っていたが、彼女のことが僕は大好きだった。
彼女はいつも率直で、自分の感じたことをすぐ口に出した。時にそれは鋭く、本音を見透かされるようだった。彼女は、自分の内面と強くつながり、豊かな世界を持っていたのだろう。その言葉には邪気がなかった。それは20歳まで成長しても変わらなかった。

ベンジーもそんな人物だ。彼は、普通の大人なら誰でも身につける「自己欺瞞」から自由な人物なのだ。
だからこそ、時に無礼な振る舞いをしながらも、人の心に深く入り込み、愛される存在になるのだろう。

人を家に例えたのは、河合隼雄だったか、村上春樹だったか、忘れてしまったが、この映画は「家」の比喩で理解できる気がする。
私たちは、家のようなものだ。掘立て小屋の人もいれば、自己欺瞞で飾り立てた豪邸もあるし、地位と名声を誇る高層ビルのような人もいる。
そして、他人から見えず、自分も普段は忘れているけれど、どの家にも地下室がある。

地下1階は、個人的な無意識の部屋だ。そこには、過去に経験したさまざまな痛み=ペインが転がっている。でもその多くを忘れ、時には克服したものとして、私たちは「大人」になる。

さらに、その下には地下2階がある。それはおそらく、ユングのいう集合的無意識の領域だ。そこには、個人を超えた民族や国家、先祖たちが受け継いできた痛み=リアル・ペインが眠っている。
そう考えると、この映画は、地下1階、そして地下2階へと降りていくロードムービーでもあるのだろう。

不勉強ながら、「ホロコーストがテーマなのになぜドイツじゃなくポーランドなのか?」と疑問に思っていた。この映画を見るなら、事前にWikipediaでもいいから、ポーランドのユダヤ人の歴史を調べてから見に行くと良いと思う。
どれほどのことが行われたのか。そして、このツアーの参加者たちが、自分が生きていることの奇跡を感じている理由もわかるからだ。

そして、さらに驚いたのは、ハリウッドのルーツを初めて知ったことだ。従来の仕事になかなか就かせてもらえなかったユダヤ系移民たちが映画産業を立ち上げ、アメリカ社会から差別される身でありながら、やがて「アメリカの神話」となる作品を多数輩出し、現在のように世界を席巻するまでになったことも僕は知らなかった。
おそらく、この映画は、ユダヤ系映画人にとって「自らのルーツをたどる旅」 でもあるのだろう。

私も戦後生まれだが、父母は戦中生まれ、祖父母はもう亡くなったが、彼らは戦前に成人した世代だった。戦争の記憶は、僕に直接はない。祖父母や両親からもあまり詳しい話を聞いたことはない。
しかし、僕の「地下2階」にも、その先祖たちから受け継いだなんらかの痛みが眠っているのかもしれない。

たまには、自分のルーツへと降りてみる旅をしよう。その旅は、劇的な変化を自分にもたらすわけではないかもしれない。でも、そこに向き合う時間が、自分の存在の確かさや、生きていることの奇跡を感じさせてくれる。
そんな示唆をくれる映画だった。

ノンタ