「神経質で繊細な、ふたりの40男」リアル・ペイン 心の旅 かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
神経質で繊細な、ふたりの40男
ベンジーは多分、食い詰めて空港で生活している。
兄弟のように育ったデヴィッドに久々に会って一緒に旅行、それで、自分の実態を知られないよう精一杯取り繕って振る舞っているように見える。
亡くなった、二人が敬愛するおばあちゃんは、ナチスの強制収容所から運良く生き延びたユダヤ人のひとり。そのおばあちゃんからのプレゼント(というか遺言)が、強制収容される前に、自分と家族が住んでいたポーランドの家への、ふたりの訪問。
これはベンジーにはキツイだろう、嫌でも「ファミリー」を常に意識させられる旅だ。
ベンジーには家族もなければ、家すらもない。
歴史ツアーの道中、ちょっとしたことで怒り、キレて、奇行をするのは、彼のもともとの性質に加えて、情緒不安定になっているからではないか。
かたや、デヴィッドには仕事があり、家があり、愛する妻とかわいい息子がいる。
デヴィッドが神経質で強迫神経症、コミュ障気味で生真面目で、ベンジーの「自由な」生き方と何故か人に好かれる魅力的性質に憧れを抱いてうらやましがっているが、それが分かったところでベンジーが自分を肯定的に捉えるほどでも、ましてや優越感に浸れるほどのものではなく、デヴィッドが本気でベンジーを愛して心配しているのが分かるので、憎むこともできない。何よりベンジー自身、デヴィッドを愛している。彼にだけは見捨てられたくないという、切なる思いがありそう。
それがさらに腹立たしいと言うか複雑な気持ちにさせるのだろう。
ベンジーは、そう見えないかもだが、相当神経質で繊細だと思う。
ショパンのピアノ曲がBGMというには大きすぎる音で始終かかっているが、これがとっても良かった。ショパンの曲は、よく合う映像と一緒に聴くと感動的に良さが増す気がする。
繊細なふたりの40男の内面を描く映画に大変良くマッチして、胸を打つ。
ショパンでもって、この映画の星が増えた。
このツアーに参加した人たちが、全員、人の話を遮らずに終わるまで聞き、合間に感想を述べあい、自分の番が来たらきちんと自分の話をする、という、対話のマナーというか暗黙のルールを普通に身につけていて、対話の文化が根付いているのを感じる。
日本では昔夜中から朝まで討論する番組があったが、ファシリテーター自らが人が話しているのに終いまで言わせず、遮りまくって被せて自分の主張をする、参加者全員がその流儀で我が主張だけを聞かせようとするがそれすら遮られるので、何一つ実りのないただの怒鳴り合いでうんざりしたのを思い出した。
今ではまっとうな社会人なら、いわゆる「会話泥棒NG」はマナーとして浸透しているが、それでも人が話しているのに遮って自分の話を被せ、ずっと「自分のターン」にするのが通常運転な人は時々いる。対話の文化が根付くまでには至っていない。学校では教えませんから。
アウシュヴィッツ、ビルケナウなど、有名なものだけではなく、マイダネク、ソビボル、ベルゼック、トレブリンカなどガス室・焼却関連施設を持つ大規模な絶滅収容所はいくつかあった。そのひとつひとつ、全てで行われた残虐行為の事実は、なかったことにできない。
ガス室に残るチクロンBの青いシミや、大きな金網のストッカーに貯められた大量の靴などを目の当たりにすると、ホロコーストの現実感が一気に押し寄せてくる。
亡くなったおばあちゃんも、かわいがっていた孫二人に、この事実を我が事として受け止めてもらい、次世代に語り継ごうとしたのだろう。
ユダヤ人のいとこ同士の40男ふたりは、それぞれに「生きづらさ」を抱えているが、デヴィッドの方は淡々と自分が果たすべき責任を果たし、社会のルールを守って他人と折り合いをつける気遣いをしての今がある。我慢もするが、その分得たものも大きい生活。
ベンジーには、常に「自分」しかいない。自由に生きてきたので、社会のルールより自分のルールが優先。人に好かれる魅力は今でもあるが、深い付き合いは多分無理。困難に出会ったらそこから離脱するのが処世術で、個性的すぎて他人や社会と折り合いをつけることが苦手なように見える。
良し悪しは別として、どこかで枝分かれした生き方の違いが、日々の積み重ねでいつの間にか大きく広がってしまったのが今のそれぞれの居場所でしょう。
この二人の場合、生き方は自分で決められる。自分次第です。
ありがちな40代男性の「危機」と友情(本作は親しいいとこ同士)の話、それにユダヤ人としての特殊事情が絡んで、さほど目新しさはないが、時代により多少変わっても常に存在する普遍的なテーマなんだろうと思いました。
観光映画としても良くできていて、ツアーの道中、自分も参加しているような旅行気分を味わえました。
(追記)
旅が終わって、デヴィッドは妻と子供が待つ温かい家に帰るが、ベンジーはひとり空港の椅子に座り込んでどこにも行こうとしない(行くところがない)。このシビアな現実感が秀逸。
ですが、あるレビュアーさんが
>最後、空港の椅子に佇むベンジーが「さあ、行こうか!」と明るい表情で立ち上がるのを願わずにいられませんでした。
と書かれており、俗っぽくなって映画的に台無しなのは分かっているが、私もそういうラストが観たかった。
でもベンジーは立ち上がらず。空港のベンチに根っこを生やしたように座っていました。
何故かこの映画…観てから気になっていました
……レビューを読ませて頂いて妙に納得しました‼︎
そうですね!ベンジー、少しおかしかったですもんね 流石です!
そうやって思い出すと色々と辻褄が合いますね。。しかしお金はどうしているのでしょう⁈お祖母ちゃんや親の遺産でしょうか⁈なんか気になる映画でした。。
コメントありがとうございます。
ラストには本当に胸を掴まれました。デヴィッドと別れた後、すっと無表情になっていくベンジーの孤独と、デヴィッドの家庭のあたたかさの対比があまりにリアルでした。
コメントありがとうございます。
愛があって、それが互いに通じ合ってもいる。だけど、「それがなに?」と無力感を覚えるような変わりようのない現実もありますね。
最後の空港での目に光が感じられないベンジーの表情がとても寂しく不安に感じてしまい、そんなことにはならないで!と明るい未来を念じてみたところです。
ベンジー、空港に暮らしてる?と出発前から空港に居る彼の姿を見てちょっと思った。いとこと別れてから色んな変な人見たいからさ、と言って空港に残る姿に泣きそうになったです
共感ありがとうございます。あれっ!?と思いながらも、空港で暮らしているということに、私は想像を巡らすことができませんでした。気づきをいただき、ありがとうございます!
共感ありがとうございました。
今でこそadhd 的な人への理解がありますが、やっぱり身内にいたら相当疲れることでしょう。本人も生きづらそうで、かなり気の毒に感じました。