まつりのあとのあとのまつり「まぜこぜ一座殺人事件」のレビュー・感想・評価
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期待度○鑑賞後の満足度◎ 劇団名と出演者の顔触れだけで事前にメッセージがバレてしまうのが難だけど、こういう映画が作られなければならない今の社会の方がおかしいと思いますけど、どう思います?
①この映画のメッセージは実にハッキリしているので(殊にアンチには説教臭いと批判されそう)、その辺りは観る人にお任せするとして…
②白ご飯だけって美味しいよね。でも、混ぜご飯も美味しいよね。カレーも具がみんなドロドロに溶けて区別が付かなくなったのも美味しいけれど、やはり人参があってジョガイモがあって玉ねぎがあって、それぞれ個性を主張してくれていた方が食べていて楽しい。
本場インドカレーや(本来インドには“カレー”というものは存在しないらしいけど)中東の料理は色んなスパイスを使っていて、そのスパイス群が渾然一体となった味も素晴らしいけれど、やがて一つ一つのスパイスの味わいも分かってきて二度美味しい。
人間社会もこんな風になれば良いのにね。
③楽屋落ちみたいな映画だけれども、まあこういう映画もあり、と言うことで。
④私も小さい頃から“五体満足で生まれてきたことを感謝しなさい”“ちゃんと真面目に学校に生きなさい”“良い学校に入って、良い大学に入って、良い会社に入って、家庭を持って子供を作って一人前にと育ててetc.etc.”と言われて育ち、“それが真っ当な人生”と吹き込まれてきた世代だけれども、確かに人間社会の生産性から見ればそうなんだけれども(そんなこと言った政治家がいましたね)、もうそろそろ止めにしません。
人間社会の生産性は確かにそういうところから出てきているのかもしれないけれども、人間社会・歴史の中の文化・芸術というものは違うところから生まれてきたのではないかと最近よく考える。
例えば「漫画・マンガ」。
私の子供の頃はそれこそ「マイノリティ」の代表みたいで(「マジョリティー=本」「マイノリティ=漫画」)(“「漫画」なんか読まないで「本」を読みなさい”ってよく言われた)、でも今や漫画・マンガ・コミックは日本を代表する文化となり誰も「マイノリティ」だと思っていない。
そういうもんでしょう。
昔の価値観や物の見方に囚われている方が段々ダサくなる。
映画の舞台となる劇団の公演の最後に“綺麗は汚い、汚いは綺麗”というシェースクピアの『マクベス』の有名な台詞が出てくるけれども、「マジョリティー」と「マイノリティー」という相対する言葉。
世の中の「マジョリティー」に属する人たちは普段は自分たちが「マジョリティー」だとは意識せずに生きているだろうけど(だから「マジョリティー」なんだろうけど)、“自分が結局は社会や会社を動かす歯車・部品の一つに過ぎない。いつでも替えがある存在に過ぎない”とふと感じた時、やはり「マジョリティー」感を持ち続けるのだろうか?というのが最近よく考えること。
勿論、逆に“機械は歯車や部品の一つでも欠けたら正常に作動しないから、歯車や部品であることに誇りを持って自分の役割を全うするんだ”という志の高い人もいるのは理解しています。
③「人生に失敗した」「人生の落伍者になった」「人生のレールから外れてしまった」と言葉をよく目にし耳にしますけど、こういうことを言う人達の意識の中では、“人生=マジョリティー”で、“失敗、落伍者、脱線=マイノリティ”なんでしょうね。
そうなると“人生”って何なん?ということになる。
思ったより社会に対する問題提起が強い
2025年劇場鑑賞10本目。
エンドロール後映像無し。
1500円均一ですが500円で販売されているパンフレットがついてくるので、パンフレット必ず買う自分としては実質1000円。でも劇場でも普通に販売しているので、知らずに先に買ったらどうするんだろう。販売員の人映画についてくるの知らなかったし。
LGBTQの人や障害者など、マイノリティと言われている人たちが東ちづるのもとに集まって舞台公演をしているのですが、その後に東ちづるが殺されて・・・という話。ミステリーっぽくなっていますが、まぁ本題はそこじゃないという感じですかね。問題提起という意味では良かったのではないでしょうか。
オチも筋が通っていると思いました。
エンドロールで流れる歌、最初は劇団員の人が歌っているのかと思ったらセリフ部分がなんかプロの声優っぽくて、その後流れてきたクレジットでめちゃくちゃ豪華メンバーだったことが分かりました。それ見る前から山寺宏一と松本梨香の主張が強すぎるんですけどね。
まぜこぜするなら乳化させよう
ほとんどが本人役で出演し、団体や公演まで実在のものを使ったメタフィクション作品。
舞台の紹介や動機としての不満などで、マイノリティの紹介や主張を展開してゆく。
不自然スレスレではあるが、メタの使い方としては正解。
それぞれの個性から犯行の不可能性が証明される流れも上手い。(ほぼ腕力だったのは物足りないが)
ただ、ミステリを期待すると肩透かしを食らう。
密室の謎をほったらかして、うっすい根拠で疑い合い、挙げ句テレポートまで持ち出す始末。
コメディなのは分かるが、真剣味が無さすぎてオチへの落差がないのは残念。
まぁそもそも事件の動機がアレなので、誰も本気で謎解きしてないのもあるが。
また演技に関しては、あえての舞台調というのを差し引いても上手いとは言えない。
そこを期待する作品ではないし、マメ山田なんかは慣れてて気にならないが、野澤さんの辿々しさは気になった。
(演技してる芝居なのかもだけど…)
度々オウム返しするだけで、上手くもない謎ダンスに尺を取った紗季の使い方には疑問が残る。
最初の舞台ダイジェストで、本作に関わらない方たちまで紹介したのも混乱を招く。
第四の壁を乗り越えてくるラストも直接的過ぎた。
台詞と文字の両方で「みなさん、どう思います!?」連呼はサスガにしつこさを感じる。
とはいえ趣旨としては理解するし、わちゃわちゃ具合も楽しかった。
現実の『まぜこぜ一座』に興味を持たせる作品としては、十分成功だと思う。
結構しっかりした冊子を無料配布してたのも嬉しい。
臭くないのに蓋
東ちづるが企画・演出するマイノリティ・パフォーマー集団「まぜこぜ一座」の公演 『歌雪姫と七人のこびとーず』の舞台後、楽屋で東ちずるが殺されて、そこにいた人たちで犯人を推理する話。
東ちづるの自己紹介とストーリーテリング、そして弁士の語りと『歌雪姫と七人のこびとーず』のダイジェストと始まって、打ち上げ会場から楽屋に戻った東ちづるの悲鳴が…となり巻き起こっていくストーリー。
エレベーターも階段も使えない密室状態のフロアで、誰が犯人だ彼が犯人だとワイワイガヤガヤと始めて行くけれど、人物紹介を兼ねていたり、ダイバーシティ的説明があったりと、軽いノリてはあるもののちょっと能書きにクドさも。
かなり早い段階で、もしかして…と思ってしまったしね。
とはいえなかなか愉快で面白いエンタメだったし、まぜこぜ一座が素晴らしく、興味が湧いた。
趣旨を加味したらもっと星つけても良いけれど、そうするとこの作品の主張に反することになると思うので、そういうのは無しのフラットな評価ということで。
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