花まんまのレビュー・感想・評価
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パァッと花を咲かせましょう
原作は未読、公開前になにかの記事を読んで、本作を知りました。
実際にお子さんを刺されて亡くされたお父さんのお話「子供が刺されて痛い思いをしてる時に、自分はご飯を食べていた。そんな自分を責める」という話を聴いて、この作品が生まれたとか。
どんなふうに、遺族の傷みに寄り添うのか、気になり観賞です。見事でした。
花は、目を楽しませてくれるのと同時に、心に灯りや光を差し込んでくれるように、気持ちを晴れやかにさせてくれる効果があります。
本作では、やさしく癒やしになっていました。
観賞後の気持ちは、決して悪くないし むしろ良いものだと思うのですが、なにかモヤモヤするというか感想を難しく感じました。無念の中亡くなる人が多いので、人に勧めるときに「よかった」という感想を言うにはどこか躊躇を感じます。だけど、深く考えずになんとなく観れるのに、人は自分一人で生きてるわけではない、という深いメッセージを、嫌味なく伝えてくれています。
生を、周りを、大事にしていこうとやさしくおしえてくれる作品です(*^^*)
〜 以下、個人的な感想 〜
病院前でのバンザイだけ、頂けませんでした。色んな想いや病を抱えた人がいるのですから( '꒳' ;)
バンザイしたくなる気持ちはすごくわかるし、嬉しさの表現方法の1つとは思いますが、、、ほかの表現で観たかったなぁ。まぁ仕方ないですね。
あと、見ず知らずの人の記憶が入ってくるというファンタジーっぽい設定(?)ですが、あながち、ファンタジーではないのかもしれません。いや、ファンタジーかもしれません。どっち!ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)ァ,、'`
「戦艦大和の記憶を持つ少年」の話をTVで観たことがあります。すぐ出てくるので検索してみてください…!
自分の身に起これば、否が応でも考えることをすると思うけど、自分に親しい人に起きた場合なかなか受け入れ難い事のようにも思います。ですが、自分の身近な所には無いだけで、実は、こういうことは現実に起きているのかも…。そう思うと、やはり周りの人にやさしくありたいなぁと思ったりしました
いま大切な人に贈る小さな花のお弁当
予告編から絶対に観ようと楽しみにしていた本作品。原作は2005年第133回直木賞を受賞した朱川湊人さんの短編小説だということですが、なんの下調べもなしで鑑賞しました。思ったのと少し違う展開でしたが、タイトル「花まんま」の意味もしっかり回収、ラストはこれでもかと涙腺を刺激してくる展開に思わずホロリでした🥲ファンタジー要素をよくもこれほどすんなりと現実に落とし込んだものだと感心しました。前世の記憶とか自分の中に他の誰かを感じるとかそういう世界仰天ニュース的な非科学的なこともあながち全くなしではないのかもしれません🤫
フミ子の婚約者で動物行動学者の中沢太郎役の鈴鹿央士くんいい味出してました。カラスと会話できるとか、オモロ過ぎるでしょ🤫爆発した髪型で助教授感だしてましたが、ラストの結婚式のシーンで男前まるバレでしたね。また俊樹の幼なじみでお好み焼き屋「みよし」の看板娘を演じたファーストサマーウイカさんもいいですね〜。そのへんにいる大阪のお節介姉ちゃんやらせたらピカイチですね👏兄鈴木亮平さんとの明るいハッピーエンドが予想される流れで安心できました。鈴木亮平さんの熱い演技も予想通り。妹役の有村架純さんも奇妙な記憶と秘密を抱えた難しい役どころをナチュラルに演じ切りました。最後の透明感ある花嫁姿は眼福以外のなにものでもありません!ほんとに綺麗すぎました😍
観て損はない良作な映画だど思いますので、感動作がお好きな方はぜひ映画館へ足をお運び下さい♪
優しくて愛に溢れた世界に心が洗われた
華金の夜、仕事終わりに鑑賞。感動で泣き腫らした目を、心地よい風で冷やしながら帰る幸福感たるや!
今週も頑張った!と週の終わりに見るにはぴったりな、多幸感溢れる作品だった。
ファンタジー要素は強めで、泣かせにくる演出に冷めてしまう人は向かないかもしれないけれど、細かいことなんてどうでもよくなるぐらい、出演されている皆さんの演技がすごく良かった!
そして出てくる登場人物たちがみんな良い人しかいなくて、心があたたかくなる。
何をやらせてもその役にしか見えない鈴木亮平さんは、今回も真っ直ぐすぎて感情的だけど憎めない兄やん役にぴったりハマっていて最高。
有村架純さんも、芯が強くただ複雑な状況にいる妹役がお見事で、この2人の演技のぶつかり合いで見えてくる兄妹の歴史が、物語に深みを増していた。違う方ならあっさりしたものになってしまっていたかもしれない…。
またこの2人の幼少期を演じられた子役の2人が、これまたすごくて、可愛いのと演技のうまさに衝撃を受けた…すごすぎた。
見る側によって感情移入をしてしまうキャラクターが変わってくる作品だけど、誰に感情移入しても感動してしまうと思う。
私も妹がいるので、兄やんの悔しい気持ちがわかりすぎて泣けた。私も同じ立場なら同じように思うと思う。かと言って繁田一家の気持ちもすごくわかる。誰も悪いことはしていなくて、愛で動いていることがわかるからこそ切なかった。
喪失からの再生、愛のバトン、支え合うことの素晴らしさ、優しい世界の物語に心が洗われる作品だった。
記憶に関する設定に思うことなど
本作については当サイトの新作評論枠に寄稿した。そこでの切り口や字数の都合上、言及できなかったことをこちらで書いてみる。ラスト近くの感情を揺さぶる部分、涙を誘うシーンについての言及もあるので、未見の方はできれば鑑賞後に再訪していただけるとありがたい。
物語をごく短く紹介するなら、幼少期によみがえった前世の記憶を抱えたまま成人し近く結婚する妹と、早くに他界した両親の代わりに妹を養い見守ってきた兄の話。現在進行形で語られるパートはほぼ映画のオリジナル、回想される幼少期のエピソードは朱川湊人の原作小説に基づく(より詳しい作品成立過程は評論のほうで解説した)。
前世の記憶という、既存の科学では説明できないものの、古今東西いくつもの実例が報告されてきた、ファンタジーとリアルの中間に位置するような事象を扱っている。ファンタジックな大人のおとぎ話と割り切るなら合理性や納得感を論じるのは野暮だが、現実に起こりうるかもしれない話だと考えると、映画で創作されたストーリーで気になる点がある。
気になるのは、記憶と人格をめぐる設定のあいまいさだ。妹・フミ子は小学校に上がる前の頃、事件で犠牲になった20代女性・繁田喜代美の記憶を取り戻した。映画のワンシーンで、危篤の喜代美と母胎内のフミ子が病院ですれ違った瞬間、成仏するはずの喜代美の魂が(手違いで)フミ子の中に移ってしまったと説明される。ただし、喜代美の記憶がよみがえってからも、それまでのフミ子としての記憶を保ったままなので、フミ子の人格のなかに自身の記憶と喜代美の記憶が並存していると考えるのが自然だろう。
比較対象として、村田椰融の漫画でドラマ化・アニメ化もされた「妻、小学生になる。」が参考になる(次の段落以降で結末に触れるのでご注意)。10年前に妻・貴恵を亡くした主人公・新島圭介の前に、貴恵の生まれ変わりだという小学生の白石万理華が現れる話。万理華のなかで自身の人格・記憶と貴恵の人格・記憶が切り替わる設定で描かれていて、万理華が自分の人格を取り戻すと、目の前にいる圭介が見知らぬ大人に映っておびえてしまう。旧呼称の多重人格障害、現行の用語で解離性同一性障害に近い状態と考えるとわかりやすい。
これら2つのストーリーは、エンディングに向けて似た経過をたどる。映画「花まんま」では、結婚を控えたフミ子のなかで喜代美としての記憶が薄れていく。「妻、小学生~」では、万理華のなかで貴恵の人格でいる時間が次第に減っていく。
どちらのストーリーでも、ラスト近くで前世の魂は現世の肉体を離れ、それとともに前世の家族との記憶も失われる。「妻、小学生~」の場合、人格・記憶が切り替わる設定であり、貴恵の人格のときに経験した記憶を万理華は知らないため、この結末はより合理的で、納得感がある。だが一方、「花まんま」ではフミ子の人格のなかに自身の記憶と喜代美の記憶が並存している、つまり成人してから繁田家の家族に会いに行ったことなどもフミ子の人格が記憶しているはずなので、喜代美の魂が失われたからといって繁田家に関するすべてを覚えていないのは整合性の点で難がある。おそらく映画の作り手は花嫁のフミ子が喜代美の父を見知らぬ来賓として接するくだりを、涙を誘うシーンとして描いたはずだが、記憶と人格をめぐる設定のあいまいさが引っかかってしまうのだ。
これは私見で、好みの問題でもあるが、映画オリジナルの創作パートで、フミ子のフィアンセがカラスと会話できるというジャンル違いのファンタジー要素を足したりせず、魂の転生と前世の記憶という原作小説から引き継いだ主題をもっと深掘りするべきだったと思う。朱川湊人の短編集「花まんま」に収められた各話はおおむね、身近な人を亡くした登場人物らが不思議な経験をする話、死者の霊や魂の存在を示唆する奇譚だ。原作で示された死生観を映画がさらにつきつめ、観客に命や人生について新たな視点で向き合うことを促すような展開になっていたらと惜しまれる。
とはいえ、そこらあたりを深掘りしすぎると、観念的で難解になり、大衆受けせず興行的に振るわないリスクも出てくる。多額の資金を投じて製作する以上、より幅広い層が感動しやすい話に仕立てることが優先されたのだとしても、それはそれで理解できる。長々と書き連ねたが、つまるところ、好みは人それぞれなのだ。
大変面白く観たのですが‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(他レビューも溜まり短く‥)
結論から言うと、今作の映画『花まんま』を大変面白く観ました。
特に大阪の雰囲気は見事に表現されていて、大阪出身の前田哲 監督をはじめとして、ほとんどが関西出身者の俳優陣による自然の演技もプラスに作用したと思われます。
そして、主人公・加藤俊樹(田村塁希さん/鈴木亮平さん)と妹・加藤フミ子(小野美音さん/有村架純さん)の、人物像も関係性も、魅力が溢れていたと思われます。
ただ、もう一歩、踏み込みがあった方が‥と思われたのも事実です。
兄の主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平(板橋駿谷さん)を事故で、その後に母・加藤ゆうこ(安藤玉恵さん)を、早くに亡くしています。
しかし、主人公・加藤俊樹は、父・加藤恭平との「どんなことがあっても妹を守る」約束を果たすために、母・加藤ゆうこを亡くした後も懸命に働き、妹・加藤フミ子を育て上げます。
一方で、妹・加藤フミ子は、自身が生まれる時に、勤務中の事件で刺されたバスガイド・繁田喜代美(南琴奈さん)が同じ病院で亡くなり、繁田喜代美の記憶が出産される直前の妹・加藤フミ子に乗り移ります。
そして、妹・加藤フミ子は後に、兄と共に、繁田喜代美の実家を訪ねて行き、娘を失った繁田家の人々(娘・繁田喜代美の、父・繁田仁(酒向芳さん)、姉・繁田房枝(キムラ緑子さん)、兄・繁田宏一(六角精児さん))と出会います。
そして、妹・加藤フミ子は、繁田喜代美の記憶を持ったまま、その後も繁田家の人々と手紙のやり取りを長年続けるのです。
主人公・加藤俊樹は、両親を亡くした喪失感を、両親の想い出と共に、「どんなことがあっても妹を守る」という父との約束を果たすために、妹のために懸命に働くことで、埋め合わせていたとも思われるのです。
加えて、主人公・加藤俊樹が良く行くお好み焼き屋の三好駒子(ファーストサマーウイカさん)や大将の三好貞夫(オール阪神さん)、主人公・加藤俊樹が働く工場の社長の山田社長(オール巨人さん)などとの、大阪の下町での人間関係も、主人公・加藤俊樹の喪失感を埋めて支えていたと思われます。
一方、妹・加藤フミ子は、(父との約束を守り懸命に妹のために働く)主人公・加藤俊樹によって支えられ、かつ繁田喜代美の記憶から繁田家の人々との手紙のやり取りで、両親を亡くした喪失感が埋め合わせられていたと思われるのです。
つまり、今作の映画『花まんま』は、基調の喪失感が埋め合わせられた充足感との引き換えで、充足しているからこそ逆に全体としては大きなドラマ性は起こしにくい物語構成になっていると思われました。
それが理由によって、今作は全体としてハートフルな雰囲気が溢れながら、一方で、観客が現在に感じている殺伐さや孤独感などの現在的なドラマ性の方は余り感じない印象になっていたと思われます。
唯一と言って良い今作の劇的なドラマ性は、父との「どんなことがあっても妹を守る」約束を大切にしている主人公・加藤俊樹が、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々に捉われている妹・加藤フミ子を自分の家族の想いに引き戻そうとした時に、妹・加藤フミ子が「私は私や!」と拒否する場面であったと思われます。
しかし、このドラマ性の高い場面も、一観客としては、予告で既に見ていたというハンデがあったと思われます。
(ここでも、映画における予告に難しさがあったとは‥)
主人公・加藤俊樹はその後、自身が、亡くなった父や母との約束や想い出によって支えられていたことと、繁田家の人々が、妹・加藤フミ子の中に記憶されている亡くなった繁田喜代美に支えられていたことが、同じだと感じたと思われます。
だからこそ主人公・加藤俊樹は、繁田喜代美の記憶を持つ妹・加藤フミ子と中沢太郎(鈴鹿央士さん)との結婚式に、繁田家の人々も参加させようと奔走し、ついに実現させたと思われるのです。
しかし妹・加藤フミ子は、結婚式が終わる頃に、繁田喜代美の記憶や繁田家の人々との関係性の記憶も失くしてしまいます。
そしてこの、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を忘れてしまう最後の映画の着地に、釈然としなかった観客も多かったのではと推察します。
その理由は、妹・加藤フミ子が繁田喜代美や繁田家の人々との記憶を最後に無くしてしまった今作の着地が、4つの喪失を生み出していた所にあると思われました。
その4つの喪失とは、
1つ目は、繁田家の人々にとっての、繁田喜代美の喪失の現実化です。
2つ目は、妹・加藤フミ子にとっての、(本人はそこまで気がついていなかったとしても)自身が埋め合わせていた両親を亡くしたという喪失感の現実化です。
3つ目は、主人公・加藤俊樹にとっての、亡くなった両親との約束や想い出の交流と、妹・加藤フミ子と(亡くなった繁田喜代美の記憶を通した)繁田家の人々との交流の、同質性の喪失、つまり自身も両親を亡くしたという喪失感の改めての現実化です。
そして最後の喪失の4つ目は、観客にとっての、この映画に終始感じていた、亡くなった人との約束や想い出や、周りとの交流による、ハートフルな雰囲気の、喪失の現実化です。
つまり、妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、この映画が持っていたあらゆる充足感とハートフルな雰囲気が、すっかり喪失してしまった映画のラストになっていたと思われるのです。
なのでやはり、そこからさらに踏み込んで、4つの喪失感に対して、別に埋め合わせる(出来れば現在的な)回答は示して映画を終わらせた方が良かったのではないかとは、僭越思われました。
今作の映画『花まんま』は、喪失感を満たすハートフルな雰囲気の良さがある一方、現在的な孤独のドラマ性にまでは深まらず、逆にラストの妹・加藤フミ子が繁田喜代美の記憶を失うことで、映画全体にあったハートフルな雰囲気を失わせ、その解決策は示されないまま映画が閉じられるという弱点もある作品だと、僭越思われ、今回の私的点数になりました。
ただ、映画全体を覆っている記憶と想い出と下町での人間関係のハートフルな充足感の魅力は、観客の心をつかみ、素晴らしい俳優陣の演技によって、一方での良さは感じる作品であったことも事実だったとは僭越思われました。
3.7くらいかな、演技は良いし雰囲気も良い!
思ってたのとは違った
記憶障害や、何かしらきっかけで本当は兄弟の血が繋がってなかったなどの、そういう複雑なお話なのかと思って見ましたが、ファンタジー系な要素が含まれてる作品でした。
俳優陣は文句なしに素晴らしい演技と
本当に関西出身の方々が演じられているので
すごくリアルな言葉のイントネーションなんだろうなぁと作品を見ながら感じていました。
花まんまのお弁当の伏線回収も、伏線というよりは
確実にそのお弁当が来るんだろなとはわかって見てましたが、こころがぎゅーってなりました。
過去のお父さんの演技がずっと素晴らしいです。
ガンニバルの時もそうですが、本当に別人のようになれる役者さんだなと思います。
思ってた作品とは違いましたが、ファンタジー要素があるとわかって見たら見てよかったと思う作品だと思います。
観終わったあと、誰かにやさしくなれる映画
登場人物の誰もが優しく、安心して身をゆだねられるハートフルな作品。
家族や大切な人との関係の中で生まれる、すれ違いや未熟さ、そしてそれらをそっと包むような思いやりが、丁寧に描かれています。
特に印象に残ったのは、兄妹を中心に描かれたエピソード。
兄・俊樹(鈴木亮平)は「すべてを一人で背負ってきた」と信じ、それを誇らしげに語るのですが、どこかに微かな違和感がありました。
劇中には、夢の中で両親と再会するようなファンタジー的な描写も登場します。鑑賞当初は少し幼稚にも感じたその描写が、時間が経って振り返ると、俊樹自身の内面──“世界の捉え方”を表現していたのかもしれないと思うようになりました。
幼さゆえの思い上がりに気づき、支えられていたことを受け入れていく俊樹の変化。
そして、それを責めることなく、静かに見守り続けた周囲の人々。
物語に流れる、そうした優しさの連なりが、じんわりと心にしみました。
妹・フミ子を演じる有村架純さんの演技も印象的でした。
ある場面でふと見せた幼さの残る表情に、何かが変わってしまったことを悟らずにはいられず、張りつめていた感情があふれ出すような感覚がありました。
親しい人の結婚式に参列したときのように、自然と祝福の気持ちが湧いてくる物語。
華やかさや派手な演出は控えめで、「映画館で観なくてもよい作品」と感じる人もいるかもしれません。
けれど、ハートフルな物語に静かに心を揺らし、温かな涙を流したい方には、映画館という没入空間で味わう時間をおすすめしたいです。
期待以上の感動。中盤でも思わず泣いた
声出して泣きそうだった
原作が好きで、それを書き写すくらい好きで、映画をものすごく楽しみにしていて、
やっと観ました。原作の良さは全くなく、吉本制作の映画のような、特に駒子、雰囲気。
なんだかなーと思ってみていた。でも、映画は監督のもの。監督が作り上げた人物が駒子であり、その吉本的な雰囲気。で、際立たせ方が良かった。特に、死んだ女性のお父さんの描き方。この人、わかってるねん。娘の死をわかってる。受け入れてもいる。でも、自分を許せてないんやろなー。それは娘自身が許されてないということでもある。だから、文子にとりついてしまったんやろな。いろいろあって、結婚式の日、お父さんが出席することになる。兄の鈴木亮平はそもそもお父さんと文子が会うのは大反対やったけど、出席させることを選んだ。そこにお父さんがやってくる。最高に幸せな場面。でも、その後、文子はお父さんのことを忘れている。つまり、亡くなった女性は許されたと思って、天国へ行ったんよ。そこ、もう声出して泣きそうになった。危なかった。ぐっと堪えた。お父さんは亡くなった娘のこと、許したらなあかんのよ。いなくなることを認めてあげないとあかん。それがどんなことであっても。たとえ、誰かが悪くても。そういうことがわかった。とても切ないけど、ここは理解せなあかんと思った。だから、生きているうちが大事なんよ。ちゃん生きてるうちに。そういうことやで。鈴木亮平のスピーチも良かったなー。いやいや、あんたのがんばりはええからって思って聞いてたら、周り人たちへの感謝を言い出した。あのときも声出して泣きそうになった。ぐっと堪えたけど。鈴木亮平、わかってたんや。そらそやな。でも、文子、文子、文子は俺が育てたって何回もいうから、はいはいと思ってたら、やっぱりわかってたんやなー。それがほんまにうれしくて、泣きそうになった。良い映画やな。生きて行く元気でるわ。
心あたたまるお話
名脇役
よかったはよかったんだけど・・・
鈴木亮平×有村架純
色々とおおざっぱだけど不意なラストに泣かされる
長年、親に代わって面倒を見てきた妹のフミ子(有村架純さん)がいよいよ結婚することになり、兄の俊樹(鈴木亮平さん)の立場での感慨や葛藤を描く映画。
妹は幼いころ、見ず知らずの他者(結婚間近で亡くなったバスガイド)の記憶を抱えることになり、それが兄と妹の関係に不穏さをもたらしている。兄としては、亡くなった実の父母(加藤家)のために今まで頑張ってきたのに、妹は別の家族(繁田家)に対しても「恩返し」しようとしているのが納得できないのだろう。
この2つの家族や記憶の設定についてはいろいろと疑問に思うことがあった。別の記憶が同居しているといっても、二重人格のように人柄や個性まで入れ替わってしまうというのではなく、いってみれば別の人生を疑似体験したようにフミ子のなかに記憶されているのだろう。
そうであれば兄がそこまで過剰に反応する理由がよくわからない。たとえば妹自身にも自分がコントロールできなくなったり、急に別人格になって話し始めたりする設定だったら、不穏さが際立ったと思うのだけれど。
いっぽう、バスガイドの繁田家はフミ子の成長を楽しみにして、入学式や卒業式の写真を大事に保存しているが、なぜ亡くなったバスガイドの生まれ変わりのような扱いをするのか。むしろバスガイドは成人するまでの経験とか記憶をもう持っているはずなので、それをフミ子に思い出してもらって関わったほうがいいのではないですかね。
その他、兄が働いている大阪の下町の町工場とかお好み焼き屋がコテコテに描かれているのに対し、大学で働いて助教と結婚する妹の世界はだいぶ違うはず。妹が繁田家にこだわる以前にどういう内面の人なのかよくわからず、感情移入が難しかった。
後半の結婚式のシーンはもはや間延びを感じながら見ていたし、バージンロードを繁田家の父に歩かせるのはびっくり。さきほども書いたが、フミ子の中にバスガイドの記憶があるだけで、フミ子自身は独自の人格を持つ人のはず。それこそ、兄や実父母の立場はどうなるのか。
かと思ったら、帰り際にあいさつした繁田家の記憶は、フミ子の中からすっかり消えていたのだった。つまりバスガイドさん、無事に成仏したのね…。いささか都合がいいようにも思うけれど、繁田家の喪失感を際立たせるラストだったと思う。繁田の父が電車の中で見た「花まんま」には泣かされた。
鈴木亮平さん、ファーストサマーウイカさんの演技の良さに助けられ、終わり良ければ総て良しですかね。
なおこの映画を見た理由の半分以上は、閉館が迫る丸の内トーエイに行きたかったから。たまたま「大きな玉ねぎの下で」をこの映画館を見て、シネコンとは全然違う「劇場」の存在を知った。この映画館で見ると、予告編であっても自分の身体への浸透度が違う気がする。単に歴史の古さでも収容人数の多さでもない、その理由は何だろうか。それを探して来月までにまた来る機会をつくりたい。
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