江里はみんなと生きていくのレビュー・感想・評価
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誰かと表情を読み取り合う幸せ
重い障害がある江里さんと家族、介護するスタッフの交流を20代から30代にかけて描く。支援学校の入学が通知されたが通常学級に通うことを希望して実現、母は訪問介護などのNPOを立ち上げるなど、本人を支える教育や福祉の仕組みについても学べる映画になっている。
なかでも母の立ち上げたNPOに所属する、2人の介護スタッフの成長が見どころだ。江里さんは呼吸が上手くできず、気管切開の大きな手術を受けるが、その後の介護には医療的な知識が必要となるなどスタッフにとっても試練が続く。2人のスタッフは相次いで結婚し休業、子どもを産んで復帰するなどリレーのように江里さんを支え続ける。
若いスタッフが、訪問看護の専門家から意見を言われると臆してしまうシーン場面に注目した。上司である江里さんの母は、日常を支えているスタッフとして自信を持つように諭す。このように江里さんの日常は、様々な専門家の、その人にしかできないスキルが緻密に組み合わさって成り立っている。そのなかでも日常を支える介護スタッフは、江里さんと一人の人として接する意味で決して専門性が劣るものではない。スタッフが江里さんの表情を伺うように顔を覗き込む場面が美しかった。
画家になりたい、ハワイにもう一度行きたいといった江里さんの意思表示が、ナレーションで言い切られるほど確かなものなのか少し疑問も残った。しかし、重い手術を乗り切るためには本人の経験の豊かさがなくてはならなかったと解説されていたように、生きていく力をつなげるためにも、人にとっての趣味や就業などの可能性を開き続けなくてはならない。人はそれぞれが、「みんな」に支えられていることを思い出させる映画だ。
世界の誕生
生まれながらにしていわゆる人並みの事が成長しても出来ない状態にある子をもつ親がどのような人生を選択するのか。どのように生きていくのか…。江里さんの存在が人をうごかし意思決定させる。周りの世界が動き出す。適切なケアがなければ死に至ってしまう状態の江里さんを支える母とケアスタッフ皆が成長していく。江里さんも好きな絵を描き、リサイクルショップで働くことにも挑戦し新しい世界が出来ていく。小学校時代の担任の先生は障害をもつ江里さんを中心に教室を動かすという考えを実践し恐らく健常者だけでは思いもよらない助け合い共に生きる幸せの感情が幼少期のそのクラスの生徒たちには生まれただろう。このこと一つとっても江里さんの存在から新しい世界が生まれたのである。
「指談」という指を使った意思伝達方法があることをこの作品ではじめて知った。
重い障害者は誤解されることも多いと思うが、言葉を発せられなかったり、表情で気持ちをうまく表現できなかったりしても頭脳は明晰であることもあるわけだ。映画後半であるように江里さんも「指談」で意思疎通できるのである。このあたり江里さんの障害や彼女の内的な部分をもっと知りたい。画家になりたいほど好きな絵に対する気持ちのことももう少し知りたかった。
上映後、寺田監督と対談したコミュニケーションを専門とする先生は観るほどにコミュニケーションの映画だとそんな話をしていたがその分野の先生からみるとそう見えるのかなと思う。ただ死亡率の高いという重い障害の子を支えて生きていくことが描かれたこの作品は何かもっと深い人間のありようのようなものを内含している気がしてならない。
「生きることの意味を問うのをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」E・フランクル(池田香代子訳)の言葉を思い出す。
この作品を観て江里さんと母、ケアスタッフの皆とももう他人ではない気がした。
寺田監督も30年前より一段と「輝き!」を放っていた。
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