「軍事政権下の言論統制は、文民化されてもなお、その全貌を語れていない」アイム・スティル・ヒア Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
軍事政権下の言論統制は、文民化されてもなお、その全貌を語れていない
2025.8.12 字幕 アップリンク京都
2024年のフランス&ブラジル合作の映画(137分、PG12)
原作はマルセロ・ルーベンス・パイヴァ執筆の伝記小説『Ainda Estou Aqui』
1970年代のブラジル軍事政権下における父親の理由なき拉致に向き合った妻とその家族を描いたヒューマンドラマ
監督はウォルター・サレス
脚本はムリロ・ハウザー&ヘイター・ロレガ
原題の『Ainda Estou Aqui』、英題の『I‘m Still Here』はともに「私はまだここにいる」という意味
物語の舞台は、1970年のブラジル・リオデジャネイロ
1964年に樹立されたカステロ・ブランコ大統領による軍事政権とその後のエミリオ政権は、共産党の暗躍に対してナーバスになっていて、ブラジル諜報機関のDOI-CODOによって言論統制が行われていた
そんな中、元議員のエンジニアであるルーベンス・パイヴァ(セルトン・メロ)は、友人の銀行家ボカ(Dan Stulbach)、ラウル(Daniel Dantas)、ガスパ(Charles Fricks)らとともに、共産党圏からの手紙などを秘密裏に送り届けていた
妻のエウニセ(フェルナンダ・トーレス、老齢期:フェルナンダ・モンテネグロ)は詳細を聞くこともなく、子どもたちの世話に終始していた
2人には大学入学を控えたヴェロカ(ヴァレンチノ・ヘルツァジ、成人期:マリア・マエノラ)、中学生のエリアナ(ルイザ・コソフスキ、成人期:マルジェリエ・エスチアーノ)とナル(バーバラ・ルズ、成人期:Gabriela Carneiro da Cunha)、小学生のバビウ(Cora Mora、成人期:Olivia Toress)の4人の娘と、小学生の男の子マルセロ(Guiherme Silveria、成人期:Antonio Soboia)がいた
海辺の街に住む彼らは、ビーチでサッカーをしたり、バレーボールをしたりして楽しみ、家事手伝いのマリア・ゼゼ(Pri Helena)とともに楽しい時を過ごしていた
ある日のこと、軍部の命令によってルーベンスは事情聴取を受けることになり、シュナイダー(Luiz Bertazzo)という諜報機関の男が家に居座って監視することになった
さらに別の日には、エウニセとエリアナもDOI-CODIの諜報部の地下室に連行されてしまう
尋問官たちは執拗に「ルーベンスと関わりのある人物をこのファイルから教えろ」と迫り、その監禁は12日間にも及んでいた
物語は、軍部による不当な逮捕と拷問に晒されたパイヴァ一家を描き、夫の情報が皆無の中で奔走するエウニセを描いていく
知り合いのジャーナリスト・フェリックス(Humberto Carrao)を通じて諸外国のメディアに窮状を訴えたり、弁護士のリノ(Thelmo Fernandes)を頼って司法的に働きかけを見せていく
だが、政府は頑なに強硬姿勢を貫き、そして夫の死と言うものが伝聞で伝わるようになってしまう
また、エウニセは夫名義の預金を引き出せないまま、生活は困窮を極めていく
そして、建設予定だった新居の土地を売り払い、実家のサンパウロへと引っ越すことになったのである
映画は、マルセロが執筆した自伝をベースに組み立てられていて、マルセロはとある水難事故(映画では割愛)によって脊髄を痛めて車椅子生活を余儀なくされていた
その事故を機に作家となり、数々の著作を残す中で、家族の物語を紡いでいる
2015年に執筆された原作は、劇中でも死亡証明書が発行されるに至った2014年の出来事の後に描かれている
これは、20年程度続いた軍事政権の精算の最中で情報開示がされたもので、それによってルーベンスの死亡というものが確定されている
だが、彼の遺体は見つからないまま時を過ぎ、現代パートにあたる2014年の段階でも見つかっていない
ラストシークエンスは認知症を患ったエウニセが当事放送された軍事政権の検証番組に反応する様子を描いていて、そんな母親を印象的な目で見ているマルセロが映し出されていく
この出来事によって彼が執筆を決断したのかはわからないが、彼が作家生活を始めたのが1982年なので、それから随分と時間が経っていることになる
エウニセ自身は2018年に亡くなっているのだが、おそらくは外部の刺激に反応した最後の瞬間であり、それが原作執筆のトリガーになっているのかな、と感じた
いずれにせよ、当時の情勢にあまり詳しくなくてもついていける内容で、1964年に軍事クーデターが起きて、その政権下にあることさえわかればOKだと思う
その後、ルーベンスの死亡が確定するのが1995年ぐらいになっていて、それを勝ち取ることがいかに困難な時代であったかが伺い知れる
結局のところ、2014年のラストシーンでもいまだに遺体は見つかっていないと報じられていて、そのニュースに反応するエウニセが描かれるのだが、それが世界を認知できた最後の出来事だったのだろう
そう言った意味において、エウニセの魂はまだ「ここにある」と言えるのかな、と感じた