アイム・スティル・ヒアのレビュー・感想・評価
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人間社会の罪深い過ちを忘れないために
この物語は、家族の実体験を記したマルセロ・ルーベンス・パイヴァの回想録に基づくものだ。ウォルター・サレス監督は14歳の頃この家族と親交があり、週末毎に彼らの家を訪れていたという。序盤の明るく解放的なパイヴァ家の日常の姿は、監督の記憶に刻まれた風景でもあるのかもしれない。
主役は一家の母であるエウニセだ。夫のルーベンスが行方不明になってからの彼女の経歴には、生半可でない意志の強さを感じる。5人の子供を抱えながら、43歳で大学の法学部に再入学し司法試験に合格。弁護士としての一般的な業務の他に、先住民族の権利擁護や環境保護にも献身的に取り組んでいる。
このようなエウニセの夫失踪後の人生だけでも十分映画になりそうだが、本作ではそこはばっさりと省かれている。四半世紀の長きにわたり連れ去られ殺された事実さえ隠され、国家から存在を消し去られていたルーベンス。愛する夫を、父親を、ある日突然そのような形で奪われることの残酷さと理不尽さに焦点が当てられる。
平和なパイヴァ家の姿やルーベンスの人となりが最初に細やかに描かれたからこそ、それらが全て失われることの痛みがよく伝わってきた。
だが、エウニセは強い。夫が帰ってこず、軍関係者と思しき男たちがずかずかと家に上がり込んで居座ったのに、冷静に彼らの食事の気遣いまでして見せた。ここで取り乱せば、男たちをさらに警戒させてしまう。夫不在の中、彼女はひとりで子供たちを守らねばならないのだ。
やがて彼女も娘と共に拘束され、長期間(パンフレットによると12日間)の厳しい尋問を受ける。ようやく解放され、帰宅したエウニセは子供たちの前では再会を喜びこそすれ、不安に屈する姿を決して見せない。父親についてのネガティブな言葉は、ラジオのニュースに至るまで子供たちには触れさせまいとする。子供たちの心と、ルーベンスがいなくなる前のあの家庭の明るさを、エウニセは守りたかったのかもしれない。
気丈な振る舞いをほとんど崩さなかった彼女だが、そうせざるを得ない彼女の緊張感や苦しさもひしひしと伝わってきた。
それでも、働き手がいなくなった彼らの生活は経済的な困窮により否応なく変質してゆく。まず家政婦の給料が払えなくなり、やがて生活費も苦しくなって新居を建てようとしていた土地を売り払い、親戚のいるリオデジャネイロに転居することになる。子供たちの、恋人や友人との別れが切ない(マルセロが別れを告げた友人たちの中に、幼い日のサレス監督もいたのだろうか?)。ルーベンスがいれば起こらなかったであろう環境の変化に翻弄される彼らを見て、改めて軍の横暴に怒りを覚えた。
誰かが暴力の犠牲になる時、被害は当事者にとどまらない。本人に関わる多くの人もまた、人生が大きく変わるほどの影響を受ける。
それはあってはならないことだが、自分の身にそのような受難があった時、心まで屈することのないようにすることも難しいが大切なことなのだなと思った。成長したエウニセの子供たちが皆明るかったのは、彼女のそうした心の闘いの成果なのだという気がした。20歳の時の事故で頚椎を損傷しながらも作家として成功し明るく生きるマルセロにも、母親の薫陶が感じられた。
2014年の認知症を患ったエウニセを演じたのはフェルナンダ・モンテネグロ。サレス監督の「セントラル・ステーション」でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた名優で、エウニセ役のフェルナンダ・トーレスの実母だ。血の繋がりがあるだけに老いたエウニセとして自然な容貌だったのもよかったが、何よりも目の表情だけでエウニセの感情が蘇るさまを雄弁に表現したその演技力にうなった。
実際のエウニセは、最晩年認知症が進んでからは何を聞かれても「そうね」としか答えなくなったが、感情が高ぶった時にはこう言ったという。
「私はまだここにいる」
夫がいなくなった後の人生を精一杯闘い、平和で温かい家庭を守り抜いた彼女だが、かつての心の傷が癒えたわけではない。病により、それを語ることがなくなっても。
図らずもこの言葉は、軍事政権の蛮行への反省が不十分な現代のブラジルや、ひいては歩み寄りを忘れた世界の様々な対立軸への警鐘にも聞こえるのだ。
夫を、父を国家的暴力に奪われた家族の記憶を語り継ぐ志が、右傾化する世界へのカウンターになる
のちにブラジルを代表する映画監督になるウォルター・サレスが十代半ばで、「アイム・スティル・ヒア」で描かれるパイヴァ一家と出会い、知識人らが出入りし政治や音楽について自由に語り合うパイヴァ家をたびたび訪れていたという。子供たち5人のうち唯一の男児であるマルセロが後年作家となり、認知症の進行が始まった老母エウニセの記憶を語り継ぐため著した回想録を出版。これに基づきサレス監督が映画化したのが本作だ。監督によると原作自体がエウニセの視点で書かれたといい、映画もおおむね彼女の視点に立つが、息子マルセロの視点も控えめながら混じっていることを意識して鑑賞すると、見える景色が少し変わるはず。
パイヴァ家の大黒柱だった元議員ルーベンスが軍事政権下で不当に連行され行方不明に。絶対に夫を取り戻すというエウニセの不屈の精神と、怒りや不安や悲しみを内に秘めつつ子供らを守り育てる強い母親としての生きざまを体現した、フェルナンダ・トーレスの抑制された熱演が映画を牽引する。この事件を取材しに来た記者とカメラマンから記事に載せる写真を撮影する前に「もっと悲しそうに」と指示されるが、にこやかに拒否し、子供たちに「笑って!」と呼びかける気丈さが胸を打つ。
息子のマルセロは、劇中では成人後に車椅子を使っている姿で描かれるが、20歳の時に湖に飛び込んだ際に脊椎を骨折し、後遺症で下半身不随になった。ラストの家族の集合写真を撮るシーンで、認知症が進んだ老エウニセ(フェルナンダ・トーレスの実母で、サレス監督の代表作「セントラル・ステーション」で主演したフェルナンダ・モンテネグロが演じる)と、マルセロが2人とも車椅子に座った相似形で並ぶ。車椅子使いになった理由は異なるが、図らずも母子で似た姿になったことが、ちょっと哀しくて切ない。
エンドクレジット前の文で、政府がルーベンス殺害を認め、2014年に軍人5人が起訴されたが、いまだに逮捕も処罰もされていないと説明する。サレス監督はインタビューで、極右が台頭している昨今だからこそ、軍政期の国家的暴力を語り継ぎ、同じ過ちを繰り返さないようにする作品の必要性が増しているという趣旨の発言をしている。それはブラジルに限った話ではないし、右傾化する今の世界だからこそ、「アイム・スティル・ヒア」のような映画がカウンター、対抗手段として有効なのだと信じたい。
サレスならではの筆致で描く、人生の歩みを止めない物語
サレスの監督作はいつもゆったりと観客を招き入れ、おおらかに包み込む。代表作の幾つかはロードムービーとして知られるが、しかしそうでなくとも、例えば「ダーク・ウォーター」という一つの場所を舞台にした作品でさえ、そこに至るまでの母娘の長い彷徨を感じさせる。いわばサレス作品は動こうと動くまいと、心と場所の距離移動を大切に謳った物語と言えるのだろう。その点、久々の今作では、独裁政権下で夫を強制連行された妻と子供らの数十年の歳月が織り成される。リオ育ちのサレスは幼少期に彼ら一家と親交があったそうで、まさにこの物語は彼にしか具現化し得なかったものだ。当時の緊張と恐怖、悲しみや怒りに押し潰されることなく、ヒロインは意志と気高さを持って人生を歩む。その生き様は確実に子供たちへと受け継がれている。この母娘、継承というテーマは配役からも窺え、私は久々に「セントラル・ステーション」の懐かしさを思い切り噛み締めた。
家族の平穏を無惨にも奪われた専業主婦が変容していく
革命家、チェ・ゲバラの青春時代にフォーカスした『モーターサイクル・ダイアリーズ』((04年)や、1950年代のビート・ジェネレーションを代表する作家、ジャック・ケルアックの自伝的小説を映画化した『オン・ザ・ロード』('12年)等で、ロードムービーの達人と言われてきたウォルサー・サレス監督。ブラジルに生まれ、外交官の父と共にフランスとアメリカを行き来して育った彼が、ロードムービー、つまり旅する映画にシンパシーを感じるのは必然なのかもしれない。
同時に、15歳でブラジルに帰国したサレスが離れて暮らしていた母国をテーマに映画を作るのも、また、必然。離れていたからこそ見えてくる真実や独特の距離感が、作品に深みと客観性をもたらすこともあるからだ。『モーターサイクル~』はその2つの要素が合体した傑作だと思うし、本作『アイム・スティル・ヒア』は軍事独裁政権下のブラジルに生きた実在の家族に密着して、平和なコミュニティが少しずつ破壊されていくプロセスを計算し尽くされた演出で見せていく。冒頭で描かれる家族の風景が平穏であればあるほど、その後にやって来る暴力の足音が覚悟はしていても、身に沁みて恐ろしいからだ。
元下院議員だった夫が政権に批判的だったことから、ある日突然、軍によって連行される。本作は、残された妻が平凡なハウスワイフから闘う女性へと否応なしに変容していく姿を通して、国家的弾圧にも負けない個人の強さを描いている。妻とは、母とはいかに強靭であるかというパワフルなメッセージだ。
サレスが最後に仕掛けた過去作との見事なリンクに思わず膝を叩く映画ファンがいるに違いない。筆者もその鮮やかさ、旨さにニヤッとしてしまった。
ブラジル現代史
ここにいるよ!
ある日突然、元議員の夫・ルーベンス(セルトン・メロ)が軍に連行され、後に妻・エウニセ(フェルナンダ・トーレス)も顔に袋を被され拘束された。反体制派に対しての取り調べに対し身に覚えが無いエウニセは強い反発を覚えると同時に、一体いつ迄、何も知らせられないままこの状態が続くのか、果たして夫は無事なのか、気の遠くなる様な日々を送っていた。そして拘束が解けた日、真っ先に子供達の無事を確認した後に、体にこびり着いた垢を綺麗に落とし、清潔なベッドで安堵し深い眠りに就いた。
夫の消息は分からないまま1971年、故郷のサンパウロに移住を決め、大学に戻り仕事を始めたエウニセは、48歳で法学位を取得しブラジル政府と世界銀行、国連の顧問に就任した。5人の育ち盛りの子供達と共に決して諦める事無く軍事政権の犯罪に対し異論を唱え続けた。
移住から25年後の1996年、夫ルーベンスの死亡が遂に認められた。リオデジャネイロ第1軍管区が1971年に殺害した事を認めたが、2014年には5人の軍人が起訴されたにも拘らず未だに何の罰も与えられ無いまま。
強制失踪は最も残酷な行為の一つ。
21年間に及ぶ軍事政権時代、多くの犯罪が行われ2万人以上の犠牲者の中で、今も数百万人が行方不明。真相究明委員会1200人以上の軍人と被害者から証言を得ている。
母エウニセは15年間、認知症を患い2018年89歳でこの世を去った。
家族全員が揃うパーティーでもほぼ無表情だったエウニセ(フェルナンダ・モンテネグロ)も夫のニュースの時は何か言いたげになり、沢山の子供や孫に囲まれた最後の家族写真は、微かではあるが何時ものような笑みが溢れた。
マルセロ・パイヴァ(息子)の回顧録に基づく。
加筆しました。
暗いブラジル
当時の時代状況を徹底的に再現した執念が、国家権力によって一市民の存在が抹消される恐ろしさに一層の現実感を与えている一作
秘密警察を擁する独裁的な国家が国民の生殺与奪をほしいままにする恐ろしさは、『死と処女』(1994)や近作の『シンプル・アクシデント 偶然』(2026)など多くの作品が描いてきましたが、本作はそんな権力の恐ろしさに屈することなく闘い続けた実在の女性を描いています。
驚くべきは当時のブラジルの社会状況に対する徹底した時代考証で、その検証は登場する群衆の小物にまで及んでいるとのこと。しかし単に歴史に忠実に再現しているだけでなく、例えばラジオから流れる音楽などは、場合によってはあえて別の年代の楽曲を配しているそうです。これらは本作が、作中にも登場するマルセロ・ルーベンス・パイバの原作を下敷きにするとともに、パイバ家と交流のあったウォルター・サレス監督の回想も要素として入っていることも関係しているかも。つまり客観的事実の蓄積だけでなく、サレス監督の心象風景も込みでの作品、ではないかと。
夫ルーベンス(セルトン・メロ)が連行され、自身も連行・拷問されたにも関わらず、夫の安否を確認するために戦い続けたエウニセ(フェルナンダ・トーレス/フェルナンダ・モンテネグロ)の姿には力強さを感じますが、やはり本作は一貫して家族の物語。家族として当たり前の幸せを享受できなかった無念の想いは、一見穏やかな結末にも痛切な余韻を残しています。
ブラジルは1970年代以降、軍事独裁政権から民主国家へと立ち直ることができたように思えたのですが、2000年代に入って再びかつての軍政に回帰しようとする動きが活発化しています。そうした状況に対する危機感も、本作の背景にありそう。
奇跡的な運命の軌跡
色んなピースが偶然にも引き寄せられて、この映画の完成へと全てが繋がっていく
運命なのか、神や仏の思し召しなのか・・・
これは、遠い過去の物語ではない
これは、遠い他国だけの出来事ではない
これは、洗脳されたごく一部の団体の見過ごして良い内容ではない
「絶対安定多数」を掴んだ某国の近未来の話でもある
政権の闇の基準で勝手にYoutubeがチャンネルごとバンされ、
明らかに言論が統制・封鎖され続けても、
多くの国民は見て見ぬ振りをしている、今現在のこの国のことである
いえ、この映画よりももっと悲惨な結果が待ち受けている気がしてならない
それらを考えると・・・
まさに今、出来るべくして出来た作品だとも言える
今一度日本人が、洞察すべき映画で
激変する世界への警告でもあるのかも知れない
写真でたどる家族の物語
「国家権力による暴力と翻弄された家族の物語」なのだが、政治よりも家族にフォーカスした作品だった。そして、この家族を描く重要なアイテムとして、写真とフィルム映像があった。
1970年代のブラジルの政治情勢はよく知らないので、どのような市民弾圧が行われていたのかはわからない。作品中でもその点はあまり詳しく描かれていない。むしろ、核心に直接切り込むのではなく、残された家族、そして父と過ごした日々の記憶と記録を描くことで、婉曲的に政治的メッセージを伝えようとしているように感じた。
父と共に在った日々が妻にとって、子供達にとって忘れ得ぬものであることが写真やフィルム映像を通じて伝えられる。そして、そこに映る家族は皆、笑顔である。打ちひしがれる姿や涙に暮れる姿はない。この溢れる笑顔が、この家族を襲った悲劇を間接的に伝えてくる。そして家族が力強く、今を生きていることを知らせてくれる。
どんなことがあっても、写真に映るときは笑顔で・・・。
全編にわたって、妻のエウニセの静かな強さが滲み出る。そして、この母の下で育った子供達もまた、芯の強い大人に成長しているようだ。
かつて自分の父が、家族写真をつなぎ合わせたVHSビデオを編集していたことを思い出した。何本かあったはずだが、あのビデオはまだ残っているのだろうか・・・。
私たちは、ここにいる。
どの国にも暗黒の政治の歴史がある。
戦前戦時中の日本の軍国主義。1970年代~1980年代の韓国の民主化までの道程。
ヒトラーとナチス政権下のドイツ。ファシズム吹き荒れたイタリア。
渦中のイラン。宗教・政治・紛争続く中東。
軍事力を以て攻撃したアメリカも今、民主主義や善悪を問われる。君臨する独裁者は何を世界に求めるのか…?
挙げたらキリがない。どの国にも…と言ったが、全ての国にある。
そこからその国は、何を教訓とし、どう向き合ったか。
本作で描かれるのは、1970年代、軍事政権下のブラジルで起きた実際の事件…。
こういう実在の事件や政治・歴史絡みは馴染みなければなかなかに小難しい。
しかし本作は、概要だけ見れば山田洋次監督の『母べえ』と似通っている。
夫が突然政治犯として軍に不当に連行・逮捕。残された妻や家族たちは…。
決定的に違うのは、妻の姿。『母べえ』では吉永小百合様が悲壮感たっぷりに演じるが、本作のエウニセは強く、逞しい。
そうでなくてはならないのだ。妻であり、5人の子供の母でもある。悲壮感に浸っていられない。
夫が連行逮捕され、聴取の為エウニセも数日拘束される。さすがにこの時は恐怖に戦く。
が、釈放され、身体の汚れや恐怖を洗い流してからは心機一転。
悲壮感に浸らない。泣き、叫び、喚き、怒り散らしたりもしない。
毅然とした態度で、軍の横暴と夫の行方を追う…。
本作の大黒柱とでも言うべきフェルナンダ・トーレスの熱演と存在感。
サプライズと言われたアカデミー主演女優賞ノミネートは妥当。作品自体も『エミリア・ペレス』より国際長編映画賞に相応しい。
軍や国家は国民一人一人の尊厳や人権、自由を守る為にある。
…いや私自身、理想事を言ってるのは分かる。でも、それを理想として、そうでなくて、どうするのだ?
軍や国家が横暴を振るう。それはもう、暴力や権力を通り越して、悪しき犯罪だ。
やがて明らかになった当時の軍事政権の悪行の数々。
犠牲になった人数に戦慄…。
その中の一人に…。
“それ”によって家族が奪われる。
犯罪権力にのさばる奴らに問いたい。
あなたたちにとって大事なのは権力か、国民一人一人か、と。
フェルナンダ・トーレスは『セントラル・ステーション』でブラジル人として初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされたフェルナンダ・モンテネグロの娘。母娘で中年期/老年期を演じる。
本作と『セントラル・ステーション』の監督はウォルター・サレス。
この関係性は日本で例えるなら、樹木希林&内田也哉子母娘が是枝裕和もしくは李相日の作品に出るような…?
監督にはもっと深い関係が。
ウォルター・サレスは当時、このパイヴァ家と親交あったという。
1956年生まれ。だから当時は一家の末っ子長男と同じくらい。
本作は回顧録の映画化。その回顧録を書いたのは、末っ子長男。
まだ当時幼かった末っ子(とウォルター・サレス)が見たものは…
不安定なブラジル国内。軍事政権の恐ろしさ。
家族の事。4人の姉たち。
突然居なくなった父の事。
そして、母は強し。
本来ならもっと、当時のブラジルの背景や軍事政権下になった経緯などにも触れないといけないかもしれないが、Wikipediaなどで調べてみてもちょっとやはり小難しい…。
なので割愛させて頂いて、そもそも本作自体も家族視点の話なので、その視点からの簡素レビューとさせて頂きました。
冒頭、リオデジャネイロの海岸近くの邸宅で暮らしていた平穏だったあの頃…。あの日々はもう二度と戻らない。
子供たちの為にその後はサンパウロへ。
やがて平穏な日々を取り戻し、国も変わり、夫の死亡証明書を受け取り、真相も知る…。
これで一件落着か…?
な訳ない!
家族を奪われた悲しみは一生。
それを心に秘め忘れず、残された家族は生きていく。
私たちは、ここにいる。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 極めて政治的なテーマを徹頭徹尾一家族の視点から描いた佳作。何が起こっているのか分からない不安感・緊張感を家族と共に追体験するような没入感。
➀冒頭部分の一家の何気ないけれども幸せな日々を描写した第一部。
②本作の中核となる、父親が突然連行されてからの母親と子ども達の、何が起きているのか分からないと不安恐怖、父親がいつ帰っってくるのか⇒果たして帰ってくるのか⇒もう帰って来ないのではないか、との煩悶を描いた第2部。
③夫の連行・行方不明(実際は殺されていた)を契機に人権活動家となった母親の姿と真実の発覚、そして再び幸せな家族の姿を描写した第3部。
強い強い意志を持った女性
ブラジルの名匠ウォルター・サレス監督のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞作品。
1970年代の軍事政権下のブラジルで実際に起きた元議員の連行、拷問、
そして死に対する残された妻と5人の子の葛藤や強い気持ちを描いたもの。
理不尽な政権の行いに抗いながら家族を守る強い意志を持ったひとりの女性。
その女性をフェルナンダ・トーレスがアカデミー賞主演女優賞にノミネート
されるほどの素晴らしい演技力で心をしっかりと掴まれました。
ホントに強い強い意志を持った女性だったんですね。
生涯を懸けて夫の存在を探して子ども達も立派に大人に育て上げました。
このウォルター・サレス監督の作品「セントラル・ステーション」の主演女優の娘が
フェルナンダ・トーレスだなんて何かもう凄すぎて感傷にしたります。
軍事政権の怖さより、悲しみと希望の余韻が強い物語
軍事政権下の非人道的な権力の行為がブラジルの市民に50年にも及ぶトラウマを残した。
そういう生々しい独裁軍事政権の恐ろしさは描かれている。だけど、それより夫であり子供たちの父親であるルーベンスが不条理に家庭からいなくなった家族がそれでも気丈に正しく生きていく、その生き様が心に残る。
監督は権力の恐ろしさより、権力に屈しなかった家族の正しい生き様の方を描きたかったのだろうか。報道記者が家族に取材に来た時、写真撮影で母のエウニセと五人の子供たちは笑顔で写真に写る。確かにルーベンスは軍に理不尽に拉致されてもう二度と再会することはなかったけれど、残された家族は武器もないのに独裁軍事政権に精神的に勝った。
だからここで悲しい顔はしないで笑顔で正解なのだと思う。89歳になって認知症気味のエウニセが、テレビのニュースで夫の写真を見て涙を流す場面はやはり感動する。確かに家族はルーベンスのことを永遠に忘れなかったのだから。
家族の長とは。そして妻とは。
軍事政権下のブラジルで実際に起きた家族の物語を描いた政治ドラマ。突然父親が警察に連れ去れられ以降戻って来なかった。実際は拷問され亡くなった。残された家族の目線(妻)で悲劇を描く。時間だけが癒しをくれる。
それでも妻はどこにいてもどんな時間でも、夫を忘れてた事はないのだろう。
とてもやりきらない。無実かも知れないのに拷問の上殺してしまう政府に責任を取るものはいないのだろう。
やっぱ、リアルな感情を、ちゃんと伝えてくれる映画って、いいよね!
ブラジルでは、そういうことが、実際に起こっていた時代。
かの1970年代、イギリスでは、グラムロックで、日本はバブル前夜的な?当時は、ブラジルまで、ジョン・レノンの平和活動が、影響していたようだ。
よくよく考えると、この家族には、とんでもないことが起こっている。でも、大げさでドラマチックな空気にはならない。怒りや悲しみも、過剰にアピールされたりもしない。お母さんの感情の糸が切れてしまうのは、むしろワンちゃんが死んだときで、あとは、ひたすら耐えていて、そこに、絶対に曲げたくない信念みたいなものを感じさせる作りだ。
なんだろう、家族映画って、難しいよね。愛とか憎しみとか、崇高っぽい強い絆とか、血みどろの争いとか、時代の荒波にもまれるとか、観客のためのちゃんとしたテンプレとかありそう、感動させたいとか、泣かせたといか、ある意味押しつけのような?映画のシナリオ教室向けのテクみたいな?
そういう枠からは、少し外れている自然な感じが、この作品にはあったよね、演出や俳優さんたちがうまいのかな?タイトルの意味を、観終わってからも、考えさせてくれるとこもいいよね。
この家族の厳格な?ルールは、たったひとつ、集合写真では笑うこと。カメラマンからクレームが来ても、笑顔!そのへんの描き方が秀逸だよね、お母さんのまったくブレない生きざまが、よくわかった!たった一回だけど、お母さんがあくまでも無表情でカメラに向き合う。もちろん事情があるのだけど、そこは、ダメ押しでやられたって感じがした。やっぱ、怒っているのかなって?違うんだけどね、
信念を貫き通すこと、家族を守ること、家族に守られること、それらがいいバランスで成立していたね!!!それから、あのコート、私も欲しいな!!!
それでも、わたしは逃げない‼️
冒頭は1971~1972年の話しから、始まります。
楽しげに海辺で遊ぶ5人の子供と、その父親と母親。
その平和な日常が、突然の得体の知れない男たちにより、一家の父親ルーベスが
連れ去られます。
男たちは、逮捕?拘束?その理由を全く言わない。
●この映画は母親エウニセ(フェルナンダ・トーレス)の視点を通して
描かれています。
だから“何がどうなって““夫はなぜ連れ去られたか?“
何も分からない視点なので、かなり説明不足だし、時間経過も
定かではありませ。
☆夫は以前の政権の議員で要職にあった。
☆妻にも秘密の地下組織への活動があるらしい、
そのくらいしか妻には分かりません。
●そうこうしているうちに、家のそばには2〜3台の車が停車していて、
家族の行動を監視している。
◆突然、お母さん(エウニセ)と次女(15歳)が監視者に連れ去られる。
♪
♪
ここからが怖かったです。
車に乗せられ施設に着くと、お母さんは黒い頭巾を被されて連行される。
尋問室では、質問は一切禁止!!
夫はどこ?
生きているの?
ただただ、あちこちから拷問らしき悲鳴がきこえてくる、、
一番怖いのは頭巾を被されて暗い狭い部屋に放置される。
着替えも出来ない。
★そして通路を水を流して掃除している姿を目撃する。
(嫌でも、血液や汚物を洗い流してると想像がつく)
お母さんの心配事は別々にされた次女のこと。
この極限状態でもお母さんは負けない。
しかし程なくお母さんは釈放されます。
次女も帰っていました。
この家には5人の子供がいます。
上から女・女・女・男・女の5人。
四番目の男の子でその時小学校低学年だったマルセル。
★マルセルがのちに母から聞いた話を出版したノンフィクションが
この映画の原作になっています。
★監督のウォルター・サレスは、子供の頃、このリオデジャネイロにあった
この一家の家に一度訪れたことがあるそうで、マルセルとは同学年でした。
お父さんが行方不明になり、生活は貧しくなり、一家は転居。
それをきっかけにお母さんは法科大学に入り弁護士の資格を取ります。
そして政府(独裁軍事政権)と真っ向から戦う人権弁護士になります。
5人の子供たちも立派に成長。
◆◆印象的だったシーン。
❶夫の連行を見送るお母さんのこめかみの青スジ。
❷行方不明者の家族として雑誌の取材を受けて、家族6人で記念撮影。
カメラマンは笑い合う家族に「もっと悲しそうな顔で!!」と注文するが、
一家は互いにケラケラ笑い合う《逞しさ》
❸お父さんの死亡証明書を受け取った家族が、喜び合うシーン。
(それほどに辛く長い日々だったのですね)
【締めくくり】
お母さん役のフェルナンダ・トーレスさんの実に冷静でありながら、
毅然とした表情にあらゆる感情(圧政への怒り、憤り、不安)を、
言葉としてではなく表情や仕草で演じて実に見事です。
ゴールデングローブ賞主演女優賞も納得の演技でした。
軍事政権の圧政に立ち向かい一歩も引かない女性を演じて
素晴らしかったです。
軍事政権の抑圧・弾圧そして粛清を描く映画は数多いです。
嘗てのスペイン、ポーランド、中国・・・などなど。
この映画は一人の普通一家の女性の半生を通して一家族の悲しみを
描いていること
イデオロギーの違いで抹殺された人々の現実に、
恐怖と激しい怒りを覚える傑作でした。
【”1970年と2014年の二枚の笑顔の家族写真。”今作は軍事独裁政権下のブラジルで突然、夫を連行された妻と父を失った子供達の長きに亘る戦いを描いた実録ドラマである。】
■元国会議員のルーベンス・パイパの妻、エニウセ(フェルナンダ・トーレス)。夫と5人の子供とリオデジャネイロで暮らす彼女は、軍事独裁政権下に有っても自由な精神を忘れずに、友人や家族と楽しむ時間を大切にする生活を送っていた。
しかし、1971年のある日、突然ルーベンが軍部に連行され、消息を絶つのである。
その時から、エニウセの25年にも及ぶ、目に見えないモノとの戦いが始まるのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・エンドロールで映し出される、実際のルーベンス・パイパ一家の写真から明らかなように、今作は実話である。
それが、よりこの物語に深みを与えているのは、間違いがないであろう。
パイパ一家が、ビーチで寛ぎながら家族写真を撮る際には”笑顔で!”とルーベンスは家族に告げて、笑顔の家族写真が残るのである。
・エニウセが自らも軍の施設に連行されながら、長い勾留から解放された時に、穢れを洗い流すかのように、シャワーを浴びるシーンが彼女の、傷ついた心を物語っている。
・彼女は、何も状況が進展しない中でも、子供達のために生活を前に進めるべく、母親業をこなす姿をフェルナンダ・トーレスが、抑制した演技で見せてくれるのである。
・時が流れる中、彼女はリオデジャネイロからサンパウロへの移住を決意するのである。彼女の中で、夫の生存を諦め家族の為の生活を選択するシーンだと思う。それにしてもエニウセの精神的な強さは感動的ですらある。
■25年後のサンパウロ。エニウセは弁護士として名を成し、到頭、民主化された政府から夫、ルーベンスの死亡証明書を手に入れるのである。
そして彼女は、夜に一人、且つての笑顔の家族写真が貼ってあるアルバムを懐かしそうに見ながら、家族写真のあと、ずっと空白であったアルバムにルーベンスの死亡証明書を貼るのである。
・更に時は過ぎ、2014年。子供達も多数の子供がいる。老いたエニウセ(フェルナンダ・トーレスの母で、名女優フェルナンダ・モンテネグロ)は認知症を患っているが、TVに映された夫のルーベンスの写真に反応をするシーンでは、強い夫婦愛を感じるのである。
そして、再び家族で撮る笑顔の家族写真。
このシーンは、ルーベンス・パイパ一家が軍事政権に屈せずに、主亡き後もエニウセの不撓不屈の頑張りで、更に”家族の木”を大きくした事を示すシーンなのである。
<今作は軍事独裁政権下のブラジルで突然、夫、父を連行された妻と子供達の長きに亘る戦いを描いた実録ドラマなのである。>
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