クィア QUEERのレビュー・感想・評価
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とてもひと言にまとめられないよ!
恋愛映画というより欲望映画だった!
冒頭は、美青年と出会ってテンション上がってる主人公リーと、自分がクイアである事をまだ受け入れられていない(多分)ユージーンの駆け引きで、
見ていて共感できる所もあり、普通に楽しんで見ていた。
しかしこの映画途中から様子がおかしい。
相手の心を本当に知りたい、というのは登場人物の心境として珍しくないものだと思うけど
そのために「南米のジャングルに行って、テレパシーが出来るようになると噂のヤヘとかいう植物をキメにいこう!」
という発想はぶっ飛んでいて面白かった。
(後からバロウズ本人の経験が元になってると知ってマジでビックリした)
そしてヤヘのガンギマリシーン。
同じバロウズ原作の映画「裸のランチ」が好きなので、何か変なものは見れるだろうと期待はしてたけど、
前半の雰囲気から全く違うところに連れていかれて良い意味で期待を裏切られる楽しさがあった。
他にも途中で出てくる女性のトルソーとか謎シーンも多い。
多分原作者の奥さんのイメージかな?と原作者と結びつけて考えてみたり、
主人公もかつてはユージーンのように自分がクイアだと気付いてそれを受け入れていく過程を経験したという事を示唆しているのかな?とか
色々と想像が掻き立てられて楽しい。
結局、人間の欲望はどうしようもないけど、
そのためにジタバタすると面白い事を沢山経験できるよ!
みたいな余韻なんだけど、これで合ってるんだろうか笑
個人的には、もっと分かりやすく感情的にワクワクしたり、新しい刺激があるような映画が好みだけど、
今回みたいに監督の想いや感性を思いっきり詰め込んで丁寧に作られている作品は、
鑑賞者の好みを超えて観る価値があると思った。
けっこうよかった
バロウズの本は何冊か買っているのだけど今に至るまで全然読んでない。『裸のランチ』は見た。主人公のリーが男を漁る様子が、非常にあさましく見ていられない。そんなかっこ悪さがもしかしたら同性愛のリアルなのだろうか。「彼はクイアだ」「いやクイアじゃない」などと語られるが、結局何がクイアなのかよく分からない。普通のゲイと何か違うのだろうか。同性愛の場面は興味がなく、見ていてきつい。毎日遊んで暮らしていて、やることしか考えてなくてそれはそれで苦しそうだ。
一方、バロウズは有名なヤク中で、ラリッている場面は楽しい。わざわざジャングルまで行ってラリる。
リーは自分本位のろくでもない人物で、しかしその果ての5年ぶりに訪れたメキシコのなんとも言えない寂寥感に心が苦しくなる。
ヤヘを求めて‼️
今作は「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督作品、ダニエル・クレイグ主演、タイトルは「クィア QUEER」‼️てっきり中年男性によるボーイズ・ラブを描いた作品かと思ってた‼️前半はメキシコシティを舞台にクレイグ扮するリーが、酒やヤクに浸りながら男を求め、やがて魅力的な青年ユージーンと出会い、一目で恋に落ち、リーの心はユージーンを強烈に渇望する。まるでヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」のアクティブ版、ハード版といった趣ですね‼️そしてリーはテレパシーを強めるという幻の薬草「ヤヘ」を探すため、ユージーンを誘い南米旅行へ。まるでアドベンチャー映画のように南米のジャングルを進み、「ヤヘ」を見つけてからは、「ヤヘ」に取り憑かれて幻覚を見るジャンキー映画のような展開へ‼️そしてラスト、老いたリーは静かに死を迎える・・・‼️別に主人公を殺さなくてもよかったと思うんですが、様々な要素が描かれてて、何を伝えたいのかイマイチ分からないところはありますね‼️ただ散らかっている印象を与えず、作品としてまとめ上げたグァダニーノ監督の演出は素晴らしいと思うし、ダニエル・クレイグの熱演も役者として一皮剥けた印象‼️
ルカ・グァダニーノ×ダニエル・クレイグの魅力全開
ダニエル・クレイグ演じるウィルアム・リーがクィアであり、
イケメンの若者ユージーンに恋焦がれ、その一挙手一投足が実に面白い。
ユージーンにアプローチするリーがニコニコニヤニヤしすぎていて
もはや笑えるが、うれしい気持ちはいやというほど観客に伝わるのだ。
後半ジャングルを探検する感じになり、
ややホラー描写とかありつつファンタジー化していくのは、
ルカ・グァダニーノらしいかなと思った。
リーの冒険目的は「テレパシー」能力を身につけて、
言葉にせずとも心と心でコミュニケーションがとれるようになることだが、
ユージーンの気持ちがハッキリわかるところはせつないし、悲しい。
こういう能力って必要ないよなと思うし、リーも思ったに違いない。
ラストもファンタジーに感じた。
リーはユージーンを殺したのか、それともファンタジーか、
実はユージーンはジャングルで亡くなったのではないか?とか
いろいろ妄想した。
老いたリーの回想であり妄想込みかもなぁとも。
それにしても、ダニエル・クレイグはカッコいいなとつくづく思う。
ダニエルの面白くもせつない演技を観るだけでも価値あり。
但し、ルカ・グァダニーノ節なので、好みは分かれると思う。
劇伴はすごくよかった👍
前半と後半で別の映画を観たよう
序盤は美しい映像と音楽、そして洗練された雰囲気に、ただ気持ちよく身をゆだねて観ていられた。今回はダイニングシアターでの鑑賞ということもあり、作中に登場する喫食シーンと自分の体験が重なって、五感でも映画世界を味わえたような、心地よい時間を得た。
物語が進行し、2人がジャングルへと分け入っていくにつれ、映画のトーンも大きく変わっていく。どこか幻想的で距離のあるまま進んでいた人間関係は、次第に緊張感と不穏さを増していく。
根拠なく、淡くも温かい終わり方を想像していたが、終わってみれば、「とらえどころのない若者を好きになってしまった、中年男性の悲しみ」が強く胸に残った。彼の想いは報われることはなく、ただ静かに滲み出して消えていく。その余韻がなんとも切ない。
Larghezza
「チャレンジャーズ」制作チームの最新作、スパイ任務から解放されたダニエル・クレイグの作品という事でどうなるんだろうと思いながら観ましたが、これはどういう事だ?と困惑しっぱなしの1本でした。
漫才師やコント師でいうところの幅を見せたかったのかな?ってくらいのトンチキっぷりで、そのトンチキっぷりが自分には合わなかったです。
純粋なトンチキと練られたトンチキとではやっぱモノが違います。
序盤からいきなり若い男にハァハァしているイケオジなルーが出てきて、こういう感じでハァハァしながらの作品なんだろうなーと腰を据えたんですが、中盤から突飛な展開に走り出し、終盤なんてファンタジーでいくところまでいってしまったんですが、全ておクスリという事で飲み込める不思議。
でも好みではないというか、今までの作品とのギャップを相まって原作込みでも自分の世界すぎない?となってしまいました。
章仕立てで区切られてはいるので、そのタイミングでここはこういう感じでいくんだなとはなるんですが、それでもガラッと変わると違和感しかないものです。
何回も終わりまっせみたいな雰囲気を醸し出しつつ、もうちょっとだけ続くんじゃをやるのでもう流石に勘弁してくれってくだりをくらいまくりました。
天丼もし続けると拒否反応がこんにちはしてきます。
エピローグゲロ長いです。
メイン2人筆頭に俳優陣が強かったのでなんとか観れたといった感じです。
くたびれてスケベェなダニエル・クレイグがとても良いですし、ツヤッツヤな若造のドリュー・スターキーもとても良かったです。
今作を観た翌日に川崎のチネチッタに行ったのでこの街並みはやっぱ好きだなーってなりました。
いつかのタイミングでチネチッタの現地に行ってみたいもんです。
鑑賞日 5/23
鑑賞時間 17:40〜19:55
原作気になる
グアダニーニョ監督作かつ題名がクィアということで期待して行ったら、とてもよかった。チャレンジャーズも攻めてたけど、なんかエッジというか、若い人達にも伝わるような斬新さを感じる(笑)。それなのに時代モノで、歳とった主人公で、しんみりさせるところもふんだんにあった。冒頭から主人公の切なさがぐいぐい伝わってきて、ほとんどかっこ悪いのに諦めずに人を求めてるのがわかって、見てて胸が苦しくなった…求められる若者のジーンはツンとしてて主人公がかわいそすぎた。というか、そもそも社会から嫌われて出会いも勘違いだったら攻撃されるかもしれなくて怖くてやっと通い合ったと思っても関係性のお手本も無くて愛し方がわからなくて更に薬物中毒で誰も付き合ってくれないというのは何重苦なんだろう(笑)。境遇も時代も全然違うけど、寂しさとか不自由さとか、そういうの辛いよねと共感できてよかった。
傲慢と切実さと幻想
なんとなく気になってふらっと見てみた1本
君の名前で僕を呼んで は画の美しさに見とれつつ眠ってしまったのだけど(ごめんなさい)こちらは宙に浮いた美しさを残しつつ刺激的で個人的にとっても面白かった!
序盤、綺麗な格好と裏腹に傲慢で老醜さすら感じるリーがものすごい清潔感と佇まいのユージーンに一目惚れするシーンでニルヴァーナのcome as you areが流れるのがアツい〜
ストレートに見えるユージーンが年の離れたリーの熱心な好意に若干距離を置きながら気まぐれに応える様子がまさに「冷たくて大きな魚」という感じで好きな表現だった。
とは言え年老いたゲイが美しい若者にハマる映画ってなんだか既視感があるなあ、、と思っていたら後半からどんどん予想外の展開になって目が離せなくなった😂
みっともないほど心身で繋がりたい気持ちが募ったリーが至ったドラッグを介したテレパシーという境地。
口数の少なくて冷ややかな時もあるユージーンの深部へ潜りたいにしてもそんな展開になるとは〜
前半のメキシコシティの街並み、中盤の南米の海辺の情緒ある風景、後半のがらっと変わった熱帯ジャングルの奥地、とそれぞれの景色に見応えがあって飽きずに見られました
トリップシーンもこれ薬やってないと撮れないでしょと思うような酩酊感で追体験をしているよう。この通常では意味の分からない時間を味わえただけですごい価値。
2人がまさに一体化したような濃厚な時間を過ごしながらも開いた扉に背を向けて帰ったのは、そういうことなんでしょう。
ユージーンのリーに対する気持ちも、束の間の旅も、精神体験も、一種の幻想であることは最初から分かっていたはず。
それでも心身の快楽と充足を求めた孤独なリーを見ていたら、幻想もそれ自体は夢ではあるけど事象として確かに在るものなのではないかと願ってしまった。
見る人は選ぶかもしれないけど、知らない心と時間と世界へトリップできた 見てよかった1本でした。
ウィリアム・バロウズの映画
章立てになっていて、第1章は若くない同性愛者の悲哀、というこの作品の宣伝通りの話。それが全体の軸ではあるのだが、そう思って観るとクローネンバーグの「裸のランチ」のような第3章から混乱するかもしれない。原作者であるウィリアム・バロウズについて、この映画のパンフレットででも知っておいた方が良いのかも。考えてみればこの監督は「サスペリア」の人でもあり、こういう映像になるのも不思議ではないか。
こういう映画の場合、主人公の相手役の魅力が大きな鍵を握っていると思うのだが、ちょっと若い時のキアヌ・リーブスみたいだった。93年生まれだから30歳超えているが少年のような時があり、ダニエル・クレイグと父・息子に見えるシーンがあったが。
ジェームズ・ボンドの時は渋さMAXだがこの作品では何とも言えないヨレヨレくたびれ感。もみあげがないとこうなるんだなー。
それより博士役のレスリー・マンヴィル!登場時、前のめりになった。
ヤンナルクィア
うわぁ〜
ダニエル・グレイグの衣装がずっと同じで、どんどんヨレヨレに。
最初はビシッとしてて、横山剣(クレイジーケンバンド)かと思ったんだけど。
ホテルからは嫌われる。
バスタオル以外は汚しちゃ駄目!
南米の旅のチャプターは面白かったけど、入門はしたくない。
胃袋翻転シーン。オオグソクムシみたいな節足類は何を表しているのかな?
ヤスデだかムカデのペンダント。
わかりやすいサインより、目だと思うんですよね。
池袋で観たから、となりの男が不気味に思えて怖かった。
酒と薬と欲、金
ハロウズ、原作者の自伝かぁ。
この方の脳内のトリップ感に連れて
いかれた感じ。
とても抽象的で奇想天外。
途中で何度も何を見させられている
のだろうかと、自問自答。
衣装やデザイン、音楽のチョイス
センスが良い。あの脚を絡めた画像も。
ドラッグ中毒のダニエルクレイヴも凄いけど
ドリュースターキの物静かな感じも魅力的。
『私はクィアではない』と自分に言い聞かせて
たのにユージーン青年と出会い理性が破滅する。
自分への葛藤と気持ちの揺れかたへの
持って行き方の映像と描き方が秀悦。
ダニエルクレイヴを選んだのもさすがだし
この変態中年の演技を観るだけでも価値がある。
不思議な脳内トリップを味わえる怪作。
開いた扉は、もう閉じない
こないだ鑑賞してきました🎬
リーを演じたダニエル・クレイグが、新境地を開いたという触れ込みに惹かれまして🤔
確かに刹那的な生き方をするリーを、リアルに表現していましたね😀
ユージーンから目が離せなくなる、酒と薬に溺れる男…しかしそれでもどこか魅力的に映るのは、演者の力量でしょうか。
ユージーンにはドリュー・スターキー🙂
確かに見目麗しい青年で、リーへの態度も気まぐれもいいとこ。
しかし南米への旅を受ける辺り、ある程度は本気だったのでしょうか。
彼は追われる方で、リーが追う方なのですが、この構図には妙な納得感がありました🤔
時々この映画は夢なのか現実なのか区別がつかないシーンがはさまれ、かつ説明もなしに進行していくので、私には難解で😰
評価が難しいところですが、確かにユージーンの謎めいた部分は気を引きますし、リーが薬を打つ一連のシーンは緊張感がありました。
なかなか象徴的な1本ですが、地頭が良い人ならなお楽しめると思います🫡
1950年代の「クィア」の意味を調べないと、ちょっと混乱してしまうかも
2025.5.12 字幕 MOVIX京都
2024年のイタリア&アメリカ合作の映画(137分、R15+)
原作はウィリアム・S・バロウズの小説『QUEER』
クィアを自認する男がある青年の本心を知るために共に旅行に連れ出す様子を描いた恋愛映画
監督はルカ・グァダニーノ
脚本はジャスティン・クリツケス
原題の『Queer』は、1950年代においては「異性愛者以外を指す蔑称」、現在は「LGBT」以外の性的自認のこと
物語の舞台は、1950年代のメキシコシティ
退役軍人で駐在員のウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)は、クィアが集うバーに入り浸っていた
同僚からは「すぐに寝ようとする」と距離を置かれていたが、リーは構うことなく、自分の生きたいように生きていた
ある日のこと、路上の闘鶏群衆の向こうに、凛々しい青年・ユージーン・アラートン(ドリュー・スターキー)を見つけたリーは、一瞬で心を奪われてしまった
親友のジョー・ギドリー(ジェイソン・シュワルツマン)に「彼はクィアかな?」と聞くものの、「直接聞けばいい」と諭されてしまう
物語は、何とかしてお近づきになろうとするリーが描かれ、本心が見えづらいまま、ユージーンとの関係が動いていく様子が描かれていく
3章+エピローグの構成で、第 1章は「リーとユージーンの親睦の深まり」、第2章は「南米旅行の始まり」、第3章は「エクアドルの儀式」、第4章は「その2年後」と言う感じに紡がれていた
第 1章でおおよそ半分くらいの時間を要し、このもじもじ系ラブロマンスが続くのかと思ったら、第3章からは一転して精神世界の話のようになっていた
本心を知りたいためにエクアドルに生息する謎の植物を探し求めるのだが、そこで遭遇する儀式とその後の作用と言うのが奇抜な作品となっている
前半でも、自分の体が幽体離脱してユージーンにさわろうとしたりするシーンが描かれ、良いおっさんが若者に恋をすると言うプロットと、生々しいセックス描写がOKなら大丈夫なのだろう
個人的にはそこまで抵抗はない方だが、のっけからイチモツ丸出しのシーンが連発するので、なかなか強烈だなあと思って見ていた
物語の核は「相手の本心を知れたら」と言うもので、謎の植物によって、テレパシーができると言うトンデモ系のラブロマンスになっていた
リーはその弊害を理解していなかったのだが、儀式によってユージーンもリーの本心というものが見えるので、それをおぞましく感じて距離を置いたのかも知れません
いずれにせよ、クィアというものの言葉の定義を「1950年代」として考えなければならない作品で、現在の「LGBT」以外の姓的自認と考えてはいけない
元々は「不思議な」「風変わりな」という意味合いで、「異性愛以外のもの」を指していた言葉なので、現在のクィアの映画には見えないところだろう
映画内でもある程度は仄めかされているので問題ないと思うが、そのあたりの言葉のタイムトリップが必要なので、知識のダウングレードが要する映画だったのかな、と感じた
第三部は寝たのに好評価です
予告編が名作過ぎてもう泣ける感じで、否が応でも封切りに期待が高鳴るアタシでした。レイトしか都合あわず、後半は睡魔に襲われつつ長い幻想場面に辟易するまでは快調に楽しめました。そういう訳で最後の方は脱力気味になって見終えたんだが、終わった後回想するに、二人がいい感じでいるパートははじめから老境主人公の100パーヤク幻想なのか、小説家の想像力とヤクで掻き混ぜた虚実入り交じりの原作世界やバロウズ本人の精神内外すべてに監督と脚本が格闘してみせたのかとつらつら考えるのが楽し過ぎです。それにしてもダニエル・クレイグは臀部が別格でしたね。ストイコビッチかよと思いました。
気まぐれのように示された情だけが
ベニスに死すを思い出した。
ちょっと苦手なタイプの映画だなぁと思うので、評価はその分下方修正しています。
主人公の恋におちたときの距離の詰め方のへたっぴさが、共感性羞恥で我が身を見ているようで前半は内心ジタバタしながら見てました。
相手の気持ちが自分に添っていないことは、最初から明らかなので、ひたすら内心じたばた。
リーは欲だけならうまいことやることだってできるのになぁ、ああ、退かないで押すのか……と。
後半直接心を知りたいと行動するけれど、相手と融合するような感覚を経てむき出しになった思いは、やはりクイアじゃない、というもの。
最初のシーン、主人公が別の人に言ったセリフを返されるような、互いの間の境界を明確にするような、そのセリフ。
それでも最後のシーンで、一人残された主人公を温めたのは、欲に浮かされた熱でも恋情でもなく、ただただ、無造作に主人公にたいして示されたユージーンの人としての情を示した振る舞いの記憶なのだろうと思った。
【”クィアの陶酔と幻滅。そしてこんなダニエル・クレイグは観た事がない!”序盤は狭義のクィアをルカ・グァダニーノ監督お得意のトーンで描き、徐々に広義のクィアな世界を描いたインパクト大なる作品である。】
冒頭、ニルヴァーナの”オール・アポロジーズ”の女性によるカバー・バージョンが流れる。”これから、クィアの映画が始まるよ!”と、高らかに宣言されるのである。
そして、ダニエル・クレイグ演じるリーは、1950年代のメキシコ市のゲイが集まるバーで、めぼしい男を探すのである。その際に流れるのは、同じくニルヴァーナの”カム・アズ・ユー・アー”である。ムッチャ、脳内で盛り上がる。そう、この映画の音楽はイケているのである。流石、トレント・レズナーである。
リーの服装も良いのだな。上下白のスーツ。シャツはお約束のボタン二つ目迄留めないスタイル。透明な鼈甲縁の眼鏡。”私は、クィアだよ!”と言っているようなものである。しかも品があるのである。この映画の衣装、意匠のセンスがとても良いのであるよ。
リーは百足のネックレスをした一人の男と楽しんだ後に、目を付けていたユージーン(ドリュー・スターキー)に声を掛け、ストレートと思われる彼とベッドインする。
オジサン版「君の名前で僕を呼んで」である。猥雑感なしである。(個人的な感想です。)
因みにこの作品では、百足と蛇が良く登場する。解釈は観る側に委ねられるのである。
で、このまま行くのかと思ったら、そうは問屋が卸さない。
二人は南米に旅に出て、事前に聞いていたテレパシーが得られるという”ヤヘ”と言うドラッグを探すのであるが、この過程がコレマタ面白いのである。
リーは途中で、アヘンが切れて体調を崩すもアヘンチンキを医者から3CCだけ処方されて(クスクス)回復するのである。
リーが、アヘン切れの寒さで震えているシーンで、ユージーンに”傍に行っていいか・・。”と尋ねると、”良いよ・・。”と答えが合って、二人が一つのベッドで同じ向きで寝ている姿が良かったな。
二人は、到頭森に住む怪しげなコッター博士(レスリー・マンビル)の家に到着し、蛇の歓迎を受けた後に、樹木から煮出した”ヤヘ”を飲むのである。
”ヤヘ”を飲んだ二人がトリップするシーンが、もう凄くって、二人の口から赤いドロドロしたモノが出て来て、心臓みたいなモノがドサッと落ちるのである。グロイなあ。幽体離脱かな。このシーンの描き方は凄かったぞ!インパクト大だぞ!
<だが、エピローグで描かれるリーの姿は哀しい。
旅から戻って二年が経ち、ユージーンは既に彼の元を去っており、一人ベッドに横たわるリーはアヘン中毒が過ぎたのか、酒の飲み過ぎなのかは分からないが、別人のように老いているのである。
だが、その横たわる姿は、且つてのアヘン切れの際に、ユージーンの脇で寝た時と同じポーズなのである。絡み合う二人の足の近接ショットが切ない・・。
今作は、序盤は狭義のクィアをルカ・グァダニ―ノ監督お得意のトーンで描きながら、徐々に広義のクィアな世界を描いたインパクト大なる作品なのである。>
グァダニーノ渾身の一作
GAGA様本社試写会で観賞。
グァダニーノ監督は今1番好きな監督。特に前作「チャレンジャーズ」はこんな面白いことも出来るのか!と今までの重厚で詩的でアーティスティックな雰囲気とは打って変わり、明るくポップな雰囲気になっていた。
というのもグァダニーノ監督自身の私生活の影響もあるのではと感じていて、ちょうど若くてイケイケな彼氏が出来てハッピーな時期であったということも要因だったのかなとも思う。
そんなグァダニーノ監督の人としてのチャーミングさ、面白さが本作「クィア QUEER」ではそのままウィリアム・バロウズ(リー)を演じたダニエル・クレイグに乗り移っている。
本作のダニエル・クレイグは凄まじかった。007のクールな印象とは全然違う。可愛らしいおじさんになっている。(私は特にジーンを初めて観た時の分かりやす〜い恋に落ちる瞬間の顔、そしてその後カフェで見つけて周りを気にせず帽子を取ってルンルンでお辞儀をして挨拶するシーンなど。最高である。)
本作「クィア QUEER」がグァダニーノ監督が若い頃から敬愛する作家ウィリアム・S・バロウズの自伝的小説「クィア(昔の邦訳小説では「おかま」というタイトルだったが、本作公開を期に「クィア」として新装版になった)」を何十年も温め続けた企画だそうで、なんとか映画化権を取得して撮影開始!物語の舞台はメキシコ〜中南米だが、メインの撮影はグァダリーノの地元でもあるイタリア、そしてイタリアの撮影スタジオの本拠地であるチネチッタで行われた。
「君の名前で僕を呼んで」、「チャレンジャーズ」でも同性愛を描いていたが、同性愛者の呼称自体は出て来ていなかったと思う。しかし、本作では昔、同性愛者を軽蔑する差別的用語でもある「クィア QUEER」という言葉をハッキリと用いている。
また、本作のテーマは"蛇"や"ムカデ"のモチーフが象徴するように"孤独"と"別れ"である。
本作でのウィリアム・リーはひたすらに他者を求めて生活をしている。しかし一夜を共にすると関係は終わってしまう。"ムカデ"のネックレスをかけたその人とはもう出会うことはない。これ以上近づけない。ある一定の以上の接近(本作に出て来る「テレパシー」の意味するところでいう心と心の接近)を拒否するような象徴として"ムカデ"が用いられていると感じた。
そして、ラストシーンでウィリアム・リーがドールハウスになった愛用のホテルを覗き見るシーン。(このシーンもめちゃくちゃ良かった。この映画の舞台セット自体が模型"ドールハウス"のような作り方をしていて、この映画を観る私達視点と、このウィリアム・リーの視点が初めて交わり、本当に彼の心の奥底を覗き見る構図になっている。)
そこに現れたのが、もっともインパクトのある象徴"ウロボロス"である。自らの尾を噛んで永遠の象徴となっている蛇が涙を流している。蛇とは"孤独"の象徴であることからウィリアム・リーが永遠に孤独であるということを暗示しているとても悲しいシーンだ。そしてユージーンの頭を拳銃で撃ち抜いてしまうシーン。(これはウィリアム・リーが戦略結婚をしたと言われている元妻を射殺したという事件がモチーフとなっている。)
その後もリーはユージーンの思い出の場所を辿っている。
年老いてもただ1人でユージーンを想いながら息を引き取る。とても孤独で悲しい映画だ。
しかし、ただ一つ、映画として出来る唯一の方法でリーを優しく包み込むユージーンを描いて物語は幕を閉じる。
私はグァダニーノ監督作品に登場する"足の絡み"のカットが好きだ。
・「君の名前で僕を呼んで」ではベッド脇にすわった2人がお互いの足を近づけたり踏みそうになったりと遊ぶカット。
・「チャレンジャーズ」では学生時代にアートが食堂いたパトリックの隣に座ろとした時にパトリックがアートの座ろうとしている椅子を足で自分の近くに引き寄せるカット(細かいシーンですが!)
そして本作ではリーを優しく包み込むユージーンの足!!ポスターアートがここで登場するとは。ここで思わず落涙。
グァダニーノ監督の念願のウィリアム・S・バロウズの「クィア」の映画化。原作でのバロウズは人間関係に関してドライで自分自身を客観的に観て小説にしてしまうほどロジカルで軽いノリの話だったのだが、グァダニーノの長年の重い愛によってドロッドロに重い映画になっている笑
物語の結末にとても悩んだようだが、グァダリニーノ監督らしい演出、そして優しさに溢れたラストがとても好きだ。
音楽は毎度お馴染みのトレント・レズナー&アンティカス・ロス
衣装デザインはなんとロエベのJW・アンダーソン!(ユニクロとのコラボでお馴染み!笑)がグァダニーノ組に参加しました。
「チャレンジャーズ」とほぼ同時に製作が始まったとは思えない重厚な作品でした。
次作も楽しみです。
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