「ムカデがシンボル テレパシーを求めて南米の奥地までいっても不安はぬぐえない。」クィア QUEER ふくすけさんの映画レビュー(感想・評価)
ムカデがシンボル テレパシーを求めて南米の奥地までいっても不安はぬぐえない。
クイアはオカマとか変態とかの意味だ。。
もともと差別用語。
マツコデラックスが「わたしたちオカマはさぁ」みたいなノリで「クイア」が逆説的にLGBTqのように使われるようになったのは極最近の話。
この映画の背景は1950年代のメキシコシティというのであるから、クイアにLGBTqにあるような肯定感はゼロだと思う。
「俺はクイアか?」とは「俺はオカマに見えるか?」という風にとらえるべき。
ゲイという言い方は、原作「Queer」が発売された1980年代当時には一般的ではなかったはずだ。
邦題は「オカマ」とか「変態」としてもいいくらいの刺激的なタイトルだったはずである。
映画の中で「ゲイ」が使われないのは、そのような言葉がなかったからであり、「クイア」を自称するのは、なかば自虐的に、そして「だからなんだというのだ」という反逆的なニュアンスである。
ここで「ムカデ」が重要だ。
主人公のウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)が最初に寝ることになる男のペンダントがムカデ。
恋人のユージーン・アラートン(ドリュー・スターキー)が、最後、幻想のなかで射殺されるとき、うごめくペンダントがムカデ。
死ぬ間際のリーとユージーンの絡む足の下に動いているのがムカデ
(映像に写っていたでしょうか?ポスターにあったけど。)
ムカデは多分「クイア」のシンボルだ。
気持ち悪いものをペンダントとしている。それがムカデだ。
この映画の肝は、もうそろそろゲイ(クイア)として現役を終わることが見えている初老の男が持つ、まだ、自分は終わりじゃないという焦りの気持ちである。
リーがユージーンを道で初めて見染めるとき、リーは彼を「お仲間」だと直感する。
ところが次に会う時はユージーン初老の女性といる。若い女ではない。多分リーと同世代。
リーは紆余曲折を経てユージーンと寝るが、ユージーンの反応は今一つはっきりしない。
この男は本当に俺を求めているのか?
観客にもストレートにユージーンの気持ちが伝わってこない。
まさに、このユージーンのよくわからなさ、がリーが初老のゲイである不安を表していて秀逸である。
ユージーンはリーを愛しているの?嫌いなの?どっち?
「よくわからない」のが肝なのだ。
リーはユージーンを南米の旅行に誘うが、あの過酷な旅にユージーンがついてくるというだけで驚きなのだが、それでもユージーンの気持ちはクリアにならない。
果たしてあの第3章は必要だったのか?
原作通りなのだと思う。
ここで例の初老の女が出てくる。
女は二人を隔てる壁の象徴にもみえる。
ユージーンは本当にリーを愛しているのか?
幻影ではないのか?
言葉が止まらないリーと反応しないユージーン。(切ない)
あなたたちは特別だ、あと二三日残るべきだ。惜しい。
と言われて二人は帰ってしまう。
これも肝だ。
映画の最後まで答えは出ない。
この謎の感じは好きです。もう一度見に行こうかしら?