「父親の喪失」シシリアン・レターズ talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
父親の喪失
シチリア出身の二人の監督が実話にかなり忠実に「語った」映画。90年代のシチリアはマフィアが跋扈し市民にとってトラウマの時代。それを忘れたりなかったことにするのでなく、もう一度自分達の言葉で語り直したいという監督達の思いが伝わる。
映画の中に出てくる暴力と残酷は少しだが、その裏では反対概念が矛盾なく共存している:計算高さと優しさ、笑顔と威嚇、洗練された美意識と深い教養。ハイライトは二人の男が交わす書簡だ。穏やかな言葉と修辞的な言い回しをきら星の如く散りばめた手紙の底には嘘と裏切りと計略が牙を隠して佇んでいる。その二人はマッテオとカテッロ。
シチリアン・マフィアの最後のゴッドファーザーであるマッテオ(エリオ・ジェルマーノ)は言う:聖書のアダム、ノアと何世代も何世代も続いてきた家父長制の「物語」は今や堕落するのみだ。父を尊敬し父の言う通りに生きてきた。その父親は家畜小屋で死んだ。マッテオの名付け親で校長、市長、議員、同時にマフィアとつるみ金儲けしていたカテッロ(トニ・セルヴイッロ)は6年間の刑務所暮らしから出たと思ったら借金だらけの破産状態、キャリアも失った。そこに何年も逃亡生活をしているマッテオを捕まえる協力の依頼が来る。文通の始まりだ。
マッテオの行く末は、マフィアの最期に留まらず、数十年前からの世界における「父親」の喪失と没落そのものに見えた。それは喜ばしいことなのかも知れない、もし弱者と貧しい者にとっての解放につながるのであれば。格差が広がる一方の世界で私は残念ながら希望を持つことができない。でも過去をもう一度自分達で語り直すこと、忘れないこと、記憶に留める手段としての映画、実話とフィクションを編み上げることができる映画に、過去と未来を橋渡しする温かみと可能性を感じた。本作の思わず笑ってしまうシーンと人物が私達を救ってくれる。(イタリア映画祭2025)
おまけ
マッテオ役のエリオ・ジェルマーノは好きな俳優さんです。が、いつも「えっ?!」と思うほど雰囲気も演技も異なるので誰だかわかるまで時間がかかります。今作もえっ⁉️でした。「ゴッドファーザー Ⅱ」の若くてすらっとしたデニーロのよう。ますます好きになりました。