「逆自由の女神は逆十字架」ブルータリスト 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
逆自由の女神は逆十字架
劇中にも出てくる建築ビエンナーレの展示作品のような映画だ。
映像や音、構成において、芸術的かつ実験的な手法を駆使しており、
IMAXで、
教会の建築シークエンスから、
【もっと光を】のシーンは観る者に一種の美的衝撃を与える。
ストーリーテリングは、
もちろん典型的なエンターテインメント映画とは一線を画している。
物語の中心には、主人公ラースロー(ラザロの復活とは無関係ではないだろう)のブルータルなパッションがひたすら描かれ、
彼の内面の葛藤や欲望がそのまま視覚的に表現されていく。
登場人物やストーリーの論理的な繋がりを可能な限り削ぎ落とし、
感情の爆発を直接的に伝えるスタイルが、
アート映画の枠組みを超えて、A24らしい独自の力強さを持つ。
映画の中盤で挿入されるインターミッションは、
この作品の特異な構成(ブルータルな建築のような)を象徴している。
100分が経過し、
急転直下でアメリカスティールの歴史が怒涛のように展開され、
観客は一瞬の休息を得ることになる。
劇場の照明がアップし15分の休憩、
効果音で観客の感覚をリセットさせた後、
再び映画は加速する。
この緊張と緩和のリズムは、
視覚的な印象を強烈に残し、
観客の感情を揺さぶり続ける。
色調においてもカメラは常に変化し続け、
シーンごとに色調やフレームが変化するのはA24作品ではおなじみだ。
特に60年代ハリウッド映画風の色調が際立っており、
4原色でいうとCMYKの「Y(イエロー)」を強調した映像が印象的だ、
しかし、A24らしい転調の連続でY好きな観客は消化不良化かも。
色のトーンが一瞬で変わることで、
観客はその予測不可能性に引き込まれるのも、
狙いなのかもしれない。
ガイ・ピアースが演じるキャラクターは、
作劇の観点ではあり得ない展開を見せるものの、
文学的な解釈の下では非常に魅力的である。
そのキャラクターの存在自体が、
映画全体のテーマにうまく溶け込んでおり、
観客にとってはその不条理さこそが魅力となり、
映画製作そのものをイメージする人もいるだろう。
逆自由の女神は、
ワイダの逆十字架、
山の端シルエットは、
ベルイマン、
巨大建築物を引いて、
小さな存在にみせるのは、
ダヴィアーニ兄弟のカメラと、
美術、
カメラは名機ARRI435を使用はスピルバーグか、
昨今流行りの、
プリントに白パラ(白いゴミ)。
本来は白は技術的なミス、
黒は何度も映写されている証し、
ビエンナーレの狙いであればよし・・か・・
そういうのは風化していくのだろう・・・
他もいろいろ。