ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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女優2人が素晴らしかった
イングリッドは、病に侵され尊厳死を選択したマーサにその看取りを懇願される。何年も会っていなかったのに。
互いの過去を振り返りつつ距離を縮めても先に待つのは死。残酷だ。
マーサは人の気配を感じ、孤独死という不安から解放されるだろうが、イングリッドはいつ死に直面するかもしれない怯えや、法を犯す罪悪感とも葛藤しなくてはならない。
朝締まっていた扉を開けることもできず嘔吐したイングリッドの心情は察するに余りある。
一つの人生の終い方かもしれないが残された側がこの先抱えていく心の傷を考えるとフェアじゃないなと思った。
それにしてもマーサ亡き後会いにきた娘。凝視してしまった…
生者にも死者にも雪は降り積もる
映画を観ながら若くして病気になった友人を思い出した。亡くなった時に、「まだ若かったのにかわいそうだね。」と言う人もいた。本当にかわいそうなのだろうか?可哀想と言うこと自体が失礼な話なのではないのか?一人悶々と考えたが自分自身がなぜこれほどまでにその発言に怒りをおぼえたのか分からなかった。
マーサの癌で生き残ったものは勝者、死んだものは敗者という認識をされる。だから自分は癌より先に死を選ぶという発言を聞き、あの時の違和感は勝者、敗者というカテゴライズされているように感じたために自分は嫌悪感をおぼえたのかと妙に納得した。
自分がマーサの立場なら?イングリッドの立場なら?どうするだろうか。
自分の死は自分で選びたいと願っても痛みを和らげるのみで、安楽死を選ぶことは日本でもできない。以前、難病患者の嘱託死事件がニュースとなり日本でもかなり安楽死については論争が起きた。延命をさせる技術は発展しているのに、死を望む人にはその権利は与えられない。当事者でないともちろん想像できないがなんとも苦しい気持ちになった。
自分がイングリッドならあの提案を受け入れたやろうか?考えても考えても結論は出ない。映画を観終わってからもそのことが頭から離れない。イングリッドはほんまに愛情深く優しい人物で、マーサもまた聡明で思慮深く友人思い。マーサにとっていい最期であったと思いたい。
パイの様に何層にも重なった感情
ラストシーンを迎えた時に、感謝、希望、悲しみ、やるせなさ、安らぎといった感情が何層にも重なったパイの様に押し寄せてきて、この気持ちを例える言葉が見つかりません。
私は過去に日本人の安楽死に関するドキュメンタリー番組を3本観たことがあり、安楽死に非常に関心があります。理由は、死期が近いのに強い痛みが続くことに耐えられないと思っているからです。日本社会では安楽死はおろか死もタブーになっているので、なかなか本気で死を語られることもありません。だから、ドキュメンタリーで安楽死を選んだ方の気持ちを知りたかったのです。
本作はもちろんドキュメンタリーではありませんが、アルモドバルのクリエイティブが妙に身体にしっくりきて“死”を受け入れた先にあるのが、“決して恐ろしくない何か”ではないかと感じました。
そして、マーサとイングリットの友情の描き方がいつものアルモドバルらしさ満載で、これは男性の立ち入る隙はないですね。もし、イングリットが男性だったら絶対に逃げ出すと思います。アルモドバルの描く女性はいつも肝が据わっているし、それこそが女性の本来の姿なんですよね。
マーサのデスクの中にあった数えきれない小物やノート、レコードや本やアートが、マーサの想い出の象徴の様で、なんだか妙に心に残りました。
“死”は隣のドアを閉める様に自然なこと。でも隣のドアを開けた先には新しい始まりがある。のかもしれないと言われているようでした。
安らかに死を迎えることができるのか
久々にアルモドバル作品を観た。赤や緑の原色を強調した画面づくりは彼ならではの美しさだし、かつての過剰さやLGBTのモチーフは控えめにして、流麗な音楽とともに、風格のある作品に仕上がっている。
何よりティルダ・スウィントンの存在感が凄い。痩身の佇まいは、哲学者のよう。役柄もそうだが、丸顔のジュリアン・ムーアと好対照をなしていた。
人は安らかに死を迎えることができるのだろうか。最近観た「敵」で、死に迫られてジタバタする主人公の姿に共感したこともあり、今作で描く安楽死は、甘美な誘惑のように思えてしまう。
ジェームス・ジョイスの「雪は生者の上にも死者の上にも降り積もる」の一節をこのテーマに重ねるのも、あまりに綺麗すぎるのでは、とも感じた。
生き死にの問題は、生者にのみ課されている。
どう死んでいくかは、どう生きる(生きた)のかという哲学
女優二人の演技が神がかっているのと、森や建物まで設計されたような鮮やかな色、染みるような音楽に魅了され。
癌に侵された女性が思い返す人生のフラッシュバックが時に重く、時に軽妙で効果的な演出で、芸術性へ重きを置いた映画としての完成度は高い。
尊厳死の可否とかかっこつけるのではなく、どう生きる(生きた)のかという哲学を、死という題材で提示しているのだろうと思いました。
考えさせられる映画であり、面白いから観たいのに……
重いテーマと美しい絵の連続が拭いきれない眠気を誘い、瞼を閉じないようにする戦いがつらかった面もありました。
Close
ある程度の年齢を超えるとどうにも自分や他人の死について考える機会が多くなり、近年の高齢化も相まって安楽死を扱ったテーマの作品にはついつい足を運んでしまいますし、今作も例に漏れずでした。
ただこのテーマの作品を観るたびにやっぱ合わないなぁ、死生観が違うんだろうなとなるのがお決まりで、今作も首を傾げながらの鑑賞になってしまいました。
まず本題の安楽死をするから近くの部屋で見守っててというところに辿り着くまでがかなり長かったです。
病気の話ならともかく、ご婦人方のこれまでの人生とかを振り返る様子が延々続くのでなんの話だっけ?となる場面がかなり多く、会話劇としての盛り上がりも無いときたので困りっぱなしでした。
やっとこさ同居が始まるかと思いきや、安楽死するための薬が無い!とヒステリックになるので、これはギャグとして見るのが正解なのか?となってしまったのもあってテーマの重みと不釣り合いな気がして居心地があまり良くなかったです。
よくよく考えたらとんでもないワガママだよなぁとなってからはこの人死なないで欲しいなとはどうしてもならず、安楽死したいのならサッとすればいいのにと人の心無いんかくらいの発言をしてしまいそうでした。
安楽死を見守って欲しいという無茶な願いを受け入れる優しさは凄いなと思いつつも、友情というよりかは義務感での見守りなのかなと思ってしまったのもモヤモヤな点です。
そこからの展開はまだとんとん拍子で進んでいき、安楽死実行、そこからの家族との関わり合い、色々ありながらも警察が来てからガラッと動くのかなと思いきやスーッとエンドロールに突入していくので消化不良感は否めませんでした。
前半の謎会話を減らしてこの後の展開を増やしてくれたら良かったのに…と心から思いました。
全体的に色合いはとても綺麗ですし、背景の小物なんかもかなりこだわっているんだろうなというのは強く感じられました。
好みではなかっただけで、こういうテーマの作品は様々な視点で作られるのが良いと思いますし、自分の死生観と似たような作品と出会える事を願いながら映画を見続けていきたいものです。
鑑賞日 2/4
鑑賞時間 15:55〜17:55
座席 H-20
どちらも
気持ちはわかるけど、辛いですねえ。死ぬ側は一人では寂しい、しかも自宅は嫌だ。見送る側は、ある意味大きな責任を伴うが、亡くなる直前の友達の気持ちもわかる。辛い選択ですね。警察の調べが大きな事にならない事を願います。
赤、赤、赤!
まず感動したのが赤色の使い方。イングリットのコートの赤、ランプの赤、キッチンベンチの赤、鮮やかなブルーのソファのパイピングの赤、ドアの赤、二人の口紅の赤…と挙げればキリがないほどに赤。 日本では皆同系色にコーディネートする傾向があるが、赤とブルー、グリーンとのクッキリとした鮮やかな色のコントラストがとてもオシャレで記憶に残る。自分の家もあんな風にしたいとワクワクした。
私は映画を観る時、自分の経験に置き換えたり、自分ならどうするか考えながら観る傾向がある。この映画に関して言えば、四年前までオーストラリアで看護師をしていた時を思い出させた。救命救急で働いたせいもあり、抗がん剤治療の副作用や痛みで来る患者さんを多く見た。生に対する執着や死に対する恐れは人それぞれ違う。私が住んでいた州では当時、安楽死は認められていなかった。忘れられないあの50代の女性の癌患者さんは、痛み止め以外の全ての治療を受けない選択をしていた。痛みが治まり、物静かにベッドの上で読書をしていた。かっこよかった。とはいえ、知らないだけで、実は取り乱したり、泣き叫んだりしたのかもしれないが。今は合法になった安楽死があの時あったならば、最後の最後まで痛みに苦しみ大量の鎮痛剤を朦朧とするまで打たなくとも、マーサの様に癌に支配されるのではなく、自分で自分の人生をコントロール出来たのにと思うと少し悲しくなる。 私自身、同じ立場に立ったなければどうなるかわからないが、マーサやあの患者さんの様に最後は潔く、かっこよく逝けたらいいなと思う。
色、デザイン、女優さん達の揺らぎの表現力、素晴らしかった。 強いて言えば、マーサと最後に出てくる娘の二役がどうも好きになれなかった。顔も声もそのままなので、ちょっと一瞬ストーリーから集中力がそれて我に帰ってしまったので、ひようかは3.5。そっくりさんでやって欲しかった。
自分には合わなかった
美と静寂の中で描かれる尊厳死。淡いピンク色の雪が降る街。
美と静寂の中で描かれる尊厳死。
主演の二人が素晴らしい。
特に、ティルダ・スウィントンの容姿がこのテーマにとてもよく合う。
そのメイクや衣装デザインもあってい美と静寂の中で描かれる尊厳死。い。
各シーンの室内のレイアウト、舞台となる郊外の一軒家、街の本屋に至るまで、すべてのカットが美しい。
窓から見える淡いピンク色の雪が降る街の情景。
尊厳死について、静かに描く、静寂に満ちた映画だった。
そして扉が閉ざされた
予告で聞いた「ドアを開けて寝るけど、閉まっていたら私はもうこの世にはいない」の台詞。
死んだらドアは閉められないのにどういうこと?と思ったら安楽死の話なのね。
内容は粗筋の通り、癌に侵されたマーサと親友だったイングリッドが数日一緒に過ごすだけ。
レイトショーだったこともあり、序盤めちゃくちゃ眠い。
娘やその父親を中心にマーサの過去に軽く触れられるが、いきなりそんな話を聞かされても…
マーサは理論的で、死への姿勢もブレることがない。
はじめから最終段階に入っているので、人間というより単なる一つの“主張”にしか見えなかった。
その上その考えによる我儘でイングリッドを振り回す。
最後まで彼女に魅力を感じたり、「死んでほしくない」と思ったりといった情動が生まることはなかった。
じゃあイングリッド側の“揺らぎ”が描かれているかというと、そうでもない。
時に感情的になることはあるが、基本的にはマーサの意見を尊重するスタンスは一貫している。
そもそもこの2人、長らく連絡すら取っていなかった“元”親友なのだ。
それでも余命幾ばくもないと言われれば、極論喧嘩別れしてたとしてもある程度は寄り添うでしょ。
劇中で「断らない人間」と語られてたことも手伝って、友情や絆にも見えないし…
最後に娘ミシェルがマーサに対する誤解に気付き、「死がふたりを近づけた」と語られるが…
これ、死なないと出来ないことですかね。
なんだかイマイチ刺さらなかった。
亡くなり方にほんの少し意外性があったことと、ラストシーンの被せ方は良かったです。
最後は物理でなく精神的に、イングリッドを“隣の部屋”に感じたからあの時を選べたのだろうか。
映画として完璧
どの台詞も聞き漏らしたくない、服やインテリア、背景まで含めたポストカードに切り取りたくなる画や、全ての色彩が美しい映画でした。
マーサとイングリッドの、善意だけで成り立つのではない、でも素直に正直に相対することができる関係が成り立つのはすごいと思った。
死が迫った友が明らかにまだ話し足りないのに「もう遅いから帰らなきゃ」といえる関係、できないこと、決心がつかないことになんで言えばいいかわからないと言い、YESと即答しないこと、
できる人には簡単なことなんだろうけど、空気読んで相手の望むことに沿おうとしてしまう自分にはとても羨ましく。
5年ぶりに会ったと言ってた気がしたが、あんなに距離を感じさせずに付き合えるのは、元々仲が良かった?昔同じ男と付き合った仲だから?
でも自分のあとにイングリッドと彼が付き合ったのはショックだったと言ってたし、何のわだかまりもなく仲良しこよしの関係、ではなかった気がした。
それなのに、最期に隣にいてほしい第一候補だったのに警察に話してしまう〈裏切り者〉よりも、この経験とマーサの残した言葉すら自らの内にとどめずに生業である“書くこと”に活かす気のイングリッドの方が、マーサの人生の一大事に寄り添っていて、不思議というか、観終えてから考えると、腑に落ちないような気もしないでもない。
でもそんな自分のなかに残った違和感は映画としての完成度というか、素晴らしさの前では軽いこと。
イングリッドの赤いバッグ、マーサの薄紫のニット、など、2人のファッションにも惹かれた。
中でも緑と赤の対比が美しく、2人の服だけでなく、2人で横たわったチェアなど、とても印象的で美しかった。
ダークレッドの口紅をたっぷり塗って、最期に纏うのはパキッとしたイエロー。
それまでのマーサにイエローの記憶はなく、それでも彼女の最期に相応しかった。
ひとりは嫌。
尊厳のある、静かな死。
なんでも話せる友がいなく、どこに行くにも一人の私は、死ぬとき一人にしないでほしいと頼める友がいること、それを叶えてくれる友がいることを、とても羨ましく思う。
THE DEADは実際にある映画なのだろうか。観たい。
雪の舞う、清冽な静けさの中で逝けたら。
見守るということ、見守られるということ
末期癌を患うマーサ(ティルダ・スウィントン)が治療を諦め、安楽死を決意する物語でした。彼女は親友のイングリッド(ジュリアン・ムーア)とともに、森の中の別荘で最期の時を過ごします。アメリカでは安楽死が合法化されていると思っていましたが、マーサは非合法の毒薬をネットで入手することになります。この描写には驚かされ、鑑賞後に調べたところ、ひと口にアメリカと言っても週ごとに法律は異なるようで、また安楽死を選択するための条件があることが分かりました。例えば、6カ月以内に死亡する不治の病であることや、本人が意思表示できることなどが求められるようです。マーサの病状はこの条件を満たしていなかった可能性が高いと考えられます。
本作は、「どのように最期を迎えるか、そして見送るか」というテーマを扱っており、自身がマーサの立場になる可能性や、イングリッドの立場で誰かを見守る可能性について考えさせられました。特に、マーサが娘との確執を抱えたまま旅立たざるを得ないという点は、人間の性を象徴しており、優れたシナリオだと感心しました。
映画としては、マーサとイングリッドの二人芝居というシンプルな構成ながら、美しい別荘や周囲の大自然を背景に、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの繊細かつ力強い演技が光りました。特にスウィントンは、序盤の希望に満ちた様子と、中盤以降の病状の進行を見事に表現し、その説得力に圧倒されました。
また、本作を通じて改めて安楽死と尊厳死の違いについて考えさせられました。日本尊厳死協会の定義によると、安楽死は「医師など第三者が薬物を投与し、患者の死期を積極的に早めること」とされ、マーサの選択はこれに該当すると思われます。一方、尊厳死は「延命措置を断ち、自然死を迎えること」とされ、日本ではこの二つを明確に区別しています。しかし、世界的には両者を同一視する傾向があり、この点は日本独自の特徴のようです。
最近の日本では、国民民主党の玉木代表が「社会保障の保険料を下げるために終末期医療の見直しを進め、尊厳死の法制化を含める」と発言し、物議を醸しました。この発言には賛否があり、一部では「姥捨山政策」や「優生思想」と批判されました。後に玉木氏自身も「尊厳死の法制化は医療費削減のためではなく、自己決定権の問題である」と釈明しました。
こうした議論を踏まえると、本作中でダミアン(ジョン・タトゥーロ)が口にした「アメリカを悪くしているのは新自由主義者と極右だ」というセリフが印象に残りました。マーサのように安楽死を自己決定することと、若者の社会保険料負担を減らすために尊厳死を推進することは別問題であり、金銭的な理由で議論するべきではないと感じました。しかし、玉木さんのような政治家が大衆に持て囃される現代の風潮を考えると、遠くない将来、『楢山節考』のような世界が復活するのではないかとも思わされました。
そんな訳で、本作はテーマ性の高い作品であり、考えさせられる内容でであり、評価は★3.8とします。
おーいお茶
おーいお茶。
ペドロ・アルモドバル監督の作品は、
常に観客を驚かせ、時には戸惑わせる。
その大胆な作風は、繊細なテーマを扱いながらも、
過剰とも感じられる演出で観客を挑発し、
強烈な印象を与える。
本作も、アルモドバルらしい色彩と感情の濃厚さが特徴の作品だ。
ティルダ・ウィンストンとジュリアン・ムーアという二人の名優が複雑で多面的な女性たちを演じている。
ウィンストンはどこか奔放で自由な精神を感じさせながら、
過去の重荷を背負っているようにも見える。
一方、ムーアはこれまでのキャリアにおいても、
繊細で内面的な役柄を得意としてきたが、
本作でもその技術は発揮されている。
彼女が演じるキャラクターは、
まるで心の中で戦っているかのような複雑さを持っている。
常に微細で、感情の揺れを一瞬の表情や仕草で見せるため、
観客は彼女の心の中に引き込まれていく。
ただし、あまりにも内向的で感情を抑制した演技が、
時に物語の進行に対して少し重く感じられることもあるかもしれない。
アルモドバル監督の作品は、
しばしば観客に対して安易な答えを与えることを避け、
観る者自身に深く考えさせる。
本作もまた、そんな監督らしい挑戦的な作品だ。
物語が展開する中で、観客は必ずしも一貫した感情を持つことができない。
複雑な人間関係と織り交ぜられたテーマは、
時に観る者を混乱させるが、
それこそがアルモドバル作品の魅力でもある。
それにしても、
冷蔵庫にあった、おーいお茶。
まさか、
これがラストドリンクにならないよな、
日本人には受け入れられない、、、
ハラハラしたのは私だけではないはず。
ザ・ドリンク・ネクストドア
【蛇足】
スペインで撮影をしていた時、
スタッフルームをアルモドバルチームとシェアしていた。
その時に日本のモノを見かけたのかもしれない。
カラフルなモノが好きなペドロさん、
綾鷹、生茶だったら物語は入ってこなかったかも・・・
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