劇場公開日 2024年10月5日

謎の巨匠 ルネ・マグリットのレビュー・感想・評価

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3.5画家マグリットの本質に迫る良作。「おバカ一発芸」ビデオ制作が趣味だったって知ってた??

2024年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

渋谷のシュルレアリスム100年映画祭で見逃していた2本のうちの1本を、阿佐ヶ谷の再映にて視聴。

さしずめ、「観るモノグラフ」といったところか。

モノグラフとは、美術史においてはもっぱら、個人の画家についての生涯と作品分析を一冊にまとめた浩瀚な研究書のことをさす言い方だ。
本ドキュメンタリーは、マグリットの出生から画家としてのキャリア、晩年の様子まで、豊富な作品紹介と画家本人の映像を交えつつ、包括的に紹介しており、非常によくまとまったマグリットの人物論として成立している。

単に伝記的な内容だけでなく、彼に影響を与えた作品との比較や、彼が執着していたモチーフ毎の類似作の紹介、各時代毎の画風で分けた様式論的説明、彼の芸術面での発言と関連する実作の提示など、素人愛好家にとっても痒い所に手が届くつくりで、なんだか大学以来、久しぶりに美術史学の講義に出ているような気分になった(笑)。

マグリットという画家は、本人が広告業界でも活躍していただけあって、作品の画像としてのインパクトや、アイキャッチとしての効果は抜群である。
一見して忘れられない視覚的衝撃は、ビジュアルイメージとして、すでに大衆の記憶に焼き付き、しみ込んでいる。当然、大衆的なマーケットで商用利用されることも多い。
そのぶん、あまりにコマーシャライズされているせいで、どこかチープな印象がつきまとっている部分はいなめない。

とにかく、観る者をびっくりさせることに「全振り」しているというか。
ふつうは並置しないものを並置することで生まれる違和「だけ」で勝負しているというか。
そういう軽い「面白絵」「だまし絵」の巨匠みたいなイメージが先行しているような。

その意味でこのドキュメンタリーは、通俗的なマグリット観をくつがえす興味深い示唆に富んでいて、とても面白かった。

マグリットが、あの静謐な画面からは想像もつかないくらい「やんちゃ」で「野放図」で「やりたい放題」の自由な悪童生活を送っていたこと。
15歳のとき12歳のジョルジェットに回転木馬で出会ってから、7年後に画材店で再会して結婚し、添い遂げた愛妻家であったこと(とはいえベルギー脱出前には結構な期間、W不倫していたらしい)。
幼少時に目にした墜落した気球を回収する様子や、家の向かいの映画館でやっていた無声映画、そこに登場する怪人ファントム、けんだま、鈴など、お気に入りの「呪物」がたくさんあったこと。
壮年期は盛んに政治活動にも身を投じ、過激な言動で挑発的な態度もとっていた熱血漢だったこと。
戦争中は贋作を手掛け、戦時下では共産党に入党し、戦後は弟とともに贋札までつくっていたこと。
画家としてはアトリエを持たず、自室でネクタイを締めて午前中絵を描くルーティンを崩さなかったこと。午後はチェスに明け暮れていたこと。
老齢になってから8ミリビデオを手に入れて、お笑い動画を仲間たちとのあいだで撮っては披露しあっていたこと。
山高帽にスーツという「プチブル」的なファッションを生涯貫いたこと。
晩年は哲学の研究にのめりこみ、哲学者たちと書状を取り交わしていたこと。
要するにマグリットは、世間的に思われているような「紳士的」で「穏やか」な「アイキャッチ機能の高い一般受けのする絵を描く」画家というイメージからは、かなり程遠い人物であったことが、よく伝わってくる。
どちらかといえば、マグリットは「闘士」であり、「武闘派」であり、かなり「政治的」で、かつ「脱法的」な人間だった。同時にこだわりが強く、ひとつことに執着し、極端にのめりこむ、若干アスペっぽい人だったことも強く感じる。共産党に一時入党するくらいのゴリゴリの左派なのに、プチブル的な生活とファッションにこだわった「両極端」な「二面性」についても、とても印象的に思う。

若いころの芸風の変遷も面白かった。
少年期に最初に描いた大作(父親は店に飾っていたらしい)は、明らかにジェリコーやドラクロワを思わせるようなロマン派的な絵画で、バロキッシュでけれんのきいた動勢表現が顕著である。それから若いころは、バリバリに未来派の影響を受けた作品や、キュビズム、ピュリズムの様式をなぞった作品も描いている。どちらかというと「新しいもの好き」で「最先端の芸術運動に飛び込んでいく」タイプだったことがわかる。
彼にとって大きな転機となったのは、ジョルジョ・デ・キリコの「愛の歌」の複製画に出会ったことで、そこから彼は、急速にシュルレアリスム絵画へと傾倒していくことになったという。共産党に入党した時期には、唐突にルノワールへの回帰を示して、明るい色彩と粗いタッチで、印象派や野獣派を模倣した画風に「現実逃避」していたりもした。

こうやって、彼の生涯や思想、絵画との取り組みを知ることで、おのずとマグリット絵画に対するコマーシャル的な先入観も大きく変わってくる。
観ていて思ったのは、いわゆる世間一般の考える「マグリット絵画」というのは、要するに東洋における「禅機画」に近いものなんだな、ということだ。

彼は決して考えない画家ではない。
むしろ、徹底して思考する画家である。
単に絵を描くだけではなく、文字を通して哲学的な思索を繰り広げ、とことんまで考え抜くタイプの人である。実際、マグリットはベルギーにおけるヘーゲルやニューアカの紹介などにも関与し、晩年まで哲学者と哲学問答を続けていたくらいの「哲学マニア」だったらしい。
だから、彼の「眼に楽しい」「だまし絵」的絵画は、決してインスピレーションやイマジネーションの発露として、安易に生み出されたものではない。

あれは、シュルレアリスムの技法としての「デペイズマン(物をそれが本来あるはずがない場所に置いたり、ありえない組み合わせで並置することで、観る者に大きな衝撃を与える)」を用いた「哲学的思索」の発露なのだ。
文字では表せない思考や、感情や、感覚を、鑑賞者に追体験させ、考えさせ、視覚的に「哲学的思考」をさせることを目的としたツールなのだ。

ちょうど、それは東洋における「禅機画」に近いものがある。
たとえば15世紀初頭に描かれた如拙の『瓢鮎図(ひょうねんず)』。ぬるぬるしたナマズをつるつるのヒョウタンで抑えようとする様子を描いた「観る公案」である。
あるいは、江戸時代の仙厓が描いた禅画には、○と△と□を描いただけの作品もある。宇宙を表しているとされるが、これもまた「観て思索する」ためのよすがとしての絵画である。
「口では表せない禅の思想を、絵画表現にて表す」。やっていることはけっこうマグリットと重なるのではないか。

ありえないものを並置し、あるいは画像でしか表せない「何か」を表すことで、観る者の脳内に特別な感情と思索と感覚を生起させようとする試み。それがマグリットの本質だと思う。
それが結果的に、コマーシャリズムと大衆的消費のただなかに取り込まれていった点は、別の観点から見て興味深いことだし、マグリット自身がそれに積極的に参画していったという意味でも、この人物のしたたかさというか、一面で語れない「謎の巨匠マグリット」の部分が感じ取れて面白い。

個人的には、老人となったマグリットの顔芸百連発ビデオが、とにかく愉快だった。
なんでも、毎週末に仲間たちを集めて「くだらない一発芸」ビデオを撮って上映会をするのが最大の趣味だったらしく、本当に老芸術家たちが集まってはみんなでくだらないことをやりあって、心底楽しそうにほたえあってるんですよ(笑)。
いろいろ難しいことは語っているし、絵画に複雑な意味を込めていたのも本当なんだろうけど、本質的には「稚気」にあふれた人物だったからこそ、ああいう作品群が生み出せたんだというのが、よくわかりました。

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じゃい