「守護天使(ガーディアン・エンジェル)としての犬の物語」少年と犬 Tofuさんの映画レビュー(感想・評価)
守護天使(ガーディアン・エンジェル)としての犬の物語
馳 星周の小説『少年と犬』をAudibleで聴いて号泣した体験があるので、しばらく前に映画化の話を知って公開されたら必ず観に行こうと決めていた。
原作ではもっと多くの場所で様々な人々と出会い、それぞれが独立したエピソードとしてオムニバスの短編のようにバラバラに描かれていて、最後に点と点が結びつくように構成されていたのだが、映像化にあたっては美羽の回想の形式で、エピソードも最小限に絞り込んでリニアに繋がるように再構築されている。また、「ヘビーローテーション」のくだりなど、テレビ的な演出も加わっている。ただ、個人的には原作の方が刺さった。
弱って傷ついた人のもとにやって来ては静かに寄り添い、無言で慰め、励まし、助けてくれる多聞は、文字通りの守護天使(ガーディアン・エンジェル)だ。そもそも仏教の「多聞天」は、毘沙門天(サンスクリットではバイシュラバナVaiśravaṇa)の別名で、常に仏を守護してその説法を多く聞くということを意味している。
犬の多聞が最終的に会うことを目指していた「少年」に対しても果たすべき役割をしっかりと全うし、少年に「常にここにいる」を言わしめる。
順風満帆ではないのが人生の常。そこに寄り添うのは人かも知れないし、ペットかも知れない。あるいは、何か思い出の品のようなものかも知れない。そこに希望の光を見出しながら、辛い悲しみを乗り越えていければ、最終的に「自分の人生はそんなに悪いものではなかった」と思えるのかも知れない。
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