「芸術や文化を開花できない為政者は愚の極み」ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦 たちつてとんさんの映画レビュー(感想・評価)
芸術や文化を開花できない為政者は愚の極み
リニューアル前の池袋、東京芸術劇場のステージから落ちる者が出てもおかしくないくらいの大人数。
その人数の修学旅行的ラテンのユースオーケストラを連れまわった招聘元は心底大変だったろうと想像に堅くない。
翻って日本の権威オケ。全員の楽器の値段を合計するとワンステージでも0.1兆円くらい平気で行きそうだが、そのオケの団員一人の楽器代で全員の楽器が賄えそうな南米のユースオケの音、これが出る出る。
もちろん人数も多いが体の芯から動いて、動いて、動いて鳴らす。響かせる。音を出す。これから比べたら日本のオケなぞお地蔵さんかハシビロコウみたいなもんで、まぁ、音、出ないですよね。人を踊らせられないですよね。
聞けば日本の楽器学習では「なるべく動かない」と言う掟(?)もあるとか。邦楽ですか?三味線ですか?
そんなユースオケ、最晩年のアバドに呼び寄せられたヨーロッパ公演で見事な「悲愴」を演奏しきった。アバドの心底満足した微笑みが忘れられない。客席にはオケの音楽監督のドゥダメルもいた。
この映画でもたびたび登場したがチャイコフスキーやプロコフィエフの楽曲は世界のクラシック公演で欠かせない。だというのに隣国に武力行使し、自国の音楽家たちに踏み絵を踏ませることになった大統領がいる。
このドキュメンタリーでも語られたが、音楽は演奏する人に尊厳を与え心を広げる。生きるために音楽が必要な人がいる。
おそらくすべての創造にそういう作用がある。だから子どもたちに芸術に触れさせ、国や地域になるべくの平穏をもたらすように、気持ちから豊かにしていくのが為政ってもんじゃないのか。
ドンパチやってるバカどもも、そうでなくても人々を苦しめる方向に突き進む政治やってるバカどもも、いい加減、別の惑星行ってやってくんないかなー。地球にオマエラは必要ない。
それと、芸術は権威主義の対極でもある。
アブレウ氏の追悼コンサートの楽屋の廊下でドゥダメルはじめとしたストリングスがワイワイとタンゴで盛り上がる様。
日本でも音楽演奏が一部の権威の物でなくカジュアルに街に溢れるようになればいいね、と思う。
あ、それと。
踊れない人間にまともな音楽はできないだろう。
ボリバルユースはバーンスタインのマンボを持ちネタにのしてきたオケだが、「ユース」が取れて大人のオケになり、この映画でもドゥダメルがマンボを振ることはなかった。
あの子たちがみんな平穏に演奏できる世界を作るのは大人たちひとりひとりの責任でもある。