劇映画 孤独のグルメのレビュー・感想・評価
全299件中、41~60件目を表示
テレビシリーズの良さを保ちつつ、映画っぽい展開に。いつも食べるだけ...
ファンのための映画
孤独のグルメをたまに観るくらいの
ライトな視聴者なのでこれは自分が求めてた
孤独のグルメではないような気もしたけど、
そもそもこの映画はファンのために作られた映画のような
気がするので、孤独のグルメを愛する人が面白いと
思ってればそれで良いのかと思いました。
孤独のグルメにそもそもストーリーを求めてなくて、
ただ飯を美味そうに食べて奇想天外な感想に面白さを
求めてる自分としては、足を少し伸ばせば行ける店を
何軒も行ってくれるだけで良かったのになと思いました。
ただ随所にと松重豊さんから井之頭五郎や作品への愛
ファンへの感謝は感じました。
塩見三省さんの最後の台詞なんかは松重豊さんからの
エールを感じて勝手に感動しました。
松重さんの想いを妄想
原文レビュー
主人公井之頭五郎役の松重豊さんは、13年間TVシリーズとして出演してきたものの、年齢と小食化によって降板をきめ、同時にテレビ東京が開局60周年の記念として映画化したもの。
そしてこの作品は松重さん本人が初監督をしたものでもある。
大いなる含みを持ったこの物語
起きそうで起きなかったラーメン店主と志穂の復縁
上手くいったかに思えた「いっちゃん汁」
その幻のスープを求めて、出会いと別れの連鎖があった。
さて、
そもそも、「物語」とは、いつ始まるのだろう?
自分自身の人生で例えれば、「生まれて死ぬまで」のように感じるが、少し引いてみれば、両親の出会いや、子供の人生まで含まれてしまうのは、実際必然ではないのか?
そして、
無限に作り出せるのがこの物語の型と言っていいだろう。
この「物語」には終わりなどないように感じるのだ。
それは型の話ではなく、この物語の内容だ。
逆に言えば、「始まり」さえもない。
物語の一部を取り出すのは簡単で、誰もがしている。
この物語も、それぞれが一部であり、それを繋げている「依頼」があって、五郎から見る主人公はもちろん五郎だが、ラーメン店主も、松尾老人も、すべて自分という主人公としての背景がある。
松尾老人の想いは、孫の千秋によって物語を作り出した。
ところが、うますぎたスープは「母の味ではなかった」
つまり、この物語でさえ、まだ終わらない。
志穂の半生と現在の旦那の繋がりは、物語では描かれないだけで、その未来を視聴者に想像させている。
物語は、絶対に終わらないのだ。
それはまるで生命のように「終わりなどない」
逆に言えば生命もまた、「始まりなどない」のかもしれない。
松重監督は、数々の作品との出会いという始まりと撮影終了という終わりを通して、この「孤独のグルメ」を下敷きに、彼が感じるこの世の理という普遍的真理を描いたのではないだろうか?
13年間続いたシリーズ
それは松重さんにとって非常にありがたいことだ。
しかし、この無限に続けられる物語に、彼自ら終止符を打った。
それはもちろん加齢と体調の変化によるのかもしれないが、ひとつの物語を「終わらせる」ことができることに、彼自身が気づいたのではないだろうか?
そしてこの終わらせ方によって、この作品が始まった。
また何かが始まった。
同じ物語ではない別の物語
同じようだが、別
この「別」を松重さんは表現したかったのかなと思った。
このある種の堂々巡りであり、普遍性に気づいた彼は、その事を表現したくなったのではないだろうか?
冒頭から、すでにこの物語は始まっていた。
当然だがその始まりは最初には描かれない。
主人公が気づかないうちに「始まっていた」
それは「いつ」始まったのか?
直接的なのは「依頼」だろう。
しかしなぜ五郎が依頼された絵を届けるに至ったのか?
それは、千秋の母 五郎の元恋人だ。
つまりこの物語は、五郎と小雪が出会った時からすでに始まっていたとも取れる。
また逆に、「いっちゃん汁」という新しい依頼は、志穂とラーメン店主を繋ぐ架け橋を作ったと解釈できる。
人は、自分の物語を紡ぎながら、人の物語が始まるきっかけを作っているのかもしれない。
この連鎖はなくなることはない。
もしそうならば、おそらく始まりさえないように思ってしまう。
そしてもう一つの出会い。
「さんせりて」の単なる客だと思っていた青年中川
彼はTV番組を作る会社のプロデューサーで、その番組名は「孤独のグルメ」
五郎役ではなく「善福寺六郎」役で登場した遠藤憲一さん
これは逆かもしれないが、「物語」の視点で見れば奥が深い。
もう一人の自分 またはパラレルワールドを感じさせる。
個人で営む輸入雑貨商 井之頭五郎の、もう一つの人生が「存在」する。
そんなパラレルワールドに「介入」してしまうこと そんな捉え方も可能だ。
つまり物語とは、そもそも多重性があるのだろう。
お互いの物語は重なり合い、その中で始まるものがあれば終わるものもあるが、結局「物語」という括りでは、「終わりなどない」のだろう。
何度も言っているが、そうであれば「始まりなどなく」、部分を切り取って思考する現代科学は、根本から間違っているように思えてしまう。
私たちは、人は肺があるから息をするのか? それとも、息をするために肺が作られたのか?
この問いは、「機能があるから行動するのか」「行動する必要があるから機能が生まれたのか」という、存在の目的や進化の順序を問いかけている。
もし、始まりなどなく、終わりもないのであれば、私たちはどんな形態であれ「永遠」なのかもしれない。
大げさなレビューだが、松重さんの思考を、妄想で代弁してみた。
娯楽映画の佳作にしてグルメ映画の新たな金字塔
五郎も老けたものだ
ちょうどいい
井之頭五郎が映画のジャイアンくらい違う
面白い映画ではあったんだけど
良いところ
料理が本当に美味しそう
?なところ
原作者公認なんだろうけど、井之頭五郎の行動に違和感
映画だからって劇的なイベント要らない
必要経費や報酬の見えない仕事は胡散臭い
なんか原作からドラマ見た人間としては、井之頭五郎という人間は約束は守るけどどちらかというと安全や危機回避をきちんとやる、無茶や無謀とは疎遠な「大人の行動」を取る人物で、だからこそ食事にだけはちょっとおかしいレベルのやんちゃをするイメージ。天候を調べてない、というわざとらしい前振りから見えているからと言ってあんなもので海を渡ろうとするところは正直帰りたくなった。もっとどうにか出来なかったものか。キャラクターや人格を作ってからストーリーを作ってない、という感じ。ストーリーのためにキャラクターが動くのは違和感しかない。
そもそもパリのあの老人が金持ちかなんかわからんけど、自分のことだけしか考えてない迷惑さで、人を働かすことを当然と捉える傲慢さしか見えない醜悪さがどうやっても拭えなかった。じゃなきゃボケた懐古老人。
とまあ、キャラクターにはロクに共感出来なかったし、ご都合主義にも程がある無理矢理さだが、そもそも見たいのはそこじゃないし、料理が美味しそうだったからそれでいい。ドラマも一度見たら、前半のドラマ飛ばして食事シーンだけ繰り返し見てる。アジフライの回は何度見たことか。実際にあの店行ったし。
あの老人、最初は原作者のカメオ出演かと思ったけどちゃんとした役者さんだった。作画の先生が亡くなって続きは読めなくなったけど、あの世界観が続くのは悪くない。
笑えた そして美しい
パリのオニオンスープが美味しそうでした(^-^)
見に行く予定は無かったのだけど、口コミサイトの評価が意外に高くて行って見る事に。。
サブスクでドラマは見ていました。
テレ東ドラマが見れないエリアに住んでるけど、好きな感じのドラマが多くてサブスクなんかで追っかけて見ていました。
まほろ~、ヨシヒコ~、きのう何食べた?等、ハマったドラマも多い。
舞台は、パリ、五島列島、韓国、東京とさすがは映画といった豪華さ。
パリの街並みはキレイでした。
大きいスクリーンで見ると合成っぽくも見えたけど、杏ちゃんが出てきたしパリでロケをしたんでしょうね。
五島列島からは、かなり無理のある展開となったのが気になったかな。
もともとのドラマをコメディとして見ていなかったので感じた違和感。
おそらく監督の松重さんの中ではコメディ要素が強かったのかもしれないですね。
その違和感を乗り越えれば、出てくる役者人は豪華だし、謎のアーミーも笑えるんだと思う。
今回の映画での一番のシーンは、パリのレストランで出てきたオニオンスープ。
めちゃくちゃ美味しそうで、本場のオニオンスープを飲んでみたいと思った。
この感じが、孤独のグルメの一番の楽しいところなんじゃないでしょうか?
本当に自分自身も食べたくなる感じを今回も味わえました。
他の韓国料理、チャーハン、ラーメンはそこまで至らなかった。
私自身の評価は、事前に口コミサイトで見ていた点数ほどでは無かったかな。
この辺は好みなので難しいですね。
ドラマ、続いて欲しいです。
孤独な仲間は世界中にいる、そんな実感に感動するロードグルメムービー
パリ、日本、韓国、あちこちに井之頭五郎が出張しながら、沢山の面白い、美味しい粒を拾い集めている。
それに付き合って旅しているような、言ってみたらロードグルメムービー、だろうか。
一部展開のそんなことある?は皆さんのご指摘の通りですが笑 まぁそこは見逃してもいいのかなと。
私のような人は珍しいかもしれませんが、この映画に感動したのです。
映画内の五郎の旅を通じて、孤独に美味しい食べ物を楽しむという体験を、同じように誰かもやはり感じている。そのことをイメージできるシーンや流れが特に終盤ところどころにあって、それが物凄く救いになります。
テレビやサブスクの孤独のグルメは、視聴者がそれぞれ個々人の時間で視聴しているだけですが、映画という立体的な場に移って、同じ映画館内には視聴者が実際にいる、という意味でも、映像の中でも、外でも、孤独のグルメワールドが拡張されて共有されたように思います。
誰にでもあるような、なんでもない日常を楽しむことをクローズアップしてみたり、個々の体験でしかないそれを、肯定的なものとして、他者に理解・共有・共感されるって、本当に素敵なことだと思います。
そういう、孤独のグルメの良さを、映画をみながら再確認する、そんな時間を過ごしました。
だんだん大食いできる歳ではなくなってきたかもしれないけれど、松重豊さんにはぜひもうひと頑張り、お願いしたいところです。
期待しないで見るのがちょうど良い
冒頭の機内の場面はいつもの井之頭さんのやや間抜けでシュールな感じを少し長めに大げさに描いており、これはリアリティのないお話ですよと告げている。こちらもそこで腹が決まる。テレビ版よりもコメディパートがたっぷりの尺で楽しい。しっかり笑わせてもらった。片手間に緩く見れるドラマの感じはそのままにしつつも予測不可能、飽きさせずに見せるの良かったです。約2時間があっという間だった。激しい映画だと感情が揺さぶられすぎて疲れることもあるんだけど、たまにはこういうのも良いね。
嵐の海に漕ぎ出し冒険譚、かと思いきや人情話を交えて、ちょっとだけ切なくしたスパイスが効いている。ハッピーエンドでもなく、かといって悲しい結末でもない。うまくいくこととうまくいかないこと、楽しいこととそうでもないことが描かれて人生ってこういうものよね、と。わかるわかる。どこにでもありそうでなさそうなエピソードがちょうど良い。
最近テレビ版は見てなくて、すっかりおじいちゃんになった井之頭さん、大口開けて食べるの大変そう。
期待しすぎちゃだめですよ、映画とはいえ孤独のグルメですから。突っ込みどころもご愛敬。韓国料理が食べたくなった。
全299件中、41~60件目を表示










