劇場公開日 2024年10月4日

「問題提起する部分が広すぎるのが厳しくそこをどうとるか、かな。」HAPPYEND yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0問題提起する部分が広すぎるのが厳しくそこをどうとるか、かな。

2024年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

今年356本目(合計1,448本目/今月(2024年10月度)7本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。

 この映画は、映画として見て感想を書き込もうとするときは、だいたいは「行き過ぎた監視システムの弊害」という論点が大半を占めると思うのですが、あるいは「近未来をテーマにした日本において、外国人が中学高校のクラスメートにたくさんいるような状態を想定したときの彼らとの接し方」、あるいは、「(映画内では首相が変わっているシーンがあるが)いわゆる緊急事態宣言の濫用や、外国人排斥の集会(デモ行進)をあえて放置するシーンほかの憲法的な観方等があろうかなと思います。

 おそらく感想が書きやすいのは「いきすぎた監視社会の問題点」であって、このことは書きやすいのではと思います。この件ではすでに書かれている方が多いのであえて他のことで書こうと思います。

 さてこの映画も「近い将来の日本」をテーマにして、首相も別の人になっていて、外国籍の方もクラスメートに何人もいる、それも国籍もバラバラといった状況が「当たり前」になって出てくるシーンがあります。

 リアルでは先に新内閣ができ、選挙が近いことはよく知られていると思います(2024年10月5日時点)。どのような政党が勝ってどのような新内閣となったのだとしても(今の新内閣は、選挙をするということを前提にしているのであれば、憲法・行政法上最低限必要なものをそろえたに過ぎない)、日本はこれからどんどん人口は減っていくのは間違いないし、あるいは、日本でも実際に介護職等で外国人受け入れが始まっているように、近い未来か遠い未来かは別にして外国人と共存することが当たり前になる国には、程度の差はあってもなるんだろうな、とは思います。

 その前提、つまり、外国人との共存が日本という国を「崩さない」ためにあるものだとすれば(先に述べたように純粋に日本人だけの人口は減ってきているのが実情)、その「近い未来」におけるそうした国ににおいては、現在でも理念法や各地に条例としてある、いわゆる「ヘイトスピーチ規制法・条例」といった考え方をより進めて考える必要があります。思想良心や表現の自由は近未来における日本でも守られるものですが、一方でそれらに仮借した排斥行為は保護の必要性が少ないからです。また、映画内では「自衛隊員には外国人はなれない(応募できない)」という前提で作られていますが、実際、日本人からの応募で到底まったく募集の1/10も足りないといったような状況まで人口比率が変わったら…といろいろifを考えると、そこはもう今までの外国人に対する最高裁判例等はある程度は考慮しても、ある程度「外国人と共存する社会を考えていく」ようにしか日本は動けず、そのように国が立法活動をすれば行政はそれに基づいて動くだけになります。

 この映画で述べている「外国人が市立高校の半数以上いるような近未来」においては、「日本人ファースト」といった概念があるかどうかすら怪しく、逆に(強制にならない程度に)「韓国語の学習法」などを少なくなった日本人側が教わるような状況も考えられます。一個人の私(=投稿者)の信条として、「外国人共存問題はやがては回避することはできない問題として出てくるのだから、今のうちからできること、マインドチェンジはすべき」ちうところがあって、近い将来映画で述べるような部分まで極端なケースかはまた美容でしょうが、「ありうる近未来像」であって、そうした社会においても外国人の人権を守っていかなければならないのは、法律系資格であれば弁護士が頂点、その次に外国人取次を多く行っている行政書士の人たち(私は後者のグループに属しうる)となるのだろうということも考えると他人事でもなく、観ていて「一つの考え方」が示されているのが良かったです。

 ただ、映画のストーリーはどちらかというと「監視システムはありかなしか」の話に誘導させたい意図があるようで、外国人の移住問題他は間接的にしか出てきませんが、そうした見方もあるので良かったところです。

 確かに他の方も書かれていた通り、「いろいろな観方ができる」点については確かにそう思ったのですが(監視システムのありなしを問う問題提起なら、外国人排斥といった筋を入れると混乱する)、ここは各自で「思うところを考えてね」というところなのでしょう。

 採点に関しては特段気になる点までないのでフルスコアにしています。

yukispica