「最後はジャーナリストとして、人間として、生きていく彼に期待感を持たせるね。」アラヴェルディの祭 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
最後はジャーナリストとして、人間として、生きていく彼に期待感を持たせるね。
ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督のこの映画が無料で観られる。
1962年で、現在はジョージアだが、旧ソ連の映画なので、興味がある。
まず、アラヴェルディの祭とは伝統的な収穫祭の祭りだという。あるジャーナリストは宗教的な祭日なのに、(去年の写真見せながら)現在はオリジナリティーを失った産物だという。そして、boozing, idleness, brawls, merrimentの祭りの場所になってしまったと。編集長らしき人がアラヴェルディに行ったことがあると聞くと、主人公
だけが小さい頃行ったよッと。編集長はMTSKHETOBAに入ったけど、行かなきゃよかった、そこはのんべえと喧嘩で、人間がおかしくなっていると失望したようだ。という意味は、どこに行っても伝統的である宗教的な収穫祭は残っていないということだと思う。Kakheti(カヘティ州)は、アルメニア人やアザバジャン人やカへティ(ジョージア)人だけでなく、数々の少数民族が住んでいるところのようだ。映画では少数民族の名前(Dido, Tusheti, Lezghians etc.)を言っているんだけど、私の知ってるのはチェンチェン族だけだった。それに、ワインでも有名らしい。この映画はアラヴェルディの祭りのある、カヘティ州について予備知識を入れてくれる。祭りの場では伝統的そうな、Lezghiansの服装の男二人が、写真を撮ってもらったり、コサックの目まぐるしくて、足の動きの速いダンスもみられる。それとは反対に、他所から来た若い女性のダンスに注目が集まり、これを本当のエンタメだと。でも、この若い女性たちは一瞬でこの土地を去っていってしまうので、この場所と一体化はしていない。
主人公のジャーナリストは過去とは違う、この光景を理解するのが難しいようで、皆と共に、ワインを飲めば、皆と同じようなものが見えてくるだろうと。ワインをあおる。なぜ、ここに来たのかと自分を見失っているようにも見える。そこで、ある馬が(Mtiuleti Horseージョージアの馬でコーカサス地方で最も古い種類らしい))がスタンピートのように暴れ出す。遊牧民にとって馬は命だが、それに乗って、主人公は一目散に草原へ。明らかに主人公は遊牧民族の民。馬の持ち主に追われて逃げ、Alverdi Monasstery(アラバディ正教会)に駆け上がり、祭りに来ている人々からの注目を一身に集める。『私は望みを叶えた。一つの興味が、それまで散り散りになっていた人々を一つに結びつけた。』と。彼は最後に、この行為は自分に力を与えたと。ジャーナリストとして、人間として、生きていく彼に期待感を持たせるね。
彼が望んでいる祭りのあり方、それは原点に帰って一つになれっていうこと。結局これは主人公が祭りの場を破壊した主人公の怒りとマルコ伝11章15-18節などの『キリストは聖殿を訪れ、そこでの商業活動を破壊し、商人のテーブルや椅子を倒す』の節と被ってしまう。
ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督の映画は映画の最初と最後が深く結びついているようだ。