「過激ともいえる労働争議の現場。 争議の先頭に立ったミシャル(ギヨー...」ACIDE アシッド りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
過激ともいえる労働争議の現場。 争議の先頭に立ったミシャル(ギヨー...
過激ともいえる労働争議の現場。
争議の先頭に立ったミシャル(ギヨーム・カネ)は、その様子をスマホで撮られ、凶暴な男として認知されてしまった。
10代の娘セルマ(ペイシェンス・ミュンヘンバッハ)は寄宿学校に預けられていたが、クラスメイトたちはそんなミシャルの様子をネタにして、セルマをいじめていた。
そんな中、フランスの気候は急激に悪化しており、強酸性の雨がゲリラ豪雨のように襲いかかるようになってしまった。
寄宿学校の生徒たちは急遽、親元に返されることになり、ミシャルと元妻エリース(レティシア・ドッシュ)はセルマを迎えに行くことになったが・・・
といったところからはじまる物語だが、「酸性雨」のスリラー・娯楽映画という先入観があるせいか、冒頭の過激な労働シーンは、当初「何これ?」感があります。
が、リアリズム重視がフランス流。
リアリティの観点でいえば、ミシャルが最も気にかけているのは恋人のカリン(スリアン・ブラヒム)。
彼女は入院中で、どうも作業現場で重傷を負ったにもかかわらず、会社からは何の保証もされていない様子。
会社は、事故が起きるような危険な現場を放置し、さらに被害者までも放置。
それが、冒頭の労働争議のようなのだ。
で、娘と元妻を連れて強酸性雨から逃げているにもかかわらず、ミシャルの心は遠く離れた恋人に寄せられている。
ハリウッド流でいえば、こんな設定は不必要なのだが、カリンは移民っぽい。
移民問題は映画中盤でも描かれており、強酸性雨から逃れようとする人々が行こうとしているのは北のベルギー。
国境には吊り橋があり、そこに避難民が大量に押し寄せる描写は、内乱・内戦から逃げ惑う難民のそれ。
また、避難民の集団からはぐれたミシャルとセルマが辿り着いた先は、事情を抱えた母子家庭。
ミシャルとセルマは、不審な難民として描かれている。
最終的にどのようになるか書かないが、ハリウッド流とは大きく異なることは付け加えておくとして、強酸性雨によって国をうしなって難民になってしまうミシャルらフランス国民の姿をみて思い出したのは、『日本沈没』(1973)のラストの亡国・棄国感でした。