「既存の障がい児を巡る作品との共通性と独自性、そして疑問点」ぼくとパパ、約束の週末 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
既存の障がい児を巡る作品との共通性と独自性、そして疑問点
確かにテレビドラマ『ライオンの隠れ家』の自閉症者と同様に、自分のこだわりだけでなく、同伴者の言い分を受入れ、共に歩もうと成長する姿がみられるのが良いところであると感じた。『レインマン』にまつわる冗談や、ボディチェックでの係員の冗談も、少し可笑しみがあった。テンプル・グランディン氏も自分のルールをつくっていたが、本作の息子がつくったルールは窮屈な感じだった。
バス停や電車内で、親の躾がなっていないと非難する周囲の人々の姿は、日本ではそれほどみうけられなくなったような気がするけれども、ドイツではまだまだみられるのだろうか。それはそれで奇特である。
息子の相手をするために父親が勤務形態を変更することを上司に交渉したり、馘を覚悟で仕事を選ぼうとしたりしたところは、『どんぐりの家』に出てくる清の母親の姿勢とも通じる気がした。本作の父親は、妻も同じような苦労をしてきたことに思い到り、感謝しており、『クレーマー、クレーマー』等のように、妻から責任を丸投げされた夫とは違う。家族愛を尊重するような上司で良かったと思った。
家族や支援者が障がい者に対して堪忍袋の緒が切れ、怒鳴り散らし、やがて悔いる姿をみせる作品では、『ケニー』、『ギルバート・グレイプ』、『学校Ⅱ』も秀逸だった。
各競技場でのサポーターの熱狂的な応援や、鉄道旅の様子、オーロラの美しさもまたみどころであった。
疑問に感じたこととしては、生後1歳か2歳くらいの誕生日に電車模型をプレゼントに与え、興味を示さず、上体揺らしの常同行動を取ったことで、「アスペルガー症候群」の疑いをもたれたことが一つ。自閉症の判定基準の一つに、生後3歳くらいまでに発現するというのがあるが、「アスペルガー症候群」は、言語の遅れがないものが該当するはずなので、その年齢時点でのその判定はおかしいのではないか。また、発見者のアスペルガー氏はドイツ語圏のオーストリア人で、論文をドイツ語で発表したため、第2次大戦後もなかなか英米圏に広まることはなかったといわれるけれども、21世紀になったドイツ国内でさえ、その症状の子どもたちへの対応は、移民の子どもの受入れが進んでいたと思われる通常学校では行われず、分離制学校に委ねられることが多々あり、その学校に進学すると、大学教育への途は閉ざされているようである。恩師は、1990年代のドイツ国内の障がい児の学校インテグレーションが漸進的であると評していたが、本作を観た限りでは、日本の現状と比べても、かなり進展が遅れているように思えた。本作のパンフレットでもあれば、解説がなされていたかもしれない。最新の実態の詳細な研究成果が発表されることを期待したい。