劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のレビュー・感想・評価
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一見さんお断り…。
一見さんお断りで、一切の説明フォローなし。原作を読んでから見に行って正解でした。
全編力わざで、ついてこれないやつは置いていく気満々。
とにかく、荒唐無稽、ぶっとび、そんなわけあるかないな、の連続で、なにせ、血鬼術となになにの呼吸が、魔法の言葉で、なんでもできちゃうんだから。もうそれは反則だろうというと、突っ込みたくなるけど、(今更なにいってんのと言われそうだけど)作画がいいのに加え、それぞれのキャラクターの背景が濃密に描かれるから、そら、仕方がないわ~、そら、あるかもしれん、そら、出来てしまうかもね、と納得させられてしまうばかりか、うっすらと涙ぐんだりして、もう、何が何だかわけがわからなくなってしまったのだよ。
もうほんとうに、力わざで押し切られ、なんかすごいものみせられた感で、頭と体が満たされて、ふらふら劇場を出てきた。
なんか、やられちっまたぜ感が強い。
だいたいこの辺だろうとあたりをつけて、16巻から18巻まで読んでから見に行ったのだけど、映画はしのぶちゃんの逆襲まではいかなかったので、第2章は必ず見にいかねばと思ってしまうのである。
制作側の思うツボ、にはまってしまうわたしです。
圧倒的でした
映像美は言わずもがな!
無限城どんだけ広いんだと笑ってしまいそうにもなりますが、ただいたずらに風呂敷を広げただけにはならない説得力があります。
戦闘シーンはど迫力、前から言われていますが漫画ではイマイチわからなかった技も映像で見るとインパクトが伝わります。
随所に回想が挟まれ興醒めしてしまう向きもお有りとのことですが、鬼がどのように鬼となったのかその背景、それがこの作品においてどれほど大事か、それを飛ばすことで何が残るのか、只々悪である鬼を退治する作品なのか?そうじゃないですよね?
原作読了からだいぶ経っていますのでこんなセリフあったかな?と後から確認したらちゃんと原作にもあったシーン、セリフが殆どでした。
原作ファンにも納得の第一章だったと思います。
この重いテーマの深化を見届けないわけにはいかない
【2025.8.11 追記】
原作未読、1回目の鑑賞後、ネットフリックスでアニメの柱稽古篇まで視聴。
本日2度目の鑑賞後に「鬼から見た世界」について考察。
<鬼についての前提条件>
・無惨は1000年前に出現
・自身の血液を注入することにより、不特定多数のクローン鬼を作り、太陽を克服できる突然変異種の誕生を待ち続けた
・鬼狩り(鬼殺隊)に対抗するため、江戸時代に強い鬼(上弦)を12体創出
・以降、炭次郎の時代(大正時代)まで約100年間は、鬼の勢力は安泰(少なくとも上弦の鬼が鬼狩りに負けることはなかった)
・すべての鬼は無惨の血液(濃度の違いはあれ)から生まれているため、無惨より弱いし、無惨がその気になれば死ぬ(絶対に逆らえない)
⇒アカザが上弦の壱を倒すのだ、と思うことはあっても、無惨に逆らうという発想は生まれない(無惨を脅かす鬼が出現しないように無惨が鬼社会の制度を設計した)
鬼の強さや人間を鬼化する能力を考えたら、人間社会はとっくに鬼に支配されていてもおかしくはないのに、そうはなっていない。ということは、あれほど太陽を克服した完全体を渇望しているにも関わらず、無惨にとって「人間社会の支配」は目的ではないということになる。完全体となる目的はあくまでも「食物連鎖の頂点に立つ」ということなのだろうか。
鬼の栄養源となる人間が絶滅してしまったら、鬼は共食いして生きていくしかないし、その帰結は鬼という「種」自体の滅亡に繋がる。ということは、鬼の生存のためには一定数の人間がそこそこ健康体で生きている社会でなくてはならない。だから、鬼の存在があまり知られないようにしてきたし、鬼殺隊以外の一般人には日常生活が脅かされるほどの存在として認識されては困るはずだ。
無惨が完全体となった暁には、もう鬼のクローンは必要ないし、自分を守る盾としての上弦の鬼も必要性がなくなる。人間社会が混乱しない程度に、無惨が栄養源として人間を食らって生きていくのなら(神隠しとか行方不明事件として処理される程度)、上弦を含め鬼たちはむしろ邪魔な存在となるし、鬼殺隊も社会からは存在意義を認められなくなってしまう。
そう考えると無惨が完全体となることによって、人間社会は初めから自分を倒すことを諦めるから、闘いのたびに人間を見下すことで得てきた優越感や支配欲を満たす機会もなくなり、とても寂しい人生となるし、不老不死となることでその寂しさは永遠に消えることがなくなる。
無惨よ、本当にそれでいいのか?
(以上、2025.8.11追記)
この物語の世界にすべて持っていかれてしまう吸引力という点では満点以外つけようがありません。
正直、既視感のある映像ばかりなのに、受ける感動は新しい、という不思議な斬新。
インセプション、インターステラー、ジョジョの奇妙な冒険、AKIRA…。
大正ロマンという言葉があって、新しいものと伝統的な文化との融合による斬新さが、人々の心を捉えたのだと言われていますが、鬼滅の刃の世界観ももしかしたら、そういう現象の延長線上にあるのかもしれませんね。
【大正ロマンの主な特徴】(ご参照)
和洋折衷:西洋の文化や様式を取り入れつつ、日本の伝統的な美意識も大切にする。
自由な雰囲気:従来の価値観にとらわれず、個人の解放や自由を求める傾向が強かった。
新しい女性像:「モダンガール」に代表されるように、社会進出する自立した女性像が登場した。
普段は意識していないけれど、心の奥底に根付く忘れてはいけない家族や友だちとの絆。
大事な人を失ったことで理性のタガが外れて極大化する怨嗟。
まったく相容れない情動なのに、裏表の関係で簡単に入れ替わってしまうこともある。
異物なはずなのに簡単に同化できてしまう鬼と人間。
身近な人が殺された恨みが激しいほど強くなれる、という不条理は鬼も鬼殺隊の人間も変わらない。
この重いテーマが次作以降どこまで深化していくのか。
見届けないわけにはいかない。
盛りだくさんすぎる
映画館で観てほしい映像
原作読了済
映像がとても綺麗でした。無限城の作りはその壮大さや見せ方によりまるで3Dの様でした。没入したいならセンター、IMAXで観ても良い作品だと思いました。
他の方も仰ってますが、映画館で体験すべき映像だと私も思いました。
しのぶさんと善逸さんの闘いはコンパクトかつテンポが良かったと思うのですが、猗窩座戦が多少テンポ悪く感じました。何故だろう。でも気にするほどではなく感じました。
しのぶさん(早見さん)のこういう怒りや焦りのある演技をそんなに観たことがなかったのですが(あってもキャラクター的にそこまで幅がないというか)今回素敵でした。
猗窩座(石田さん)の回想ラストは胸に迫りました。個人的に(あくまで個人です)猗窩座に石田さん合わなくずっと感じていたのですが、石田さんで良かった、と思えました。
小さな感想:
OP曲少し勿体なく感じました。うーん、例えば最後エンディング前にインストゥルメンタルで聞かせるとか(長いとは思うけど、今回エンディング短かったですよね)
DolbyAtomosuで観たのですが私にはあまり上からの音が聞こえなく、必要なかったかなあ。
構成で人を選ぶ
原作未読・前作未視聴の所謂ミリしらの母と、原作にわかの私の二人組で観賞。
「前知識がある方が何倍も面白い」と感じる一方で、知識ゼロでも映像と演出の力で十分に引き込まれる作品でした。
ただし、映像美に対して構成テンポには好き嫌いが出ると思います。
盛り上がる→回想→また盛り上がる→回想といったような構成が気にならない人なら向いています。
「まるでアトラクションのようだった」というクチコミに惹かれ観に行ったのですが、前評判の通り映像は文句なしの最高点でした。凄まじいですね無限城、アニメ制作スタッフの全身を絞り切るような熱を感じました。アニメ映画としてはこの視聴体験で払った鑑賞代の元が取れた気分です。
映像美の他にひとつ強烈に印象に残ったのが、声音も台詞も表情も仕草も、その全てが尋常のものではないキャラクターがいたことです。温和で明朗で慈しみ深いのに精神の根元が奇怪も奇怪、歪も歪。生き物としての軸がズレ込んでいる。神や仏でも救いようのないバケモノのカルト教祖がこの作品にはいました。その内面に迫る場面では、いい意味で思考を掻き乱されるような凄まじい不快感を得られます。
ただし多彩なキャラクター達の超人的でド派手な戦闘シーンの途中で差し込まれる涙を誘うような回想シーン、これがテンポの悪さを齎しています。戦いで気分が盛り上がる→悲劇的な過去が差し込まれて冷静になる、の繰り返しで個人的には疲れるんですよね。映画としてあんまり見ないタイプの構成です。ファンの方からすればこの構成こそがこの作品の持ち味なのかも知れないのですが、上映時間の長さと相まって最後まで集中して観るのに少々苦労しました。BGMにもややあざとさも覚えます。
猗窩座の回想では最重要シーンのはずなのに「まだ終わらないのかな?」「今どのぐらい時間が経過した?」などという倦怠感すら覚えました。最悪なことに、ここでスマホを点灯して時間をチラチラ確認する観客が増えていたように思います。長尺アニメ映画での群像劇回想ラッシュはなんとも難しいですね。
構成の部分で人を選びますが、映像は美しいですし戦闘シーンは文句なしにかっこいい。そういう視聴体験でした。
この映画は2時間半あります。上映開始前の予告時間を含めればもっと長い。飽きっぽい人と尿意が心配な人は座席の端側、尿意コントロールが完璧で熱中できる人はスクリーンの真ん中を陣取りましょう。
楽しすぎた!
アニメーションは綺麗
呼吸を描くということ
あっついあっつい県道を、あっついあっついサドルに尻が触れないよう自転車を立ち漕ぎしながら地元の映画館へ向かった。
場末だが話題作が上映されるとなんだかんだほぼ満席になる。それを見てようやく向こう1年分の存続の心配を隅に追いやることができる。
そんなことはどうでもいい。
本作は人間と鬼の生存競争を描いた納得のアクションアニメ映画だ。
鬼滅の刃の映画を観るのはこれが初めてになる。漫画は三、四年前に完結まで読んだのだが、うろ覚えである。実際、映画を観ていてこんなシーンあったか?と思うことが多々あった。ちなみに私は忘れた頃にもう一度観るのを人生の楽しみとしている。
さて、呼吸の話がしたい。お手持ちの端末からもう少し目線を下げると、自分の胸が見えることだろう。その皮膚と筋肉と骨の下には肺という臓器が埋まっており、これはあなたの生殺与奪の権を握っている。
まだ目を逸らさないで。そこは少し動いているのがわかると思う。上下だか前後だか、どうでもいいがとにかく、動いている。なぜか?あなたが空気を吸ったからだ。観察をしている間あなたの胸はずっと動き続ける(あなたが鬼でなければの話だが)。
外側の空気を内側に入れる、内側の空気を外側に出す、これが呼吸だ。決して刀から水や炎や虫の幻覚が湧き出ることではない。
この映画では呼吸を執拗に描写する。
呼吸を描写するというと難しいことのように聞こえるが、実際難しい。なんだよ難しいのかよ。難しいのだ。無意識の行為を意識的に行うのは、難しいのだ。
上で書いた通り呼吸とは空気の移動だ。空気は基本的に色がついておらず、目には見えない。それでも空気が移動したとわかるのは、モノが動き音をたてるからに他ならない。呼吸をする、胸が動く。蝋燭を吹き消す、炎が揺らぐ。意地汚くもストローを吹けば、飲み物がゴボゴボと音をたてる。こうした表現が、作品の中に空気がありそれが動くことを証明する。
それを、執拗に描写する。
それだけではない。呼吸はキャラクターの演技にもあらわれる。声優の演技ではなく、キャラの動作の話だ。
一度大きく息を吸って、そのまま息を止めて、できるならばその場で前屈を試みてほしい。苦しいはずだ。それはあなたの肺に空気が入っているからである。風船を抱えているようなものだから当たり前だ。前屈する時は息を吐けと体育の先生も言っていただろう。これは不自然な動作だ。
呼吸をしている生物は、呼吸に合わせて動作をする。鬼滅の刃は当然のことを当然のようにやる。気が遠くなるような枚数のアニメーションと、恐ろしいほどそれと一致した音で。
そして、それは鑑賞者の呼吸も左右する。戦闘はとにかく気持ちのいい音と物語の盛り上がり所がわかりやすい音楽でテンポよく進む。間に挟まる変なギャグの間に両隣が姿勢を変える音がする。彼らは生殺与奪の権を握られている。
こうも丁寧に呼吸をされると、もうストーリーとかがどうでもよくなってきて(これはストーリーがつまらなかったことを意味しない)すべてに「納得」してしまう。
ああ、生きているんですね。生きていると、いろいろありますよね。そういうことも言いたくなりますよね。だって生きているんだから。納得しました。もうめっちゃ納得。納得の二文字以外出てこない。
二時間半かけて私は強く納得した。つまり、すげ〜な〜と思った。
エンドロールが終わってコンマ五秒ほどの暗闇の中で、二席隣に座っていた男の子が「すげえ……」と呟いたのが聞こえた。同意である。
泣きっぱなしでした
未だかつてこれほどまでに完成されたアニメ映画があっただろうか
回想こそが本作品のメインなのでは?
人により感想は様々あると思いますが、
そもそもこの作品は登場人物それぞれの
経緯ありきだと思ってます。
現代のアニメーション技術ならば、
派手な戦闘シーンはいくらでも表現できますし、
本作を観たらその点は十分だと思いました。
勿論、スタッフさんの技術と努力の結晶なので、
さぞ苦労して生みだされた作品だということは
作品を観て頂ければ皆理解できると思います。
敵味方それぞれの背景は美しく描写されており、
その都度涙を流しました。
なので個人的には本作品は満点です。
回想が多いと思った方にむしろ問いたいです。
本作品に求めているのは、
迫力のあるバトルなのか、
登場人物各々のストーリー描写なのか。
大半が原作を知っておられるでしょうから、
その上で批評すべきではないか、と。
ともかく無限城編の第2部を楽しみにしています。
期待を裏切らない映像美&ストーリー
三部作の1番目だから、仕方がない。
いや、もう…ほんとにありがとう…
全1222件中、881~900件目を表示
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