「情報密度」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
情報密度
刀鍛冶の里編と柱稽古編を一気見してから観た。
長さとか知らなかったけど、155分だったのか。でも退屈とは感じなかった。
とにかく映像表現と画面の情報密度がすごい。無限城の壮大さとか、戦闘シーンとか、どれだけ手間がかかっているのか途方もない。LiSAの曲もばっちりはまってる。
僕はどんなに面白い映画でも何度も観たいとは思わないが、高校生に聞いたら、自分は4回観た、私は6回観た、とか言ってて、「そういうもんなんだ~」と驚いた。でもここまで画面の情報密度が高いと、何度観ても飽きないものなのかもしれない。
鬼滅がなぜここまで爆発的にヒットしているのか未だに理解できないところもあるけど、1つ言えるのは、ジャンプ系バトル漫画(週刊連載で毎回面白いと感じさせなければならない制約)の集大成というか、最新進化版なんではないかと思う。
鬼滅という作品の特徴は、
・勧善懲悪、シンプルなストーリー
・魅力的なキャラ、人情話
・組織の一員として戦う
といったところだと思う。
古典的な作品では、ストーリーが縦糸で、バトルが横糸になっている。
バトル漫画はとにかくバトルする理由が必要で、その理由のためにストーリーが必要だ。バトルし続けるために、やたらストーリーが複雑になってしまうような作品もある。
でも鬼滅では、縦糸であるストーリーが、ボスである鬼舞辻無惨を倒すこと、その過程で十二鬼月を倒すこと、という限界までシンプルなものにしている。ガンダムやエヴァや進撃の巨人みたいに、敵や味方の組織の複雑さや世界観の難しさや「我々は本当に正義なのか」みたいな葛藤とかが一切無い。敵は悪で味方は善で、敵のボスを倒せば全部解決する。
すると、強敵が現れる→倒す、を繰り返すだけの非常に単調なものになってしまうが、鬼滅では驚くべき工夫をしている。
それは、本来ならストーリーに入れるべきものを、長い回想シーンとして入れる、というやり方をシステム化してしまっている、ということだ。
回想シーンの中で、個々のキャラの戦う理由、人間性、背景などが語られる。
もちろん回想シーンは昔からある漫画の表現方法ではあるけど、ふつうは戦いの最中に長い回想に入ったり、自分の過去を語りだしたりするのは不自然なので、そんなに多用はされなかった。
でも鬼滅では、バトルの最中に何の前触れもなく回想シーンに入り、それをシステムとしてしまっている。
これは、バトルが縦糸で、ストーリーが横糸という、古典的な作品とは逆の構造になっている。
この方法で「戦いのドキドキ」に集中させつつ、人情話で感動をさせることもできる、ということなのだろう。
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