「もう少し映画として頑張ってほしい」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 もんもんもんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 もう少し映画として頑張ってほしい

2025年8月4日
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映画を観終わった直後、「あれ…こんなに原作冗長だったっけ?」と、正直首をかしげました。
ネットでは「号泣した」「あっという間だった」といった感想が多く見られましたが、私自身は逆で、何度か腕時計を確認しながら観てしまいました。
原作もアニメもすべて追っています。特に無限列車編には涙した記憶があります。原作で割とあっさり終わった炎柱のエピソードが映像と演出の力でここまで感情を揺さぶる存在になるとは…と感動したのを覚えています。楽曲も映画としての起承転結も良かった。

しかし今作に関しては、残念ながらそのような感動は得られませんでした。
戦闘は盛り上がり始めたと思えば回想が唐突に始まり、その繰り返し。泣かせようとする意図は伝わるのですが、それがあまりに露骨で、かえって気持ちが冷めてしまいました。
原作を知っているからこそ、「この回はあまり動きがない」「回想が多い」という構成も理解はしていました。
それでもアニメという媒体であれば、演出や間の取り方、音楽などで補える余地は十分にあるはず。
無限列車のときのような“アニメならではの再構成”が見たかっただけに、ただ原作をなぞっただけの今回の作りは、物足りなさばかりが残りました。

映像面、劇伴など相変わらず高水準ですが、それだけでは映画としての満足感にはつながりません。
せっかくの劇場公開作品なので、もう少し観客の体験を意識した構成や演出に期待したかったです。


胡蝶しのぶと我妻善逸の闘いが後半の猗窩座に塗りつぶされてしまったような印象も残念でした。

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そして戦いの舞台。原作の無限城が持っていた“閉鎖された恐怖”や“和の静謐な空気感”が、映像化によってSF的・開放的な方向に変わってしまったことに違和感を覚えました。
特に光の使い方のイメージにおいて、原作では暗さの中に蝋燭やガス灯のようなスポット的な光を連想させる雰囲気に対し、映画版では全方位から明るく照らされ、空間の“恐怖”が弱まっているように感じました。受け取り方次第かもしれませんが。

原作はその「空間の閉塞感」と「その後の解放」の対比が、物語のクライマックスを強くしてる。閉じ込められたからこそ、外に出た瞬間の緊張感や感動が生まれると感じたのです。

原作ファンの一人として、そこには少し寂しさもあります。ですが、広大で美しく新しい解釈として受け入れられる方が多いのも事実。前述した「アニメならではの再構成」は脚本や演出面を指しましたが、無限城も「絵的なアニメならではの再構成」なのかもしれません。
その間で揺れる気持ちごと、今回の体験として受け止めたいと思います。

もんもんもん
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