「護る対象を蔑ませ続けた、鬼舞辻󠄀無惨の罪深さ」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
護る対象を蔑ませ続けた、鬼舞辻󠄀無惨の罪深さ
原作既読のファンが大半なので「ネタバレ」を気にせず書きます。
原作未読の方は映画鑑賞後にお読み下さい。
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1. 煉獄パイセンとの因縁
無限列車・編同様、本作も後半がエモかった。後半の主役はあの猗窩座(あかざ)。煉獄杏寿郎の責務の全した生き様に感動すればする程、憎くて仕方ない仇敵。「強さ」に拘泥する上弦の参は、相手が鬼殺隊であっても戦闘力を褒め称え、鬼になればもっと強くなれると執拗に勧誘する。ただ炭治郎が怒った様に、家族や仲間を殺した鬼達を抹殺し、世の人々を恐怖から開放したい鬼殺隊にとって、最大の「侮辱」だった。
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2. ヤングケアラーだった猗窩座
しかし、猗窩座(狛治)の生い立ちを知ると、鬼舞辻󠄀無惨の罪深さを思い知る。猗窩座にも幼少期から素養はあった。病弱で働けない父の代わりに稼ぎがねばならない事情はあっても、スリや強盗など暴力的な犯罪に罪悪感がなかった。何度もお縄になる息子を憂いて、負担にならないように父が自害したのなら、狛治の行いの報いとも言える。師匠と許嫁の毒殺に於いて、狛治は完全に被害者だが、報復として恐らく毒殺の関与していない者まで皆嬲り殺しにしたのは、ヒトとして一線を超え過ぎ。鬼舞辻󠄀無惨が自分の管理下にいない鬼が居たのかと、勘違いしたのも頷ける。
とは言え、狛治は鬼になるか否かを選択する余地を与えられていない。無惨が強制した「血」に体質的に耐えてしまっただけ。しかも、鬼化して「強さ」を求めた動機を忘れてしまう。本来は、父を食わせる為に身に着け、師匠によって武道として鍛え上げられた戦闘力。毒殺で汚されなければ、鬼化しなければ、許婚を護る以外には乱用せずにいられたかもしれない。無惨の「血」が毒に頼った卑怯者への怨念を増強させ、「弱き者」が護るべき対象から蔑む対象に変わってしまった。
覚醒した炭治郎に頸を落とされ、初めて完敗を実感した猗窩座は、自分を取り戻せて幸せに見えた。父を護りたかった事、本当は師匠に感謝していた事、そして許嫁に初めて男として愛された事...。人は思い出だけでは生きていけない。でも、鬼として何百年生きたとしても、自分を愛した人を忘れる程の価値はない。
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3. 炭治郎なら「暗黒面」に落ちない
Star Warsを観る度に無理問答に感じるのは、Jediは憎悪や殺意が高まりすぎると暗黒面(Dark side)に堕ちてしまうという設定。だから、LukeもReyもラスボスに、「自分を殺せ」と憎悪を高めるような言葉を投げかけ、暗黒面に取り込んで仲間にしようとする。でもこれって、無理問答の極み過ぎへん? 暗黒面にどっぷり使ってる仇敵は、こちらに殺意を抱きまくり。でもJediは、仲間のレジスタンスを殺した最強の仇敵を、恨んではいけない、殺意を持っていは駄目って、バランス悪過ぎへん?
でも、炭治郎が父の教えから導き出した明鏡止水な境地は、Jediの教えそのもの。自分や仲間の命を脅かす脅威には対処するが、必要以上に相手を恨んだり、むき出しの怒りを誇示しない。鍛錬で身につけた反射神経に全てを託して、考える間もなく小脳で反応する。その達観に、猗窩座との戦闘中に至ってしまう炭治郎ってば凄すぎるんだけど...若干、劇的過ぎて漫画的な御都合主義にも見えてしまった。伊之助とのエピソードも後付ではなく、柱稽古の辺りで伏線的に描いておいてくれると、尚自然だったのかもしれません。
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