「「狛治さん」から「○○○」」劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来 ぎんのすけさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 「狛治さん」から「○○○」

2025年7月19日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

興奮

「鬼滅の刃」の主人公は、もちろん竈門炭治郎。

ですが、この映画の主人公は「猗窩座再来」とあるように、間違いなく猗窩座。

善逸さんや胡蝶さんの戦いもありましたが、やっぱりメインは猗窩座。

無限城編は3章までありますが、1章の映画1本としてはやっぱりクライマックスに猗窩座を持ってくるのは皆さん予想していた通りですよね。

それに相応しい終わり方でした。

強さへのあくなき執着心や、弱い人間が嫌いな裏にある、悲しくも切ない過去。

弱い自分、大切な人を守れなかった自分に蓋をして、目を逸らし誤魔化してきたことが、最後の最後で溢れ出て、実は自分自身が弱かったことに気づく。

弱い人間を見たら、そこに「守れなかった自分」が見え隠れして怒りが込み上げていたのでしょうね。

そこが猗窩座の「強さ」の原動力ではありましたが、そんな彼の首を切った一太刀は、憎しみも恨みも怒りもない一太刀だった。

そして、彼を目覚めさせたのは拳による一撃だった。

自分より弱い人間に「鬼になれ」と言うのは、「弱い自分」の仲間を増やしたかったから。

弱い人間にイラついて殺してきたのは、「弱い自分」が許せなかったから。

猗窩座は、鬼になってから炭治郎に倒されるまで、ずっと弱い人間の命を奪いながらも、同時に自分自身を傷つけていたんでしょうね。

そこに、過去の記憶や守れなかった人たちからの声が聞こえてきて、一気に思いが溢れ出てきた。

ずっとずっと「守れなかった自分」を許せなかった。
でも、本当はそれ以上にずっと謝りたくて、そんな「自分」を許してほしかった。

そういったところからの、感謝の笑みだったのでしょう。

最後の最後に夫婦(めおと)になれて、きっと浮かばれたことでしょうね。

夫婦(めおと)になれた瞬間を象徴した一言で涙した人、多いのではないでしょうか。

上映期間中に、また観に行きたいと思わせるものでした。

「鬼滅の刃」を観たことがない方は、今からでもぜひ物語を追って観てもらいたいです。

ぎんのすけ
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