アイミタガイのレビュー・感想・評価
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愛を見たかい
それぞれの何気のないエピソードがつながる快感、点と点を結ぶ見えない線。それは亡き親友が仕組んだ愛にあふれたいたずらなのだろうか。辛すぎず甘すぎず、熱すぎずぬるすぎず心にとても優しい映画。
良い人しか出ない映画はつまらない、そう感じていた私。でも本作を鑑賞してこういう映画もいいもんだと思えた。
黒木華さんのエンディング曲も優しい歌声で癒される。彼女の持つ柔らかなイメージの通り。
主人公の梓は澄人との結婚に一歩を踏み出せないでいた。学生時代からの親友叶海はカメラマンになれたきっかけをくれた梓に今度はあなたが困ったときには背中を押してあげると言いながら旅立ってしまった。
叶海の死を受け止められない梓は彼女のスマホにメールを送り続ける。けして既読とならないメールを。
梓の叔母が介護ヘルパーである家に訪れた時、まるで止まっていた時計の針が動き出したかのように物事が動き出してゆく。
その家こそ学生時代いじめから救ってくれた叶海が連れてきてくれた決まった時間にピアノが鳴り響く家だった。
その家の主人小倉は戦時中自分のピアノで若者たちを戦地に送ったことを悔やみ、それ以来人前ではピアノを引けなくなっていた。ブライダルの仕事で訪れたそんな小倉に梓は過去このピアノに心を癒されたことを告げる。この縁で小倉は再び人前でピアノを弾くことができるようになった。
叶海の両親のもとに娘への郵便が転送されてくる。それは福祉施設からのひな祭りを祝うカードだった。娘が仕事をきっかけに施設の子供たちと交流を続けていたことを知る。娘が生前何を思い何をしてきたか、それを知るために両親は福祉施設を訪れる。そこから施設との交流が生まれる。
親友の存在、娘の存在が無ければけして生まれなかったであろう思いがけない人々とのつながり。亡き親友が、亡き娘が紡いでくれた人との関わり。これが彼女がこの世に生きた証でもある。残された人々は悲しみに暮れるのではなく彼女の遺した軌跡を辿る。
澄人のプロポーズに躊躇する梓に叶海の母がメールを返す。行っちゃえと。叶海は約束通り梓の背中を押したのだった。
これらメインのエピソードから、澄人が乗客の居眠りに機転を利かせた話や宝石店の孫の宝物の話といったほんと何でもないような細かなエピソードがすべてつながる時、とてもやさしい気持ちにさせられた。
こんな何でもないようなお話を見て幸せな気持ちになれるなんてと。
泣かそう、泣かそうとしてくる。 そして泣かされます。
ここ何年か「自己責任」が世間の風潮になっています。電車の中、駅、街中でなるべく人と関わらない様に過ごして来ました。関わってもそれは仕事ビジネスとしての事。お仕事ですから。
基本的に人の尊重を第一に考えます。また自分も尊重されたいと望んでいます。
頼られてばかりの人、間の悪い人、空気の読めない人、都合の良い人、要領の悪い人、
他人は他人という世の中で生き辛さを感じる時もあります。
そんな時代を前提に夫婦、親子、家族、親友、恋人との間柄をもっと密に、素直にしようよというのがテーマかなと受け取りました。
長い人生の中でささやかな事が知らずに誰かの心の支えになっていたなんて人生観が一変するよね。
でもなぁ 人の人生に
「行っちゃえ!」
ってのは、ちょっと言えないかなぁ~。
善意のピタゴラスイッチ
善意人の為ならずと言うけれど、本当にそうだなぁと思わせてくれる映画。「善人ばかりの小説はつまらないと思っていたけど、それもいいもんだ」まさにその通りだ。登場人物がみんな精一杯生きているけど、なんか、不器用でうまくいかなかったり、一歩を踏み出せなかったり、それでも人生何とかやっていけるのは、自分の知らないところでアイミタガイしてるからなんだ。優しい気持ちになれる感動で涙した。
この世に絡み合う無数の糸の奇跡
禿げたオッさんとアイミタガイ
映画『アイミタガイ』を鑑賞してきました。
ーー『アイミタガイ』(=「相身互い」)は、事故で大切な友人を失った主人公(黒木華)や、様々な背景から立ち止まっている登場人物たちが、周りの人々とのほんの小さなつながりや想いに支えられ、それぞれが前を向いていく姿を描いた物語ーー
邦画は映画館ではあまり観ないのですが、映画.comでの皆さんの評価が高かったので観に行ってきました。
大好きな黒木華さんが可愛くて惚れ直したのはもちろんで、それはそれで良かったのですが、映画的にはTOHOシネマズのギフトカードをもらっていなかったらわざわざ観に行かなかったかも。良作ではありますが・・・。
皆さんの感想では、涙が出たとか、何度も目頭が熱くなったとかありましたが、うーん、それほどでもなく・・・。私はココロが汚れてるのかなぁ・・・。
金曜日の19時30分からの上映で
観客は私ともうひとりだけ。
3つか4つ前の席に禿げたオッさん。
これもアイミタガイになるのかな?
あっ、そうそう。
エンディングロールの黒木華さんの歌がすごくよかった。彼女、歌も上手いんだなぁ。で、星半分追加。
書(本・書きもの) ⇒ 映画化は上手く行ってないかなぁ
私の評は表題の通り残念ながら高くはならない。
原作未読ですが、調べると5話オムニバス形式とのこと。なるほど。
きっと本で読んだら、時間軸や、人の心の動きを、ジグソーパズルを仕上げるように、自分自身の取り込みたい手順と速度で取り入れられ面白かったと思う。
本作(映画)は、なんというのか「映画という四角い箱に、物語(書)を小さく正方形に切りそろえて、キッチリ整えて収納した」という感じで、感情が揺さぶられない。
うまく言えないが、私としては整いすぎて趣しろさが半減したのかなと。
ここで言う「整いすぎ」というのは、脚本だけではなく、画の作り方も手伝ってのこと。なんというのか画づくりは教科書的というのか・・・。
整えるなら、小さく正方形ではなく・・・万華鏡を覗いたように華やかで繊細で美しく整えて欲しかった。
映像 ★★ 教科書的でつまらない、監督の個性・拘りが全く伝わらない
音 ★★★ 可もなく不可もなく
物語 ★★ 原作ではなく脚本化が上手く行っていない
役者 ★★★+0.5 中村蒼の空気感が良かった、
編集 ★★ 小さく正方形に切って、小さい箱に詰めないで
粗さ ★★ もともとが出来過ぎ物語、でもそれを上手く包んで欲しい
総合 ★★★ 個別評価は低いが総合では次第点かな
本作において、準主役の中村蒼は良かった。演技なのか素なのかは?
演技が上手いというよりも、何故か、この映画にうまくハマっており、彼が画に映り言葉を発することで、不思議と調和を生んでいたと思う。
そうだ、最後のシーンは好き!
“とある喪失感から立ち直るための青春映画…”な映画
泣くな!というほうが無理な映画でした…なので、泣きたい方は、どうぞ!笑
登場人物にまつわる各エピソードは、どこか既視感のあるお話ばかりなんですが、脚本が良いのかあるいは監督の手腕のせいなのか、人々の心情が上手く描けており、観ている側も感情移入がしやすく、後半へと行くにつれ、徐々に説得力のある物語へとなっていきます。
出演者たちはみな名演なんですが、特に主演の黒木華は見事でした。この作品がキネマ旬報のベストテンに入ることは多分ないでしょうけど(すいません!笑)、この作品で黒木華が主演女優賞を獲ってもおかしくはないでしょう(あくまでも個人的意見です)。派手な役どころではありませんし、どちらかといえば淡々とした物静かな役柄なんですが、彼女の所作や細かい表情の変化など、嫌味なくとても自然な感じがしました。
良い物語、良い作品だったと思います。
*ラスト、宝石屋の主人と孫のエピソードは、とってつけたかのような演出で、ちょっと“やり過ぎ”かなと思いました。もっとさらりとした偶然を装えばスマートだったかも知れません。あと、施設に保険金を寄付するエピソードも不要だったかなと思いました(トイレの写真だけで十分でした)。
*主人公と親友の高校生時代のエピソードだけで、1作品出来そうですね。この2人に纏わる“お話”がとても素敵な映画作品でした。
*脚本の市井昌秀は、私の大好きな映画『僕らのごはんは明日で待ってる』を監督した方だったんですね!どうりで…笑
*女優・藤間爽子さん、初めて知りました。
ホッコリ
人の背中を押したいと思いました。
親友を亡くした主人公がさまざまな人との出会いや気付きで、一歩前に進もうとする映画。
少し出来すぎの気もしますが、「お互い様」という気持ちで、隣人に親切にしたり、できる範囲で気遣いをしたり、ほっこりする場面が多かったです。
娘を亡くした両親が児童施設のトイレに貼ってある娘の写真を見て涙する場面ではついもらい泣きをしてしまいました。
人は信じられる、信じて前に進むしかない。そんな気持ちにさせられました。
出演者、特に草笛光子さん、風吹ジュンさん、そして中村蒼さんが素敵でした。
丁寧な日常の積み重ね大切にしたい
アイミタガイ=相身互い≒I meet a guy
11月5日(火)「ゼンブ・オブ・トーキョー」に続いてハシゴ。TOHOシネマズ日比谷で「アイミタガイ」を。
梓(黒木華)は、ウェディングプランナーだが、結婚していない。
梓には両親が離婚したトラウマから結婚に対して積極的になれない思いがある。
「プランナーさんが結婚してないの」と顧客の親から嫌味を言われる事もある。
梓には澄人(中村蒼)という彼氏がいるが、今ひとつ頼りない。そして、間が悪い。この間も家まで転倒防止器具を取り付けに来てくれたが、自分が転倒して小指を骨折した。
澄人はいい人である。いつも同じ電車に乗る知らない人が寝過ごしそうになるとわざと本を落として起こしてあげる。
澄人は梓と結婚したいと思っているが、踏み出せない。福永(升毅)の宝飾店を訪ねる。
「今すぐに買う訳ではないんですが、この店で一番高い指輪を見せて下さい」
出された120万円の値札が付いた指輪を見て
「ご、五番目位に高いやつをお願いします」(判るよ。私も給料3ケ月分に満たなかったって、何十年前の話だ?)
梓には転校して来た中学生の時に虐めから助けてくれた叶海(藤間爽子)という親友がいる。その頃近所の空家の裏手で二人で隣家の夕方6時のピアノを聴いたのだ。
梓を撮った写真で写真展に入賞した叶海はカメラマンになる。
梓と一緒に食事をした叶海は撮影で長期の海外出張に行くと言う。梓と別れて駅で父親(田口トモロヲ)と会った叶海は出張に行くから郵便を転送すると告げる。
叶海は、海外の車両事故で亡くなる。
梓と叶海の両親は叶海を失った悲しみから抜けられない。梓は叶海の葬儀にも行かない。
叶海の母親(西田尚美)は叶海のスマホを解約出来ず、梓は叶海にLINEを送り続ける。
梓には離婚した父方の祖母がいる。
梓が澄人と一緒に祖母を訪ねた時、隣人の老女がボヤを出し梓と澄人は火を消す。
老女の息子が謝りに来た。「アイミタガイだから」
アイミタガイ、この言葉を発するのは梓の祖母(風吹ジュン)である。
70ジジイの私は聞いた事かある言葉だが、確かに最近は聞かなくなった言葉かも知れない(相身互いと書くのは今回知った)。
澄人「初めて聞きましたよ。英語かと思った。I meet a guy」
叶海あての児童養護施設からのカードが転送で父親の手元に届く。施設に問い合わせて施設長と会い、叶海が行っていた行動を両親は知る。両親はある決断をする。
叶海のスマホを解約出来ない母は、パスコードを入れてスマホを開く。パスコードは梓を撮って入賞した写真展の作品番号だった。「そうだと思った」
梓からの数多くのトークが来ていた。
梓の叔母(安藤玉恵)は訪問介護ヘルパーをしていて、前任者に代わりこみち(草笛光子)を担当する。家にはピアノがあり、昔から弾いていた事を知る。
金婚式セレモニーのために高齢のピアニストを探していた梓は、叔母から小道の事を聞いてこみちの家に依頼に行くが、家を見た梓はある事を思い出す。
虐めから助けてくれた叶海に手を引かれて前に進んだ。
「叶海がいないと前に進めないよ」
LINEのトーク画面は「ゼンブ・オブ・トーキョー」でも上手く使われていたが、「既読」が付く瞬間をこんなに上手く使った事はないのではないか。既読が付くのを観た梓の驚き。
そして送られて来た「行っちゃえ!」
梓は、初めて叶海の両親と会う。
梓は、祖母に、叶海に、叶海の母に背中を押され前に進む。駅で渡された婚姻届の返事をしに澄人の元へ。背中を見せて倒れかかる梓、そしてそれを支える澄人。
二人は福永の宝飾店に向かう。(ここにも意外な出会いが・・。)
宝飾店に入って行く梓の笑顔は最高に輝いていた。
いろいろな出会いがラストに向かって収束して行く脚本が見事である。
澄人と叶海の父が出会った時、どんな顔をするのかな。
人生は色々な出会いとアイミタガイで生きて行くものなのだろう。私も誰かの背中を押し、預けられた背中を支えて行けたらなぁ、と遅ればせながら思う70ジジイなのであった。
クレジットタイトルで歌っている高い声の歌手は誰?と思ったら黒木華歌唱でビックリ!
曲が1979年の荒木一郎で2度ビックリ!!
奇跡の夜明け?
公式サイトであらすじを予習?して鑑賞
(ただエンドロールであの曲が流れるのは知らなかったのです)
突然親友を亡くした「悲しみ」を「乗りこえていく」そんな分かりやすい物語
ですが人と人の繋がりは最後まで奇跡の連続です
答えをバラしながら進むミステリー?みたいな感じもします
いい人しか登場しない優しいストーリーに癒されました
嘘くさい話は苦手な方もいると思いますが
フィクションの中なんですからいいじゃないですか(笑)
そしてほんわかした余韻が残る中でいきなりの黒木華さんが歌う「ちょっとマイウェイ」じゃなくて「夜明けのマイウェイ」
やられました
全て説明しちゃうタイプの映画
何もかもを言葉に出して説明してしまっていて、わざとらしさを感じる映画で、個人的には感動しなかった。
邦画(というより日本語)の良いところは、全てを言葉や映像で語らぬ「察し」の表現だと思う。行き過ぎると芸術家気取りの独りよがりなものになってしまうが、多くは語らず、あとで深く考えた時にやっと気づくような奥行きのある表現がこの映画には足りない。それくらい全てを明確に描いてしまっていて、良くいえば分かりやすいが、悪く言えば単純で趣がない。
そのくせ、説明した方がいい箇所は説明がないので、最初、主人公とヘルパーの関係性が全く分からなかった。
まず、日常を醸し出すために仕組まれた雑談が本当に日常すぎてつまらないし、縁を感じさせようとして語られる話は全て説明口調。
冒頭で主人公はオチもクソもないハチ公の話を場に放り投げているが、この会話はラストに別の親子の間でも話題に上がったという以外のギミックはなく、話の中身に意味はない。忠犬ハチ公に重なるシーンもキャラクターもない。
現実でも一往復で終わる程度の盛り上がらないどうでもいい話なのに、中途半端に楽しそうに話しているところが、リアルを追求し過ぎて、逆に作られた感が出てしまう典型的な例。
主人公のおばがヘルパーとして派遣された初回の印象もかなり悪い。指示されていない場所へ勝手に入った挙句、「そこは何もしなくて良い」と注意をうけたあと「うわ、怒らせたぁ?」と口に出したのが、あまりにも品が無さすぎてムカついた。
途中で主人公の祖母が話す「相身互(い)や」を聞いた澄人が「I meet a guyって英語かと思いました」と言うが、心の底からそんなわけあるかと思った。なんなら口に出ていたかもしれない。
たしかに聞き馴染みはない言葉なので、一瞬は英語みたいな発音だと感じたとしても、耳に入ってきて「はて?」となるほど意味が分からない単語でもないし、話の流れからして、「まぁ、お互い様的な意味かな」と大体わかるはず。小ボケなのは分かるが、別に面白くないし、キャラクターの性質上、本気で言ってるようにしか見えない。
話題にするにしても「この地方の方言ですか?」くらいなものだろう。
叶海の両親が孤児院に向かうタクシー運転手との会話も若干噛み合ってなかったし、わざわざ「あの子も一緒に来たのね(うろ覚え)」なんて口に出すのは何とも情緒がない。
例えば、黙って強く手を繋ぐといったような、見る側の想像に任せた演出ができない理由が知れない。
ラスト近くで主人公が叶海の両親に話しかけた時も、ずっと一方的に話し続けた上で「若者に助けられました」と呟くが、田口トモロヲさんくらいの年齢で話し言葉で「若者」なんて使うか甚だ疑問。元々お父さんの口調が古臭いのであれば気にならなかったろうが、そんなこともなく。「お兄さん」が普通だろうが、せめて「若い人」くらいで留めてほしかった。
原作がある作品にありがちだが、感動的な話を語らせようとすると突然、口調が文語体になる現象はなんなんだろう。小説の中では問題ないが、映像化した際に声に出すとおかしくなることに気付いてほしい。
また、ラストの孫を連れたおじ様が「子供が(バナナのキーホルダーを)飾りたいと言って聞かなくて」と言ったあと「子供ながらにピアノに感動したんですかね」と言うが、どういうことか意味が分からなかった。なぜピアノに感動したらバナナのキーホルダーを飾りたくなる?文脈がおかしすぎて、ただ「主人公が担当していた銀婚式(金婚式?)に来てた人ですよ」と伝えるためだけの言葉になっている。
主人公に気づかせたいのなら、式の途中にその子供にバナナのキーホルダーを自慢されたとか、直接主人公がその子供に手渡しただとか、あるいはその式でしか配ってないはずの特殊な見た目をしたキーホルダーであったとか、やりようは色々あったはず。
最悪、ピアノのワードも出したいということであれば、子供に「ピアノ弾きたい!」とでも言わせれば、先程の「子供ながらに〜」に繋げられるはずなのに、全てが杜撰すぎる。
そもそもの話になるが、叶海が明らかに無許可に他人のスナップ写真を撮っているのが、気になった。女子学生二人組を無許可で真正面から撮るって、あるあるなのか?
「撮っていい?」の一言くらい挟んだ方が良かった。
ただ、台詞回しのわざとらしさはしょうがないものの、草笛光子さんの演技が素晴らしかった。
草笛光子さんが93歳設定は流石に歳が合ってないと思っていたが、ご本人が91歳と聞いてあまりの若さに驚いた。
この映画の評価部分はキャスト陣の演技力の高さのみ。
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