「叶海を基軸とする人間関係の温かさ、柔らかさ。」アイミタガイ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
叶海を基軸とする人間関係の温かさ、柔らかさ。
<映画のことば>
「その若者のお陰で、最後に叶海に会うことができたんです。」
本作での、すべての人間関係の「基軸」は叶海だったのだろうとも思いました。
まずは、叶海と梓との関係性。
そして、範子を介しての梓とこみちの関係性。
さらに、叶海のLINEを通じての梓と優作・朋子の夫婦(叶海の両親)との関係性。
加えて、叶海と児童養護施設施設の人たちとの関係性。
あとは、最後の最後に、澄人と優作との関係性―。
言ってみれば、叶海の人間性から滲(にし)み出て来るかのような、それらの関係性の温かさ、柔らかさ―。
そんなことに思いを致すと、やっぱり、本作の最も象徴な台詞は、上掲の映画のことば以外には、ちょっと考えられないと、評論子は思いました。
いずれにしても、佳作の評価が惜しくない一本だったとも、評価子は思います。
(追記)
多くのレビュアーが言及しているとおり、本作の最後の方で表現される、朋子(叶海の母親)が梓に送った「行っちゃえ」のLINEメッセージは、案外と本作では「意味深」のワードではないかと、評論子は思います。
表向きは朋子が梓に澄人との結婚を後押しするセリフなのですけれども。
他方では、叶海を亡くして前に進めなかった朋子自身へのエールになっていたことも、また間違いのないことと思います。
そして、このセリフに背中を押されて、澄人に強引に手を引かれている時の梓の表情―、評論子には、忘れられません。
本作の「アイミタガイ=相身互い」は、そんなところにも、ひょこっと顔を出していたのかと思うと、感慨深いものが、評論子にはありました。
(追記)
本作のモチーフとなっているのは、言うまでもなく「相見互い」という慣用句で、同じ悪い境遇や身分の人が、互いに同情し合い、また助け合うことを意味するものですけれども。
しかし、評論子的には「籠(かご)に乗のる人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作つくる人」という言い方の方が、本作の内容には、より良くフィットするのではないかと思いました。
つまり、世の中は、さまざまな立場の人々…それ故に、さまざまな思惑の人々によって成り立っており、同じ人間でありながらその境遇に差のあることのたとえ、ということです。
しかし、レビュアーの皆さんのレビューを読ませていだたいているうち、もっともっと本作にはフィットする言い回しを見つけることができました。
自らのレビューを一応は書き上げてからでも、何かしら言い足りないようなモヤモヤとしたイメージを払拭できなかったのですけれども。
そのモヤモヤを一気呵成に解消するような、適切な言い回しを、ズバリと見つけることができました。
(これも、多くのレビュアーのレビューを読むことのできる当サイトのメリット!)
それは「持ちつ、持たれつ」という言い回しです。
的確なレビューで、そのことに思いを至らせていただいたレビュアー・活動写真愛好家さんに感謝し、末尾ながらハンドルネームを記させていただき、お礼に代えたいと思います。
共感ありがとうございます。
一人の死によって、皆が立ち止まってしまった。でも皆を再び動かしたのも、生前の故人・・こういうのも奇跡、でも無いとは言い切れないなぁと思いますね。