ゆきてかへらぬのレビュー・感想・評価
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日本のおしゃれな時代を生きた3人
中原中也と駆け出しの女優長谷川泰子、中也の作品に惚れ込む文芸評論家小林秀雄の三角関係?なんとも言えない奇妙な関係のお話でした。
大正という時代背景、、、和と洋が織り混ざった建物のつくり、衣装、ヘアメイク、、、とても魅力的でした。
映像が素晴らしく、静かな雨が打つ長屋の細道の石畳み、、、雨に濡れて黒くなった瓦屋根に赤橙色の柿、、、3人でボートを楽しむ水色の世界、、、桜が満開の桜色でスクリーンがいっぱいになり、映画館で観れて良かったなという印象です。
キーワードになる色々なモノが登場します。
柿、壺、振り子時計、お茶碗、赤い手袋、、、貧しい時代から、余裕のある時代へ、、、素敵な物が世にでてきた時代、、、物への執着を感じます。
脚本は40年前に田中陽造さんが書かれたものに、根岸監督が惚れ込んで映画化というだけあり、セリフひとつひとつに色気を感じます。
中原と泰子の狂気は感じましたが、印象に残ったのは泰子の母親役の滝内公美さんの圧倒的存在感、、、
全体的にどうだったか、、、というのはネタバレになるので控えます、、、大正ロマンの文学、生活、思考、、、新旧のものが入り混じった時代、、、戦争が起きずにそんな時代が続いてたら、日本はもっとおしゃれになっていたんだろうな、、、と思わせる、そんな映画でした。
大正デカダンス
ブルーダイヤモンドにはほど遠い
ゆきてかへらぬ
小林が天才だ、ダイヤモンドと、何度も言うほどイエローダイヤへとくすんで行くのが詩人なのだ。
更に、大聖君も頑張っているが、そもそも17歳の青年からオッサンにまで薄汚れる詩人を演じるのは荷が重過ぎる。
泰子も、加齢に薄汚れる詩人と真逆に老練する評論家に挟まれればアタオカとなるも当然でしょう。
魔性なんぞ一欠片も感じ無かったのは、小林と同じだ。
あれはジェラシーだったのだろう。
とは言え、
その無理無理の青春の一コマを開花から落花を大正浪漫として楽しませてくれた。
また、ロケ地は最高の場所が数多くあった。
わかったのは、大徳寺の塔頭辺りかな。
出来たら、ロケ地巡りをしてみたい。
(^-^)
ゆきてかへらぬ
劇場公開日:2025年2月21日 128分
大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ。
大正時代の京都。20歳の新進女優・長谷川泰子は、17歳の学生・中原中也と出会う。
どこか虚勢を張る2人は互いにひかれあい、一緒に暮らしはじめる。
やがて東京に引越した2人の家を、小林秀雄が訪れる。
小林は詩人としての中也の才能を誰よりも認めており、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。
中也と小林の仲むつまじい様子を目の当たりにした泰子は、才気あふれる創作者たる彼らに置いてけぼりにされたような寂しさを感じる。
やがて小林も泰子の魅力と女優としての才能に気づき、後戻りできない複雑で歪な三角関係が始まる。
広瀬すずが長谷川泰子、木戸大聖が中原中也、岡田将生が小林秀雄を演じた。
「探偵物語」「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」の名匠・根岸吉太郎監督が16年ぶりに長編映画のメガホンをとり、
「ツィゴイネルワイゼン」の田中陽造が脚本を担当。
ゆきてかへらぬ
劇場公開日:2025年2月21日 128分
中原中也という天才
汚れつちまつた悲しみに、
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮袋
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむもなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
この詩を読んで感動しない人間は居るだろうか?
この映画は長谷川泰子(広瀬すず)の映画なのです。
中原中也を描くなら、この詩は絶対に省けない
乳母車を押す中也、
哺乳瓶から乳を飲む中也、
マントを翻してローラースケートに興じる中原中也、
ラストの「ユーモア」という謎の題名のテーマ歌を省いても、
汚れつちまつた悲しみに、は、読まなくてはならない。
この詩を、冒頭か?ラストで、
テロップで流して声を被せたら、
だった1分間で、
この映画は本物の芸術作品になり得たかもしれない。
久しぶりに観た【文芸映画】
それでも【文学】をそこはかとは感じる良い作品でした。
まず人間が描けている。
詩人・中原中也
女優・長谷川泰子
文芸評論家・小林秀雄
この3人が演じた木戸大聖、広瀬すず、岡田将生の
手堅い演技力、的確な人物像の把握、役への情熱、やる気
そのため実在しているかのような存在感が感じられる。
特に木戸大聖の演じる中也。
映画では否定していたが、17歳の旧制中学から、
女郎を買ったとの証言がある。
小林秀雄に泰子を奪われても、ちょくちょく顔を出して、
泰子が神経を病むほどの大音量で鳴る柱時計を贈る。
《中原中也と哺乳瓶そして乳母車》
これには伏線がある。
泰子が望まぬ妊娠・出産をした時、泰子を支えて、
子供の茂樹の名付け親になった中也。
案外、バンカラで豪放磊落な面倒見のいい男だったようだ。
この辺は木戸大聖も手堅く片鱗をみせている。
そして何より、中也と泰子は広島の鉄砲町で目と鼻の先に
住んでいた。
面識はなかったが、同郷でご近所なら、話が弾んだ筈だ。
中也は3歳年下にも関わらず、乳飲み子を抱えた泰子の面倒を
良く見ている。
【乳母車も哺乳瓶】も茂樹との交流に寄るものだろう。
ある意味で知的で冷たい小林秀雄より、情の濃い男。
30年の生涯は濃縮されて濃い特濃のものだったのである。
岡田将生は小林秀雄にうってつけで、美貌と嫌味なほど知的で繊細。
料理の出来ない泰子を気遣い、ゆうげの食べ物を毎食買っ作る。
しかしどうだろう?
泰子は、中原の部屋に泊まった朝、味噌汁をそれもあり合わせで
生姜の味噌汁を手作りしている。
中也と暮らしていれば泰子の神経症は出ない。
それでも中也と秀雄は靖子を挟んで交流を続ける。
監督の根岸吉太郎は2009年の太宰治を描いた
「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ」以来16年ぶりの長編映画。
もともとは有名監督なので、「遠雷」と「ヴィヨンの妻」は観ている。
「遠雷」は有り余る若さが画面から迸っていた。
それに較べると今回の熱量の不足は否めない。
中原中也役の演者が見つからず、40年以上前の田中陽三の脚本が
やっと日の目をみたそうだが、
美しい良い役者(広瀬すずと岡田将生)を見ていると、
一瞬も目を離せず、一瞬も飽きる事が無かったが、
感動したかと聞かれれば、湧き上がる興奮は沸点を越えず
化学反応は起こらなかった。
なりふり構わず情に訴えるには、
広瀬すずの美しい背中を見つつ、
広瀬すずの見事な日本髪の美しさをしても、
足りない。
岡田将生は小林が掴めず不完全燃焼という。
圧倒的な芸術の香りや破壊力と熱量が微量な気がする。
根岸吉太郎監督は案外ニヒルな人なのかもしれない。
意味わかんねぇえええええ
広瀬すずの一皮剥けた演技は必見!
実に文学的な演出で、誇張された演技が特徴の作品です。
主人公 長谷川泰子(広瀬すず)、中原中也(木戸大聖)、小林秀雄(岡田将生)の
三角関係を描いているので、時代は大正〜昭和です。
率直申し上げて、映像のつくりあがりから、あまり大正感は感じられず、
そこは少し残念でした。
本作の見どころは広瀬すずの一皮向けた演技だと思います。
今までの広瀬すずのイメージから脱却し、
中原・小林から見たら、非常にやっかいな人物として演技していますし、
精神的に参っている時の言動・行動など、狂気をまとった演技も
実に見事、というより頑張っているなぁ、広瀬すず!と感じました。
広瀬すずは声に特徴があるので、
誰を演じても、広瀬すずだなぁと思ってしまうところはあるものの
表情・所作などで今までのらしさ的なところは突破している気がします。
ただ、もう一歩、二階堂ふみくらいの吹っ切れ方で演じていると、
また見方も変わったかもしれません。
木戸大聖の演技はちょっと鼻につくというか、本当に中原はあんな感じだったのかな?
なんて思っちゃいました。
一方、岡田将生も繊細な役どころを巧みに演じていましたね。
中原中也の半生を描いた作品でもあり、私は興味深く観ることができました。
本日、公開日のレイトショーでの鑑賞でしたが、
私を含め観客2名。
これは全国的にも興行は厳しそうだなと感じております。
※広瀬すずが主演というだけあって、集客力もそこそこあるかと予想していましたが、甘かったです
ああ おまえはなにをして来たのだと…吹き来る風がわたしに云う
殆ど実家からの仕送りで生活していたという自堕落で穀潰しの有り様は、太宰治にそっくりな中原中也。映画には無かったが、家族の手前、働きますというパフォーマンスでNHKの入社面接を受けに行くも、面接官を怒らせて、わざと落ちている。生涯、詩人として生きる覚悟を持った破天荒な男を木戸大聖が演じたが、“不遜な若者”感は充分だったけれど、“詩人”になりきれてはいなかった。ドラマで1990年『三上博史の中也』がハマりすぎていて、これには勝てない。一方、岡田将生の印象は悪くない。上から目線の稀代の文学者、髪型なのかメイクなのか昭和初期の雰囲気を漂わせ乍ら、本作での主要な三角関係の危うさを、醒めた視点で捉え、なおかつ優しく均衡を保ち続けるという難役をこなした。
そして主役の広瀬すず、大人になりました!時々は気の利いた事も言えるけど、いくら背伸びしても二人に割って入れない、疎外感に苛まれる、はすっぱな大部屋女優を見事やりきった。
中也が皮肉たっぷりにお祝いとして持ってきた柱時計 と小林の目利きで買った白磁の壺は、泰子が精神的に壊れていくシーンで重要な役割を果たす。うるさいから壊してっ!として庭にぶん投げた柱時計が中也の象徴なら、壺は小林のそれである。バラバラになっても鳴り続ける“ナカハラ”に“コバヤシ”を投げつけて一緒に壊してしまい、私はあんたらの“おもちゃ”じゃない!とキレる場面は秀逸である。
文芸作品でも演技の幅を魅せた広瀬すず、人気者ゆえに引っ張りダコの状況だろうが、あんまりミーハーなところに顔を出さず、作品を選んで大成して欲しい。
(表題変更しました)
ファム・ファタールとしての広瀬すずの魅力が感じられない
雨に濡れた屋根瓦と、柿の実や真上から撮った朱色の傘のコントラストの美しさ、タバコをふかして花札を打つ、ちょっとハスッパな広瀬すずと、序盤は画面に引き込まれる。
ただ、それ以降は、3人の男女がくっついたり離れたりの話が続くばかりで、少し退屈してしまった。
長谷川泰子は、確かに、中原中也と小林秀雄の2人を同時に愛していたのだろうし、中原中也と小林秀雄も、互いに尊敬し、信頼し合う仲で、そこには性別を超えた愛情があったに違いない。
精神を病んだ泰子が、中也と秀雄の3人で遊園地やダンスホールに出かけた時の楽しそうな様子が印象的だが、この3人は、お互いにお互いのことを愛しており、3人でいる時が一番幸せなのだろう。
そこで、誰かが、他の2人のうちのどちらかを独占しようとする時に、3人の関係性のバランスが崩れ、軋轢が生じるのではないだろうか?
「私たちの不幸せを終わらせる」とか「神経と神経で繋がっていた」といった台詞からは、まさしく、こうした3人の関係性が窺い知れるのである。
どれだけ愛し合っていても、一緒にいると幸せになれないということは、確かにあるのだろうし、その場合は、映画のタイトルが示すように、やはり、別れるしかないのだろう。
そうした、人間関係の悲劇を描いた映画であるということはよく分かるのだが、せっかく中原中也や小林秀雄を題材に取ったのであれば、その創作活動や評論活動に、長谷川泰子がどれだけ大きな役割を果たしていたのかといったところも、もっと描いてもらいたかったと思う。
その点、鬼気迫る演技とは裏腹に、ファム・ファタールとしての広瀬すずの魅力があまり感じられなかったのは、残念としか言いようがない。
物語に感動することも、共感することもないが、広瀬すずさんの演技は見ごたえあり
長谷川泰子のホラー劇場「詩と死」
広瀬すずに刮目せよ
文学映画
2025年の有力候補。
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