劇場公開日 2025年2月21日

「本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。」ゆきてかへらぬ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。

2025年2月25日
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鑑賞方法:映画館

 ベテラン、根岸吉太郎監督の16年ぶりの新作となる本作は、大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ。根岸監督が描いたのは「若いがゆえのキリキリした生き方」というのです。

●ストーリー
 大正時代の京都。20歳のまだ芽の出ない新進女優・長谷川泰子(広瀬すず)は、17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出います。どこか虚勢を張る2人は互いにひかれあい、一緒に暮らしはじめます。価値観は違う。けれども、相手を尊重できる気っ風のよさが共通していたのです。
 やがて東京に引越した2人の家を、小林秀雄(岡田将生)がふいに訪れます。小林は詩人としての中也の才能を誰よりも認めており、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていました。
 中也と小林の仲むつまじい様子を目の当たりにした泰子は、才気あふれる創作者たる彼らに置いてけぼりにされたような寂しさを感じます。やがて小林も泰子の魅力と女優としての才能に気づき、後戻りできない複雑で歪な三角関係が始まるのです。それはアーティストたちの青春でもあったのです。

●解説
 監督、根岸吉太郎は、脚本家、田中陽造の台本に出逢ってしまった。大正時代、才能あふれる3人の若者たちの恋愛と青春、あるいはそのいずれでもない崇高ななにか。正三角形ではなく二等辺三角形。ありきたりのトライアングルではない、唯一無二の人間関係がそこには記されていました。
 『ツィゴイネルワイゼン』『セーラー服と機関銃』など日本映画史に残る脚本家のその作は、多くの監督たちが熱望しながら長い間実現することができなかった秘宝というべきものです。
 この幻の脚本が幻のままだったのは、永らく田中が描く中原中也に相応しい俳優が登場しなかったことが理由の一つと言われています。
 その扉を、『遠雷』『ウホッホ探検隊』『雪に願うこと』の名匠がついに開けました。根岸と田中が組んだ『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』以来、実に16年ぶり。根岸にとっても16年ぶりの新作となったのです。
 きっかけは、木戸大聖の登場にあります。彼は、Netflix「First Love 初恋」で佐藤健の若き日の姿を演じ鮮烈な印象を残すなど、今、旬の注目株。初々しく瑞々しい木戸の求心力は、映画·ドラマで描かれてきた畢生の天才詩人のイメージを大胆に塗り替えたのでした。木戸の起用が、本作を大きく動かしたのでした。
 そこに、泰子と中也の関係性をある意味、唯一無二のものにしたとも言えるキーパーソンとなる小林秀雄に名優、岡田将生が扮します。ある時は冷静に、ある時は情熱のままに、中也に惹かれ、泰子にも惹かれる小林の姿は、21世紀を生きるわたしたちにも訴求する現代性が豊かに波打っており、片時も目が離せなくなります。
 3人に共通するのは、詩や文学、映画といったカルチャーに対する情熱と各分野で発揮された才能。だから、彼らの結びつきは、肉体的でなく、精神的といえます。互いに羨望や嫉妬の感情を抱いても、それが渦を巻いてドラマがうねるというより、互いに距離を測りながら、つかず離れずするふうなのです。根岸監督の端正な演出によって、繊細な心のドラマが描出されました。

●感想
 彼女の自伝には夥しい数の大正時代の文化人の名が記されています。早くに父を亡くし、生家からの支援がない根無し草の女性が20代、東京で大正モダンを体現する存在となりました。
 何も持たない女性、長谷川泰子はなぜ、天才詩人、中原中也に生涯をもって愛情というだけでは語りつくせぬ執着を示されたのでしょうか。その中也から奪うように、まだ何者でもなかった小林秀雄はなぜ彼女との同棲生活に突入したのでしょうか。
 本作を見る限り、泰子の抱える潔癖症から生じる渇愛が、中也の本能的な感性と秀雄の論理的な振る舞うという性格の対称的な二人からの愛によってようやく満たされるという関係になっているように見えます。それ故に、本作の主人公は、2人の男の間を行き来する泰子といっていいでしょう。広瀬はギリギリの露出で濡れ場に挑戦するなど健闘しています。余りにもその切れ方が激しぎる余り、泰子の抱える複雑な内面がにじみでてきませんでした。広瀬は取材の折に見せた岡田の表情に喚起された解釈で演じたとインタビューで答えていました。これは中也の告別式での泰子応振る舞いは伝記とは違うのではとの質問に答えてのもの。なので決して台本を棒読みしていたわけではなく、雰囲気を大事に演じていたはずなので、広瀬オシとしては責められません。やはり根岸監督の過剰演出だったというべきでしょう(^^ゞ
 とにかく何で急に中原から小林に乗り換えてしまったのか、わかりませんでした。

 それでも本作から香り立つ大正ロマンのリアリティは格別なものがありました。それには、撮影、美術、照明の力も大きいと思います。中也と小林が泰子と暮らす、それぞれの家が主な舞台となりますが、そこに差す光の加減が素晴らしい効果をあげています。雨の中を歩く男女の姿など成瀬巳喜男監督の映画のような情緒を感じたのです。

流山の小地蔵
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