「ファム・ファタールとしての広瀬すずの魅力が感じられない」ゆきてかへらぬ tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
ファム・ファタールとしての広瀬すずの魅力が感じられない
雨に濡れた屋根瓦と、柿の実や真上から撮った朱色の傘のコントラストの美しさ、タバコをふかして花札を打つ、ちょっとハスッパな広瀬すずと、序盤は画面に引き込まれる。
ただ、それ以降は、3人の男女がくっついたり離れたりの話が続くばかりで、少し退屈してしまった。
長谷川泰子は、確かに、中原中也と小林秀雄の2人を同時に愛していたのだろうし、中原中也と小林秀雄も、互いに尊敬し、信頼し合う仲で、そこには性別を超えた愛情があったに違いない。
精神を病んだ泰子が、中也と秀雄の3人で遊園地やダンスホールに出かけた時の楽しそうな様子が印象的だが、この3人は、お互いにお互いのことを愛しており、3人でいる時が一番幸せなのだろう。
そこで、誰かが、他の2人のうちのどちらかを独占しようとする時に、3人の関係性のバランスが崩れ、軋轢が生じるのではないだろうか?
「私たちの不幸せを終わらせる」とか「神経と神経で繋がっていた」といった台詞からは、まさしく、こうした3人の関係性が窺い知れるのである。
どれだけ愛し合っていても、一緒にいると幸せになれないということは、確かにあるのだろうし、その場合は、映画のタイトルが示すように、やはり、別れるしかないのだろう。
そうした、人間関係の悲劇を描いた映画であるということはよく分かるのだが、せっかく中原中也や小林秀雄を題材に取ったのであれば、その創作活動や評論活動に、長谷川泰子がどれだけ大きな役割を果たしていたのかといったところも、もっと描いてもらいたかったと思う。
その点、鬼気迫る演技とは裏腹に、ファム・ファタールとしての広瀬すずの魅力があまり感じられなかったのは、残念としか言いようがない。