うぉっしゅのレビュー・感想・評価
全53件中、21~40件目を表示
やや難解な語が出てくるのが人を選ぶもののおススメ枠
今年123本目(合計1,664本目/今月(2025年5月度)8本目)。
いわゆるソープ嬢の女性のところに、1週間だけでも祖母の面倒を見て欲しいという連絡があり、仕事と掛け持ちをしながら(認知症の)祖母との交流を深めて自分探しもする、という物語。映画の「うぉっしゅ」には複数の意味がありますね。介護においては入浴や体ふきなども含まれますから。
一方で、最初のほうに「嚥下機能」といった語が出てきますが(ちらっと写る)、医療現場や介護現場等では常識語でしょうが、日本人の成人でもそれらの仕事にいないと、認知語彙にすらないのでは…と思います(ほか、「せん妄」など。「歩行器」も同様だが、こちらは漢字から意味が理解できるし、病院の病棟でも見ることは結構ある)。一方でいわゆる介護人材不足による外国人受け入れが一般的となりつつ今では逆にこれらの「特殊な語彙」はそうした方のほうが理解が早かったりしますので、この映画の一つのテーマである「自宅介護」の論点は(介護の場所が病院か自宅か、という違いはあっても)介護現場に外国人の方がどんどんいらっしゃる現状、ある意味逆転現象も起きそうです。
主人公がいわゆるソープ嬢であるのも、実は映画のストーリーと大きく関係はするし、また映画の中でいう「くだらない職業」と述べている割に実は重要な事項でもあるし、また本人はそうはいっても誰も否定的にも肯定的にも述べないし、そこは好感が持てるところです(なお、PG12以上の映画ではないので、「その手の描写」は一切存在しません)。
公式サイト等にはちゃんと記述がありますが、在宅介護の協会など一部の医療に関する協会等の後援等もあり、描写は結構リアルでかつ正しく描かれている点も良かったです。このような映画は時としてテーマが人を選んでしまいミニシアター中心となってしまうことが多々ありますが、大きな映画館で放映されていたことに意味もあると思います。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.2/「嚥下障害」「せん妄」などの意味を理解するのにある程度の大人の教養を要求する)
この点、現場で働いている方には常識扱いでしょうし、それらと連携することがある法律職(行政書士も同じか)もまぁある程度わかりますが、少なくとも日常語彙ではないでしょうし(当事者除く)、認知語彙かというのも怪しいので、ある程度単語の選択に配慮があってよかったかな、とは思います(「歩行器」だけは、漢字の意味から類推ができる)。
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(減点なし/参考/親の介護義務と求償関係)
ここからは行政書士の資格持ちが気になった部分です。
日本の民法上、直系血族と兄弟姉妹には扶養義務があります。そしてその扶養者や扶養の程度が決まらない場合、家庭裁判所がそれを決めることになっています(民法)。戦後の混乱期など特殊な状況を除けば「一人しか扶養義務者が残らない」ことは想定できない一方、民法の物権債権(財産法)と違い、これらのトラブルが実際に家庭裁判所で争われることも極めてレアで、法律上の規定は別として「現地の習慣」や「当事者の暗黙の了解」が優先される代表的なケースです。
なお、(通常は)複数人想定できる扶養義務者がいるとき、誰か一人が代表したとして、その費用ほかをあたかも均等割りして他に求償できるか?というのは、日本では判例が少ないものの否定的な見解です(高裁で争われたケースがいくつかあるのみ、最高裁まで争われたケースがまず見当たらない)。また、複数人想定できる場合でも、「地理的な近さ」や「共同生活の実際の有無」は問題と「ならない」(配慮しない)というのが高裁判例です(大阪、仙台高裁など)。
浅い
テーマが乱立してますがどれも掘り下げられておらず表層でごちゃごちゃ色々やっている感じを見ているうちに終わりました。
欲張って色々詰め込むことの悪い例のような作品でした。演出もいろんなテクニックを使いたがりすぎて統一感がないし何が言いたいかも分からない。
作者がどのテーマに対しても当事者になったことも本当の意味での関心も共感もないのかなと感じてしまいました。その為言葉がどれも浅くて響かない。
ご都合主義で綺麗事のセリフや、福祉制度の観点から見たリアリティのなさなど知らない人がよく調べずに聞き齧った事を書いた感じで、自宅介護、風俗、ヘルパー、家事代行、どの現場の人が見てもちょっと違和感あるんじゃないかなと思います。
役者さんは悪くないのに勿体無いです。
心温まる孫と祖母のやりとり
「た」で始まり、「ん」で終わる がんばれば掴めるもの
とてもいい映画でした。
研さんの「職業に···はない」のセリフはありふれていて、とってつけたようで、要らなかったなぁ。
実はボケてなかった、というオチでもないし。
もう時間だから行かなくちゃ·······
カックラキンかとおもいました。
葉っぱはだめです。
ソープ嬢にひかれて観たんですけど。R指定ではありませんし、マットもでてきませんので、知らない人は知らないなりに、分かっている人はそれなりに楽しめばいいんじゃないでしょうかね。
あの椅子は家が青で、職場は金でした。
上演館は少ないですし、すぐに上演回数も減ってしまったので、慌てて観ました。
加那役の中尾さんとてもステキでした。
オシリも小さめでGパン姿がカッコいい。
鼻筋も通っていて、あの髪型だと、中村晃子みたいだなぁと思ってドキドキしちゃいました。
実家がステキですね。おじいさんは一級建築士だったに違いありません。
お手伝いさんの名取さんとのやり取りが好きでした。
研さん(紀江さん)も昔よりずっとキレイになったんじゃないでしょうか。
大腿骨頭壊死で翌日手術の母親役が茶飲友達の女優さん········ワザと?
ガンバレばその手に掴むことができるもの······
大金、タワマン、宅建·····
その流れだと、たま🤩んでしょ❢。
優しく掴んでもらいたい😎
洗う事 そして忘れる(忘れられる)ということ
特に何も刺さらなかったし、何を言いたいのかも分からなかったが、面白かった。家政婦・名取(高木直子さん)がナイス。
ソープ嬢の加那(中尾有伽さん)が、長らく会っていなかった祖母と関わり、ソープの仲間と語らう中で変化し成長していく様が面白かった。
また、家政婦・名取と加那は、お互い事務的に対応するだけの関係だったが、終盤にワインを飲みながら雑談するなかで、距離がちょっとだけ縮まった感じの場面が良かった。
ソープに来る客は加那のことなどすぐ忘れるし、祖母も加那のことを翌日には覚えていない。ソープの客と祖母を洗うことの類似性の対比、同じく祖母と加那がベッドで寝ている対比を分かりやすく映像で見せてくれているが、そこに何かメッセージが有るかどうかは僕には不明である。
まあ、僕は、この映画で監督が何を伝えたかったのかは分からなかったけど、変わっていく加那を見ていて面白かった。
あと、認知症の人の介護の場面に関しては、自分の介護経験だけを元にして、あるいは自分が見聞きした事だけを元にして、実際とは違うとか言うのは意味がない。
なぜなら、介護される人の状況は、似ていたとしても全く同じではないし、介護する方の人の状況も、これまた似ていたとしても、違うからだ。
例えば、薬の拒否や、徘徊に対する対応も、こうすればいいよと言われて上手くいく人もいるし、上手くいかない人もいる。日によって上手くいかないときもあったりする。
認知症の症状も、穏やかに進む人もいるいるし、早く進む人もいる。
介護する人、介護される人の経済状況も違う。
つまり、個々の事例が千差万別なのに、この映画の介護場面を見て、自分のときと違うからおかしいといっても意味がないということだ。
大変さの感じ方も、介護する人の状況と性格で違ってくる。状況が良くなって、介護が、だんだん楽になった人もいるし、状況が良くならず、あるいは悪くなって、最後まで、てんてこ舞いだった人もいる。
ただ、「介護は、ある日、突然 始まる」というのは、たぶん世界共通だと思われる。事件、事故、病気と同し。
忘れていたのは貴女の方
初っ端、謎のスタイリッシュお出迎えからホラー風味の実家来訪に戸惑う。
そしてお母さん、ひと晩で準備できすぎ。笑
基本的に実家と職場、そして自宅での人間関係しか描かれず、介護・仕事・女子会の三角食べ。
実家に泊まらないのは名取さんを出すため、母の見舞いに行かないのはシナリオ簡略のためという作為を感じる。
しかし加那の介護風景はほどほどにリアルで、苛立ちも理解できるぶん気立ての良さも伝わる。
普通あの歳であそこまで出来ないよ。
痴呆や介護に対する哀しみや虚しさ、辛さの描き方は薄味だが、軽過ぎるとは感じなかった。
ソープ譲と介護のリンクは面白いが、本質はそこではなく「忘れてしまうこと」と「覚えていること」。
その点で言うとすみれとの別れは分かるが、久美の件やボーイのいい奴風の台詞(演技も棒)は不要かな。
髪色の話もあったのでガチ恋客が何かしてくるかと思ったが、それもない。
紀代さんの過去もあまり効いてこず、最後の気付きを名取さんに全部喋らせてしまったのはちょっと残念。
演出が鼻につくところも少しあり、特にカラーボールのところは不自然過ぎて浮いていた。
冒頭のホラー演出が、最後のお地蔵さん(?)で対比されるのは単純だけど嫌いじゃない。
主演の中尾有伽はじめ演技はよかったし、研ナオコがここまでやれるとは知らなかった。
全体の雰囲気、特に風俗嬢仲間と一緒に紀代ちゃんと遊ぶシーンはとても好き。
ただ加那と紀代の絡みは、描写としても1週間という設定からも物足りず。
加那はあの仕事をしてる理由すら分からないため、主役なのに奥行きが感じられなかったし。
印象こそ悪くないが、総じて掘り下げが浅かったかな。
演出がうざい
いろんなものを洗い流してきた女の子が、いつの間にか自分にこびりついた何かを洗い流す映画映画でした
2025.5.8 MOVIX京都
2025年の日本映画(115分、G)
疎遠の祖母の介護を行うことになったソープ嬢を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は岡崎育太郎
英題は『Wash Away』で「洗い流す」という意味
物語の舞台は都内某所
ソープランド「ロングライン」で働いているソープ嬢の加那(中尾有伽)は、仲間のすみれ(中川ゆかり)、久美(西堀文)とともに自由気ままな生活を送っていた
加那は、お金に任せて家事を家政婦の名取(髙木直子)に一任していて、怠惰な生活を送っていた
ある日のこと、母・早苗(磯西真喜)から電話が入り、病気のために一週間入院すると聞かされる
母の代わりに祖母・紀江(研ナオコ)の介護をすることになった加那だったが、全くの素人で、母の残したメモを頼りにして作業を始めていく
紀江は加那のことを全く認知しておらず、少し時間が空けば、「はじめまして」と言ってしまう
映画は、認知症になった家族と向き合うというものだが、疎遠ということと、ソープ嬢というところが特異点となっている
距離的には電車一本ぐらい(ロケ地だと東京都青梅市)で、8年間の疎遠の理由は察してねという感じで描かれていた
おそらくは、都内に出てきて働きはじめたものの、出費がかさんでしまい、そのまま副業を拡大させていったのだろう
そのあたりはそこまで重要な要素ではなく、介護の作業に抵抗感があまりない職業を選んだ(本来はそこまで単純ではないと思うが)のかな、と思った
タイトルは「洗う」という言葉をひらがな表記したもので、併記されていた英題は「Wash Away」だった
これには「洗い流す」という意味があるのだが、単に体を洗うという意味ではないだろう
加那の中の何かが洗い流されたというもので、その何かというものはたくさんあったと思う
その中の一つが「プライド」であり、他には「職業への貴賎」「現在地」などもあったのだろう
加那は紀江のアルバムが途中で終わっていることに意味を感じていて、語られずとも「好きなことをできる時間は限られている」ことに気づいていく
そして、現在位置を見直しつつ、8年間を埋めるために「今やっていることに全力になろう」と考えたのではないだろうか
いずれにせよ、感化されて生き方を変えるという単純なものではなく、自分自身が避けてきたものに向き合うというエンディングは良かったと思う
そんな中で、彼女自身にやりたいことが見つかり、その先に新たな未来があるのだろう
洗い流すのは上辺に付着している汚れからであり、中身を変える前にやることはたくさんある
そう言った意味において、現実的な着地点だと思うし、彼女自身が自分の仕事にやりがいを持つことができたのは良かったのではないだろうか
明るく軽やかに、目の前の相手の記憶に残ること、について問いかける
主人公は目の前の相手に一生懸命向き合っても
一時の存在として忘れ去られるかに思われる風俗嬢という自身の仕事について、
認知症の祖母の介護を通じて見つめ直していく。
記憶という重くなりがちなテーマを扱いつつも、
祖母と主人公がシンクロする構図、
移動時の横からの構図、
相手を洗ってあげる時の足元の構図、
職場の先輩と将来を語る長いカットの固定の正面の構図などのいろいろな構図や、
カラーボールやインテリアなどカラフルな配色も相まって、
映像、音楽、音響含め、最後まで明るく楽しい雰囲気で進む。
一方、後半は、お手伝いさんとの夜の会話、
幼馴染の母との会話など、日常的な自然な会話の流れから、
主人公が気付きやきっかけを得るようなしんみりするシーンもあり、
最後はちょっぴりホロリとしました。
みなさん雰囲気がキャラクターにハマっているなと思いつつ、
とくに祖母役の研ナオコさんは、
芯の強さ、明るさを備えつつ、その音楽のような軽やかさが
キャラクターにぴったり合っていると感じた。
ピンクのヘアカラー
タイトルに偽りなし
研ナオコさん出演が興味深くて観に行きました
洗ったのは自分自身か
主演女優は存じ上げない方ですが、共演が研ナオコさんということで、コミカルなヒューマンドラマを期待して、公開2日目に鑑賞してきました。夕方の上映回でしたが観客は自分一人で、贅沢な時間を過ごさせてもらいました。
ストーリーは、母の入院に伴い、1週間だけ認知症の祖母・紀江の介護をすることになったソープ嬢の加那は、昼は紀江の体を洗い、夜は客の体を洗うという忙しい日々を過ごすことになるが、訪問するたびに自己紹介を始める紀江に戸惑いながらも、介護を通して紀江との距離はしだいに縮まり、紀江のこれまでの人生を垣間見る中で、自分自身の生き方も見つめ直していくというもの。
いやいや引き受けた介護が紀江との交流のきっかけになり、加那が同僚や家政婦にも自分の思いを素直に伝えられるようになり、自分の生き方を見つめ直していく姿が鮮やかに描かれます
客相手に精いっぱいのサービスを提供しながらも、その場限りの優しさにどこか満たされない思いを抱いていた加那。それは祖母の介護でも同じで、どれだけ世話をしても翌日には忘れている祖母に、多少の寂しさを感じていたのかもしれません。
しかし、ホストに振られて悪態をつく同僚の姿に、本気の客にリップサービスで対応した自身の姿を重ねたことでしょう。また、「あなたが祖母を忘れていたから、祖母もあなたを忘れてしまったのだ」「どんなに世話をしても家族には勝てない」という家政婦の言葉にも、ハッとさせられたことでしょう。大切なのは、どんなサービスや介護を行ったかではなく、どんな思いで相手と向き合っているかです。
そんな加那に、祖母は人と関わることの大切さ、人に本気で思いを寄せることの尊さを改めて教えてくれたような気がします。加那は、客の体や祖母の体を洗うことを通して、これまでの自分自身を洗っていたのかもしれません。ラストで、散らかった部屋をスッキリと片付けて紀江のもとへと向かう姿が清々しいです。きれいに片付いた部屋は、加那の心の中そのものでしょう。
考えすぎかもしれませんが、ひょっとしたら紀江は、1週間でいなくなる孫娘に気を遣って、毎日忘れたふりをしていたのかもしれません。加那が介護を投げ出したくなっても紀江の存在を負担に感じないように、また紀江自身も寂しい思いをしなくてすむように、あえて情が深まらないようにしていたのかもしれません。
全体的に、認知症介護という重めの内容を軽妙なタッチで描いているのはいいのですが、それでも認知症の描写はちょっと気になります。症状は人それぞれかもしれませんが、紀江の様子が初日とそれ以降で別人のように変わるのですが、実際そんなものなのでしょうか。身近に重度の認知症を患った者がなく、詳細はわかりませんが、なんとなく進行上の都合のいい形で描かれているように見えてしまったのは残念です。
また、認知症をポジティブに捉える同僚の発言で、加那が思い直したように見えたのですが、その理由がイマイチわかりません。ここが加那の転機であっただけに、ちょっとモヤモヤします。モヤモヤついでにもう一つ言うと、紀江のアルバムが途中で途絶えた理由も気になります。夢破れて帰国したにしても、それを口にできない理由はなんなのか知りたかったです。
主演は中尾有伽さんで、自然体の演技がとてもよかったです。共演は研ナオコさんで、セリフは少ないものの、その存在感はさすがです。脇を固めるのは、中川ゆかりさん、西堀文さん、髙木直子さん、赤間麻里子さん、磯西真喜さんら。中でも、髙木直子さんが味のある演技を披露しています。
エロさ0で風俗嬢を描いた作品
ソープ嬢の孫が、母の入院をきっかけに実家で祖母の介護をするが、かなりの認知症を患っていて悪戦苦闘。仕事でも家でもカラダを洗うというWワークな1週間の話。
予告編での印象よりしっかりと練り込まれた脚本と演出で、結構面白かった。まさにソープというようなシーンはまったくなく最初コメディかなと思ったけど、後半はしっかりとしたヒューマンドラマだった。
劇場の客席はびっくりするほどご高齢の方ばかりだったけど、認知症の介護という題材が刺さってるのか、研ナオコさんのファンなのか。
主人公のお店のマネージャーがニューヨークの嶋佐さんなのぴったりな配役w
主人公のかなちゃん役の女優さん良かったのと祖母役の研さんだいぶお年を召されたなぁとしみじみ感じる。
撮影手法としてショット・リバースショットを鬼連打してたり、カットバックを多用してて映画作品の撮り方としてここまで盛り込むのは特徴的だなぁと思った。
かなが、仕事終わりに画面の右から左方向へ歩きながらの帰宅路で途中のお店たちに入り散財をするシーンを入れるあたりで本人のメンタルの不安定さを表現してて、上手いなぁ感じた。話の後半では散財しないと変化もあった。
ソープの客からもらったハンバーガー、好みじゃないと言いつつしぶしぶ食べるが、ソースが白いカーディガンに付く、そして取れないというのも心のシミの暗喩かな。
監督・脚本・編集は永六輔さんのお孫さんなんですね。見終わって劇場内の展示で知りました。
名取さんは…
観客16人
1週間だけ祖母(研ナオコ)の介護をすることになったソープ嬢加那(中尾有伽)を主人公にしたお話。
加那は気立の良い優しい女性で、家庭的にも問題なく、なんでソープ嬢になったんやろ。そこらへんの事情はわざと描いてないんだろうなあ。
キツネ目の中尾有伽がとても魅力的。ひょっとすると、第二の河合優実になるかも。
介護職とソープ嬢はどちらも洗うお仕事だから題名が『うぉっしゅ』になっている。
しんど過ぎる場面もエロい場面もなく、安心して見ることができる娯楽作品である。
介護について考えてみよう!みたいな重い映画ではない。
ラスト近くで、家政婦の名取さん(高木直子)が介護について延々と語る場面が出てくるが、不要だったと思う。
ソープ嬢がおばあちゃんの介護をする話し
ポップなカラー🌈 ポップな人間模様 🎉
僕は「特別養護老人ホーム」で、毎日毎日、さんざんとたくさんのお年寄りの体を洗ってきたのでね、
まったく今回の微笑ましい映画の誕生を喜んでいる一人です。
洗ってあげる いつくしみは、赤ちゃんの沐浴であろうと、おチビちゃんたちとのお風呂であろうと、それはそれは、とても心和むものです。
赤ちゃんはお腹にガーゼを乗せてあげると仰向けのお湯でも怖がりませんよねー。
でも、思春期に差し掛かると、僕らは他人との入浴はおろか、人に洗ってもらう体験はほとんどなくなってしまうのです。
でも大人になっても、《体を洗ってもらうことで感じる不思議な幸せとリラックス感》は
(映画に登場した風俗=「ソープランド」ならずとも) 人間にはとても大切なものだと思うんですよ。欠かせないと思うんです。
これはマッサージや指圧も一緒です。
ほら、「手当て」と言うではありませんか。
頬ずりやハグは、体温を介しての会話です。
生まれ落ちてから、死ぬまで、我々はひとりぼっち。70年も80年も、もう誰からも「いい子いい子」されないで、僕たちは大人としてたった一人で生きて行かなければならない。
「頑張れ」
「泣くな」
「人の世話にならず、独り立ちせよ」と、言われ続けて砂漠を歩く。
人は孤独の人生を歩んでいると思う。
僕は
こんなに疲れているのなら大人たちも「いい子いい子」してもらう必要があるのではないかと、ふと気付いてからは
年に数回、健康ランドのスーパー銭湯で「垢すり」をお願いしているのです。
前回は寝てしまって「疲れているんですね」と言ってもらった。
・ ・
研ナオコさん、
彼女のメディアへの驚きの登場は「生理用品」の、たしかユニ・チャームのコマーシャルでした。大きな口を開けてニッコニコのキャラクター。その研ナオコさんのCMのおかげで生理用品はついに日の目を見たんです。
近ごろはスッピンでの動画やお写真をオープンなさっていて、これは一体どういう事だろうと思っていたのです。
なるほどこういう事だったのですね。
老人役で、再度ニッコニコの登場。
劇場公開まえの監督さんのインタビューをラジオで拝聴しました。
出演のオファーをしたらば、研ナオコさんは
「妥協しないと約束してくれるのでなければ断る」と仰ったのだと。つまり
出演者(研さん)に気兼ねしたり、遠慮したりして「撮りたいものを妥協して諦めたりするなら自分は出演しない」 と返事をくれたのだと。
・・怒られるかと思っていたのでその研ナオコさんの答えに身が引き締まった ―と話しておられました。
でも、でもね、
監督も出演者も《その覚悟》があるのなら、研ナオコも共演の中尾有伽も、当たり前に全裸になるべきだったなァ。
「労働者」として、「認知症患者」として、また孫娘と祖母として、
(加えて母親に対してもだが)、心も体も障壁を脱いで、ボカシ無しで彼女たちは裸になるべきだった。
監督、青い。
永六輔のお孫さんらしいけれど、若くて弱いね、まだまだ。
でも
色とりどりですねー
グザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」の美術に、これは影響を受けたと見ました。
・・・・・・・・・・・・・
キエさんはサックス。
僕のホームのヨシさん(93)は元帽子屋さんでした。僕に「茶色の中折れ帽」を見立ててくれました。
好きな動画は
南米の元バレエリーナが「白鳥の湖」を聴いて車椅子で踊り出すあのYouTubeですね。
「アルツハイマーバレエリーナ白鳥の湖」2分38秒
僕も
あなたも
世話になること
お風呂に入れてもらうこと
それをこわがらないようにね。
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