徒花 ADABANAのレビュー・感想・評価
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近未来クローンSF
井浦新さんの一人二役での別人っぷりがすごいなと思いました。
二役といっても、もうひとりはクローンなので、似ているのは外見だけで
佇まいや話し方も全然違うという、なかなかできないと思うんですよね。
であるがゆえに、井浦新さんの凄さをまざまざと見せつけられた気がします。
井浦新演じる新次が、自分自身のクローンに徐々に情を寄せていき、
臓器移植や脳移植なんて考えられなくなっていくところが、すごくリアルというか、
時間軸及びクローンとの対話を重ねることで、死を身近に感じ、尚且つ、クローンには
クローンの幸せがあるんじゃないかと考えるようになったと思うんですよね。
だから、最終的には死を選んだんでしょうね。
(直接的には描かれませんが、水原希子演じるまほろのセリフでそう解釈しました)
新次には奥さんがいるけど、政略結婚と言っていたんです。
だから、夢で出てくる三浦透子(海の女)が本当に好きだった子なのでしょう。
割と海の女との話が丁寧に描かれていたので、その解釈で間違いないとは思いますね。
母親役の斉藤由貴がめっちゃ怖い。表情が怖いし、時折エロい。
水原希子は本当に機械的な美しさというか、クールビューティーで、この役にハマりますし
この作品の舞台の病院(?)の内装や装飾なんかも、この若干無機質な世界観をうまく
表現していると思いました。
それにしても、クローンがつくられるところを垣間見るシーンがありますが、
なんともせつない気持ちになりますね。
そういう世界は必要なのかな?と。そこまでして生きなければならないのかと。
考えさせられました。
死生観を考えさせられる作品で、なかなか興味深かったです。
甲斐監督の次回作を楽しみに待ちたいと思いました。
SF要素を独自の感性で絵作りしており好み。
好き嫌いがわかれる映画を前提で。
他の方のレビューで「『クローン』がテーマはありふれてる」と記載がありましたが、
それはそうなんですが、それを言ったら映画のモチーフは昔からテーマが何かに関わらず使い古されてます。
大事なのは普遍的なSFのモチーフをどんな角度、色作り、物語作りができるかです。
昔、及川光博さんが主演のクローン映画もありましたが日本の諦めの美学があり好きでした。
海外のドンチャンSFや胸糞、どんでん返しがド派手なものもいいですが。
日本らしい絵作りや文学的なストーリー展開は大変面白いし、考察要素もちゃんとあり楽しめました。
クローンの存在がナチュラルな存在なのはよかった、全てを知ってるがゆえのシンジの葛藤。
クローンシンジの小さな頃から臓器を提供する存在として育てられ、それを喜びと捉える純粋な存在。
その純粋な存在に、自分の有り得たかもしれない価値を見出し、死を選ぶシンジ決断。シンジは『駆け引きだけの人生だった』『彼が生き残るべき』と言っていたがシンジだって決して無駄な花ではない。
甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。
徒花という言葉はキライ。
徒花という言葉はいかにも日本的。外国に意味は同じでも、なんとかフラワーみたいなネガティブな言い方はあるのだろうか?
ソメイヨシノは江戸時代に改良されて出来た品種で、接ぎ木で増やす。根っこと上の幹は違う個体。
わたしは臓器移植法案には反対だった。いずれ子供にも拡大適用されると思ったからだ。そして、わたしは臓器を提供しない代わりに、他人の臓器も要らない。個人の尊厳と平等は命が平等でなければ保てないのではと思うタチなのである。
甲斐さやか監督の前作「赤い雪」はテアトル新宿と渋谷ユーロスペース
でそれぞれ1回ずつ観た。とても1回では理解できなかったのと、菜葉菜さんのファンだから。佐藤浩市(呼び捨て🙏)気持ち悪かった。
徒花のキャストもみんな本気出したらこわ~い人たち。斉藤由貴がいるせいで他の人は相対的に少し薄まる感じ。
クローンと臓器移植関連の映画はカズオ・イシグロ原作のわたしを離さないでやスカヨハのアイランドなど、クローン側から描いた作品は以前からたくさんあるが、いただく方を主演にした映画は知らない。
新次(井浦新)はクローン会社の社長の甥で後継ぎなので、決まりを逸脱するわがままが利くみたいだ。自分が搾取されるクローン人間だったら、本物なんかに会いたくない💢
新次は手術が成功するかどうか不安にもなるが、それより犠牲になるクローンに対する興味や罪悪感がより強い人物のようだ。家庭は冷めきっていて、自分の人生に肯定感がない人物。つまり、新次は自分のクローンと話し合って、自分を確かめたいのだ。本当は奥さんともっと対話をしなければいけないのだが。そして、【それ】のほうが人間味があり、才能があることにコンプレックスを抱いて、自殺してしまったのだろう。この点がこの映画のキモ(オリジナル)なので、夫婦仲のシーンとか新次の子供時代をもっとわかりやすく踏み込んで欲しかった。
この映画の設定は未来の人類が未曾有の病気の蔓延で非常に人口が減り、労働力不足を補うためにクローンで人口を増やし、特権階級のみ病気になった時に【それ】を犠牲にして臓器移植や首から下をストレッチ縫合(脳死になる前にササッと血管縫合し、脊髄をうまくつなげる)ですげ替えられることを国家が容認しているという設定。ヨルゴスランティモスの哀れなる者たちやクローネンバーグ映画だ。
【それ】は特定の企業が運営する施設で生活している。まるで一卵性双生児が別々にそだてられ、片方は片方のスペアとなるように洗脳されて生かされているような、とても手間と人件費などのお金がかかる世の中なのである。
病気により生殖機能を失った人が多いことも人口減少の大きな要因。しかし、主人公には子供がいるので、生殖能力は保っている。冒頭の親子の子供はすぐにでも骨髄移植が必要な病気なのに。おかしい。
【それ】はだいたい前髪揃えた髪型。だから少し若く、清らかにみえる。しかし、井浦新の場合、いいオッサンなので、バカリズムに見えてしまった。
ゆったりとした映画なので、ものすごくいろんな余計なことを映画の進行内容とは関係なく考えてしまう。
ベトナムのシャム結合双生児のベトちゃんドクちゃんの分離手術を考えた。あの時代ではどちらかをより長く生かすために本人の同意の有無などなく行われたに違いない。
片方の犠牲になるほうの気持ちや生き残ったほうの罪悪感はどんなだったのかと。
奥さんが若いうちにクローンを育てておいて、奥さんと出会う前の若いときから接したり、2度目の新婚生活を送れる。失敗した夫婦関係をリセットできる。奥さんが死んでも、スペアがあると思うと安心。
移植される本物にカウンセラーが付きっきりって必要?とか。手術の成功は保証の限りではないので、素敵なカウンセラー(モデル級の美人のクローン)に慰めてほしくなるよなぁとか。新次がまひろを好きになって、奥さんは新次の【それ】と駆け落ちしてしまったほうが面白いかもとか。
納める税金の額によって持てるクローンの人数が段階的に異なるんだろうな。それじゃアラブの王様だよとか。
レオナルド・ディカプリオなんか欲しいものや持てるものは、もう自分のクローンと不老不死しかないだろうとか。
特定の人間のみクローンを認めてしまうと平等な人間の尊厳は保てなくなる。しかし、隣の国の要人はもう用意していそうな気がする。
甲斐さやか監督と飲みながらいろいろ話したくなる映画。もちろん飲み代はこっちが出しますが、割り勘でもいいですよ。
三者三様の井浦新
見終わった感想はストーリーはもう予告通りなのだが、終わり方がなんとなく不穏だった。なので9割まで、想像通りだなと思ったがなんだか見逃してる気がしてよくわからなくなってしまった。
あと、初見はかなり長く感じたが、不思議なことに2回目は前回より速く感じた。
行きは長いが帰りは早い初めて通る道と同じ感覚だった。
もし何度も見返しながら監督がこの映画を編集してたら、編集してるときはきっと初見のような長さには感じないんだろうなと思った。
もしかしたら編集してる監督にはこの映画はもっと短く感じたのかもしれない。
あと、初見だと途中までよくわからなかったが、新次の過去の記憶と行き来する。
子供が新次って気づくのに時間がかかった😂
この映画には、新次、過去の新次、それの三パターンの井浦新がいて、とくにそれと新次の演じわけは凄かった。それがおかっぱ頭でぴょんって跳ねるシーンの可愛さと、暗い新次が同時に見れるのはお得な気分であった笑
個人的に1番好きなのは前髪が降りた過去新次。
最後、まほろは自分はクローンと判明したが、
舞台挨拶で司会の人が永瀬さんが唯一の人間みたいなことを言っていて、あの病院の従業員はもしやみんなクローン??
まほろは自分は人間だと思ってたし、それのことを軽蔑してたから、クローンの時の記憶がないのかな
もし記憶を移植できるなら、首繋げるより楽だよね
もはや誰がクローンで誰が人間?
クローンがクローンを使い捨ててるって残酷すぎるな
徒花であり、無駄花
冒頭から、設定も世界観も分からないのに知ってる前提みたいな会話が延々と続く。
動きも台詞も、それぞれの間も、カット割りも、何もかもすべてがゆったりしていた。
そして画面がやたらと暗い。
退勤後のレイトショーでこれを見せられて、ウトウトしない方が無理です。
字幕で語られた設定も、最初の“不法侵入”の母娘も、特に活きているように感じない。
クローンを具体的にどう医療に用いるのかも不明。
斉藤由貴や三浦透子の存在も、なんとなく察すれど最後までハッキリとはしない。
過去なのか現在なのか、夢なのか妄想なのかも判然としない場面も多い。
まほろは職務とは裏腹に、不安を煽ってるようにしか見えない。
そして“それ”と対峙した新次は、その純粋さと自らとのギャップに心を蝕まれていくわけだが…
申し訳ないが、隣の芝生を青く感じてるようにしか見えず。
また新しい井浦新の芝居が見れたし、水原希子も泣き演技はよかったが、永瀬正敏はどうしても医者に見えない。
そもそも人物や状況の設定が曖昧すぎた。
そのため、どんな演技も台詞も上滑りして一切脳にも耳にも残らない。
こんなに時計が進まない作品も珍しかった。
大体、どう世の中が進もうとも正式な呼称として「それ」が採用されることは無いと思う。
『徒花でも無駄花ではないと思うんです』
*
条件を満たした富裕層だけが持てるクローンを
近未来の日本は「それ」と呼ぶのです
富裕層の新次は病を患っていました
悪いところを治すために施設にやってきたのです
「それ」は姿を見せるために
今まで来たことがなかった面会の場へ
初めての空間にいるというだけのことを
「それ」は全身で愉しむのです
窓ガラスから見える景色、絨毯、白い椅子
駆け引きや親や環境に左右されながら
生きてきた新次にとって「それ」の姿は
とても純粋で魅力的で神秘的でした
その汚れのない美しさに胸を突かれ
僕の頬に涙がつーっ…と伝いました
君からもう目が離せない…と言わんばかりの
新次の黒い瞳に僕は釘付けでした
『点滴だけしてくれればいい』
覇気も生気もない新次でしたが
ご飯や焼き魚など固形物を
口にできてしまうくらいの
精神的な活力が湧いていました
新次は純粋で単純なのかもしれません
*
「それ」は新次本体よりも
豊かな心を持ち、知性を保ち、
自然や芸術にふれながら【自由に生きていた】
「それ」は言っていました
徒花でも無駄花ではないと思うんです
与えられた運命を受け入れると
生きることに価値がうまれる、と。
生きることの意味や自分という存在の意味を
きちんと自分で見出して「生」を感じている
こんなにも美しくて尊い命をこんな自分が奪い
延命してしまっていいんだろうか…?
新次は迷い、そして決断するのです。
「手術しない」ことを。
僕がもし同じ立場だったら、
新次と同じことを思い、同じ道を選んだでしょう
君みたいに生きられたらよかったな…
そんなふうに思って、「それ」に命を捧げたでしょう
*
「それ」はようやくあなたの役に立てる…と
面会のときに安堵したほほ笑みを浮かべていました
新次がいなくなった「それ」は
なんの役にも立てず綺麗な身体のままでいます
お葬式をあげていたので
新次からのお役目の提案も果たせないのです
新次は綺麗な命を奪ってはいけないと
坂を転がり続けることを選びましたが
「それ」としては役に立てなかったことを
悔やむんでしょうか…
命を捧げられ綺麗な身体で
あの部屋に転がされてしまうよりも
命を捧げ傷跡を包帯で覆うほうが
「それ」は幸せだったんでしょうか…
役目を終えた「それ」たちは担架で運ばれ
あたたかくもなくつめたくもない部屋に
ゴロン…と雑に置かれてしまう
そこに感謝や労う気持ちや心なんてものはなくて…
ゴミを捨てるかのようで耐え難い光景でした
やっぱり僕たちって…、勝手なんですかね…
難しいな…
深く深くどっぷりと考えを巡らせられる作品でした
なんといっても井浦さんの二役の演技が見どころの作品!
予告で気になって絶対見に行こうと思ってたら、まさかの大好きな井浦新さんが舞台挨拶に来るということでそちらで鑑賞させていただき、上映後には井浦さんと監督の作品に対する思いや考えも聞かせていただいたのですが、こちらにはそのお二人の話を聞く前の自分が見終わって感じたものを書こうと思います。
話的にはざっと書くと富裕層が「それ」と呼ばれるクローンを育成し病気になった際の臓器提供などに使うという時代の話で、主人公が自分のクローンと会うことでの心情の変化などが描かれていく物語です。
すごく考えさせられる作品でありました。
もしかしたら近い将来、こういう技術も可能になるのかもしれません。
現実的に考えたらすごく怖いよなと思いますし、ちょっとファンタジー的に考えたら自分のクローンがいるとしたら会ってみたいななんて思いました。
見た人がそれぞれに考えることを求められる作品だと思うのでなかなか見るのに体力を使う映画ではないかと思います。
そして、演技に関してはわりと豪華な出演陣で安定の演技力で安心して見ていられます。
なんといってもやはり今作は井浦新さんの二役の演技っぷりがさすがでした。
以前にドラマでも女性役と男役を二役演じていてそれがすごくて、今回もまたそういう演技が見れるのかと思ってこの作品は絶対見ようと思っていたので。
主人公のシンジはアンナチュラルの時のようなクールさで、クローン役の時は優しい無垢な顔で演じていて、本当何かが乗り移った憑依したかのように顔や声色を変えて演じ切っている感じは期待通りでした。
作品自体は100分もいかないくらいの短い時間ですが、実際見るとそんな感じはせず見応えがありました。
あと、気になったのはこの作品、自分の地域ではやけに上映回数も少なく朝の早い時間のみとなっていて、いつもこれは思いますがスポンサーたくさんついた大型作品ばかりが大量に上映されていて、こういう作品は1日1回のみというのがやはり映画業界、良くないなーと思います。
せめて日中と夜と1日2回くらいはやってあげたらいいのに。
ま、スポンサーやらいろいろあるんでしょうが
どうか小さな映画でも作品の中身で判断してもらいたいです。
深淵なる秀作!
鑑賞してからかなり時間が経っての投稿です。
次回作への期待を込めての4.5とさせてもらいました。
噛めば噛むほど味が出るスルメのように、知れば知るほど深みが増していくすごい作品だと思いました。すでに3回ほど鑑賞したのですが、観るたびに感想が違うというか発見があるというか、この監督はどこまで見据えて作品を描いているんだろうと頭の中を覗いてみたくなりますね。
『徒花-ADABANA-』のようにオリジナルでジャンルが明確でない映画はなかなか受け入れられない場合も多いので、こういう作品が消滅しないことを祈ります。甲斐監督には是非作り続けて欲しいと思います。鑑賞後に違った感想をぶつけ合えるような大きなテーマを扱った作品を次もお願いします。
この脚本を理解し、監督のもとに集まったキャストやスタッフも感受能力が高い人たちなんだろうなと思うし、それは作品中の演技や存在感を見ているだけでわかりました。
水原希子さんってこんな演技ができる人だったのねーと驚かされましたし、泣かされました(汗)
井浦新さんは次のステージに入った感じすらしました。。。圧巻です。
個人的にはあまり出番の少ない永瀬正敏さんのまほろとすれ違うシーンに全ての答えが見えた気がして、あの一瞬で全てを理解させるって、、、監督の指示だったのか永瀬さんの思いつきだったのか、身震いしました。
とにかく、改めて自分と向き合うことができる素晴らしい作品だと思ったので、アンチなレビューに負けずこういう映画がもっと増えて欲しいと思います。そして、映画ファンとして日本映画がもっともっと世界で注目され、活躍できるようになって欲しいと思います。
満たされた空虚、大いなる深淵、あと何度この映画を観て、この先もずっと抱えて生きていくんだろうな。 ありがとうございました。
どことなくヒーリング、金持ちの悩みに付き合える人向けの寓話のように思えます
2024.10.21 アップリンク京都
2023年の日本映画(94分、G)
クローン技術が確立した近未来にて葛藤を抱えることになった男を描くSF風味のヒューマンドラマ
監督&脚本は甲斐さやか
物語の舞台は、ウイルスの影響によって人類が短命になり、クローン技術の進歩によって「延命手術」ができるようになった世界
その手術は誰にでも受けられるものではなく、階級によって適応が決められていた
ある難病を患っている成人男性の新次(井浦新、幼少期:平野絢規)は、その適応者として施設に入院していた
彼にはカウンセラーのまほろ(水原希子)が付き添い、手術日まで心のケアを施していくという段取りが組まれていた
映画は、規則では禁じられている「クローン:劇中では「それ」と呼ばれている」との接触を行う新次が描かれ、それによって「自分はどうするべきか」というのを思い悩む様子が描かれていく
彼は夜な夜な悪夢に悩まされていて、それは母(斉藤由貴)との記憶であるとか、海辺で出会った女(三浦透子)のことばかりだった
自分には抜け落ちた記憶があると考え、「それ」と接触することで、何かを思い出すのではないかと思い始めるのである
物語は、わかりやすい人類の選択の苦悩を描いていて、クローン技術によって、悪い部分を交換できたりするように描かれている
もし、頭に問題があるなら首ごとすげ替えることも可能なのだが、脳を取り替えた個体は本人と呼べるのかどうかもわからない
そう言った思考の末に「ある決断」をするというのが物語の骨子であるが、さほど斜め上の展開を行くわけでもなかった
映画では、イメージショットのようなシーンが多く含まれ、かなり観念的に捉えるように作られている
それでも解釈が分かれるほど難解なものでもなく、これまでに何度も見てきた「クローンの是非」に苦悩するという物語になっていた
後半には、まほろの「それ」も登場し、新次の娘の「それ」も登場するのだが、この演じ分けというのが映画の見どころのように思えた
それ以外は特に印象に残るところがなく、これまでに散々語り尽くされてきたものの繰り返しに見える
倫理観をどう捉えるかではあるものの、富裕層にしか与えられていない特権の行使というものは、庶民からすればどうでも良いことのように思える
そこまでして生き延びたいかというものは個々の人生観のようなものであり、その選択が与えられている故の贅沢な悩みなのだろう
それを考えると、選択のない側にいる人には響きようもなく、「だから何?」という感覚になってしまうのは否めないことのように思えた
いずれにせよ、誰もが権利を行使できそうな時代に作られていれば議論の余地もあるが、失われた30年がこれからも続くという世界では響きようがない
この苦しみはどうやったら早く終わるのかを考える世代からすれば、金持ちの道楽による葛藤などはたがか知れているように見えてしまう
映画で描かれる問題を一般庶民にも考えさせるのであれば、培養のための容れ物として生きるか、病でさっさと死ぬかの二択とかの方が良かったかも知れない
そして、クローン媒体となったものの頭部が入れ替わることで、完全に消えていない別人格との記録が混同し、逆転的な支配が起こるというスリラーにでもした方が面白みがあったのではなかろうか
無駄花。
重い病で療養中の新次と、一部の上流階級の人間だけに提供される“それ”の話。
手術前の新次の心理状態をケアしてた臨床心理士まほろ、そのまほろと過去の母との記憶、海で出会った女の記憶を辿りながらも、もう1人の自分、“それ”に会いたいとまほろに伝えるが…。
ん~キャストも好きな方出てるし期待して鑑賞したけど、よく分からない。ウイルスの影響で体に…と冒頭に説明はあったものの。
もう1人の自分(それ(クローン))と、向こう側には行けない施設?ガラス張りの部屋で対面となるけれど、もう1人の“それ”は何の為に?
ただ死がせまる一部の上流階級だけの提供される、何をするわけでもない見せかけだけの自分を残しておこうって意味なのかな!?
徒花の意味の様に無駄花、咲いてもすぐに散る?見てくれだけ?みたいな!?
ちょっと静かめな作品で眠くなっちゃった。
20年前の構想を現代風に合わせてなんぼ?
ウィルスが世の中に蔓延とかクローン技術の発達により首より下を取り替えるとか、もっと観客を引きつける努力が最初にないかな?
ずっと淡々と話は進むけど、フランス映画みたいな調子にしたいのかと思ったら日仏合作映画だったわ。
面白いかと言うと後ろの列の観客がずっと館内全体に聞こえるくらいのいびきをかいて、寝ていて興醒めでした。
映画自体は寝ていた観客を起こすほどの効果音もなく、最後まで突っ走る。
笑わせる、泣かせる、その他感情に訴えかけるモノが乏しい限り。
設定そのものが古臭く、静謐さが退屈に感じられてしまう
人体のスペアを提供するためのクローンという設定は、既に使い古されているような気がするが、カズオ・イシグロが原作を書いた「わたしを離さないで」にしても、ユアン・マクレガーが主演した「アイランド」にしても、マルチメディア・ミックスの「約束のネバーランド」にしても、いすれも、クローン達が主人公であるのに対して、臓器提供を受ける「本体」の立場から描かれているのが、本作の新しさだろうか?
ただ、今の時代だと、クローンよりもiPS細胞の方が実用的であることが分かっているし、臓器移植のためだけにクローンを育て、養い、教育することに時間と労力をかけることの非現実性も気になってしまう。
しかも、ウィルスのせいで出生率が低下して、子供は「宝」のはずなのに、冒頭で、いきなり少女の命を切り捨てるような描写があったことには、首をかしげざるを得なかった。
カウンセリングの途中で主人公が回想する、夜の海で泳ぐ近くのレストランの女や、子供の頃の母との思い出に、どんな意味があったのかもよく分からない。
さらに、命を犠牲にしようとしているクローンと、そのおかげで生き永らえようとしている「本体」を会わせても、お互いに「情」が湧いて、ろくなことが起こらないのは目に見えているのに、どうしてそれが許可されたのかも理解できない。
最後は、「自分よりもクローンの方が生き残る価値がある」と思うようになった「本体」が、クローンと入れ替わる話になるのかと思ったが、どうやら、「本体」は手術を断っただけのようだし、カウンセラーの女性が、「自分はクローンなのではないか?」と疑い始めて、一体、何の物語なのかが分からなくなった。
結局、作り手は、「アイデンティティーの不確かさ」のようなものを描きたかったのかもしれないが、その割には、テンポが悪く、語り口が冗長で、退屈に感じられたのは残念だった。
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