「残すにふさわしいホテル」私にふさわしいホテル macさんの映画レビュー(感想・評価)
残すにふさわしいホテル
「たった一つの酷評から鳴かず飛ばず・・・」から物語はじまる、SNSの現代では「1つの書き込みから・・・」からと考えるとレビューを書くのも身が引き締まるというのは思い上がりだろう。
この映画、痛快文壇下剋上、痛快逆転ストーリーだけではない。
細部に堤監督の演出と、出演者のみなさんのこだわりの演技、周到に計算された細部の仕掛けにも注目したい。
例えば、山の上ホテルで、多くの文豪の頭の中で繰り広げられてきた思考の世界、産みの痛み苦悩、文豪を支える編集者、家族との関係、著名な文豪もそれぞれがライバルであったり、リスペクト、ファン心情。
そんな世界が、東十条と中島との掛け合いの中から感じとれる。
滝藤は豪快な文字で文豪を、のんは、男勝りの殴り書きで怒りと、綺麗な文字で小説に向き合う真摯さを、二人の役者は文字までも演じて見せてくれる。
「東十条の作品はデビュー作から全部読んでいます!ライバルですから」という中島は、東十条の1番のファンではないか。もしかすると東十条のほうが中島の才に惚れ込んだファンなのかもしれない。
その尊敬する東十条から酷評されたショックと、ファンとして、東十条には評論より、
作家として作品を作ってほしいという思いを感じさせる。
また、東十条と中島にの駆け引きや、目まぐるしく変わるファッションに気を取られ、
見過ごしていた隠れた演出、仕掛けに、不覚にも3回目の鑑賞でやっと気づいたのである。
最後のシーンの原稿の日付二〇ニ四年二月十二日、山の上ホテルの休業前日。
そして、赤いベレー帽は小説の中の中島、最初のシーンと最後のシーン、途中の原稿を天井に投げるシーンのベージュの帽子は現実の中島、黒電話のベルとスマホの着信音による時点の変化、机の違いで401号室と501号室と時点の違いを表す。つまりは、2024年2月12日に「私にふさわしいホテル」を書き上げた中島の頭の中の空想を通して、山の上ホテルで数々の文豪の頭の中で繰り広げられてきたであろう空想の世界を見ているのである。