「「ボレロ」は、ポピュラー音楽繁栄のきっかけになった。」ボレロ 永遠の旋律 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
「ボレロ」は、ポピュラー音楽繁栄のきっかけになった。
モーリス・ラヴェルが作曲し誰もが耳にしたことのある名曲「ボレロ」が、どのようにできたのか解き明かす作品。
「レ・ザネ・フォル(狂乱の時代)」と呼ばれるパリが世界文化の中心であった1928年。
ボレロと言えば、スネアドラム(小太鼓)によって全編を貫くリズムと、繰り返し出てくる二つのメロディーが注目されるが、一番最初、ppで小太鼓のリズムを強調するようにでてくるのが、ビオラとチェロによる3拍子のスタッカート。これには、自然界の音の影響がある。雨粒の音、風を切る音など、映画で出てくる音が、だんだん、あの最初のスタッカートに近づいてゆくように感じられた。
小太鼓のリズムには、その2年前にヨーロッパで流行った「ヴァレンシア」を家政婦のルヴロ夫人と二人で歌った映画の場面がそのまま反映する。ラヴェルは、やがて指先で、あのリズムを刻むようになる。
様々な楽器のソロあるいは組み合わせにより、交互に繰り返される二つのメロディーには、ラヴェルがまだ小さい頃、バスク出身の母親が歌ってくれた子守唄が反映しているのだろう。ラヴェルには、よく似たメロディーを持つ「逝き王女のためのパヴァーヌ」や「ピアノ協奏曲」の第2楽章などがあり、映画の中で出てくる。
ボレロで旋律が延々と繰り返されることは、映画の冒頭で出てくる工場のオートメーションの影響に違いない。しかし、スイス出身の彼の父親が工場の技師であったことが関係する。彼がオートメーションの影響を認めつつも、「でもこれではない」と言うが、彼が思い出していたのは父親の工場のことだろう。ラヴェルが、きっと飽くことなく眺めていた。
そうなのだ!このボレロには、彼の生い立ちや、どのような経験を積んできたのか、それから出会った女性たちが、背景として大きく関わっている。そこで、この映画でも、音楽と女性を中心として、彼の生涯が語られることになる。
彼は、きっと一生、母親といたかったのだろう。ラヴェルは、保守的なアカデミーばかりでなく、ピアニストであるアレクサンドル・タローが扮したピエール・ラロのような先鋭的な批評家たちからも、ドビュシーとの違いを指摘されている。その時、心の拠り所は、母親だけだったと思う。母親を喪った後、ルヴロ夫人や、同志でもあったピアニスト、マルグリット・ロンはその代わりかも。
「ボレロ」の後、ラヴェルはジャズの影響の強い、二つのピアノ協奏曲を作曲するが、それには、「ボレロ」を作曲する直前に行った(映画に出てきた)アメリカへの演奏旅行が強く関係しているのだろう。ガーシュインから慕われたことで明らかなように。ラヴェルは、きっとクラシック音楽とジャズを含むポピュラー音楽の間に橋を架け、その繁栄を招いたのだと思う。そのきっかけの一つが「ボレロ」であったに相違ない。