「大人のビター・スイート・ロマンス」ホウセンカ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
大人のビター・スイート・ロマンス
ホウセンカが話しかけてくる、と聞いて正直「私向きのジャンルじゃないな」と思った。花が喋るとかファンタジーじゃん。
花が喋るとか、魚が踊るとか、動物が歌うとかいうのは最も興味のない世界だ。
観たがる旦那を尻目に何とかパス出来ないものかと思っていたのだが、無碍にも出来ず、まぁたまにはファンタジーも良いか、と観に行ったくらいなので喋るホウセンカの飄々と洒脱なキャラクターは意外過ぎた。
オープニングの花火のシークエンスも素晴らしかった。現実では絶対に見えない角度で、自分も花火の一部になったような、浮遊感漂う感覚は素晴らしいの一言に尽きる。
このまま90分花火を観続けても飽きないかもしれない、くらいの映像的満足感。
あと、全然思ってたようなファンシーなファンタジーじゃなかった。まるで時代劇みたいな忍ぶ愛の物語で、ちょっぴりミステリーでクライムで生存戦略を巡る大人の映画だった。
生きることと死ぬことだけが、全ての生命の共通点である。けれどホウセンカ曰く、人間とホウセンカの生命としての記憶は違う。
受け継いできた「記憶」を鍵に、全く異なる死生観のホウセンカと阿久津の記憶のすり合わせが物語を推し進める核となっている。
そして阿久津という不器用な男の取った命の戦略とは、彼の「愛」をこの世に残すことだったのだと気づかされる。
阿久津自身は彼の愛が実を結ぶ瞬間を見届ける事なく世界から消えてしまったとしても、彼に愛されたという事実が那奈には残る。
そして誰もこの「愛」を知る必要はない。最も知ってほしかった人に「愛してる」と伝えられたなら、それこそが退路のない中で放つ一発逆転の大花火だから。
最後に「触れてはならない」ホウセンカに触れて種を撒き散らしたのは、ヤクザの家族では幸せになれない那奈と健介に「それでも触れたい」思いと、ホウセンカを介して万が一にも堤の兄貴に事実を知られないための非情の選択だったのか、と思う。
ホロ苦くて切なくて、それでいてホッコリする何とも不思議な味わいの感動に思わず落涙してしまうほど良い映画だった。
やっぱり、大事な相手に寄り添うのって良いね。
「私向きじゃない」なんて拒否せず、一緒に観に行って本当に良かったと思う。
