ひゃくえむ。のレビュー・感想・評価
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映画と漫画で1つの作品
私は原作から入ったひゃくえむ。ファンです。
やはり競走シーンは迫力満点で見応えがありました。BGMやロトスコープならではの生き生きとした表現が素晴らしかったです。5000点満点でした。しかし、原作勢からすると、幼少期のトガシに負ける事への恐怖の感情描写や、仁神とトガシの競走シーンなど、心理描写が足りてない所があり、そこは物凄く惜しいと思いました。特にトガシ、仁神が入部してくるシーンなど、映画版では非常にあっさりとしていたので、原作を読んでいない初見の気持ちで見ていると訳が分からなくなりました。なので全体的に原作と比べると浅い作品だと思います。さらに、いじめの描写が無くなったところもかなり大きいと思います。特に小宮は。
色々な意見はありますが、映画→漫画→映画の順で見ていくと作品の深みが増していくのではないでしょうか。まさに、映画と漫画の両方を見て、ひゃくえむ。という作品を理解できるようになると考えています。
良かったけど、展開は読める
あの10秒を味わう
今の創作物は昔と違ってかなり現実的に作られたものが多い。昔は才能があって、なくて、大人になったらそれが無くなって、更に現実を見ないといけなくて、でも些細な日常の中でしあわせを見つけようとするような。
でもそういうものは、子供の頃を恋慕するような気持ちを否定された気がして、今ある現実をちゃんと見なさいと言われるような気がして、とても苦しい。
でもこの映画にはそれがなかった。
主人公がコーチになって終わるそんな現実的で、見たくないような結末なのかと思ったけれど、
主人公が挫折しながらも、あの10秒を味わうためにちゃんと走り抜けた。
未来が決まった映画は、こっちの未来も勝手に決められたようで苦しい。
でも、私にとってこの映画の結末は現実逃避の術で、まだ未来があるように感じられて、この映画を思い出すことが日常を彩るもので、観る事であの10秒感を共に味わえる、そんな映画だったと思う。
刺さりまくった
よかった。
何が1番かというと走る時の演出が最高。
何度もあるレースシーンがまさに固唾を呑んで見守れてしまう雰囲気作りが素晴らしいです。
100mにかける思いの強さも。
明日生きるために今日死んでいたっていう言葉は本当に刺さります。
大人になって市民ランナーになって記録が伸び悩む時はまさにこんな気分で走ってるから伸び悩むんだよな〜って思います。
先を忘れて今を生きてる時が1番です。
余計な人間模様はワンカットとかで語って後は100mに凝縮している演出が素晴らしいです。
高校編とかそれだけでワンクール作れるくらい人間模様ありそうだけどあんな感じで流しちゃうのはもったいないけど110分の映画ならアリです。
本当にいい映画でした。
ランナーの方は一度は見るべし!
熱いものがずしりずしりと来る。
息子に勧められた映画予告で何か刺さり、映画館へ。
100M走、子供の時から圧倒的に速い子、そして始めは遅い友達。となれば展開は読めそうなものの、それでも何か昔のスポコンとは違う何かを期待して、そして良い意味で好きなスポコンでありながら、展開は昔のそれとは違ってて、そしてそれだけじゃない何かをたくさん与えてくれたように感じる。
キャラクターそれぞれに大切なものがあるっていうの好きです。
そしてそれぞれのキャラクターがくれる大切なメッセージの一つ一つが心に刺さる。
展開もいい感じに予想を外してくれる。そこでその人かーみたいな。
あ、あー嫌な予感、、、これは当たるんかーい(涙 な展開も。
出てくる登場人物かっこいいなぁ。
原作ではもっと丁寧に時間をかけて展開しているのかなと思いますけど、映画だけでも楽しめました。そして帰りに古本屋で原作買おうと思ったけど売り切れてました。
心を熱くしてくれる映画。
スポーツ熱も上がりましたけど、それだけじゃない人生観にも当てはまるストーリーでした。
なんか社会人になった若い女性とかでも意外と刺さるメッセージかもだし、年齢を経た人たちにもチャレンジする意欲だったり前向きになれるような、なんというか人生に対して奮い立たせてくれるような。
原作も見たいけど、映画も何度か見て噛みしめて製作者さんのメッセージをしっかり受け止めたいです。
いやー、燃えたけど、今でもまだじわじわキテる。
また見たいです。
そして試合出たい(怪我療養中なので)。
あ、それと終わり方もおしゃれでした。
ピンポンみたいな終わり方も好きなのですけど、この映画はあれも合ってるように思います。
あ、それに歌もよかったです。
歌詞サイコーです。
全てが詰まった「10秒」
心を高鳴られる100m
たったと言えばそれまでだが、誰しも時間を気にしなければ走れる100mという距離に掛ける思いと情熱。
その一瞬の世界が無限の可能性と力を持ち、それに魅了され生きる男たちのドラマ。
その刹那の空気の中、スターターの音が血を湧き上がらせ、呼吸が高鳴らせ両脚に流れていく。
この感覚はとても心地よく。
またあの高鳴りを感じたくなった。
走ることにすべてを注ぎ込む物語
100m走選手たちの物語を描いた映画
原作未読です
小学生のころに足が速かったトガシと
走ることでつらい現実を忘れようとする小宮が
親友となるが小宮は転校をしてしまう
トガシが中学生で陸上からスランプになり陸上から距離をとっていく
高校生でもう一度陸上を始めるが
そこでトップクラスの実力を持った小宮と再会し敗れてしまう
そして、10年後になり
トガシは選手として結果が出せないまま
小宮と差をつけられてしまう
先輩選手のアドバイスでなんとか調子を取りもどすが
試合直前に肉離れになり、無理をすると走れなくなる状態だったが
最後のレースで小宮との対決に臨む
陸上の内容を描いた作品だが
陸上選手は若い時からいろいろプレッシャーがあり
ケガなどで才能があっても陸上選手を続けられなくなったり
理不尽な部分もドライに描かれる
本作では脇役で出てくる選手たちも
個人的にかなり魅力的に見えた
小宮が高校生のときに自分の肉体を酷使する選手だったのに対して
社会人ではかなり合理的な選手になっている感じがして
その変化の理由がわからなかった
ロトスコープの作画で好き嫌いがあったり
最後の勝負はどちらが勝ったかわからないまま終わるので
ちょっと好き嫌いが分かれそうな内容だったが
個人的にはよかった
最高に引き込まれた
原作選定ミス。
あいたたたた
登場人物の発する言葉が全てポエムなのがとても痛々しい 作中まともに喋っていたのは陸上部員の女の子だけ。
『ひゃくえむ』に限らず、「所作」とか「行動」「経歴・経験」の部分で登場人物のディティールを描いて、視聴者に想起させるという手間を省く作品が多すぎる。
富樫が一度陸上から離れた理由、
財津や小宮がああなった理由、
海堂が急に勝った理由、
財津が失速した理由、
伏線や動線が欠如していて分からない。
セリフのポエムっぽさが作品全体に悪影響を及ぼしている。本来は場面に応じてセリフがあるはずなのに、むしろセリフが場面を左右しているような違和感がある。
説明を全部文字とか言葉に頼るなら映像作品、ましてやアニメーションじゃなくていいじゃん。己の価値観・世界観・ロマンを広める上で、楽になろうとする作り手の意識が垣間見えてしまう。
褒められるところは、競争シーン。人が走るシーンの作画はどうしても某ウマ娘みたいに残念になりがちだが、流石に力が入っていて集中して見れた。あと浅草ちゃんが可愛い。よって★★にします。
一瞬を取るか、一生を取るか、それが問題だ。
最近のアニメは、時間が凝縮されていて、直球で心に刺さる。
主人公トガシの人生を共に生きた気分。
私は、小学生で将来の夢を見つけ、そこへ到達するための人生の設計図を描いた。
予想外のことをいくつか乗り越え、おかげさまで、半世紀かけてその夢は実現できた。
今、私は満たされていて、ホントにいつ死んでも悔いはないと思っている。
余生では、新たな夢を全力で追いかけるか、読書や旅行など趣味を存分に楽しむか、どちらにしようか悩んでいる。
そういう意味では、この映画はタイムリーだった。
社会人のトガシの生き方は、ごくスタンダードな生き方だ。
明日のパンのために、今日を生きる。
それを延々と繰り返したら、死ぬまで、今日を、今を全力で生きることはできない。
仕方ない、安定を知ってしまったら、ギリギリの状況で生き続けるのは、精神的にキツイ。
余人をもって代えがたい打ち上げ花火のような輝きに満ちた人生は確かに美しい。
けれど、毎日を丁寧に楽しく生きる線香花火のような人生も、同じくらい美しいと思う。
世界一じゃなくても、県内一とか町内一くらいを目指して、両方の人生を味わうのが、現実的な幸せじゃないかな。
ラスト、最高によかった。
最後の最後にポロリとこぼれた涙は、トガシと小宮、どちらも勝者だよと心が震えた瞬間だった。
主題歌もよき。
最近のバンドの中では、ヒゲダンが一番好み。
若い頃から変わらず聴いているのは、サザンとスピッツ♪
彼らの新曲は、どこか懐かしいと感じる、不可思議(*^▽^*)
陸上
中学、高校と陸上やっていたので、一応観にいきました。
内容は、普通に緊張感ある作品で、楽しめました。
ラストは原作知らないのでわかりませんが、
陸上で怪我して走れなくなった者としては、
このように想像します。
100m、スタートしてから60m地点で
やや酸欠、肉体的限界のはじまり、
その状態から自分の体を俯瞰で観て、
何ゆっくり走ってんだ~もっと早く走れ
もっともっともっと!って脳に命令を続けると
ゾーンに入れる瞬間が、発動することがあります。
自分の肉体の限界を越えてしまうので、正直怖い。
時間にして2~3秒だと思いますが、普段の自分とは
違う体の自分になります。(アドレナリンではない)
その状態で走った場合、怪我している方は、多分
途中リタイヤだと思いました。
肉体、呼吸、精神すべてが限界を超えた時、こわれます。
ガチ、になれる一瞬。人生にはそんな幸福もある
トップアスリートの珠玉の哲学
小学生トガシが「100メートルを誰よりも早く走れば全部解決する。」という。
トガシ(彼だけ、カタカナ)が最初に放つ哲学的言説。
そして、さまざまな紆余曲折を経て、再びこのセリフに回帰する。
登場人物の放つ哲学を全部、記録しておきたい。
原作をそろえれば全部、載っているのかしら。
しかし、最も素晴らしいシーンは雨の全国大会での小宮のセリフ。
「トガシさん、走り変わりましたね。」
言うまでもなく、変わったのは技術的なことではなく、トガシの生きざま。
それを指摘されて、トガシがショックを受けるシーン。
雨ですべてが覆われる。
アニメーションでなければできない表現なのだろう。
「栄光の前に対価を差し出すとき、ちっぽけな細胞の寄せ集めの人生なんてくれてやればいい。」(財津)
「現実から逃避せよ。」→「現実を見ずに逃避するか、苦しい現実をみてそれを乗り越えるか?」(海裳)
「トガシくん、走り変わったね」(小宮)
「明日を生きるために今日死んでました。」
トップアスリートたちは私たちの現実においても、哲学を語る。
大谷翔平、羽生結弦、藤井聡太
ぎりぎりの世界で生きる若武者たちの言葉は美しく深い。
先日観た「宝島」は膨大な事実と時間と心情にあふれ、それらの総体が消化しきれないこと、そこに価値を見いだすべき映画であった。
それに比べて、100メートルは10秒の世界。
その短時間に凝縮される哲学の深さに圧倒される。
トガシの挫折と、理想と現実との折り合い方、涙は初老を迎えないと本当のところはわからないと思ったが、否、深く生きる若者たちにとってはリアルなことなのだろう。
トガシのみカタカナ。
ひゃくえむ。が平仮名「。」付き。
に意味がないわけがない。
多分、この一作のアニメーションの解説の為に本が一冊必要になるのだろう。
すごいものを見てしまった。
鰹西高校とか、鰯第二高校とか、妙な遊び心も楽しい。
試合が始まる前の準備の描写が長い。ロトスコープの効果を最も感じた。
あの空気感を出すのはこの手法がベストだと思った。
実写ではこうはいくまい。
アニメーション表現に比重を置き過ぎたかも
ところどころいい台詞がありアニメーション表現もロトスコープをめいっぱい使って並々ならぬ労力で作られたことは分かった。
エンドロールでロトスコープのモデルになった人の人数が半端でなく子ども時代のトガシ陸上シーンのトガシ日常シーンのトガシなど他のキャラも同様なので、どれだけの人数と時間をかけたのかと気が遠くなるほど。
じゃあ、その努力は実ったのかというと確かに陸上シーンは素晴らしかった。しかし、日常シーンはふわふわと揺れて不安定なところが結構あった。陸上シーンと差異が少ないように日常シーンもロトスコープを使ったのかもしれないが、それはあまり上手くいっていない気がした。
さらに感情が爆発するシーンでは急に手描きになりデフォルメが強く違和感になった。
スポーツアニメという事で思い出したのがスラダンを見た時3DCGで原作の雰囲気をここまで出せるんだと感動した事だ。しかし、表情のパターンはやや少なく女子マネの驚いた表情は全部同じに見えた。スラダンの次に2Dのハイキュー!!の迫力あるデフォルメ手描きを見たら、2Dも3Dもそれぞれの良さがあるが歴史的蓄積がある分2Dで出せる迫力は捨て難いと感じた。
穿った見方かもしれないが、本作はロトスコープの良さと手描きデフォルメの良さをミックスしたいと思ったのかもしれない。しかし、そこはやや統一感がなく成功したとまでは言えない気がした。
いろいろアニメーション表現の事を書いたがアニメーション表現にめちゃめちゃ力が入っているのはヒシヒシと伝わったが、人間の業や性(さが)に関しては表面的に感じた。つまりアニメーション表現で手一杯で作品思想まで手が回らなかったように思えた。
原作未読なので原作も似た感じかもしれないが、漫画は絵の表現もさることながら普通はストーリー重視だから、もっと何か言いたかった事があったのではという気がしている。なのだが、アニメーションを見てさほど響かなかったのでわざわざ原作を読む気にならないのが自分でも残念だ。
最も敬虔で愚直な物語
この映画はただ走るという運動そのものの映画ではない。走り方、生き方の映画だ。
この映画において最も重要でないのはレースシーンだ。よって、非常にシンプルで合理的なカットがなされる。レースシーン単体で観た時、果たしてそれで楽しめるのかわからない。
しかし、どんな映画のかけっこより真剣にスクリーンを睨みつけたのを覚えている。この映画が俺に仕込んだ文脈によるものだ。
それぞれの選手がレースシーンの間に交わす会話、起こす行動。それがレースの雌雄を決するという錯覚を起こさせる。結果は時に非情だが、だからこそ、選手が選び取った生き様を真剣に観てしまう。
技術的にも素晴らしい。ロトスコープが全面的に使われている作品は初めて観たのだが、実写的な面白いカメラワークが多かった。必ずしもロトスコープを活かしたとは言えない少し堅実すぎるショットが多かったが、だからこそ、物語が際立ち、随所のアニメ的表現が際立つのでこれが最善だったと思う。基本的にこの物語通り愚直で真っ直ぐな映画なので、飛び抜けた表現はない。しかし、今作は間違いなく大傑作だ。身の回りの人にこそ勧めたくなる作品だ。
ゴーグル掛けたノヴァク
俊足スプリンターたちは、みな哲学者だった…
冒頭は小学生編。ここで既に主人公のトガシは走ることに哲学を持っている。訳ありのようにも単なる変わり者のようにも見える転校生の小宮にその哲学を披露する。
中学生日本一の仁神もまた、自身の哲学を小学生のトガシに語る。
高校生編では、小宮の高校に講演に来た最速スプリンター財津が、小宮の質問に応えて生徒たちを前に観念的な持論を展開する。
社会人編では、ベテランの海棠が人生観に近いスプリンター理論をトガシに語り、小宮も自分が走ることの意味を財津に向かって話す。
そして、トガシは子供のころから信じていた信念に帰結したようだった。
100mを誰よりも早く走る、その10秒に人生を賭けて完全燃焼する彼らだから、哲学も生まれようというものか…。
小宮と出会ったことで初めて負けることの恐怖を知ったトガシ。誰よりも速く走ればすべてが解決すると信じる彼は、何も解決しない世界へ足を踏み外したのだろうか。
トガシと出会ったことで誰よりも速く走ることの恍惚感を知った小宮。新記録を出すためだけに走ることに没頭する人生を歩む。
二人にスプリンターとしての道標を指し示した先輩たちや、刺激を与えた後輩たち。
年齢も生い立ちも異なる男たちが、それぞれ孤独な戦いを経てついに選手権レースのスタートラインに並ぶという群像劇を、トガシと小宮の対比を中心に描いていく。
そこには、いわゆるスポ根マンガ的な挫折と復活のドラマもあるにはあるが、熱くというよりドライに描き出す。
超凡人である私には、身体能力の限界に挑む彼らが到達するゾーンは想像すらできないが、勝つ者も負ける者もその一瞬にかける生き様は神々しいばかりだ。
この映画は多くの場面でロトスコープを用いているのではないか。エンドロールにクレジットされていたのは、ライブアクションの俳優だと思われる。
ロトスコープはともすれば動きが実写と変わらなくなってしまい、リアルで滑らな反面アニメーション的な面白みに欠けてしまう危険性がある。
しかし、斬新な演出でアニメーションならではの迫力と情緒を醸し出している。
スピード感を出すための描写、足の違和感を示す描写などに加えて、背景もその場面の状況によって異なる描法を用いている。背景をも心理描写の一部にしているのだ。
究極は雨中のレースのシークェンスだ。
本当の雨の競技会を撮影してロトスコープでアニメに起こしたのではなかろうか。いかにも本物らしい競技会の模様から長く激しい10秒間の描写へと流れていく、あの緊迫感。
そして、土砂降りの雨が幕を下ろすかのように人物を遮蔽していく演出のセンスには脱帽だ。
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