「息子にはまだムズカシイかな?と思いながら、3度目の「ひゃくえむ。」を観賞しました。やはり傑作でした。」ひゃくえむ。 Yukiさんの映画レビュー(感想・評価)
息子にはまだムズカシイかな?と思いながら、3度目の「ひゃくえむ。」を観賞しました。やはり傑作でした。
地元でまだ「ひゃくえむ。」を上映していると知って、冬休みの息子を連れて観賞しました。息子には内容を理解するのはまだムズカシイかな?と思いながら、何か感じるものがあればと一緒に行きました。3度目の「ひゃくえむ。」です。1回目は一人で、2回目は妻と、3回目の今回は息子と観賞しました。大人のアニメですね。傑作だと再確認しました。
「何故走るのか?」登場人物たちはその誰もが、他者と競って誰よりも速く走ること、1位となることの高揚感を知っている。トガシを始めとする天才たちはもちろん、努力の人の小宮も、トガシの指導を受けての運動会の金メダルが1位の原体験だ。(金メダルをもらった時の表情はとても印象的。)しかしながら、登場人物たちは競技者として年月を重ねて行くうちに、100mを走り続けることについて意味を見いだそうとし、哲学する。「100mだけ速ければ全て解決する」と言っていたトガシでさえも…。小宮は記録を伸ばす孤独な戦いに執着し、海棠は万年2位の現実から逃避する方策として走り続ける。(現実逃避で「走り」を始めた小宮が、現実逃避することを思いながら「競技」を続ける海棠に抜かれ、自らの競技人生に疑問を抱くくだりのプロットの妙は秀逸だと思った。しかも、海棠は万年2位という現実を見続け、現実逃避という方法でしかガチになれない。)財津や仁神らもそれぞれの想いから引退したり(財津)、陸上に関わり続ける人生の選択をする。(通院のトガシを車で迎える仁神が鰯西高校のジャージを着ているのを見て、良い人生を送っているらしくよかったと思った。)日本陸上決勝の前日、脚に爆弾を抱え選手生命を賭ける決断をしたトガシ。記録に執着しない海棠に記録で敗れ、財津が憐れみを感じると言った記録を求める競技人生に虚しさを感じ逡巡する小宮。二人はお互いに「何故走るのか」を確認する。「ガチになるため。」それはトガシの言う「100mだけ速ければ全て解決する」に基づく。100m決勝、そこには子供に帰って純粋に、しかも真剣に1位を目指してかけっこを楽しむトガシと小宮の姿があった。
画面が消えたあとにゴールの歓声が聞こえたから、どちらが勝ったにせよ、トガシは無事ゴールできたんだろうと勝手に想像しています。今年最後の映画をこの作品で締めくくれてよかったと感じています。息子は面白かったと言っていますが、多分わかっていないでしょう。(違っていたら謝ります。)もう少し大人になったら、父と一緒にこの映画を見たことを思い出して、見直して欲しいです。
