ひゃくえむ。のレビュー・感想・評価
全372件中、1~20件目を表示
哲学的なスポーツアニメはとても斬新だった
原作は鑑賞後に読んだ。
2時間にまとめるためとはいえ、ここまで大胆な高校生編の改変は勇気がいっただろうなと思う。
当たり前だけれど、原作の方が流れがスムーズだし、映画だけだと物足りないと思ったところは原作だと細かく描かれていたので、映画と原作両方合わせて楽しむと良いと思う。
映画での大胆な改変は悪くはなく、映画の方がよりリアルさが増していた。ちょうど世界陸上のシーズンで連日日本陸上選手の活躍に胸が熱くなっていたところだったのも大きい。
ロトスコープの手法を使っていたことで、直近で世界陸上を見ている人たちにも、肝心の走りや走る前の動作などが嘘っぽくなく、リアルな陸上として楽しむことができると思う。
私はスポ根ものが大好きなので、題材的にも好みドンピシャだったけれど、この「ひゃくえむ。」は作者の特徴もあり、他のスポ根ものとは一角を画す。
それは、スポ根ものだけれどフィジカル面についてより、内面の真理を追求する哲学的な面が強いからだ。
キャラクターひとりひとりが放つ言葉は、様々な立場にいる私たちにも違った形で届く。
私も何度かグッと掴まれた言葉があった。
是非映画館でその言葉たちを受け取ってほしい。
最後のエンドロールで流れる髭男の「らしさ」もとてもよく、あまりの歌詞の良さに涙が出た。
またひとつ人生の応援歌が増えた。
もうひとつ言及したいのが、松坂桃李くんのアフレコの素晴らしさ!
滑舌がいいからとても聞きやすく、声も主人公にすごくあっていて、プロ声優の中で演技をされていても全く違和感がなかった。本当にすごい!
「ひゃくえむ。」は、100mのたった10秒に自分の人生をかける人たちの、成長や挫折、迷いや不安、奮起や勇気が作品を通して散りばめられていて、見終わった後に、自分も頑張ろうと思わせてくれる素敵な作品でした。
今年屈指の傑作
今年度屈指の映画では。100M走というシンプルな競技にこれだけ世界中が魅せられているのはなぜなのか、という答えがここにある。この作品はあの短い距離に込められたドラマを極限まで深く掘って見せている。哲学と意地と狂気(狂喜?)のぶつかり合いがあの10秒程度のレースにこもっているのだと、物語と抜群のアニメーションの動きで表現している。セリフの哲学的要素が仮になかったとして、あのアニメーション描写だけでもドラマを伝えることすらできたのではと思わせるほど素晴らしい。
ロトスコープの使い分け、線をシンプルに描くシーンもあれば情報量を増やしてギャップをつけることで巧みに観客の感情と集中力をコントロールしていたのが印象的。岩井澤監督の前作『音楽』では、そうしたシーンは終盤のライブのみ見られたのだが、プロダクション規模が大きくなった今作では、より効果的に様々なシーンでその使い分けが見られて素晴らしかった。
キャスティングもばっちりだった。染谷将太の起用が抜群に効いてる。
そういえば、魚豊作品では髭の人に津田健次郎を当てないといけない決まりでもあるのだろうか。
「100メートル走」という陸上競技を題材に繰り広げられる物語。特に“10秒の世界”に凝縮された人生観の変遷と、意欲的な作画は一見の価値アリ!
本作はアニメ化もされた「チ。 地球の運動について」で知られる漫画家・魚豊の連載デビュー作。「100メートル走」という陸上競技を題材に繰り広げられる物語です。
登場人物たちが人生をかけて臨んでいる「日本記録を持つようなトップランナー」を中心に描いているため、セリフが達観しているなど興味深く、物語として面白くなっています。
「100メートル走」は“10秒の世界”なので、凝縮された人生観となっていて、特に主人公の変遷が丁寧に描かれています。
最終的に到達する「正解」とは何なのか、そして、それを踏まえたラストシーンは必見レベルでしょう。
また、意欲的な作画も多くあって見応えがあります。
本作では、小学生時代、中学生時代。高校生時代、そこから10年後の社会人時代を描いているので、登場人物の名前はしっかり覚えておきましょう。
主人公の「トガシ」、トガシが小学生の時に出会う転校生の「小宮」。トガシと小宮が小学生時代に出会う中学生部門1位の「仁神(にがみ)」。15歳でインターハイ優勝し日本新記録を打ち立てた絶対王者「財津」。社会人時代のトガシの実業団チームにおけるエース「海棠」。この5人はキチンと覚えながら見るようにしてみてください。
「ルックバック」や「ピンポン THE ANIMATION」が好きな人には刺さりやすいと思われる一見の価値のある作品です。
走る音が胸を震わせる——劇場で体感すべき映画
む、胸が苦しい⋯
終始、敗れ去る者たちが描かれています。
画もアニメーションもすごいのですが、敗れ去る者たちの悲痛な姿が心に刺さり過ぎてそれどころではありません笑
敗北や恐怖に特効薬はなく、ただ負けて終わるだけ。だからこそガチになれる。
すべてが不確かな中で 自分がガチになれていることだけは自分で分かる。少なくともそれは真実というデカルトチックな気づきも面白い!
…と同時に、自分がガチに生きて無いことに気付かされます笑
今現在逃げている、それも現実を受け止めずに逃げている人が見ると、刺さり過ぎて危険です。
わたしは普通に致命傷でした。
自分の現実を見つめて、わたしはどう逃げるかな⋯
高校パートでは唯一(?)スポーツの楽しさが描かれていました(それも絶望への前フリでしたが)。
思い通りに動かない体を少しでも理想に近づけるための切磋琢磨、仲間との練習、運動ってやっぱり楽しいよね〜というスポーツの明るい側面が描かれていて、よく同じ映画にこれだけ落差のあるシーンを入れ込めたなぁと感心しちゃいました。
現代版の自省録、魂に響く言葉の数々
すごく面白い映画表現だった
朝、時間が空いたので何か見ようかなと思って気になっていた本作を鑑賞。公開から1ヵ月以上経ってるはずだけど、いまだにロングランなのが納得の面白さでした
映像表現がとにかくすごい!
- インターハイの雨の中走るシーン、水墨画みたいな表現が真新しかった。おそらく実写を元に2D化してるんだろうけどその完成度が「果てなきスカーレット」の10倍以上のクオリティ
- 登場人物たちの情緒が不安定になるときに、主線がグチャグチャになる表現。これおそらく「かぐや姫の物語」から来てる!感動
あとストーリーも最高!魚豊(うおと)先生流石!
おもしろいってみんなに教えてあげたい
ただ無闇に走りたくなる映画
物語的には落ちぶれた神童の再起物でストーリーラインはシンプル。
主人公トガシは才能溢れる小学生時代とすっかりサラシーマン気質に染まった青年時代との対比が面白い。特に魚豊氏のキャラは顔面力が強いので小学生トガシはやたら貫禄がある。
ライバルの小宮は小学生時代はフォームも何もないドタバタ走りが可愛い。
そんながむしゃら小宮も成長すると才能が開花して陸上界のトップに君臨し、そしてやたら虚無な青年に変貌。同じくトップ層を張る財津と少し虚無キャラが被っているのが気になる。陸上でトップを走るとそうなっていくの?
見ていて良いと思ったのは、スタンバイに入る選手の様子を舐めながら競技場の様子をぐるりと見せ、また選手をクローズアップする中盤のカット。
選手だけにフォーカスするのではなく、選手が身を置く場所をじっくり見せてくれるので、そこに一緒に立っているような気分になって臨場感が上がる。モーションキャプチャーを取り入れた描画といい、全体的に細部の描き込みに余念が無くて素晴らしい。
ただ、テーマ部分の中心はわりと精神論なので、そこが引っかかる人はいる気がする。怪我はちゃんと治してくれ…とは思う。
しかしそれでも、這い上がってきたトガシと帝王小宮が直接対決するラストランは、物語的にも感情的にも熱量のピークで「今この10秒だけ走りたい」という選手の気持ちと観ているこちらのエモーションがピタリと一致する。
ラストショットは競り合うトガシと小宮。互いに「こいつだけには負けない!」と思っているかのような、これまで見せた事の無い良い表情でグッとくる。
陸上100m、10秒の中にこれほどドラマを詰め込むことができるのか。ただ無暗に走り出したくなる、そんな映画だった。
10秒の為に
観に行く予定無かったのだが、何となく映画観たいなと思ったけど、観たい映画がなくじゃあ評価良い本作にしようと、そういうノリでした。
が、評判通り面白かった!
100m走のたった10秒にかける選手たち。それまでの喜怒哀楽全てを詰め込んで走る。いやー、ものすごい大変な競技ですよね。
そんな、100mを走る人間の心理を、小学生〜中学生〜社会人とその気持ちの変化や苦悩を描くのがとても面白く、そして考えさせれるのだ。
一瞬の瞬発も必要な競技なので、怪我も付き物。それでも気持ちで走る凄みが感じられました。
そんな自分も高校まで陸士部で100m選手で県大会にも出た。ただ、私はあの緊迫したプレッシャーに勝てな勝った。その頃を思い出しながら、鑑賞して懐かしい気持ちにもなった。
大人すぎる小学生
原作者ファンです
良かったです。
良かったんですが、ひどく感動したり衝撃はないので、星5にはならないくらい。
尺の内容としては
走り5:語り5でした。
走りの描写に関しては文句のつけ所はありません。アニメとしてもチープでなく、肉感や動きも見事でした。
語りの部分は良かったのですが、
(他の作品の名前を出して申し訳ない)
例えば「チ」だったら、学問の類であり彼らの知的好奇心から、哲学的な語りが生まれるのは自然の流れです。
しかし、ひゃくえむに関しては主人公トガシや小宮などスポーツ小学生にしてはやっぱり考え方が大人過ぎると感じましたね。会話が思想や哲学のキャッチボールで、等身大の生身の人間と言うよりも、作者の伝えたいことが前身していて違和感がありました。
そのため完璧に入り込むことが出来なかったです。
まあ、そこは作者の作風だからと、割り切れる人は多分星5だと思います。
打算するな今を生きろ
9/19の公開から2ケ月経た今でも大ヒット上映中でその面白さを証明しているのだが私は翌週に公開された阿部寛のくだらない映画と天秤にかけてそちらを選択してしまって後悔しきり、遅ればせながらなんとか観ることができて本当に良かった。「チ。地球の運動について」でブレイクした魚豊の連載デビュー作がこれで、講談社も連載は無理と言ったそうだから凡人が考えるヒット作はせいぜい「鬼滅」や「チェンソー」。10秒で片が付く戦いを劇場アニメの題材に選び岩井澤健治監督を指名したポニーキャニオンの寺田悠輔プロデューサーもただものでは無い。ライバルのトガシと小宮に松坂桃李と染谷将太を起用したのもハマり興行的にも奏功した。原作から映画106分への取捨が見事で、イジメ等の既存のドラマに起伏をもたらしていたであろう外部雑音枝葉を排し、ひたすら陸上に打ち込むポジティブな懸命さと挫折だけで構成していて天晴。誰もが指摘するロトスコープ手法が素晴らしくインターハイで選手入場トガシのドアップからスタートまでの3分40秒ワンカット長回しは映画史に残る名シーンとなった。
体は子供、頭脳は大人
この手のアニメでレビューが高いとほぼ面白いので安心して見に行ったが、期待していたより更に面白かった。
最初思ったのは、小学生ながら随分と人生を達観した小学生2人・・・
中学生もまた、ベテラン選手のような貫禄で小学生相手に人生論みたいな話をし、それを理解する小学生。
この子たち人生何回目だろうと、心の中でつまらないツッコミをした。
日本トップレベルの走者になるような選手は小学生入学時点で絶対足速いよな、小学生の足の速さはほぼ生まれもった運動神経次第だよな、最初は足めちゃ遅かったとか絶対無いよな(小宮君)。とか、後半、競技を続けられるかスレスレのレベルからあっさり日本最速レベルになったり・・・とかあるけど、フィクションはそれでいいと思う。
個人的には高校入学から800m混合リレーまでのくだり好き。
最後、ようやく2人が並んで心から楽しく走った姿がベストシーンだね!
「ひゃくえむ。」原作未読 なんかポエマーやら教訓おじさんやらが次々...
「ひゃくえむ。」原作未読
なんかポエマーやら教訓おじさんやらが次々出てきてなんか語るんだけど、それはともかく、絵がすごい。
実写を絵に落とし込んでるシーンがかっこいいし細かくてすごいし、
転じてイメージ優先のアートな表現もすごい。
最後までワクワクして見てた。
音はリアルなイメージを思い起こさせる精度なのに、音楽は意外にベタ。でもそのおかげで見やすくポップになってる
主演の松坂桃李は、ほんと上手い。キャラにめちゃめちゃ合ってる。
小賢しくてうまく立ち回りたいと思う、リミッターを外せない普通のひと。
一貫したテーマは「なぜ(選手として)走るのか?」
子供の頃は、速く走れる才能をもらったら、楽しいし褒められて名誉や立場を得てしまう。トガシは、一番速く走れたらすべて解決する(全てのものが得られる)、と言う。しかし思春期になると才能を保ち続けるために不断の努力や自分や周囲からのプレッシャーに耐えなければならないと気づく。うまくいかなくても怪我をしても興味をなくしても自分の得たものを守るためには。勝たねばならない
そうして脱落していくランナーたち。
それでも走ることを続けるトガシ。冷静に考えればコスパもダイパも良くないのに。
しかし、たどり着く「忘我の喜び」新しいフェーズで見つけたその意味は哲学的だし子供の無邪気さに戻ったかのようだ。
「100mを誰よりも速く走れば全部解決する」人たち
陸上競技の100m走に取りつかれた、「100mを誰よりも速く走れば全部解決する」な男たちの話。
たった10秒の中に、それぞれの人生が凝縮されている。
ほんの一瞬で終わる世界なので些細なことが大きく影響する。メンタルの調整は大きな課題だ。早く走りそれを維持するために、知らず知らず自分の「真理」を模索している。こうやってもがくのは、一流アスリートであればこそ。真剣だからそうなるのだ。
たびたび哲学的格言が飛び出すが、どれも「普遍的真理」ではない。
あるとき「これだ」と思っても、すぐに通用しなくなる。真理は常に流動的で、その時々、コンディションで大いに変わったりもする。
迷走して、人の受け売りを真理と思い込もうとしたり、見当違いだったりもする。
もがきつつ「真理」を求めているうちに、老いに追いつかれる。
そして、現役を退いたら、もう真理を追究することはない。
「100mを誰よりも速く走れば全部解決」しなくなる時が必ずくるのだ。
重々分かってはいるし、それを受け入れた時が引退の潮時。だが、それは今ではない。
それが彼ら。
「結論から言うと、不安は対処すべきではない」と「現実が何かわかってなきゃ、現実からは逃げられんねぇ」という、海棠の言葉になるほどと思いました。これは100m走に限ったことではなく、広く一般に通用するものだと思う。
シビアな世界で長く生き延びている人には、それを可能にした哲学があるのだろう。
バカでは長生きできませんね。
「生まれつき足が速い」ことで幼いころからヒーローだった男たちなので、みんな表向きの表情はなかなかスタイリッシュ。だが、中身はしょせん「人間」、実は見栄を張っていたり偉そうにしているだけだったり、卑屈になったりと、内面は普通にかっこ悪かったりするのを描いている、かと思えば、小宮のようになりふり構わず、他の一切を断ち切っているものも。深い。深掘りしてないけど。日本の漫画ってすごいなと改めて感心した。
大会準決勝で、常に自分の後塵を拝し続けており見下していたお年寄り海棠の背中を見た。そればかりか他の選手にも抜かれて決勝に残れない、いわゆる惨敗を喫したカリスマ・財津がその場で引退を発表したのは、カッコ悪すぎていたたまれなかったからじゃないかと思ってしまった。挫折したことがないので超打たれ弱かったのかも。天才だっただけで、さほど競技に思い入れがなかったのかも。贅沢だけどこういう人もいるんだろう。
トガシと小宮が主人公のようだが特に肩入れされるでもなく、どちらかというと群像劇。
キャラクターが個性的でひとりひとり面白い。
個々を深堀りしないので、100m競技に取りつかれた男たち、というテーマがぼやけない。
アニメなのに顔芸がスゴイわ。
人物の動きがものすごくリアルで、特に競技の直前のスタート地点の選手の細やかな動作が自然すぎて素晴らしいと思ったら、ロトスコープという、実際に撮影した映像をトレースしてアニメーションを制作する手法を使ったとのこと。まるで実写、というよりベースが実写だったんですね。
トガシと小宮の勝負の結果を見せないラストは、予想できたがそれでよかったと思う。
100m、わずか10秒の勝負に憑りつかれた男たちの、本気の熱量がひしひし伝わってくる映画でした。
面白かった。原作未読。
なんかポエマーやら教訓おじさんやらが次々出てきてなんか語るんだけど...
なんかポエマーやら教訓おじさんやらが次々出てきてなんか語るんだけど、それはともかく、絵がすごい。
実写を絵に落とし込んでるシーンがかっこいいし細かくてすごいし、
転じてイメージ優先のアートな表現もすごい。
最後までワクワク
音はリアルなイメージを思い起こさせる精度なのに、音楽は意外にベタ。でもそのおかげで見やすくポップになってる
主演の松坂桃李はとにかく上手い。キャラにめちゃめちゃ合ってる。
基本真面目で、でも小賢しくて天才ではない。リミッター外して没入ということができないタイプ。
「なぜ(なんのために)走るのか?」が一貫したテーマの、ひゃくえむ。(原作未読)
速く走るという天賦の才を与えられた者たちのドラマ。その才を活かし続けられるものはわずかという残酷さ。
子供のときは、走る楽しさ、得られる名誉や地位といったものを素直に受け取れる。一番速く走るものが総取りできると言うトガシ。
しかし、思春期になり自我と思考が備わってくると、その才能を持ち続けることの難しさ(不断の努力や周囲や自分自身からのプレッシャーに耐えること)を知る。そこで、なんのために走るのか?ということと向き合わざるを得なくなる。それは天才でも濃淡あるが同じ。
それでも走り続けることの意味は?コスパやタイパを考えると全然見合わないのに。
それを「忘我の喜び」という次のフェーズに見出すトガシ。それは原点の喜びと同じもののようだが違う。悟りに等しい歓喜なのだ
アニメならではの世界観の構築に成功した傑作とも言えるが 頭でっかちで説教くさいのがタマにキズ
40年ちょっと前の作品になりますが、『炎のランナー』という名作映画があります。イギリス映画で作品賞を含むオスカー四冠に輝いており、冒頭の海辺を走る英国陸上競技選手団の映像のバックで流れるメインテーマ曲は誰もが一度は耳にしたことのある名曲です。この映画のことを『ひゃくえむ。』を鑑賞した直後にふと思い出しました。どちらも陸上短距離に打ち込む選手たちの群像劇なのですが、その描き方があまりに対照的だからです。実写 vs アニメ、実話ベース vs 完全なフィクション、1920年代の英国及び1924年のパリ•オリンピック vs ここ10数年の日本とインターハイ等の競技会と対照的なことがすぐにわかるのに加えて、登場する陸上短距離選手のキャラクターも対照的です。
『炎の−−』はふたりの実在の短距離ランナーを中心に描かれます。1924年パリ五輪の陸上100m金メダリストのハロルド•エイブラハムスと400m金メダリストのエリック•リデルです。多少の脚色はあるようですが、おおむね実話通りだそうです。実はこのふたりはともに100mを得意としておりライバル関係にあったのですが、公式に同一レースで100mを走ったのは一回しかなく、そのときはエリックが勝っているはずです(随分前に観た映画なので記憶が定かではないのですが)。ところが、1924年パリ五輪では牧師の息子で敬虔なクリスチャンであったエリックは100mのレース日が日曜日すなわち安息日であったため出走を拒否し棄権するのです。一方、ハロルドのほうは裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、このときはケンブリッジ大学の学生でした。彼は常にユダヤ人に対する差別を感じていましたが、それに臆することなく勝利を追い求め、それがパリで結実することになります。その後、彼はイギリス陸上競技界の重鎮となり、成功者として幸せな生涯を終えることとなります。100mを棄権したエリックは、英国チームの貴族階級の同僚ランナーから、他の種目で目標を達成したので400mはきみに譲るよ、と言われて400mに代役で出走し、見事、金メダルを獲得します。その後、彼は宣教師として中国に渡り、布教活動に励みますが、折しも日中戦争が始まり、日本軍の捕虜収容所で四十代の若さで病死します(映画のクライマックスはもちろんパリ五輪で、ふたりのその後はエンドロール前の字幕で出てくるという、よくあるパターン)。
ということで、実話をもとに陸上競技を描けば、競技生活が実人生の一部分であり、社会とも深く関わり合っていることがよくわかります。対照的に漫画を原作に持つフィクションのアニメ作品である、この『ひゃくえむ。』ではタイトルに句点の ”。” までつけて徹頭徹尾 100m走に関する物語であることを宣言します。主要登場人物のランナーたちは程度の差こそあれ、100m走に取り憑かれた 100m走至上主義者たちの物語です。このあたりの世界観の作り方が潔く、よく出来ているなあと思って観ておりました。
でも、物語のふたりの中心人物トガシと小宮が小学生の頃に出会い、高校生のときに再会し、強い雨の降るインターハイで相まみえるあたりまでのメインのストーリーはよかったのですが、他の部分ではアニメならではのよく出来た世界観というのが逆にアダとなって、物語世界にうまく没入できなかったなと感じました。まあ、トガシが小学生時代に会う仁神という、やけに老けた中学生が出てきたあたりから、いやな予感がしていたのですが、登場人物の陸上選手のキャラクターが戯画化し過ぎている感じ。トガシや小宮より年長であり、日本の100mを引っ張ってきたトップランナーの財津と海棠のふたりが、私、まったくダメでした。財津なんぞ「不安は対処すべきでない」とか人生の真理めいた名言を吐いたりもするのですが、どうしてあんなキザで偉そうな話し方をするのでしょう。まあアニメだから何とか見ていられる感じですが、あれを例えばTVの日曜劇場あたりの実写ドラマでやったら、財津にしろ海棠にしろ、とんだ茶番になってしまうと思うのですが。
また、「100m走に関する物語」と上述したのですが、スポーツにおける「心」「技」「体」の3側面のうち、心の部分の一部分を語っているだけで、実は 100m走の本質についてはあまり語られていないような気がします。結局、語られているは、いい言葉で言うと人生の真理めいたもの、どうやって生き抜いていったらよいかという、青少年向けに生き方を指南したハウツー本の中身みたいと言ったらよいのでしょうか。それはそれでいいと思います。アニメとしての世界観もしっかりと構築されているし、特に若い方にはおススメの好作品だと思います。
まあしかし、古希も近づく爺いの私には、この作品の内容がなんだか漫画家の先生がアトリエで頭の中で考えただけの陸上競技及び選手に思えてきてしまって。原作は未読ですが、作者の魚豊をネット検索してみてビックリ。1997年生まれで『ひゃくえむ。』は連載デビュー作とのこと。想像以上に若い。他にも地動説ついて描いた作品もあるとのこと。読んでみようかな。これはかなり偉大な才能の持ち主かもしれません。
「おぬし、なかなかやるな。しかし、まだまだ青いのぉ。次を楽しみにしておるぞ」と爺いから(財津や海棠並みに)エラそうにエールをおくっておきます。
少しウトウトしてしまった
全372件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。









