宝島のレビュー・感想・評価
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沖縄については特に戦後の状況やら米軍基地の件から結構本を読んでいた...
沖縄については特に戦後の状況やら米軍基地の件から結構本を読んでいたので、小説が出た時にすぐに読んで実際の出来事にうまく話が絡められていて面白かった記憶があったので期待して観に行った
記憶が曖昧だけど所々こう言う内容だったっけ?って感じなので改めて小説を読み直してみようと
違和感がずっとあったのよね
沖縄は今もまだ「戦後」なのかも知れない
‟遠い山なみの光”に続く広瀬すず出演作。“遠い・・・”と本作、全く同じ1952年に始まり、方や長崎、方や沖縄というどちらも戦争で大きな傷を背負った地が舞台、さらにはそれぞれ30年と20年という長い時の流れが描かれる。すずファンにとってはこんなにも共通点の多い作品が同時に上映中という偶然に不思議な感慨を覚えながら、観賞を楽しみにしていた。
【物語】
物語は1952年から始まる。終戦後もアメリカの統治下にあった沖縄、住民は戦後も大きな精神的抑圧を受け続けていた。そんな生活の中でアメリカ軍嘉手納基地などから物資を奪い、生活困窮者らに分け与える「戦果アギヤー」と呼ばれた若者たちがいた。その中心に居たオン(永山瑛太)、グスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)は幼なじみで、オンはこの地の若者の英雄的リーダーだった。しかし、ある夜いつものように嘉手納基地に侵入して物資を持ち帰ろうとしていた彼らは、アメリカ軍に追われて散り散りに命からがら逃げる羽目になる。仲間を先に逃がしたオンは彼らの下に帰って来なかった。
数年の時が流れ、グスクは警察官、ヤマコは小学校教師、レイはヤクザになっていたが、彼らはそれぞれオンを探し続けていた。一方、依然としてアメリカ軍に支配され続ける住民の不満はくすぶり、鬱憤は溜まり続けていた。
【感想】
知らなかったわけではないが、沖縄は戦後27年にも亘ってアメリカ統治だったことを改めて見せられると・・・
本土が復興を経て、高度成長・東京オリンピックに湧いていた頃、沖縄はまだまだアメリカで、札幌オリンピックの頃にやっと祖国復帰と聞き、「言われてみれば確かにそうだった」とそのことが忘却の彼方にあったことに気付かされた。 劇中島民の会話に「本土に見捨てられた」とあるが、「本土から忘れ去られていた」というのがより正しい表現なのかも知れない。本土の人間も戦後しばらくは生きるのに必死だったはずで、他地域の人のことを考える余裕は無かったのは当然だろうが、高度成長で意気揚々としていた頃には大半の国民は沖縄住民の苦渋は意識の彼方に追いやっていたのでないだろうか。
そして1972年の返還で沖縄の長かった「戦後」は終わったと思いがちだが、劇中のセリフで「基地はそのままなのか!」で、基地がある限り彼らが背負って来た荷はまだ下ろされていなかったことを知った。
そういうことに(今更ながら)気づかされ、思い出しただけでも本作を観た価値はあった。
また、過去のこととしてではなく、考えさせられ、刺さることシーンも有った。
終盤、俺にとってはクライマックスと言える基地の中でのグスクとレイの口論、いや思いを吐き出す咆哮の応酬。武力で対抗しようしなくとも、いつか人は今の理不尽さに気付き真の平和が訪れる日が来ると「人間」を信じようとするグスク、武力のバランスでしか対等な平和は実現しない、「それが人間だ」と主張するレイ。グスクの考えに賛同したいが、50年後の世界情勢を見ればレイの考えが正しかったように思えてしまう、残念だが。
その一方で、レイの考えに基づいて現在の世界情勢を考えれば、米軍を追い出したかったレイの希望とは真逆の結論になると思う。沖縄の米軍基地は日米安保的に考えれば、日本にとっての最大の軍事脅威である中国、ロシアに対する軍事拠点として非常に重要なはずで、米軍基地は存続必須になると思うからだ。なんとも皮肉な話だが。
もし、日米安保を放棄し、独力で国を守ろうとすれば今の何倍もの国防費等々国民の負担増加は計り知れない。 ただ、国家的に考えればそうだとしても、過去も現在も沖縄県民の負担と犠牲が圧倒的に大きいということを本土に住む人間は認識し、理解することが必要なんだと思う。 例えば辺野古基地問題で、沖縄県知事等が強硬な態度をとるニュースを見ると、俺自身「我がままではないか。国家的視点で考えれば我慢すべきではないか」とついつい思ってしまいがちだが、沖縄県民からすれば「今までどれだけ我慢してきたと思っているのか。未来永劫沖縄だけに我慢を強いるのか!」ということになるのだろう。恥ずかしながら本作を観てやっと実感。 沖縄の声を理解し、国家として必要な負担・我慢は本土も含めて平等を目指すように配慮することが必要なのだと思う。
そんなことを日本国民に伝えようとする監督、キャスト他、制作者サイドのとてつもなく熱い思いがビシビシと伝わって来る作品だった。また、それだけでなく妻夫木、広瀬、窪田の熱演も光り、人間ドラマとしても楽しむことができた。
ただ、「25億円の製作費」を感じることが出来たかと言うと若干疑問符がつくかも知れない。なんでかなと考えて気づいたことが一つ。一番金が掛かっているのはコザ騒動シーンと思われる。 おそらく大友監督が本作で一番描きたかったのは沖縄の人が強いられた“我慢”であり、コザ騒動は鬱積した不満の大きさを示すシーンとして、監督的にはクライマックスなのだと思う。ものすごい数のエキストラの動員で確かに迫力が有った。しかし、コザ騒動はストーリーの軸であるオン・グスク・ヤマコ・レイ、4人の物語と直接関係が無い(彼らが意図したものでも望んだものでもない)。つまりストーリー的なクライマックスではないのだ。ストーリー的クライマックスは前出のグスクとレイの対峙だと思う。 さらに、言えば宣伝文句の「消えた英雄の謎」を解くミステリーのクライマックスはまた別にある。 つまりクライマックスが分散してしまった感は否めない。観客はやっぱりクライマックスで一気に高揚する気分を味わいたい。その点、製作費ほど盛り上がり切れなかったところがあったかも知れない。
鑑賞前、本作を応援したい俺としては「25億円の制作費」と聞いて興行的にも成功することを期待していたが、初動を見る限りどうやら興行的には失敗(大幅赤字確実)が見えてしまった。初動は出来の良し悪しにはあまり関係せず、作品イメージとかプロモーションに依存するわけだが、本作しかり、“遠い山なみの光”しかり、「戦後」を描いた作品は「重いテーマ」を想像させ、現代の映画ビジネスでは厳しいのかも。本作は若者にこそ観て欲しい作品だが、自分の周囲を見回す限り鑑賞者の年齢層はかなり高く、若者に興味を持たれていないことは明らかだったのは残念。
不満も書いたが、25億円の制作費に応じてチケットが高額なわけではないので、沖縄県民の負担を理解し、平和の維持について考える機会を持つことができることに加えてエンタメ性も兼ね備えている本作は十分観る価値がある作品だと思う。若い世代にも是非観て欲しいと願う。
受け止め方はそれぞれでも、それぞれの心に一石を投じる
行方不明になった反骨の男を中心に、それぞれの立場で回り続けるコマのように止まれない若者たち。
(窪田正孝にこんなに骨太な血まみれが似合うとは!)
沖縄の歴史の暗さと沖縄人の苦渋は、戦後生まれで、島人じゃない私には想像し尽くせないに違いない。(本州人じゃないけどね。沖縄の人は本州を本土と呼び、北海道の人は本州を内地と呼びます。)
何度も行ったあのきれいな海の底には、抑圧と戦った沖縄人の生血と、理不尽に耐えた沖縄人の胆汁が沈んでいるのかと、初めて気づいた気がする。
「沖縄」を知ったのはまだ子どもの時、本土復帰のニュースに釘づけになっていた両親の後ろ姿を覚えている。テレビでは車の車線が右側から左側に変わったと現地レポしていた。
2度目の「沖縄」は友達との旅行。鉄道がないことをその時知った。そして幹線道路に沿って延々と続く金網の威圧感に驚いた。
その後、仕事で1泊2日で行くこともあった身近な沖縄だけど、明るさと爽やかさが私が持つイメージの全てで、だから、この重い映画が沖縄を代表してるとは思わない。
不屈の明るさが沖縄にはあると思う。
映画の中には沖縄風土や習慣を丁寧に描写するシーンもあって、この映画に関わった人がどんなに沖縄を大事にしているかもわかる。
特に葬送のシーンなどは細やかに描かれていて感心する。
賛否はわからないが、とにかくものすごいエネルギーで描かれた戦後沖縄
予備知識が乏しくて想像の域を出ませんが、戦後(アメリカ統治)の沖縄をリアルに描こうとした映画です
描かれたのは恐らく現実にあったいくつかの出来事に着想を得た架空の登場人物達の人生。この物語が映画の背骨には違いない。しかし観終わった印象としては、描かれた登場人物達の具体的なストーリーが、むしろ背景として描かれた戦後沖縄の情景、状況、史実をリアルに感じさせるための"舞台装置"だったという感じ、です
描かれたストーリー自体にリアリティがあったかと言えば「?」ではあるものの、そこにはものすごい"熱量"があり、この映画が描いた戦後沖縄には確かにリアリティがあって、それこそが作り手の見せたかったモノだと理解しました
ちなみに、同時期に公開されている「遠い山なみの光」も、ほぼ同時代の戦後日本(人)を描いた映画です。フォーカスしているテーマやストーリーは全く異なりますが、太平洋戦争を始めた国に住む、戦争被害者のどうしようもない苦しみやキズを描いている、というところに共通点があります。
(広瀬すずさんが出ている、というところも)
あちらは"静"、本作は"動"という感じで全く違うスタイルの映画ですが、対比しながら観てみるのもオススメです。どちらにも違う良さや味わい(考えてみるべきテーマ)があって興味深いです
戦果
あの圧倒的な熱量の予告からしてとても期待していた本作。
初日に観たかったのに191分という長尺の為時間が取れず、本日よ〜やっと鑑賞。
公開から4日、朝9時過ぎからの回でも大入りでした。
今年は戦後80年という事もあり、個人的にもNHKの特番や、本・映画を通して戦争について考える時間が多かった。
今年の8月9月は正直キツい。
沖縄のコザについては「遠いところ」を観てから少し調べた事があったが、本作で描かれるアメリカ統治下の沖縄の事は詳しく知らなかった。
通過がドルだったり、日本の法律は適用されなかったり(アメリカ優位)沖縄県民は理不尽な立場だった事位しか知らなかった。
生活の為に米軍から物を盗んでいた人々の存在は何となく聞いたことはあったが「戦果アギヤー」と呼ばれていた事も知らなかった。
太平洋戦争末期、本土決戦への時間稼ぎとして沖縄を見捨てた日本(軍)
大きすぎる犠牲を出しボロボロにされた沖縄と沖縄の人々。
終戦を経て1972年、沖縄の本土返還までの、沖縄に生きた人々の姿を生々しく描いた作品でした。
どうしようもない怒り。
絶望し尽くしても尚沸々と湧き上がる枯れる事のない怒り。
武器を持つ事が抑止力になるのか。
やられたらやり返してはダメなのか。
平和なんて一度も見たことがない。
厳しい時間でした。。
良かったんだけれども…
オンちゃんのいない喪失感や沖縄人の我慢や痛みや怒り、支配され虐げられ無視されてきた歴史の重さが、どこか表面的。
もっと、喪失感、我慢、痛み、怒りの爆発を感じられる構成を期待していた。
なんか、沖縄の中から物語を見ているのではなく、外から見ている感じがずっとするのは、描写が外から視点で、渦中ではなく結果の傍観で、ずっと遠くから眺めている感じがするからなんだろうな。
上映時間を抑えて、分かりやすさを重視してしまって、結構大事なところまで削ってしまったような…。
『国宝』はエグい部分をかなり削ったけど、違和感はなかったけど、『宝島』はそこ削っちゃうと、沖縄人のどうにもならないって怒りが薄れてしまうよな…。
もっと映画ならではの表現をして欲しかったなぁ。
尿意との戦いが記憶に残った
クライマックスがコザ暴動(1970/昭和45年)なんだろうなーと予想して観ていて、果たしてそうで、「光州事件」や民主化直前の政変を描いたいくつかの韓国映画を思い出しました。
あの辺の作品に刺激を受けて作られたのかもしれないと思うくらい、印象が似ていました。
映画賞を狙うにはいい感じの文芸系に振った印象が強く、エンタメ性は薄い。
失踪のミステリー要素が少しあるだけ。
右や左に偏らず、日本本土もアメリカも、沖縄の人間たちを利用だけして実質見下し、見放して人間扱いしてこなかったことによる悲しみの連鎖を描く、という趣旨はわかる。
わかるがしかし、登場人物たちが現実と同じく「わかり合おう」という努力を誰もせずに勝手なそれぞれの「正義」「平和」を求めることしかしないから、一時的感情爆発な衝動事件が散発的に発生するだけ。
長い小説をこれでも短くまとめたとは思うが、事象の発生した西暦がテロップで出る程度で、区切りが分かりにくく、脚本&演出的に平板。
3時間を超える中で、3〜4章に分けてわかりやすく1章ごとにそれぞれ落ちをつけるなどの緩急の工夫がほしかった。
もしくは、1エピソードくらい省略して、2時間半くらいにまとめてもらわないと、観る側の集中力持続がもたず、尿意との戦いしか記憶に残らない。
一番辛かったのは、沖縄の方言だらけで聞き取りにくいセリフが、複数の人間が被せ合う演出で、全く何言ってんのかわからないところが多発してたこと。
『るろ剣』大友監督のはずだが、原田眞人監督かなこれ?とネットで確認したくなることがしばしば。
字幕上映で観たかった。
ただ、沖縄が今意固地になって、政府のいうことにNOを突きつけることが多い原因となっている基である、「怒りの歴史」を知るのには役立ちますし、また民衆から自然にテロや暴動が発生するケースの原因についても気づかせてくれます。
・飢え(酷税や収入格差含む)
・法治なき混沌とした状況
・理不尽な抑圧、弾圧
によって、民衆の不満が爆発するのが大半なのだよなと。
どう受け取ればいいのか不明瞭な映画
戦後の沖縄統治、米軍基地問題を背景にして、生きる者たちの物語です。
嘉手納基地に侵入し、物資を略奪していた少年グループのメンバー⋯
・リーダーのオン(永山瑛太さん)
・グスク(妻夫木聡さん)
・レイ(窪田正孝さん)
・オンの恋人ヤマコ(広瀬すずさん)
達の、20年間くらいの人生を軸に話は進みます。
ある日、基地からの略奪行為が失敗し、それ以後、オンが失踪してしまい、
グスクやヤマコはオンのことを想い続ける。
血の気の多いレイは、アウトロー路線へ。
とゆうような「物語」が進む他方で、沖縄の人たちはアメリカによる圧政に我慢ならず怒りが湧き起こっている。
感想としては、この映画は、物語を魅せたいのか、それとも沖縄基地問題に重心を置きたいのか、よくわからず、どのように受け取ればいいのか少し困惑しました。
沖縄基地問題と、物語がそれぞれ絡み合わずに、独立して足し算されているような印象です。
「沖縄がこうであったから、グスクたちはこうである」とか、
「グスク達の物語を通して、沖縄基地問題をもっと見て欲しい」
のどちらかだったら、わかりやすかったと思います。
最終的に、終盤で、この映画のテーマは明らかになるのですが、
そのテーマがあまりに普遍的すぎて、
「普遍的なテーマを語るために、沖縄基地問題やグスクたちが使われた」
とゆう、あまり良くない印象を受けました。
よかった点は、
メインキャストの役者さん達がみなさんナチュラルかつ、熱演されていて感動しました。
また、群衆シーンも、リアルで迫力もありました。
沖縄基地問題に関しては、ただただ、耐え忍ぶ苦しみ⋯解決できないような難しい問題があると気づき、
沖縄の方々の基地負担について、再考すべきだと思いました。
韓流の真骨頂追い。支持だが惜しい。
基地反対派の人は喜ぶ作品なのかも。
左右どちらでもない、史実に基づいた群像劇ということですが、
映画にする際の切り取り方が悪いのか、
群像劇と言うには思想が強く、かといって史実ものとしては浅い、
どっちつかずな中途半端な作品でした。
沖縄の方言に加えて、
3人の主人公たちの視点や回想が入り乱れるので、
1回見ただけでは特に内地の方々は内容を追いきれないと思います。
かといって複数回見たからといって感想も変わりません。
※俳優目当てに複数回鑑賞しました。
祖父と祖母がちょうどアギヤーの世代ですが、
この映画を見ただけでは、
なぜ沖縄の人がコザ暴動を起こすまでになったのか、
何がなんくるならんのか、伝わり切らないように感じました。
なので、コザ暴動のシーンもただ酔っ払いで気がデカくなった
騒ぎたいだけの人が騒いでいるようにしか見えず、
私ですら思うので沖縄に縁のない方は特に感じるのではないでしょうか…。
ドキュメンタリーや歴史系の作品はよく好んで見ますが、
これに25億か、という印象です。
大友監督のちゅらさんはとても好きだったので、残念でした。
監督や妻夫木さんの、
各地の舞台挨拶でのコメントを拝見すると、
彼らの満足感としては満点なのかなという印象です。
よかった点としては、
俳優の皆さんの演技は非常に熱量高かったです!
また劇版も佐藤直紀さんで、サントラが欲しくなりました。
総論、基地反対派の人は喜ぶ作品だと思います。
ぬちどぅ宝
1952年の沖縄。
米軍基地に侵入しては物資を強奪し
近隣住民に分け与える「戦果アギヤー」なる若者の集団が居た。
一種の義賊も、そのリーダー『オン(永山瑛太)』は
地元民から英雄とみなされる。
が、ある日、友人の『グスク(妻夫木聡)』、
弟の『レイ(窪田正孝)』と基地に忍び込んだのち、
ふっつりと姿を消す。
それから六年、共に『オン』の消息を探るため、
『グスク』は刑事に、『レイ』はヤクザになっている。
また、『オン』の恋人だった『ヤマコ(広瀬すず)』は
小学校の教師となり、やはり行方を追っている。
物語りは「消えた男」を探すのと並行し、
当時の沖縄の世情が描かれる。
対米的には
「宮森小学校米軍機墜落事故」
「コザ暴動」が二つのピーク。
一方、県民同士でも、
那覇とコザのヤクザの抗争、
そこに本土のヤクザも介入し、
更には米軍の特務機関まで絡む混沌の様相を見せる。
一人の男の消息を契機に、
何故にここまで多くの人間が右往左往するのか。
とりわけ、『グスク』と『レイ』の二人は
人生までをも変えられる。
途方もない影響の強さだ。
とは言え全ての経緯が明らかになった後に残るのは、
竜頭蛇尾な印象と消化不良。
三時間強の尺を使いこれか!との思いを強くする。
同時期の沖縄と若者を描き、小説から映画化されたのは
本作が初めてではない。
1972年出版の『東峰夫』の〔オキナワの少年〕を原作とした
『新城卓』による〔OKINAWA BOYS オキナワの少年 (1983年)〕がある。
沖縄に残る、残らないの違いはあれど、
米軍のジープに住民が轢き殺されることも併せ
扱われている事件もほぼ近似。
これらはそれだけ、当時の人々には衝撃的だったのだろう。
個人的にもっともショッキングだったのは、
「コザ暴動」の際に路上で燃え盛る車の回りで
カチャーシーを踊るおばあの映像。
どれだけの強い怨がそこにあるのかと、
身の竦む思いだった。
今回も同様の場面はちらとだけあるが、
どちらかと言えばモブシーンにシフトした構成。
迫力はあるものの、
より強いインプレションがあるのはどちらだろうか。
往時もイマも変わらない、米軍の負の側面は、
基地が在ることで地域経済も潤う二面性も、
幾つかのエピソードでふれられる。
もっとも当事者も、存続を心から願っているわけではないことも併せて。
「米百俵」の故事ではないけれど、
今日の食は大切も、
想いや命を未来へ繋ぐのも、
人間の営みの重要な要素。
それこそが英雄的な行為との主題も
立ち上がっては来るのだが。
まず、役者の芝居の熱さを見て!ANAのCMに映るリゾートホテルとは違う、沖縄の生活と迫力を見て!
皆さん、おっしゃるように、脚本に難はありますよ。原作に負けたね(これが例えば藤井道人の『正体』だと、相当に原作を改変してるんだけど、原作以上の説得力になってる)。真藤順丈の原作は、エンタメの枠ながら戦後沖縄史のポイントを見事につないだ。大友啓史は原作に誠実ではあるが、それに縛られて登場人物やエピソードの取捨選択に失敗した。で、原作の弱さだけ拾ってる。これはわかりにくい。そしてわかりにくさは興行収入にはマイナスだろうなあ。でも『国宝』だって、批判というより、悪口言う人は言うものね。
でもよ、でもよ!あたしゃね、冒頭の嘉手納基地内での戦果アギャーの、瑛太、妻夫木、窪田の3人と米軍とのカーチェイスと、ラストのコザ暴動のシーンだけで、もう2000円の価値はありました!とにかく、ア・ツ・イ・ノ!画面から、汗の臭いがするの!沖縄が画面にあふれてるの!
この映画の悪口を言ってる人は、「映像や役者の迫力」よりも「わかり易さ」を求める人々。リアリズムが出てくると拒否反応を示しちゃうんですね。まあ一言で言えば蓮實重彦に「お前は映画を見ていない!」と一蹴されるタイプです。
丁寧に作ってあるけど、説明無いからね。たとえば妻夫木がAサインバーで黒人米兵に聞き込みをしてる時に、マリファナを勧められて断るシーンとかね。知識がないと、あれがマリファナだって気づかないだろうな。そしてマリファナ一つに大義の無いベトナム戦争に徴兵される、米兵(それも黒人兵)の恐怖と退廃が象徴されている。一瞬の映像にいっぱい歴史的な背景がぶち込んであるのよ。まあ、R指定を意識したせいか、特飲街の描写は『べらぼう』の第1回よりもゆるかったけれど。そこは残念。沖縄ヤクザの大物、コザ派の喜舎場朝信だって一瞬しか出てこないけれど、ピエール瀧(ほんと最近ヤクザばっかりw)の説得力は抜群だった。ああ、それなのに、それなのに。この芝居のボルテージを、「役者の自己陶酔」とか言って自分の目の拙さを絶対視して、映画コムにまで悪口書くんだものなあ。小人は度しがたし。
私はもう一度見に行って、ドキドキしてきます。
妥協しない作り込み
かなりこちらの理解力を問われる作品だと思う。
作品中のセリフは沖縄語を中心としているのでなかなか聞き取りづらい。
わかりやすくするのは簡単だ。
会話時に字幕なり、見やすいように現代語として作ることはできたはず。
しかし、監督側は分かりやすくしようと思えばできたはずなのに、あえてそれをしなかったように感じた。
それは、沖縄の人の苦しみや寄り添う気持ちを感じるためにも曲げなかったのだろうと思うし、妥協しないこだわりを感じて興味深かった。
正直会話のほとんどは聞き取れず、意味などを100%は理解できなかった。
登場人物たちが会話している場面から想像して「これってこういう事を言っているのかな?」と推察することを求められる作品なので、かなり人を選ぶと思う。
なので、ただ話を聞いていれば理解できる作品ではなく、こちらが前のめりになって聞くことを求められる能動的な作品になっている。
会話をボーっと聞いていれば、それは本土の人間に対して言っていた「無関心」なのだろう。
こちらの集中力が問われるのは、当時の沖縄の現状をこちらが「知ろうとする」能力を問うているのかな、と勝手ながら思った。
序盤で戦果あぎやーが物資を強奪し、貧しい民に分け与えるところは、戦後の時代なのに彼らの衣装が江戸時代の町民が来ていた服装に見えた。
それがなんとも不思議な感覚を覚え、興味深い。
あぎやーたちが物資を奪って、貧しい市民とみんなで分けるという行為が、昔ながらの日本のイメージである助け合いがあったんじゃないかと思ってしまう。
それが年数が経つにつれ人の生活が変わっていくと、だんだんとお互いが疎遠になっていくところが微妙に描かれていてドライになっていくところが物悲しい。
上映時間が3時間以上あるし、体感的にもそれ以上に感じた。
それは原作が長編だから作品時間も長くなったとは思うのだけれど、その長尺が当時の沖縄の人たちの忍耐性を表したかったのかなと思う。
いつになったら…
おそろしく尺が長い映画ですが、おそろしく血がたぎる映画です。私達が忘れたもの、いや、私達がわざと忘れようとしているものが、そこにあります。それだけですが、それが総てです。
米軍基地の問題は、ニュースでお馴染みです。でも、客観的に編集され、中立であることが絶対条件の報道の世界では、あの熱い思いと、空気を伝えることは、残念ながら望めません。当然、アメリカにはアメリカの言い分があるし、このクニの政府にも、言い分があるはず。でも、そこで暮らす人々の本当の思いは…
この島は変わる、俺たちが変える。
あの時代をリアルタイムで生きていたわけでもない私ですが、あの頃、自分たちが頑張れば、世界を変えられる、誰もがそんな思いを持っていたように思います。ただそのやり方に間違いもあれば、逆効果だったこともあるかな。暴動自体は、正しいこととは思いませんが、あの強烈なエネルギーは、何処から来たのか?、あの場所にいたら、あのエネルギーを止めることはできるのか?。今の時代に、あの熱い、たぎる思いがあれば、このクニはどうなるのか?。皆様はどう思います?。
一度も沖縄に行ったことのない私が言うのもおこがましいですが、いつになったら、オン兄ぃのまっすぐな思い、伝わるのかなぁ…
「マイ バックページ」
「闇の子供たち」
妻夫木氏、不思議な方ですね。時代に翻弄されるキャラが、妙にハマります。何故かしら。その理由を知りたい方に、おすすめします。観てね。
「アンダーカレント」
瑛太くん、不思議なキャラですね。今、そこに姿がなくても、今、そこにいるヒトに、強く存在を残す。何故かしら。その理由を知りたい方に、おすすめします。こっちも観てね。
沖縄…とは…
とてもシリアスな内容です。宣伝等の影響で、エンタメ要素を期待されている方は要注意です。
戦後の沖縄が舞台です。混乱と狂騒の日常が描かれています。私たちが知識として知っているとか、学校で教わったとか…そんな知ったかぶりのボケた脳ミソを撃ち抜く…衝撃的な内容です。
「平和」…って何?
アメリカ軍が、または日本政府が強制するものなのか?島の人々が望む平和は平和じゃないと言うのか?島に生まれたら、いつの時代も耐えることが人生なのか?
身につまされます。
セリフは沖縄言葉がふんだんに使われています。セリフが分かりにくい、という意見もたしかにありますが…もし、お時間が許すなら原作を三分の一でも読んでいただけると、セリフがわかりやすくなります(原作にはキーワードの横に沖縄言葉でルビが振ってある)。
キャストに関しては、妻夫木さんのグスクは、原作より力強く、そして優しい。すずちゃんのヤマコは…少し可憐すぎるかな。原作では、もっと背が高くてグラマラスなイメージです。永山瑛太さんのオンちゃんは…残念ながら…少しカリスマ性に乏しく感じました。カッコいいけど。窪田正孝さんのレイがイイ!キレッキレの圧巻の演技です。
時間が長い(3時間超え)。「国宝」のように時間が気にならなかった…という作品ではありません。それは内容のシリアスさに、観てる側の心が疲れてくるからだと、思われます。しかし…この作品で知ることができることは…私たち日本人が知っておくべき内容であることに間違いはなく、ぜひご覧いただきたい。
この上映時間なのに、とっ散らかりすぎでは
色々詰め込みすぎた結果、まとまりがないものになってしまったと思う。
金がかかっているだけあって、迫力があるところもあったし俳優陣はなかなか良かったが、、、
見ていて国宝みたいにおぉ…ってなる作品ではなく、
ずっと重く、エンタメより学校で見る感想文書かされるタイプの映画だから、一般ウケするのかなぁ
上映時間が長いし、上映時間に見合うカタルシスがあるかと言われるとね
なんかこういう映画だけ見て、沖縄のことをわかった気持ちになってしまう人がいるのもこわいですね。
結局他人事だと言われればそれまでだし、当事者でないから完全に理解するもの難しいと思うが、知ることをやめてはいけないとは思う。
難しいですね、いろいろと。
3時間超の意味ある?
なんの山場なく、ダラダラとした展開。
沖縄の方言も普通に話しているときはなんとか理解できても大声で叫ぶ時など理解出来ない。
沖縄の方にとっては米軍基地問題は深刻なのは分かるけど、今まで、何回同じような作品やドキュメンタリーを観てきたことか…
あえて、いいところを探すとすれば、窪田正孝はこんな役柄はあってますね。「悪い夏」の時も良かったし。
全610件中、381~400件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。






